『修羅場シュガーラバーガール』は平野が『ザ・テンポス』として初めて書き下ろした曲だ。
結成直後に「ワッキはどんな音楽聞くの?」と平野に聞かれ「邦楽なら椎名林檎がブランキー」と答えたら浅井健一のような印象的なギターリフの曲を書いて持ってきた。
曲の構成はシンプルなエイトビートで歌詞の内容はヤンデレと呼ばれる病的に恋愛に依存している女子の心情を歌っている。
主人公の娘が好いている男の彼女と出くわす、という修羅場を描いたなんとも平野らしい馬鹿げた世界観を歌った曲だ。
「あなたの胸に真っ赤な薔薇をあげましょう」だの「銀色に輝く二人の未来」だの、ストーリーの中の二人の未来には『死、そのもの』しか待っていない。
でも俺は演奏中、そんな事は気にしなかった。俺だって同じだから。
「アイム ラバーガール 私、修羅場シュガーラバーガール
アイム ラバーガール 私、修羅場シュガーラバーガール イェア」
1番の歌詞が終わり、間奏が始まる。俺は頭の中でコード進行を整理する。「D-A-Bm-F#m-G-D-G-A よ。お兄ちゃん」頭の中で声がする。
俺は横目でその声の主を探した。顔のすぐ横をチョウのような羽根を付けたアイコがふわふわと浮いていた。その姿を見て俺はふっと笑う。
「それは何を表してるメタファーなんだ?」「D-A-Bm-F#m-G-D-G-A よ。早くしないと乗り遅れちゃう」
妹に促され俺はカノンコードのベースラインを弾く。ストーリーの二人の未来を祝福するような心地良く、安定したハーモニーがステージ上から鳴り響く。
「一体どういう事なんだ?」心の声で俺はアイコに尋ねる。妖精になったアイコは俺の肩に腰掛けて言った。「私はずっとお兄ちゃんと一緒だから」
アイコが俺の耳にくちびるを近づけた。「言ったでしょ?あの日、妹が欲しいって。こんな苦しみはひとりじゃ耐え切れないって」
中学2年生の自分の言動を振り返って俺は恥ずかしくなる。「アイコ、」俺は妹の名を呼び、その妖精に言葉を伝える。
「おまえの気持ちは充分伝わったよ。でもこれは俺と『テル』との勝負なんだ。俺ひとりで戦わせてくれ」それを聞いてうなづくとアイコは背中に張り付いた4枚の羽根を羽ばたかせて俺の前を一周した。
「わかったわ。お兄ちゃん。私の声が聞きたくなったらいつでも呼んでね」
いつものようにふっと笑うとアイコはステージの裏へ消えていった。俺は曲に意識を集中させる。山崎が叩いているドラムのタムが高速回転し、平野がマイクにくちびるを近づける。
曲は佳境を迎え、ストーリーの二人は一気に奈落の底へ転落していく。そのスピード感はこの疾走感のあるメロディとピッタリ合致した。
平野が最後のコードを弾き下ろし、山崎のドラムロールが鳴り止むと客席から歓声が沸いた。
「私、修羅場シュガーラバーガール イェ~」
低い声で平野があざけると何人かの笑い声が聞こえた。「2曲目、イくぞ!」
平野がギターから手を離して奇妙なダンスを踊る。
「hey, hey, We am idol hete ! hey, hey, I are idol hete ! fu~」
ポップで不気味なコーラスにフロアが混乱する。2曲目に俺達が演奏する曲は『アイドルヘイト』。人気アイドルにのめり込んでCDやグッズを買い占めていた男がそのアイドルが落ち目になった途端、
急に熱が覚めて自分の言動を後悔するというストーリーだ。みんなもこういう経験、一度や二度、あるのではないだろうか?
平野がギターを手に取り早口でまくし立てる。
「好きだったアイドル 芸人とできちゃった婚
積み上げられた200万のCDは握手券に早変わり ああなんであんなのにハマってたんだか 馬鹿らしいね アホらしいや
大嫌いさ 無敵のアイドル 欲しいのは自分だけのアイドル 3次元はいつもこう、それだからボクは今日もアイドルヘイト」
平野がポージングを取り、2回目のコーラスを始める。アブリルラビーンの曲みたいだ、と前の方の客が冷やかした。
消費されまくるアイドルに対してのロックアイロニー。俺達が演っている音楽が正当に評価される日は来るのだろうか?演奏が終わり、拍手が鳴ると俺はそんな事を考えていた。
「3曲目、『ボクラポップ』!」平野が次の曲名をマイクに告げると俺達はステージの上で希望をイメージしたメロディを打ち鳴らした。
「暗い時代に明るい曲を」というフレーズをコンセプトにした曲は16ビートのダンスチューンで山崎のドラムがフューチャーされる曲となった。
キーボーディストが入ればもっと華やかな曲になるのかもしれないが俺達は自分達が出来るすべての力を使ってこの「テンポス風ダンスナンバー」を体現していた。
「K-POPでもJ‐POPでもボクらが鳴らしてる音はひとつなんだ 国会も国境も巻き込んだものだったたり、自由と愛を歌った物語
大事な物は胸の中にある 響かせよう!ボクらだけのボップミュージック」
混沌を極める国際情勢をニュースで見ながら俺達の発信する曲はメッセージ性の強いものになっていった。国や皮膚の色で音楽は分別されるべきなのか?その問いかけがこの曲には込められていると俺は感じる。
山崎のシンバルが鳴り、平野がギターをミュートすると3曲目が終わった。平野のMCが始まる。しかしその声は俺の耳には届かなかった。
俺の体はもう、限界だった。
立っているだけでも脂汗が湧きだし、背筋が震え、目の前の焦点が合わなくなってきた。少し休まなきゃ、伸ばした手がアンプの上にあったペットボトルに当たり、床に水が溢れ落ちる。
ローディが慌てて飛び出すと入れ違うように俺はステージ裏へ体を投げ出した。寒い。少しだけでいい。このMCが終わるまで休ませてくれ。
俺は目を閉じて汗と痛みの波が引くのを待っていた。