Neetel Inside 文芸新都
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ニッポニア
奇縁

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 私達はニッポニアからこの星の基本的な情報を聞き出した。この星が地球という名前で、かつて青く美しい惑星であったこと。見えない境界で区切られた国という地域行政機関が各々統治していたこと。ニッポンという国にニッポニアが属していたこと。しかし、我々がもっとも興味がある彼ら人類が滅びた理由を聞くと、とたんに口数が減った。
 技師長は別の角度から切り崩そうと、話題を変えた。
「我々は君の脳をいじくり回したり、言葉巧みに騙して情報を入手したりはしない。君が旧時代レベルだからといって、旧時代の野蛮な方法を用いたくはないのだ。しかし、君がだんまりを続ければどういうことになるか、分かるだろ」
 ニッポニアから見れば、我々は手の平に乗るような大きさである。こういう脅しが有効とは思えない。
「少々、長い話になるがいいか」
 どうやらこの男にも理性というものがあったようだ。ニッポニアがついに人類が滅びた理由を話し始めた。私は自分の仕事が書記であったことを思い出し、ペンを走らせた。



 文久三年正月二十一日の明け六つだから、西暦で言えば1863年2月25日午前6時ごろのこと。比叡山延暦寺から一人の僧が石段を下っていく。アカゲラが木をつつく音が遠ざかり、豆腐売りの声が近付いてくる。豆腐売りは町一番の早起きだ。庶民の朝食に間に合わせて届けなくてはいけないのだから。
 石段を下りきったところですれ違う。
「坊さん、豆腐は」
「すまぬが、それは石段を登った先で掃き掃除をしている小坊主にでも渡してくれ。拙僧は寺には戻らぬのでな」
 この僧はその日から還俗し、上中下之介かみなかしものすけと名乗のるようになる。還俗して侍に戻る。延暦寺から立ち上る煙を眺めながら、下之介は決心を固めた。
 今まで何度辞めようと思ったことか。修行僧には厳しい戒律がある。酒は呑んではならないし、肉や魚も口にしてはならない。妻を娶ってはならないし、女遊びなんてもってのほかだ。あれも禁止、これも禁止。下之介にはこの僧坊の暮らしは堅苦し過ぎた。今まで飛び出さなかったのは、自分でこつこつ集めた書物があったからだ。
 和紙の紙束が下之介の天地であった。日本外史が下之介にとっての娯楽であり、東海道中膝栗毛が下之介にとっての旅であり、源氏物語が下之介にとっての恋であった。しかし奔放な下之介を嫌う者たちによって、すべての蔵書を焼かれてしまった。書物がなくなった以上、もうここにいる理由はなかった。
 天台座主に啖呵を切って、山門を出た。後悔なんざ微塵もない。坊主なんてやめてせいせいした。そう思うと心が弾むようだった。いままで禁じられたことを全部やってやる。手始めに酒を呑もうと居酒屋を探すが、こんな朝っぱら開いているわけもない。店じまいをしている居酒屋をみつけて、ずうずうしく転がり込む。
「この店で一番上等な酒を頼む」
 おやじに一声かけて長い腰掛にどかりと座った。
 親爺は嫌な顔一つせずとっくりと猪口を出してくれた。
 初めて酒を呑む。呑み方なんて分からないから、水を飲み干すようにぐっと一息にあおる。美味い。酒とはこんなに美味いものか。下之介はよほど酒が気にいってしまったようだ。親爺が呑みっぷりがいいともう一本とっくりを出してくると、次々と空にしていった。
 居酒屋が見られるようになるのは宝暦(1751年から1763年までの期間)を過ぎてからで、それまでは量り売りが主流であり、その場で呑むことはできなかったそうだ。
 いったい何杯目の猪口だろうか。さすがに人の良さそうな親爺も迷惑そうな顔をしている。二百文(約3000円)払って気持ちよく居酒屋を後にすると、もうすっかり日は昇っていた。
 ああ、酒の味も知らずに生きてきたことがまったく馬鹿らしい。次は何をしようか。解き放たれた煩悩はとどまることを知らない。百八つでは足りないくらいだ。
 そうだ。せっかく侍になったのだから刀を買おう。千鳥足のまま番所を通って市中に入る。あちこちの家からかまどの煙が立ち昇り、炊き立ての白飯の匂いが空腹にこたえる。
 魚売り、野菜売り、惣菜売りの棒手振ぼてふりが売り文句で客を呼んでいる。棒手振ぼてふりとは天秤棒を担いで両端に売り物を入れた桶をかけて町を売り歩く小売業のことである。
 朝五つ(午前8時)、京の町はすっかり目を覚まし、裏長屋の井戸端からは活気のある声が聞こえてくる。店子(大家から家を借りている長屋の住人)の女房たちが井戸端で灰汁を使って洗濯をしている。洗濯を片手間におしゃべりに興じているいったほうがより正確だろう。 刀屋を探しながら、ついでに買い物を済ませてしまおう。この頃は旅支度には大層金がかかった。例えば最も人の往来の多かった京都と江戸を結ぶ東海道の場合、百二十五里(約500km)だから成人男性ならば13~15日ぐらいかかった。草鞋は半日も歩けばつぶれてしまうから、草鞋だけでも三十足、一足十五文だから四百五十文(約6750円)は必要になる。
 すっかり日も傾き、路地裏からは三味線の音色が聞こえてくる。お稽古事の三味線の師匠が奏でているのだろう。中京辺りでうろついているうちに見つけた刀屋に入ると、人を斬るための道具であることを忘れてしまったかのような豪華な装飾の刀がずらりと並んでいた。刀身が一つあれば鍔や柄、鞘を付け替えることができるので、その日の気分で漆塗りから派手な朱鞘に変えたりする粋な者もいるらしい。
 まだ懐に余裕はあったが、売り物に値札が付いていないから「この店で一番上等な刀をくれ」とは言えない。刀屋の番頭と交渉しだいで値段は変わる。下之介は安くて丈夫な刀を探したが、番頭に聞いても三好長道がどうとか、無銘業物ならどうとか言われて話が通じない。
「この正宗などどうでしょうか。お腰にさしてみてください」
 されるがままに刀と脇差を帯に挟まれる。体が左に傾き、たたらを踏む。
「ちと、重いな。もっと軽い刀というのはないものかね」
「いいものがあります。しばしお待ちを」
 そういうと番頭は奥の間にひっこんで、米のとぎ汁で拭き掃除をしている丁稚でっちを手招きする。
「蔵に献残屋から買った上り太刀があったろう。取って来ておくれ」
 献残屋とは今でいう贈答品のリサイクルショップのことで、武家では贈答品に必ずといっていいくらい、木で出来た模造刀を付けた。それが上り太刀である。下之介の世間知らずを見透かした番頭は、上り太刀を名刀と偽って売りつけた。エセ侍にはお飾りの刀で十分というわけだ。
 そうとも知らずに、下之介はおもちゃのような刀にご満悦で漆塗りの鞘を撫でている。あとはまげが結えるまで髪が伸びればと、僧形の頭をぺしりと叩いた。



 九回、時の鐘が鳴る。最初の三回は捨て鐘だから、暮れ六つ(午後6時)の鐘だ。刀が思ったよりも安く済んだので、夕飯は豪勢に料亭で食べようと丹虎という料亭に入る。
 下之介の身なりを一目見て、女将はやんわりと断った。
「お客はん、うちは一見様はお断りどすえ」
「女将、それはおかしい。誰でも最初は一見様じゃろうが」
 下之介と女将が押し問答を続けていると、すでにこの料亭の二階で酒宴を開いていた客が、騒動を聞きつけて降りてきた。
「その男は僕の知己ということにして、あげてやれ」
「よろしんどすか、清河はん」
 女将が清河と呼んだ男は下之介とは知り合いでもなんでもなかったが、どうやら助け舟をだしてくれるようだった。
 喜び勇んでふらふらと階段を登る。その後ろ姿について登ってきた清河は、下之介が酒を呑む前からすでに酔っ払っているのを見て、酒の座興にと同じ座敷に呼んでやった。
 素面ならば精悍なたたずまいであろう若侍たちが、髪も振り乱して高いびきをかいている。清河以外は酔いつぶれてしまって、代わりの話し相手を探していたのだろう。
「君は勤王派、佐幕派どちらだ」
「は」
 清河は下之介の反応の鈍さを見て、一気に興が冷めてしまった。
「勤王は幕府を倒し朝廷を御政道の中心とする思想、佐幕は幕府を支持する思想のことだ」
 時流に疎い者にも分かるように清河は噛み砕いて言うが、下之介は話しはそっちのけで一の膳の塩焼きの鮎の頭を噛み砕いている。
「それは必ず勤王か佐幕にならにゃいかぬのか。それよりもせっかく料亭に来たのだから、もっと魚を沢山食わせてくれ。シビ(マグロ)やコノシロはないのかい」
「君は本当に武士か。シビは死日に通じ、コノシロは『この城を食べる』で縁起が悪い。さらにコノシロは切腹をする者の最期の食事に出されるため、切腹魚とも呼ばれている。武士ならば絶対に食べない。君は先ほどから人の話も聞かず、こんな痩せて骨の硬い加茂川の鮎ごときに夢中になっているが、長良川の鮎に比べたら食えたものではない。鮎を食っている場合か。今、天下は揺れ動いている。千里の波濤を越えて夷人どもがこの国に押し寄せ、開国派の大奸物の井伊は水戸の勤王の志士たちによって討たれた。一昨日この京の都にもこの国を守る一党が結成された。武士ならば何か思う所があるはずだ」
 下之介は手付かずに残っている三の膳の豆腐田楽を口に運びながら、今ごろ寺ではまた精進料理を食べているころだと、ふと思った。
「正直に申すが、拙僧は侍というものが良く分からんのだ。拙僧は肥前佐賀藩の貧乏侍の三男坊として生まれたが、五つのときには寺に預けられていたから父親のことは良く憶えておらぬ。寺での生活は世俗とは隔絶されておって、今日還俗したばかりの拙僧にはわからぬことばかりじゃ。りっぱな侍となって故郷に錦を飾りたいから、一つご教授願えぬだろうか。侍とは何ぞや」
 下之介の問いに清河は寝息で答えた。
「なんじゃ。寝てしまったのか。人の話を聞かぬのはお互い様じゃな」
 下之介は冷め切った水菜の味噌汁を飲み干すと、侍とは何かを考えながら眠気に身を任せた。



 翌朝、先に起きていた清河に起こされる。
「大丈夫か、ずいぶんうなされておったみたいだが」
 うなじには汗がべっとりとして肌着が張り付いている。
「ああ、またか。毎度のことじゃ、心配には及ばぬ」
 下の介は気にも留めず、寝汗のびっしょりと染み込んだ着物を脱いで下帯姿になった。
「いったいどんな夢を見ていたのか」
 股引をはき、小袖胴着に腕を通す。
「それが一向に思い出せんのじゃ」
 腕には手甲、足には脚絆と紺足袋を履き、裁着袴たっついばかまを身に着ける。
 裁着袴たっついばかまは動きやすいように裾がすぼまっている袴である。
「あつい、あついと寝言まで言っていた。この都が火の海になる夢でも見たのだろう。君もこの国の動乱を肌で感じているから、そういう夢を見るのだ。国事について考える気になったら、また会ってやる」
 下がり藤の紋が染め抜かれた黒羽織、刀の柄には柄袋、一文字笠を被り、予備の武者草鞋を風呂敷に包み、肩にかけて背負い旅支度を整える。そこに清河の姿はもうなかった。気風のいい男だったようで、すでに下之介が呑み食いした分までまとめて払ってくれていた。
 故郷の肥前佐賀は出入りの厳しい藩だ。帰れば藩の中だけの生活が待っている。二度と清河と会うこともないであろう。

       

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Neetsha