Neetel Inside 文芸新都
表紙

ティラノクション
ACTION 1 滅亡

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「ティラノ君、見たよ!向陽ライオット!」
「凄いよ!まさかあの『きんぎょ』に勝つなんて凄すぎ!まじで見直したわ」

「あ、ハイ。どうもありがとうございます!」

商店街のミスタードーナッツの前、ボクはカップルに声をかけられた。今週になってもう20数回目だ。ダウンジャケットを着た男の方がボクに握手を求めてきた。

「CD出たら買うから!向陽町を代表してこれからも頑張ってくれよ!」
「あ、ハイ。頑張ります!…どうも」

ボクは頭を掻きながらその手を握った。ボクは同じ学校の鱒浦将也と山崎あつしという先輩とバンドを組んでいて、先週開催されたバンドバトルで見事優勝を勝ち取った。

一言で言うとそんな感じだがここまでたどり着くには相当な苦労があった。ボクはいままで人から認められたり、褒められた経験がほとんどなかったから自分がこういう「町の人気もの」みたいなポジションに置かれて正直少しテンパっていた。

テレビや現地でライブを観てくれた人に対し、どういうリアクションを返せばいいか、わかりかねていた。

「そういう時は笑っとけばいいんだよ。相手の話に合わせてな。そのうち優勝したって実感も湧いてくるだろ」

ベース担当のマッスこと鱒浦将也の言った事を思い出し、カップルとの会話を終えると別れの挨拶をして、ボクはミスタードーナツのドアを開けた。

「おっと」

背中に背負っていたギターケースの先っぽが入り口のドアに当たった。ボクは肩からそれを下ろしてソフトケースのジッパーを少し開け、ヘッドに傷がないかを見る。

よし、大丈夫。ボクはにっと笑い、ジッパーを閉めケースを背負い直すと

マッスとあつし君、そして幼馴染の坂田三月さんが待っているであろう一番奥の席へ向かって歩き出した。

「よう、ティラノ、久しぶり!」

テーブル席の手前に座っているひとつ年上のあつし君が振り返ってボクに声をかけた。彼の母親が買ってきたであろうセンスのないアップリケのついたトレーナーを着て両手をポケットに突っ込んでいる。

ボクは鼻水を人差し指で拭い、おう、と声を返すと彼の隣に座り、正面のマッスと三月さんを交互に眺めた。気のせいか二人の距離感が近い気がする。目の前を歩いていた店員にミルクティーを注文するとマッスが話を切り出した。

「ごめんな、急に呼び出して。今日はちょっと話があってさ」
「へぇ、どんな話?」

昼食に注文したスパゲティを頬張りながらあつし君が聞くと、マッスは急に口ごもり始めた。三月さんがほら、という感じで彼の腕を小突く。

「いや、向陽ライオット終わって、その後、どうかな、と思ってさ。ティラノとか急に人気ものになって舞い上がってるんじゃないかと思ってよ」

話を振られてボクは背負っていたギターのケースをちらっと見た。「どうしたんだよそのギター?」あつし君がフォークで指さすとボクは自慢げに鼻をならした。

「やっぱ、気になる?このギター?」
「うん」
「もったいぶってないで早く見せろよ」

マッスに急かさせてギターケースを椅子の横に立て、ジッパーを引くとボクはギターのストラップを肩からかけ、立ち上がってみんなに向かって叫んだ。

「見てみい!このギター!!ライオットの優勝賞金と『ひいらぎ』でのバイト代で買っちゃいました!テヘ!」
「うお、スゲー…!」
「なんてギターだ、それ?テレキャスター?」

目を大きくするみんなを見てボクは指を横に振った。

「Moon のレゲエマスター。色んな人とカブらないようなギターを探した結果、20万も払ってこいつを買う事になりました!
イッツオーライ!こいつが俺の新しい相棒さ!一緒に世界を変えていこうぜ!ブランニュー・ラバー!!」

ボクが大げさにレゲマスにキスをするとあつし君がのけぞって笑い、三月さんがテーブルに手をついて笑った。ボクがいそいそとギターをケースにしまうとマッスが声を揺らしながら話し始めた。

「あ、あのさ、おまえら、『バイオレットフィズ』ってバンド、どう思う?メジャーでやってるバンド」
「ああ~」

あつし君が大きな鼻を鳴らして笑った。席に座ったボクが馬鹿にするように感想を言った。

「『バイオレットフィズ』って『会えない日には~星を数えて~キミを想うよ~』とかしょーもない恋愛の歌演ってるファッションロックバンドだろ?」
「インディーズ時代は結構尖ったロック演ってたのにねー、今はミスチルのコピーバンドとか言われててネットでも叩かれてる。普通の中高生には人気らしいけど」

あつし君が再びスパゲティを頬張り始めた。「で?その『バイオレットフィズ』がどうしたって言うんだよ?」

注文したミルクティーが来たのでボクはカップに口をつけ、それを飲み始めた。マッスが意を決したように話出した。

「俺、その『バイオレットフィズ』に新メンバーとして入る事になった。三月も一緒に連れて行く。まぁ、つまりむこうで同棲するって訳だ」

その瞬間、ボクは天井にミルクティーを噴出し、あつし君は皿に麺を吐き出した。「は、はぁ!?」鼻からスパゲティを垂らしながらあつし君が立ち上がる。

「まぁまぁまぁ、」ボクはあつし君を座るようなだめると壁のカレンダーの日付を確認した。エイプリルフールにはまだ少し早いはずだ。マッスが話を続けた。

「ライオットの後にメンバーの竜都(りゅうと)さんから誘われてよ。『バイオ』って言ったらオリコンヒットチャートの常連だろ?俺が成り上がるにはそれが一番早いと思ってさ」

「おいおいおいおいお」ボクの目の前がぐるぐる周り始めた。「で?二人で東京に行ってそのファッションロックバンドに入ろうってわけ?ボクたちを捨てて?」

三月さんがきっ、とボクを睨んだ。ボクは今言った事を後悔した。マッスは中学時代からの親友なのだ。三月さんも子供の頃から知っているし二人がそんな事をするはずがないのだ。

コーヒーを飲み干すとマッスは目をつむりボクとあつし君に言い放った。

「おまえの言うとおりだよ。それにこんな田舎で自己満足で音楽演っててもしょうがねぇだろ。これは俺と三月にとってチャンスなんだ」

「えへへ、もうふたりで住む部屋もとってあるんだ~東京での生活、楽しみ~」

三月さんが嬉しそうに鞄から茶色い紙で包まれた雑誌を取り出した。ボクは思う。その雑誌、ゼクシィだと。あつし君が二人に力ない声で聞いた。

「いつから付き合ってたんだよ?」
「クリスマスは一緒に過ごしたから去年の11月くらいかな。告白はこいつの方から。ずっと俺の事が好きだったんだってさ」
「もー、やめてよー」

イチャつく二人を見てボクは頭を抱えた。おかしい、こんな事は許されない。悪夢だ。きっとこれは悪い夢なんだ。ダメ押しのように三月さんが言う。

「男3人の空間に女子がひとり居ておかしいと思わなかった?最初から鱒浦君が目当てだったのよ」

「それにティラノ」

マッスがボクの目を見て言った。「おまえの自己中心的な音楽に付き合うのはもううんざりなんだよ。オナニーロックならひとりでやっててくれ」

「おい!ティラノ!!」

気がつくと立ち上がってマッスの胸ぐらを掴んでいた。やれやれ、という感じで眼鏡越しにマッスが睨み返す。俺は怒りに震えながら声を振り絞った。

「おまえ、ふざけんなよ!一緒に死ぬほど練習してライブのセットリスト考えて頑張って大会優勝したのにそんな事が言えんのかよ!?
間違ってる、おかしいだろ!今ならまだ許してやる。俺とあつし君に謝れよ、なぁ」
「離せよ」

マッスが手を振りほどこうとして俺を突き飛ばした。向いのテーブルにぶつかった俺の背中で悲鳴と食器の割れる音が響く。それを見て鱒浦将也がテーブル席の中心で宣言した。

「T-Massは今日をもって解散!俺は『バイオレットフィズ』に入って三月と東京に行って一緒に暮らす。こいつを幸せにして絶対にロックスターになってやる!それでいいだろ!」

店内が一気に静まりかえる。「行こう、三月」鱒浦が三月さんの手をとり立ち上がった。

あつし君はノートリダムの鐘突きのような醜い顔で王子と姫が目の前を横切っていく姿を見つめていた。幸せそうに二人が入口のドアを開けるともう二度と彼らに会えなくなるんじゃないかととても怖くなった。


嵐が過ぎ去ると店内はなにごともなかったように再び賑やかになった。

ボクは放心状態で泣きじゃくるあつし君をぼんやりと眺めていた。依然テーブルに崩れ落ちているボクに店員が手を差し伸べた。そしてにこやかな笑みを浮かべながらその男は言った。

「向陽高校1年C組の平野洋一君ですね?今後一切ウチへの出入り禁止。学校にも報告しておくんでよろしくお願いします」

ボクははっ、と笑ってその手を握って立ち上がった。何がよろしくお願いします、だ。「いつまでも泣いてんじゃねぇよ」あつし君の背中を叩くと「だって、だってさ」とあつし君が声を震わせた。

「ティラノだって泣いてんじゃん」ボクは自分の頬に手をやった。水分でずっしりと手が重い。

「帰る」ボクはギターを抱えると店の外を出た。さっきまで大事に抱えていたこいつがすごくどうでもいいものに思えてきた。


今日、T-Massは解散した。ボクとあつし君はその事実を受け止められずボクは商店街を行き交う人達をぼうっと眺めていた。

     

鈴木和樹。それが俺の名前だ。

突然名乗り出したのはどうせ後から聞かれるだろうし、「そういえば、お前の名前、なんだっけ?」という間抜けな事態を予防するためでもある。

読み方はすずきかずき。平凡過ぎるくせに発音しづらく、「ずき」で韻を踏んでいるふざけた名前だと自分でも思う。

でもこれが俺の名前。俺が生涯背負っていくであろう名前。

年は16で4月に高校2年生になる。身長176cm 体重55kg。母や幼馴染からは「もっと食べないとダメ」と言われるが食べても太らない体質なのだから仕方が無い。

そんな俺は趣味でベースをやっている。家でベースを弾いている。

初めて覚える楽器にベースを選んだ理由はギターと比べ弦が少なく弾きやすいと思ったからで、全国に点在する引きこもりがちな不良少年よろしく、俺は通販で名も無きメーカーのジャズベースを買った。

そして自分が特別だと思い込み、クラスメイトが聞いていないであろうマイナーな音楽を聴き込むのだ。

ああなんて恥ずかしい。若さゆえの過ちを乗り越えベースのルート弾きを覚えた俺は高校の入学祝いに貰った金をかき集め、Fenderという大手メーカーのプレシジョンベースを買う事を決める。

弾くなら絶対白がいい。最寄りの楽器屋の二つ結びの女店員にそれを取り寄せてもらうと俺はしかるべき金を払い、不良の多い道通りを避け、慎重に家まで連れて帰ると部屋の鍵をかけ、猿のようにそれを弾き込んだ。

最初の1週間は抱いて寝てたね。その位俺の新しい恋人は俺を夢中にさせた。今は二人の関係も落ち着いているが時々無性に彼女(便宜上)の低音が恋しくなる。

今日も家でベースを愛でていると音も無くドアが空き、妹のアイコがベットの上に座り、机の前に置かれた椅子に座る俺を見上げて言った。

「また『カムトゥギャザー』なの?」彼女の言葉の意味を理解して俺は微笑む。「『カムトゥギャザー』だ。ビートルズの」

俺は今まで弾いていた時と同じように『カムトゥギャザー』のフレーズを弾く。3度程弾くとアイコがふっと笑いCDが収められている棚を見つめた。

「邦楽は聞かないの?」棚の上に乱雑に積まれたCDケースを見つめて俺はアイコに言う。

「邦楽はブランキーと椎名林檎しか聞かない」それを聞いてアイコがふっと笑う。「かっこ悪いから?」アイコの質問をうけて俺は少し考える。そして答えを出す。

「いわゆる日本のロックと呼ばれる音楽、今で言う『ロキノン系』と称される音楽はニセモノばっかりだ。セールスや一時の盛り上がりの為に生まれた音楽。その中でブランキーと椎名林檎は特別だ。本物の音がする」

自分なりの感想を告げたつもりだ。アイコはいつものようにふっと笑い俺に尋ねる。「あなたはどうなの?」それを聞いて俺ははっとする。

「ニセモノなの?それともホンモノ?」俺は弦を弾く力を強める。「ホンモノになって見せるさ。俺や周りが言う、本物にな」

俺の言葉を聞いて納得したように、安心したようにアイコは微笑む。「ねぇ、ちょっと外に出てみない?」アイコがベットから立ち上がる。

「好きでしょ?サイクリング?」「ああ」ベースをスタンドに立てかけて俺も立ち上がる。ドアの取っ手に手をかけるとアイコが振り返って言う。

「ブランキーの『ペピン』を歌ってよ。あたしがUAのパート歌うから」「それじゃAJICOだ」そういって俺は微笑む。

車庫から自転車を出し、アイコが自転車の荷台にまたがると俺たちはいつものサイクリングコースに向かって進み始めた。

「あっいしってった~ あいつのこーと こっころかーら好ーきだっぁた~ でも今は~ 水色のー 夕焼けっがーあ~めに染みる~」

野太い声で物真似を始めるアイコの歌を聴いて俺は吹き出す。仕事帰りのOLらしき女が俺を見て怪訝そうな顔をして振り返る。

「ほらみろ、お前のせいで変な風に見られたじゃねぇか」「気にしないで。続けて」

アイコに促され、俺は『ペピン』の歌詞を歌った。夕焼けが長く伸びている事に気がついた。

     

すっかりやる気がなくなってしまった。

マッスと三月さんが向陽町から消えて1週間が経ち、新学期が始まった。ボクは去年、出席日数が足りずもう1年「1年生をやり直す」というとの事でまるでモチベーションが上がらず当然のように初日から不登校を決め込んだ。

今日で3日も学校を休んでいる。4畳半の狭い部屋でボクはやる事がないのでネットにマスターベーション、そして映画鑑賞にふけっていた。

目の前のテレビでは母に借りてきてもらった「ダークナイト」が映し出されている。

悪役のジョーカーが好き勝手に犯罪を繰り返し、正義の味方であるはずのバットマンはことごとくそれを防ぐ事が出来ないでいた。

おかしい。こんな事は間違っている。白塗りのヒース・レジャーの顔が画面にアップになるとボクはリモコンの停止ボタンを押し、大きなあくびをしながら背伸びをして寝転んだ。

部屋の隅に置かれた買ったばかりのレゲエマスターのギターケースにはアニメ「けいおん」のTシャツが引っかかっている。あんなに大事にしてたのにもう弾く機会はなくなってしまった。

ボクのバンド、T-Massは解散したのだ。ベースでリーダーである鱒浦将也の脱退、幼馴染である三月さんの突然の告白。

二人の裏切りはボクを「町おこしのライブバトルで優勝した英雄」から「親泣かせの引きこもりの駄目人間」に堕落させるのには十分だった。

ボクは天井を見ながら大きなため息をついた。あの時、去っていく二人をどうして呼び止めようとしなかったのか。

ボクはずっとT-Massというバンドが続いて、学校の音楽室で練習をして、近くのめぼしいコンテストにて結果を出してプロデビューのチャンスをうかがうんだという青写真を描いていた。

でもマッスは違ったみたいだ。あいつはボクよりも売れているファッションバンドに加入する事を選んだ。

ステラレタ、ウラギラレタ。この言葉がここ1週間、ずっとボクの頭の中をぐるぐる回っていた。


どれくらい時間が経っただろうか。部屋のドアをノックする音が聞こえる。「洋一、起きてるか?」ボクは涙で固まった頬を擦りながら「うん、起きてる」と答える。

ドアの向こうのアニキが夕飯だから降りてこいと言う。ボクはジャージの下を穿くと階段をおりて居間のドアを開けた。

「おい、おまえ顔洗ってこいよ。ひどい顔してるぞ」

アニキに言われボクは洗面所で顔を洗った。アニキはボクの親戚で先月から公務員試験を受けると言ってボクの家に家賃2万円で住み着いている。

ロックスターになるといって田舎を出、ぱっとしないまま夢を諦め、挙句に大学を4年留年して辞めた為、親との兼ね合いは相当悪いらしく彼の親から電話がくると激しく口論になる姿をボクは何度か見かけていた。

タオルで顔を拭き、ちゃぶ台の前に座ると隣にいるアニキがボクに耳打ちした。

「おい、おまえ今日で学校フケて何日目だ?」
「たしか3日か、4日目」

アニキが組んでいた足を組み替えた。そして台所で味噌汁を用意している母をちらっと見た。

「早く学校行けよ。おまえまた今年も1年生やるんだろ?あんまりかぁさん悲しませんなよ」
「自分だって相当親泣かせてるくせに」「うるせぇよ」

アニキがボクの頭を小突く。「いい年した男が二人も家にこもってたら近所に何言われるかわかんねぇだろ。せっかく町の人気ものになったんだからそのポジション手放すなよ」

「わかってるよ、でも」

お盆を持って向かってきたかぁちゃんがボクの顔をみて悲しそうな顔をした。「あら、洋一」「わかってるよ。でも、どうしようもないんだよ」

知らない間に目から涙が溢れていた。「俺、もう、どうしていいかわかんないよ」ちゃぶ台の上に、雫が落ちて一滴ずつ小さな水たまりを作っていく。

「洋一」アニキがボクの肩を抱いて言う。

「無理すんな。飯が終わったら俺とサイクリングに行こう。ほら、泣くな。飯の時は辛い事全部忘れろ。おばさんも早く、ご飯を食べましょう」

アニキに促されかぁちゃんがちゃぶ台の前に座ると「いただきます」と手を合わせてボク達は夕御飯を食べ始めた。しょっぱくて味気ない夕飯だった。


「この長い長い下り坂を~君を自転車の荷台にーのーせてー」
「下り坂じゃなくて上り坂だし。それに荷台じゃなくて後ろだって」

夕食後、ボクら二人は近所の駒ヶ岳に続く坂道を自転車で登っていた。「あぁ?なんか言ったか?」少し前を立ち漕ぎするアニキが振り返った。

「歌詞間違えてる!荷台じゃなくて後ろ!」まだ寒い4月の夜風に乗ってボクの声が響く。「どっちでも意味は同じだろ」アニキが正面を向き直って漕ぐスピードを上げる。ボクはギアを一番重いのに変えて足に力を込める。

ガチャン!というチェーンの音が夜空に響くと「運動不足には辛いだろ、この坂道」とアニキが聞く。ボクはアニキに聞き直す。

「なんでサイクリングなんだよ?」「はぁ?」「なんでサイクリングするのかって聞いてんの。チャリンコなんてモテない男第1位のスポーツだろ」

自転車の上でのけぞってアニキが笑う。「ははは!そうか!俺は子供の頃からサイクリングが大好きでよ!だからモテないのか。長年の謎がやっと解けた」

アニキの背中を追い、ボク達は山の壁沿いにカーブを曲がった。息はすっかりあがり、背中にはびっしり汗をかき始めている。

「もう少しだ、頑張れ洋一」ゆっくり立ち漕ぎを始めたボクにアニキが声をかける。対向車のトラックが冷たい風を運んでくる。「なんでこんな事しなきゃなんないんだよ」

愚痴をこぼし崖側を見ると金色に光る明かりが見えた。「なんだあれ?」「もうじきわかるさ」アニキの声に連れられ、ボクはラストスパートをかけた。


駒ヶ岳を登り終えるとボクらは自転車を留め、そこから向陽町の夜景を見下ろした。「100万ドル、とまではいかなくてても良い夜景だろ?」

ブルーの大気に包まれた町の灯りや車のランプが宝石のようにまたたいている。「いまの時期はそんなに寒くないし空気が綺麗なんだ。モテないおまえの兄さんはこのロケーションを中2の時に見つけたんだ」

風景の向こうに自分が住んでいる番地にある豆腐屋が見える。「洋一」アニキがボクの肩に手をかけた。「あんまり一人で抱えんなよ」ボクはアニキの方を振り返る。

「おまえには前に進むための三本目の足が付いてるじゃねぇか」アニキがぽん、と拳でボクの股間を叩いた。股間を抑えると「やっと笑ったな」とアニキが微笑む。

「アニキにだって付いてるじゃねぇか、三本目の足」「おう、だからよ、二人でもう一度立ち上がって世界を変えるんだ。おまえはロックンローラー、俺は公務員。イッツオーライ?」

「オーライ、オーライ」ボクはアニキに笑みを返す。「俺、明日から学校に行くよ。とりあえずちょっと頑張ってみる」「おう、そうか」

ボク達はその後絶景をバックに駒ヶ岳の下り坂を自転車で駆け下りた。アニキと過ごした、とてもスリリングで楽しいロックンロールだった。

     

「おめぇが2年A組の鈴木和樹だな?」

昼休み、寝たふりをしていた俺は柄の悪い二人組に呼び出された。

「そうだけど。何か?」

「『そうだけど、何か?』だってよ」

背の低い不良が俺の言ったことを復唱して冷やかす。背の高い不良が言った。

「放課後、体育館裏の空き地にこいや。桜田さんが待ってるってよ」

「はぁ?」俺は二人に言い返す。「なんで俺がいかなきゃならないんだよ」

「なんで俺が~」背の低い方がまた真似をする。

「お前、俺たち桜田組がたいした事のねぇ連中だってふいちょうして回ってるみてぇじゃねぇか」

俺は普段の学校生活を振り返って考えてみた。当然そんな覚えはない。

「吹聴なんて難しい言葉を知ってるんだな」「てめぇ!」

背の低い方が俺に掴みかかろうとするが予想通り背の高い方が止める。

「とにかく伝えたからな。来なかったらひどい目にあうぞお前」

お決まりの捨て台詞を残して二人は去っていった。廊下でため息をつくと俺は自分がひどく震えている事に気がついた。


不良に目を付けられた。喧嘩を売られてしまった。

俺はこういった事態を避ける為に様々な策を講じてきた。自由教室などでは真面目ぶって前の方の席に座り、孤立しない程度にクラスに友人を作り、
勉強は平均点より少し上の点数を目指し、体育の時間でのバスケやサッカーでは控えめにボールに絡み運動部にパスを回した。

いじめる奴のターゲットが変わる度に自分がオーバーフローしないようバランスを取り、この向陽高校での1年を過ごしてきた。

でも遂に自分の番がやってきてしまった。赤札が届いたのだ。

震えを止めるために自分の体を抱きしめる。「大丈夫?鈴木君?」同じクラスの女子に声をかけられ、俺は大丈夫、と声を返す。

何が大丈夫なものか。俺は教室に戻り、自分の席に座ると机の上で手を組み、大きく深呼吸をして息を整えた。

俺は目の前に置かれた自分の手を見つめる。真っ白で細長い指。何も手にしていない、何も掴めないでいる指。三回目の深呼吸で脂汗がこめかみから流れ落ちる。

こういった事態は避けなければならなかったのだ。5時間目の授業が始まると俺は他の生徒と同じように教科書を机の中から取り出した。


今日ほど6時間目終了のチャイムが恨めしいと思った事はない。

担任のホームルームが終わると同時に友達のいない前田結子が教室を飛び出す。俺も出来ればあいつのように周りの目を気にしない学園生活を過ごしてみたかった!

でもわかっている。自由というのは孤独のすぐ隣にあるものだと。この後に待っている一大イベントは俺をポエミーな気分にさせるには充分だった。


「よう、遅かったじゃねぇか」

体育館裏でさっきの二人組が俺を待ち受けていた。わかってる。こういうのは少し遅れてくるのがデフォだ。落ち着け。毅然とした態度で臨めば問題はない。

俺は小さく咳払いをすると二人に言った。

「桜田はどこだ?面倒な事は早く済ませたい」

「てめぇ」背の低い方が俺に顔を近づけて睨む。「やめとけ」背の高い方がそれを制止する。

「桜田さんはこの奥だ。ついてきな」

二人の少し後をついて路地を抜けると廃部に追い込まれたアメフト部の部室が見えてきた。入口の脇にアウトドア用のチェアとビーチパラソルが置かれ、その下で大柄の男が手を組んで俺を待っていた。

「桜田さん、連れてきました。こいつです」

背の低い方が俺をパラソルの前に突き出す。破れた椅子に座る大男は俺の方をちらっと見た。学ランを羽織り、ガキ大将的な雰囲気を醸し出している。

向陽高校の番長、桜田薫。いじめられっ子の間で話題になっている男を思い出した。目があうと俺は「どーも」とやる気のない声を返す。

それを見てお付きの二人が「てめぇ、桜田さんを舐めてんのか」とつっかかる。「桜田薫。柔道の町内大会優勝。空手3段。英検準2級。そろばん4級の俺たちの頭を舐めたらただじゃおかねぇぞ」

「最後にいくにつれてしょぼくなっていくんだな」「なんだとコラ!」「もういい」

桜田が強い眼力で二人を睨む。沈黙が辺りを支配する。我慢しきれず俺が口を開く。

「桜田組、っていうのは去年までこの学校を仕切ってた青木田組の真似事か?」「てめぇ…いい加減にしろ!」

背の低い方が俺の学生服の襟を掴む。「だったらお前らはさしずめ『サクラダファミリア』ってところだな」「はっはっは!」

桜田が突然大きな声で笑い出した。驚いた不良が俺から手を離す。

「そいつと二人にしてくれ。話をつける」

低く、よく通る声で桜田が二人に指示を出すと背の高い方が低い方にいこうぜ、と声をかけた。「病院の予約、取っといてやろうか?」

冷やかしながら俺の横を通り過ぎるそいつを睨むと、俺は視線を前の方に移した。

俺は両手をポケットに突っ込み、「俺はおまえに対してびびってはいない。そして争う姿勢はない」という意思表示をした。坊主頭で顎ひげをはやした番長は俺に対して言葉を発した。

「青木田を知ってるのか」
「ああ」

俺は去年までこの学校に所属していた青木田誓地の事を思い出した。親がヤクザで好き勝手暴れまわっていたあいつにいつも目をつけられないよう必死だった。

夏休み明け、あいつが自主退校を決めたというニュースが出回った時はターゲットに取られていた連中が抱き合って喜んでいた。権力と暴力を振りかざして悪意をばらまく最低の人種だった。

「まぁ、座れや」

桜田がプラスチックのテーブルを挟んでアウトドア用のチェアに座るよう促した。潔癖症の俺は外に放置された挙句、前に誰が座ったかもしれない椅子に座るのはこりごりだったが立場上、椅子に座った。

「青木田がいなくなって確かにこの学校は平和になった」

桜田が腕を組んでのけぞって話始めた。

「しかし、学校というものは規律が必要だ。誰かが調子にのりすぎないよう、『しめる』必要がある。その役割をになっているのが俺という訳だ」

くだらん、という風に俺は鼻をならした。小鳥が遊べるのは天敵のいない鷹がいないからだ、という言葉を聞いた事がある。

どうしてこの日本という国は少し羽根を伸ばそうとすると遠くから鷹がやってくるシステムになっているのだろう。とにかくこんな馬鹿げた事で時間を使いたくなかった。

早く家に帰ってベースを弾きながら妹のアイコとジョン・レノンとオノヨーコのデュエットでも歌いたかった。すぐにでも身の潔白を証明しなければ。

「俺はあんたがたいした事のない人間だと吹聴して回っていない」「はっはっは!」

突然の俺の発言に桜田が大声で笑う。悪意のない、明朗とした声だ。それを聞いて俺は少し安心する。笑いが収まると桜田が俺の瞳を覗き込んだ。

「おまえ、世の中舐めてるだろ?」

全身から発せられる巨大な威圧感に俺はたじろぐ。「どういう事だ?」言葉を繋ぐととぼけるな、という風に桜田が言う。

「どうして体育の時間に本気で走らない?なぜ、わかっている解答で正解を答えない?おまえがトラブルを避けるためにとっている行動が出来ない人間にとってどれだけ腹立たしいか、
考えた事はあるか?お前らしくなれよ。斜に構えてんじゃねぇよ」

俺はいままで「人と衝突しない人生」をモットーとして生きてきた。でもそれが見透かされていた。人の為と思っていた行動が逆に人を傷つけていた。

この無神経そうな大男が俺の本心を簡単に見抜いてしまった事が腹立たしかった。「俺だって、」俺は言葉を振り絞る。

「俺だって好きでこんな役割をやってる訳じゃない。ないんだよ、やりたいことが!自分の人生かけて人に誇れるようなまともな夢がさ!
意味もなく因縁つけられて痛い思いして踏みにじられるなら最初から夢なんて持たない方がマシだ!!」

状況を整理しよう。この時俺はひどくテンパっていた。おそらく高校入学後、一番であろう大声を自分を『しめようと』している番長にぶつけていた。

こういう言葉は本来、進路を心配する父親や、懐の知れた親友に言うべきである。と俺は思う。それを聞いて桜田はだるそうに首を回して言った。

「俺もだ。鈴木。俺もやりたい事がみつからない」

それを聞いて「うぇ?」と喉の奥から変な声がでる。足を組み替えると桜田は続けた。

「ガキの頃から他の奴より運動も勉強も出来て、欲しいものは大体手に入った。中学の頃に背が180を超えると大概の奴はびびって俺に話しかけてこなくなった。
野球をしようとするとすぐにどうぞ、とバットとグローブが差し出された。ピッチャーはど真ん中を投げて俺は当然のようにそれをホームランにする。
女共がワーキャー叫び、チームメイトが必死に良かった、と持ち上げる。すべてが虚しかったよ」

「すべてが虚しかった」俺はその言葉に強いシンパシーを感じた。有能で万能だと思っていたガキ大将も俺と同じような悩みを抱えていた。

「ど真ん中の球なんて1球も向かってこなかった」「はっはっは!」自分の中学時代を振り返ると桜田が大きく笑った。

「だがな、鈴木」指を立て桜田が話を締めくくった。

「俺はこの学校の番長としてこれ以上お前がふらふらとしてしているようなら俺はお前を殴らなきゃならん。他の奴に対して立場がたたんからな。それが俺たちのルールだ」
「それがあんたの役割だからか?」「そうだ」

桜田が笑うと俺は前のめりになりテーブルに両腕を置いた。

「なら、俺はどうすればいい?どうすればあんたに殴られないで済む?」

そうだな、と言って腕を組んで考えると桜田は結論を出した。

「今月中に部活に入るか課外活動を始めろ。幸い今は4月でどこの部も募集をしているはずだ。そうすれば端からはなにかに熱中しているようには見える」
「ご丁寧に、どうも」

小さく頭を下げると桜田が微笑む。「だが期間は今月中だ。それまでにおまえにやりたい事が見つかるとは思えんがな」

「俺はあんたとは争いたくない」「あんたはいい人だ。それに、」俺は制服の腕をまくって力こぶを桜田に見せた。

「この体格差じゃ、殴り合ったらどっちが勝つか明白だろ?」「はっはっは!やっぱ、おもしれーわおまえ!」

のけぞって笑う桜田を見て俺は立ち上がった。「もういいか?日が暮れてきた」俺の様子を見て桜田が呼び止める。

「おまえ、そこで受身をとれ」「はぁ?」桜田が昨日の雨でぬかるんだ地面を指さした。「わかったよ。あんたの顔を立ててやろう」

俺は地面に座り込むと泥に背中を押し付け、両手で地面を叩いて体勢を起こした。それをみて桜田が「はっはっは!それでいい!」と笑う。

「あいつらには一本背負いでも決められたと言っておけ」制服の泥を払うと「どーも」と頭を下げ俺は校庭に向かって歩き出した。


「おー、派手にやられたじゃねーの」「少しは俺達になびく気になったか?」「邪魔だ、どけ」

途中で絡んできた二人組を払いのけ俺は校門に向かった。すぐにシャワーに入りたい。すると頭の上でジャギーン!という電子音が鳴った。

金属が擦れる音。でも不思議と嫌な音ではない。

エレキギターだ、と俺は直感で察知する。そういえばこの学校にも軽音楽部があった。音源は去年まで青木田が活動の拠点としていた第二音楽室だ。

ジャギーン!ジャギーン!!下手クソなコード弾きが辺りに響く。おいおい、と吹き出して近くにあった掲示板に目を落とすと『バンドメンバー募集!』と書かれた紙が貼り付けてあった。

そのA4用紙には「ティラノ洋一、新バンドメンバー募集!ベースの弾けるそこのキミ!向陽ライオットの覇者が待ってるぜ!放課後に随時面接やってるぜ!」と記してあった。

     

「洋一、来てみろ、早く!早く!」

ドアの向こう、アニキの声がする。「あーん?なんだよ」学校帰りに昼寝をしていたボクはベットから起き上がり入口のドアを開けた。

階段を駆け上がってきたアニキが息を切らしながらボクを出迎える。

「うわ、くさっ!おまえまたオナニーしてただろ」「うるせぇよ」

「まぁ、そんな事はいい。今すぐ降りてこい」

アニキがボクに言うと階段を駆け下りて居間の扉を開けた。ボクは体がだるく大きく背伸びをして部屋に戻りジャージの下を穿いた。


アニキとのサイクリングの後、約束通り次の日からボクは学校に登校しはじめた。

しかし、「町おこしのライブバトルで優勝した英雄」という立場、1年の時に停学処分&警察沙汰の大事件を起こし、
ことある毎に学校裏のネット掲示板にて話題にあがる問題児として、1個下の同級生からは距離を置かれていた。

クラスメイトはみんなボクによそよそしく敬語で接し、休み時間することがないボクは机に突っ伏して寝たふりをしなければいけなかった。

女子高生とではなく机とキスし続ける高校生活。授業が終わるとボクは真っ先に教室を出て、家に帰り自分の部屋でマスターベーションにふけっていた。

ペットボトルのジュースを飲み干し、やっと部屋から出て階段を下りると廊下にテレビの音が響いていた。

「お、やっと来たか」

居間の扉を開けるとアニキがテレビの前に座って振り返った。テレビでは人気コメディアンのはまちょんとまっつんがMCを務める音楽番組『YAH! YAH!! YAH!!!』が放送されていた。

台所から母がお盆を持って出てきてボクに告げた。

「鱒浦君、今からテレビに出るって」「はぁ!?」

サッカーボールを蹴り込まれたネットのように横隔膜が跳ね、心拍数が一気に上昇する。

「どういうこと?!」ボクが声を裏返すとアニキが冷静に説明した。

「『バイオレットフィズ』が今から『YAH! YAH!! YAH!!!』に出るんだよ。人気ロックバンドに新メンバー加入と銘打ってそれなりの尺を使うらしいぜ」

「まじかよ…」ボクは悔しさと興奮で頭がショート寸前になった。「まぁ、とりあえず座れや」アニキに促され、ボクにちゃぶ台を前にして座りテレビを見つめた。

サムゲタンのCMが終わると生放送でマジテレビのスタジオに画面が切り替わった。

「はい、『バイオレットフィズ』~!」

長椅子に座りカンペを持ったはまちょんがやる気のない声をあげると客席から大きな黄色い声が飛んだ。テレビカメラがアップで一人ずつバンドのメンバーを映し出していく。

その中に鱒浦将也を見つけるとボクははっと息をのんだ。

髪を金髪に染め直し、サイバー調の衣装に身を包んだ向陽町出身のベーシストは16歳という年齢を感じさせない「アーティストオーラ」をその身から醸し出していた。

「『ヤー』は何回目?」坊主頭でスーツを着たまっつんが隣に座るボーカルの竜都(りゅうと)に尋ねる。

「今回で4回目です」ファイナルファンタジーの主人公のような髪型をした小男が答えると女子の声援がひときわ大きくなる。

「今日も凝った装いで…」「いやいやいや」「キミ胸毛ワッサー出とるやん!ええの?それで?」

まっつんがいじられキャラの隼人(はやと)を指さすと観客から大きな笑い声と甲高い悲鳴が飛ぶ。「いやいや」手を横に振りながら隼人が笑う。

「いーんです。これが最新型です。ファッションの」「なにいうとんねん」隼人の隣に座るはまちょんがカンペで隼人の頭をはたく。


「とりあえず『掴みはオッケー』ってところだな」かぁちゃんが出してくれたリンゴを頬張りながらアニキがにやける。『バイオ』のバンド紹介VTRに切り替わるとボクは大きく息を吐いた。

マッスがボクと向陽町に別れを告げてからまだ3週間も経っていない。それなのにマッスはもう一大スターダムを駆け上っている。ボクは学校に通い始めたものの、あれから一度もギターを触っていない。

マメの出来ていないツルツルの手を握り締めると再びスタジオに映像が切り替わった。黄色い歓声が長椅子に座るメンバーを持ち上げる。

「今日は、新メンバーが入ったという事で。本人の方から自己紹介、どうぞ」

カンペを読み終えたはまちょんがマッスに手を向けるとイェーイと無神経な歓声が飛ぶ。ボクの横隔膜がまた跳ね上がる。

テレビの画面下に『SHOW―YA』とテロップが出ると銀色のサングラスをかけたマッスをカメラがすっぱ抜いた。

「新メンバーでベース担当の『SHOW―YA』です。よろしくお願いします」

「うわうわうわ…」ボクはまるで自分の事のように固唾をのんで元バンドメンバーが自己紹介する様子を見ていた。

先月までボクの隣でベースを弾いていた彼がとても遠い場所にいってしまったような気がしてきた。いや、実際今の彼はボクが知っている『T-Massのマッス』ではなく『バイオレットフィズのSHOW―YA』なのだ。

めまいを押し殺してボクは必死でテレビの中のベーシストを見つめていた。

「キミ、ずいぶん若く見えるけどいくつ?」「16です」「16!?」MCの二人が驚いて仰け反る。まっつんがドラムの隼人を指さす。

「キミ、いくつやったっけ?」「28です」「小学生と大学生やんか!」スタジオに笑いと驚きの声が溢れる。はまちょんがまたカンペに目を落とした。

「ここで『SHOW―YA』の高校時代の画像があるそうですよ。はい、こちら!」

「ああ!」アニキが飛び上がって大声を出した。テレビには去年の学祭のライブの写真が映し出されている。スタジオをキャーという悲鳴が包みこむ。

「この、ちんこ出してんの、キミ?」「いやいや、違います。その隣です」「ハマタさん、生放送なんでね。ちんこはやめてもらいますか?ちんこは」「ワレも言うとるやん」

「あああああ・・・・」薄くモザイクこそかけられてはいるがそこにはホースで水を撒き、全裸でステージで飛び跳ねているボクが大きく映し出されていた。

「そういえばこないだテレビ局の人が来たわよ。この写真使っていいかって。お母さん、洋一がテレビに出るなんて一生の思い出だわ~」

涙ぐむかぁちゃんを横目で睨みながらボクは「オワタ…俺の学園生活オワタ…」と呟いていた。まさか全国ネットで勝手に自分の裸が公開されるとは。国家レベルのいじめじゃねーか。

「ひどい事をする連中だな」テレビのボクと隣にいるボクを見比べながらアニキが憤慨した。

「ゴールデンタイムにゴールデンボールはまずいですよ!」「やかましいわ!これは一体どういう状況やねん!?」

MC二人に急かされて『SHOW―YA』が微笑みながら答える。

「これは去年の高校の時のライブのやつで僕が組んでいたバンドの写真です。ベースを弾いているのが俺で素っ裸で暴れているのが…友達です」

「ほぇ~、モザイクちっさいな~これ緊張しすぎて入口のピンポンぐらいの大きさになっとるとちゃうか?」

再びスタジオを悲鳴と笑いが包む。ボクは自分が尊敬してるコメディアンのまっつんが自分のちんこをいじってくれて少し嬉しかった。

あ、ちんこをいじるって言ってもいやらしい意味じゃないから嫌いにならないでね。

「いえ、ビンビンでした。これが彼のマックスです」

ドラムの隼人が話に首を突っ込むとはまちょんの鉄拳が彼の頭に振り下ろされた。ボクはこいつのグッズの不買活動をすることを決めた。

「まーでも今後はこうやってこのバンドで活動して行くという事で、全裸の彼になにか、言っておきたい事はありますか?」

おー、という応援するような、馬鹿にするような歓声が『SHOW―YA』に飛ぶ。ボクは再び息をのんだ。マッスが咳払いをしてカメラに向かって言った。

「ティラノ、見てるか?俺の本当のライバルはおまえだ。心から尊敬してるよ」

「うぇ!?」喉の奥からへんなものが沸き上がる。「俺、絶対このバンドで頂点とるから!おまえもそこから這い上がってこい!だから…!」「はい!一旦コマーシャル~」

はまちょんが話を遮るとテレビが生理用品のCMに切り替わった。「おい、洋一!」ボクは立ち上がって入口に向かって歩いた。居ても経ってもいられなかった。

自分を裏切ったと思っていたマッスがずっとボクの事を気にかけていてくれたのだ。ボクは外に出て行くあてもなく、走り始めた。体中が火照って汗をかき、大きく呼吸を乱しながらボクは夜の町で闇に向い叫んだ。

マッスは自分を裏切ったんじゃない。迷いなくボクと向陽町に別れを告げる為、わざと嫌われ者を演じたのだ。そんな事も気づけずにひとり自暴自棄になっていた自分が恥ずかしかった。

気がつくと町外れの河川敷にたどり着いた。ボクは水面に向かって大きく息を吸って宣言した。

「待ってろよ、バイオレットフィズ!このティラノ洋一が新しくバンドを組んで東京進出してぶっ倒してやる!
どっちが本物のロックンローラーがテレビの前で証明してやるぜ!マスかいて待ってろや!鱒浦将也!!」

大声で叫ぶともやもやしていた自分の気持ちがすっかり晴れた気分になった。「ちょっと、キミー」「うわ、やっば!」自転車に乗った警察官がボクの方に向かってくるとボクは茂みを駆け下り、自分の家目指して一気に駆け出した。

そうだ、また自分のバンドを組んで世界をひっくり返すんだ。ボクは新しく決意を決めて人だかりの出来始めた自分の家のドアを開けた。

     

高校に入学してすぐ、俺は停学処分を受けた。

引かないで聞いて欲しい。これは俺、鈴木和樹の話だ。

ゴールデンウィークが明け、学祭の準備期間が始まると俺はクラスの何人かと揉め事を起こした。きっかけは俺が出し物で使う木枠やら画材やらの道具の買出しにこなかったとかそんなちっぽけでくだらない理由だ。

しかし人は心に余裕がなくなるとそんな理由でもイライラするものらしい。数人に周りを囲まれ「なんで来なかったんだよ?」と仲の良かったはずの井上に聞かれると俺はちゃんとした理由を述べた。

すると思いもよらない言葉が輪の中の一人から発せられた。

「おまえ自分勝手でムカつくんだよ。ひとりでカッコつけてんじゃねぇよ」

「自分勝手でムカつく」。この言葉は当時の俺をひどく傷つけた。

俺は「人と衝突しない人生」を志し、周りとうまくコミュニケーションを取りトラブルを避けてそれなりの学校生活をエンジョイしていきたいと考えていた。

しかしその思いは入学2ヶ月目にして踏みにじられた。意見がまとまらず夜遅くまで続く出し物制作。わざと料理を失敗し、男子の反応を伺うめんどくさい女連中。

予算の支出を先延ばしにする学祭の実行員。俺に敵意をむき始めたクラスの一群。すべてが俺を苛立たせた。俺は登校中こんな想像をすることが多くなった。

「俺に青春という名のチェインソゥがあればこのくだらない学校生活を切り裂けるのに」

すると目の前に校門の庭の手入れをする作業員の姿が見えた。はしごの上に登り、木の手入れをする作業員の下には電源がロックされた芝刈り機が置いてあった。

俺は気付かれないよう、その芝刈り機に手を伸ばし…スイッチを入れた。

ブィーンという音が校庭に響き渡り、それに女生徒の悲鳴がコーラスをつける。俺はそれを腹に持って暴れまわった。最高の気分だった。


俺はその後、器物損壊と無許可で芝刈り機を使ったという罪状で2週間の停学処分を受けた。幸いにも怪我人はゼロ。

あやうく担任の教師に警察に担がれそうになったが俺の家庭事情を知るとすぐに教師は自分のクラスから停学者が出たことを上役に伝える書類を書き始めた。次やったら間違いなく豚箱行きだよ、という言葉も付け加えて...


「つまり、登校中に中ニ病発症して芝刈り機振り回して停学になりました、ってことだよね?あつし君?」

放課後の第二音楽室、組み合わせた机を挟んで2年C組の平野洋一が隣に座る小男に聞く。あつしと呼ばれた生徒は「まぁ、そういう事じゃないの?」と気の抜けた声で答えた。

「中ニ病って...」

俺は停学になった経緯を事細かに伝えたのに一言で片付けられたので呆れて頭を掻いた。

桜田になにか部活動をやれと因縁をつけられた俺はなんとなく掲示板で見た軽音楽部のメンバー募集のチラシを見てここへやってきた。

というのが表面上の理由だ。俺が平野洋一が新たに結成するバンドの面接を受けている理由。ギターボーカルを担当するであろう平野は鼻に指を突っ込むと隣の生徒が話始めた。

「えっと、自己紹介がまだだったよね?俺がこの軽音楽部の部長の山崎あつし。で、こっちが」

話を振られ、咳払いをし、平野は声と顔を作った。

「ボクの名前はチンポリオです...」「平野洋一だろ」

呆れたように俺が言い返すと平野は外人のように両手を上げて山崎と見つめ合った。アメリカのコメディみたいなリアクションだ。

「昨日、今日で30人近く面接したけど笑わなかったのはキミが初めてだ」鼻からほじくり出した汚物を指で弾くと平野はじろじろと俺の顔を眺め回した。

「えっと、キミは...」「鈴木和樹だ」「鈴木君ね...あったことはあったっけ?」

「俺はおまえを知ってる」「は?」「おまえは知らないかもしれんが俺はおまえの事を知っている」平野は山崎と顔を見合わせた。


入学以降、俺はこいつと様々な場面ですれ違った。俺は人の目につかないように、こいつは大勢の目につくように。二人の学校生活はハタから見て正反対だ。

今日、その二つの直線と曲線がこの「メンバー募集」という点の元に合わさった。邂逅か対立か。俺たちは今日、初めて会話を交わした。間を持つように山崎あつしが言う。

「まぁ、テレビでこいつの事が放送されたからね。それで改めてティラノを知って面接を受けに来た人もいるし」
「テレビは見ない」「は?」

ティラノと呼ばれた平野がカバンからポテトチップスの袋を取り出して聞き返す。いちいち腹の立つ顔をするのがムカツク。俺は同じ言葉を平野に返した。

「テレビは見ないんだ。NHKとニュース以外」それを聞いて平野が仰け反る。「出たよ、中ニ病発言」俺は我慢しきれず声を張り上げた。

「さっきからおまえが言う『中ニ病』っていうのはなんなんだ?馬鹿にしてんのか?」「まぁまぁ」山崎が俺たちの間で手を伸ばした。どうやら場を仲裁するのがこいつの役目らしい。

「一般的な視点で言うと俺はキミを馬鹿にしている」手に持った菓子の袋を横に開くと平野は語りだした。

「でもロック的な視点で言うと俺はキミをホメてる。曲作ったり、文章書いたり、絵を描いたりして発表する人間なんざ自意識過剰なモンなんだよ。
キミがニーチェを片手にブラックコーヒーを飲む男でもロッカーとしての才能があるなら大歓迎だ」

平野が急に真面目な発言をしたので場が静まり返った。「ま、でもどっちかと言うと馬鹿にしてるかな」「こいつ...」

俺が椅子に深く背をかけると入口のドアがノックされた。「先パーイ、まだ面接やってんスかー?」抜けた声に俺が反応すると「ああ、気にしないでいいから」と山崎あつしが答える。

平野がポテトチップを口に運びながら言った。

「いやー3週間ぶりに音楽室に来たら軽音楽部は本格的に部として認められてるし、あつし君は部長になってるし、新入部員は入ってきてるしビックリしたわー」
「そりゃ...誰もいないままほっとく訳にはいかないでしょ、この部屋」「すいませーん、入ってもいいっスかー?」

声と同時にドアが開いた。制服のボタンを二つ開け、ギターケースを片手に持った少年が教室に入ってきた。「どうも~」「失礼します」「おつかれです」

その少年の後ろを控えめに3人の生徒が後をついて入ってきた。最初に入った少年が隅のソファにどかっと腰を下ろすと足を組んで気だるそうに話し始めた。

「困るんスよ~先輩。あんまり長々と部室を占拠されると俺たちの練習する時間がなくなっちゃうじゃないっスかー」「悪い、清川」

山崎が顔の前に手をあてその態度のでかい後輩に対し謝った。おいおい、部長のおまえが謝る事ないんじゃないのか?そんな事を考えていると再びドアが開き女生徒が入ってきた。

平野がニヤけながらそっちを振り向く。背が高く、前髪を顔の横で触覚のように垂らしている。

「3年の板野やよいさん。なかなかの上玉だろ?」平野が小声で耳打ちをする。「あつし、加湿器を置く経費の話はどうなったの?」

「あ、それまだ」山崎が答えると女はカバンを降ろし椅子に座った。「やよい先輩、おつかれっス!今日も素敵っス!」清川が調子良く声をかけるとやよいは視線を窓の外に移した。

「ガン無視素敵っス!」清川が切ない声をあげるとやよいは山崎に向き直って言った。

「しっかりしてよね。部長なんでしょ?去年みたいにここが不良のたかり場になったら困るんだから」思い出した。この女は生徒会役員の板野だ。

「ちょっと~俺たちを不良扱いしないでくださいよ~」清川の言葉を無視して板野やよいは高圧的に腕を組んだ。黒髪で凛とした顔立ちをし、男子人気が高いのも頷ける。

「去年までいた青木田達は暴力団と癒着してたから手出しできなかったけど、今年はこの学校から犯罪者を出さずに無事卒業してみせるんだから。平野君、また変な事を計画してるんじゃないでしょうね?」

名指しにされ、平野が立ち上がる。「いやいやいや!そんな事しませんよ!ボクらはいま、新メンバー募集の面接をやってる訳でありまして!決して悪の密会ではありませんよ!先輩!」

そうだ、俺は新メンバーの面接を受けているのだった。こいつったらワケのわからないことを...「どこまで話たっけ?」鼻を膨らまして尋ねる軽音楽部の部長を見ると俺は大きく息を吐いた。

     

「俺が中ニ病かどうか、って所まで」

俺が机の前の面接官二人に告げるとああ、と平野が鼻をならした。「中ニ病か...表現者を馬鹿にした嫌な言葉だよね...」

「あつし君、その3点リーダーを多様する喋り方やめなよ」平野が隣に座る山崎あつしをたしなめる。

「どっかの軽音ラブコメの主人公みたいでイライラするんだよね」「それ言うとまた色んな人から怒られるよ」

漫才を始める二人を見て俺は呆れてため息をついた。「あ、そうそう」山崎が俺に聞いた。「俺たちが前に組んでいた『T-Mass』のライブは観たことはありますか?」

急に敬語になったのは面接官という立場からだろう。「一度だけある」俺が答えると「え?学祭前に停学になったんじゃなかったっけ?」と平野が虚偽を探す探偵のような目で俺をいぶかしがった。

「先月の向陽ライオット。会場まで見に行った」「おお!それか!ありがとう!」

立ち上がって平野が握手を求めてきた。俺は油だらけのその手を避け、話を繋ごうとした。「T-Massのライブを観に行った」というのはウソで本当は俺もそのバンドバトルに参加したかった。

しかしバンドを組んでいない俺はみんながライブをする様を客席から眺めているだけだった。初日の予選会ですら草場の影から2時間程観戦していた位だ。

緊張で音を外すベーシストを見て「俺と代われよ」と呟いたり、歓声を浴びるボーカリストを見て羨ましいと思ったり。

暗い路地を歩いて来た俺にとってその空間はオズの魔法使いの国のようにすべてが眩しかった。

そのメインストリームの中、目の前にいるこのとてもバンドマンとは思えない風貌の2人が勝ち上がっていく姿を見るのはとても悔しかったし、同時に勇気も貰った。


「感動したよ」「本当に!?」目の前の二人が声を合わせて微笑む。「ああ、感動して涙が出た。あんな下手な演奏でも優勝出来るなんて涙が出た」

「おい!」平野が真剣な顔をして立ち上がった。いけない。つい本音が出てしまった。確かにT-Massの演奏は準優勝の『きんぎょ in the box』と比べると劣っていた。

しかし、T-Massの方がよりオーディエンスの胸に切実に響く演奏をしたというのが名の知れた音楽評論家の意見だ。

「そりゃそうっスよ」ソファに腰掛けた新入部員の清川が口を挟んだ。「確かに、T-Massが向陽ライオットで優勝したのはフロッグだって声もあるわ」

生徒会役員の板野やよいもその声に賛同した。清川は馬鹿にしたような目を平野と山崎に向けるとへらへらと話始めた。

「初戦を同情票で勝って、2回戦は相手が退場して、決勝戦の相手は町長の猛プッシュが反感を呼んで自滅。まともにライブバトルした相手が1組もいないじゃないっスか。
今月のロキマン見ました?欄外に小さく『世紀の大誤審!twitter投票機の誤作動でT-Mass優勝か!?』なんて取り上げられてるんスよ。
そんなんだからメンバーに見捨てられて惨めに新メンバーを募集する事になるんスよ。いいご身分っスよねぇ!鱒浦先輩は!これからメジャーでたくさん稼いで、
高級車乗り回してアイドルと付き合ったり楽しい人生が待ってるんでしょ?俺もそういう青春が欲しいっスよ!先輩達は金塊を逃したんスよ。T-Massは解散したんだ。パンク、イズ、デェッド!
わかります?さっさと俺たちに道譲っておまけの人生を楽しんでてくださいよ」

「おい」俺が振り返ると「いいって」と山崎が制止した。「えっとさぁ、そこの、ナントカ君」平野が清川に呼びかけると「俺っスか?」と清川が自分を指さした。

「自分は悪い事は言っていません。何か間違った事を言っていますか?」という不遜な態度だった。平野はそいつに向けて言葉を発した。

「次に鱒浦将也の話を出したら殺すぞ。クソガキ」

肉食恐竜のような冷たく、凶暴な視線に清川がたじろぐ。「や、やだなぁ。冗談っスよ、冗談」「べらべら話過ぎだっての」クールな生徒会女も気に触ったのか、やよいが薄いくちびるを震わせた。

正直びっくりした。間にいた俺まで恐怖を感じた程だ。とにかくこの二人にとって前任のベーシストはアンタッチャブルな存在らしい。

「で、キミは?」平野がその目を俺に移した。目の前にいる男は俺より10cm 以上背が低く、腕っぷしが強そうには見えないのに俺は震えが止まらなかった。

「ここになにしに来たの?俺たちにケンカ売りに来たわけ?」腕組をする平野の前に山崎が飛び出てきた。

「ごめん!気にしないで!こいつ鱒浦が先に成功しだしたから焦ってるんだよな?少し冷静になれよティラノ。ここでキレてても仕方ないじゃん。バンドの面接を受けに来たんだよね?」

山崎が俺に聞いた。俺は頭が真っ白になっていた。「え?ああ、まぁ」口ごもりながら俺は平野から目線を外し気持ちを落ち着けた。

俺は正直この部屋に冷やかし半分で訪れていた。ティラノ洋一の新バンドに入らなくても桜田に目をつけられないように新入部員として軽音楽部に籍を置くという手もありだと思っていた。

でもその考えは甘かった。目の前にいる平野は本気なのだ。歯の間から深く息を吐き出し、今にも飛びかからんばかりの気配を発し、強い眼差しで俺を見つめてる。

俺はその場を立ち上がり椅子を戻した。どうやら決断するしかないようだ。「山崎...先輩?」俺が声をかけると「あ、おれ?」と山崎が立ち上がった。

「ドラム叩いて貰えますか?ベースを弾きたいんで」それを聞いて山崎が笑みをつくる。「おう!いいよ!誰か、鈴木君にベース貸してやって!」

部長の言葉を聞いて清川の隣にいた生徒が「これでどうですか?」と自分の物と思われるジャズベースを俺に持ってきた。出来ればプレベが良かったがこの際贅沢は言っていられない。

山崎に連れられ、教室脇のアンプとドラムの置かれているステージに向かって俺たちは歩き出した。

「やっと軽音楽部部長の実力が見られるのね」板野やよいが催し物を見るように椅子の上で腕を組み俺たちを眺め始めた。

「曲は何を演る?」

山崎が俺に耳打ちをする。「ビートルズの『カムトゥギャザー』、叩けますか?」「ビートルズ!」山崎が飛び上がった。

「ビートルズは俺も好きだよ!ロックの基本形だもんね!」「それでいいですか?」「うん、オッケー、オッケー!」「センパーイ!早いとこ終わらせちゃってくださいよー」

清川がへらへらしながら俺達を急かす。野郎、練習したいんだったらケースからギターぐらい出しておけ。山崎が俺の肩に手をかけた。

「気にすんなよ。あーゆう馬鹿にする奴らを俺たちはいままで黙らせてきたんだ。そうだろ!ティラノ!」

平野は椅子にふんぞり返り、俺たちを見つめている。目はさっきの肉食獣のまんまだ。ステージの上に上がると俺はベースをアンプに繋いだ。

アイコ以外に人前で演奏するのは初めてだった。汗をかいた手のひらからピックが滑り落ちて床に落ちる。いかん。俺はこの曲を指で弾く事に決めた。

俺が何度か試し弾きをしていると後ろから「自分のタイミングで始めていいから」と山崎が声をかける。俺は目を閉じて意識を集中させた。

アイコならこういう時なんて言うだろう。「また『カムトゥギャザー』なの?」なんて茶化して笑うだろうか。しばらくして俺は目を開く。そしてベースの弦に指を落とす。

同じフレーズを2回弾くと山崎が静かにそれにリズムをつける。俺は少し感動した。いままで一人で弾いていた『カムトゥギャザー』にドラムが付くなんて!

そして少し後悔もした。ボーカルとギターのない『カムトゥギャザー』がこんなにも退屈な音楽なんて思いもしなかった!なんというか、場が持たないのだ。

ブレイクの度に誰かの咳払いが聞こえ、山崎のバスドラに合わせ、足踏みをする音が聞こえる。静か過ぎる。

そしてバンドのベーシストとして面接を受けに来た男の選曲としてはあまりにも地味で現実的。

俺が最後のフレーズを弾き終わると、「え?これで終わり?」という声と共に周りからパラパラと拍手が鳴った。

およそ4分17秒。俺の初めてのジャムセッションが終わった。ずっと下を向きっぱだった。自分の事以外考えられなかった。

ベースをスタンドに置き、髪をかきあげると「よかった、よかったよ」と山崎が俺の肩に手をかけた。俺はやんわりと手を払い、「ども」と声を返す。

失敗した。何かを失敗した。「もういいですか?」俺が力なく声を返すと「あ、面接の事?うん、だいじょぶ」と山崎が答えた。

俺はとにかくこの場から離れたかった。何の準備もなくステージに上げられ、恥をかかされた。カバンを持ち、教室のドアに手をかけると「おつかれ」と背中に平野の声がとんだ。

一瞬、立ち止まり、教室を出て廊下を歩くと「何がおつかれ、だ」と呟いて俺は自分の白い手を握り締めた。

     

「それでは失礼します」

第二音楽室の入口のドアが閉められるとボクは隣にいるあつし君と大きく背伸びをした。時刻は午後8時を回っている。

「あ~もう、疲れたーん」「昨日と今日で総勢32人か...」

あつし君が新バンドメンバー募集の志望動機書をまとめてため息をついた。「誰か気になった人はいた?」

あつし君に聞かれ、ボクはうーんと考えるフリをした。最初は面接官気取りで相手が予想していないであろう質問をしたり、いじったりで楽しかったが
みんな真剣な眼差しでボクらのバンドに入ろうとしてくるので頭の中できちんと整理する時間が持てなかった。もちろんボクを茶化しに来たような奴もいた。

そういう時、ボクは非常にイラついた。あつし君に言われたように少し心に余裕がなくなっているのかもしれない。

「あのすいません」顔を上げると目の前で1年坊主が頭を下げていた。

「ジローが失礼な事言っちゃって。俺たちの方から注意しとくんで赦(ゆる)してやってください」

ボクはあつし君に向き直った。「ジローってだれ?面接に来た人?」遠くで椅子に腰掛けた生徒会の板野やよいさんが呆れたように声をあげた。

「清川次郎。さっきあんたがブチ切れた相手じゃない」「ああ、あの時はヒヤヒヤしたよ」あつし君が息を吐き出す。「ああ、あいつ、清川ジローっていうのか」

正直、ボクはそのジローとかいう奴に対して何の感情も抱いてはいなかった。あいつはボクが見てきた中でもかなりの“小者”だ。

青木田ほどの腕っぷしもないし、『きんぎょ』のエスカさんほどの演奏技術もなく、鱒浦将也ほどの覚悟もない。そんな奴をいちいち相手にしていてもしょうがない。

「別に気にしてないよ。そんな事」「ありがとうございます!今日はもう遅いので失礼します!お疲れ様でした!」そういうとぺこりと頭を下げて1年生は出て行った。

「あーゆうタイプは注意しても治らないと思うけど」やよいさんが皮肉を込めて言った。「そんな事より」あつし君が書類を立てて聞いた。

「生徒会は大丈夫なのか?行かなくて?」「大丈夫よ。今は新学期が始まったばっかりだしゴールデンウィーク明けまでイベントもないでしょ」


やよいさんはボクが『ヤー』の放送を見て決意を新たにして音楽室を訪ねた時、居た。

最初は新入生ちゃんが吹奏楽部と間違えてここに来てボクと小さな恋のメロディでも巻き起こすのかと思ったのだが、
彼女は自分が生徒会の役員だという事を告げると学校にいる間ボクを徹底してマークし始めた。

彼女はボクに事件を起こされるのが嫌ならしく、ボクにアンケートと称して趣味嗜好やらをノート3冊ぶんぐらい書かせ始めた。

最初は美女に囲われて「お、ナニコレ?モテ期到来?」って感じだったけどバンドの事もあり、すぐにウザくなってしまった。考えなきゃいけない事、やらなきゃいけない事がたくさんあるのだ。


「もう、こんな時間」時計を見るとやよいさんが椅子から立ち上がった。「あの、」ボクはやよいさんに声をかけた。

「おはようからおやすみまで、毎日ボクを見守ってくれてありがとうございます」「はぁ?」やよいさんがボクに向かって近づいてきた。

手入れの行き届いた長い髪からはシャンプーのとても良い匂いがする。「好きでこんな事やってるんじゃないんだから」ボクの額に指を突き立てるとやよいさんは続けた。

「去年の学祭とテレビでの下半身露出、および性行為。異常性欲の疑いあり。こんな野獣を女子高生の集まる場に放ってはおけないわ。
わたしの髪が黒い間はあんたを好きなようにさせないわよ」

「髪が黒い間って...それって気分で変えられるんじゃ...」「あんたは黙ってなさい!この三点リーダー!」

女王様のようにあつし君を睨むとやよいさんはボクに捨て台詞を投げつけた。

「いいわね。今後一切暴力及び破壊行為の禁止。人に迷惑をかけないって約束して。あんたをマークして笑顔で卒業するってみんなに言っちゃったんだから!
この向陽町最底辺の高校を暴力や犯罪の無い学校に変えるのがわたしの夢なの。わかったら今年1年はおとなしくしててよね!」

「あ、ハイ。わかりました」

ボクが生返事を返すとやよいさんが指を離して荒々しくカバンを持ち、力強くドアを閉めて出て行った。残されたボクはあつし君に耳打ちした。

「ねぇ、脈アリかな?」「あるわけないに決まってるじゃん...」

あつし君が話を戻すように聞いた。「新バンドの事だけど」「えー、メンバーの話なら明日にしてくれよ」ボクは机のコーヒー牛乳に手をかけた。

「おれ、音楽もう辞めようかと思って」「!?」思い切りあたりにコーヒーをぶちまけた。「それってどういう事だよ!?」「だからさ、」

雑巾をボクに向けてあつし君が言った。「もうバンドはいいかな、って思ってさ」「だ、だからどういう?!」ボクの鼻水が机につくとあつし君は思い切ったように言った。

「理由は4つあるけど聞く?」「そんなにあんのかよ...」ボクは雑巾で顔を拭いた。「まず1つに、」指を立ててあつし君が話始めた。

「ひとつ、サンライトライオットで優勝するなどT-Massとしてバンドでやりたい事は全部やったから。ふたつ、好きだった三月さんをメンバーの鱒浦に取られたから。みっつ、高校3年になって進路関係で忙しいから」

「ほう...」ボクは普段文句を言わないあつし君の言葉を黙って聞いていた。「4つ目は?」ボクが聞くとあつし君が照れくさそうに下を向いた。

「おれ、後輩からボーカルやらないかって誘われてるんだ」「わっはっは!」ボクは大声で笑ってしまった。地味で伊藤あつし似のキミにバンドのボーカルが出来る訳ねぇじゃん。その言葉をぶつけたかったが必死に我慢した。

その言葉を言うと自分を否定してしまうような気がした。

「だけど、このメンバー募集が終わるまでティラノに付き合うよ。ベースの他にドラムも見つかればいいかなって思って。そしたら気持ちよくティラノもバンドを始められるじゃん」

「あつし君」ボクは笑いを堪えてあつし君に言った。

「4つ目がおかしいよ。音楽に対して未練タラタラじゃん。1年間一緒にやってきただろ?急にそんな事言い出すのやめろよ」

ボクの声を聞いてあつし君が再び下を向いた。「ごめん。マッスが居なくなって少し投げやりになってた。もう少し考えてみるよ」

「やれやれ」ボクは大きくため息をついた。「頭わりーのにマジックナンバーなんか使うからだよ」それを聞いてあつし君が笑った。

その後、部屋を消灯し、学校を出るといつもの交差点であつし君と別れた。彼は迷っている。このまま音楽を続けるか、現実的な人生を歩むべきかどうか。

彼を繋ぎ留めるにはもっと強い確信が必要だ。音楽を続けていきたいと思える強いパッション。街灯のあかりを見ながらどうするべきか、ボクは考えていた。

       

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