Neetel Inside ニートノベル
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 瞬俊也の食べ方は汚い。フォークを逆手にして、野蛮人のようにナポリタンを食べるその仕草、飛ぶ赤滴、ぐちゃぐちゃと野菜を噛み砕く咀嚼音。そのすべてが浅慰連花は嫌いだった。そう、連花は俊也のことが嫌いだった。こうして少し遅いランチを一緒に食べながら、笑顔を浮かべていても、連花は俊也が嫌いだった。話を聞いてあげているフリをしていても、頷いていても、共感を示してやっても、連花は俊也が嫌いだった。それは耐え難いほどの拒絶感だったが、連花は飲み込んだ。だって俊也は連花の『お気に入り』だったから。笑える話、こんなに憎いというのに、周囲はそれに気づかない。わたしがどれほど彼を嫌悪しているかなんて考えもしない。だって赦せるだろうか? ……自分がほしかったものを、簡単に手に入れた相手を見る時を。

「俺、いつかここを出ていく」

 ぐちゃぐちゃとパジャマ姿の俊也が言う。口の周りがケチャップで真っ赤だ。それが人狼のように見えて連花には不気味に思える。

「ふうん、で、どうするの? あなたはブラックボクサー……脳を改造された特異種なのよ? 受け入れてくれるところなんてないわ」
「探してみせるさ」俊也は驚くべきことにボーダーパジャマの袖で口元を拭う。そしてニッと笑ってみせて、
「いつか、俺を、ありのままの俺を受け入れてくれるとこ、探す」
「そっか。見つかるといいね」

 死ねばいいと思う。
 そう、いっそ死んでしまえと、ずっと自分は思っていた。俊也がこのラボの『生命線』でさえなければ、実験中に事故死してしまえばいいのにと、『氷合の俊也』の出撃のたびに思っていた。そしてそうなってしまえば最後、このラボは取り壊され、A級ピースメイカーの自分は禁忌情報(レッドデータ)に近づきすぎたがゆえに本部に粛清されることも充分すぎるほどに連花はわかっていた。
 だから我慢した。嫌悪を。憎悪を。悪態を。
 憎かった。
 自分が持っていないものを、あっさりと持っている俊也が。
 ――自分には、特別な才能なんてない。
 拳をマウントすらできないボクサーでありながら生き延びている俊也のような、マンガみたいな御伽噺の力は自分にはない。
 脳裏に浮かぶ、何人かの顔。
 自分は枕木涼虎にも、氷坂美雷にもなれない。
 凡庸な研究者に過ぎない。経歴は立派、経験も悪くない、育てたピースもボクサーも模範品として展示できる。
 それだけ。
 ほかには、なにもない。『これぞ』という断固とした自分がない。
 だから怖かった。
 俊也を失うことが。
 自分が、『特別』でいられなくなることが。
 ずっとずっと、怖かった。
 そして同時にいつも、わかっていた。
 いつか、俊也が自分の手元を離れていくことを。
 自分が『特別』じゃなくなる日が来ることを。
 浅慰連花は、わかっていた。

 ○

 増援に駆り出したブラックボクサーなど、モノともしない。リゼンサが負けた時点で、打てる手など決まっていたのだ。『氷合の俊也』の本領発揮を映す映像モニターの画像を伊達眼鏡のレンズに反射させながら、連花は俯いた。

「……博士、あの」

 部下が声をかけてくる。

「出して」
「え?」
「地下のアレ。出して」
「……いいんですか?」
「それはどっちに対して? いいから、出して」

 連花は命じる。そして吐気をつく。

「もうほかに手はない。リゼンサが負けた以上、俊也を止めるには私が作ったアレしかない」
「でも……アレはまだ試作段階だったはず。それでも出すんですか?」
「君はのんきでいいね」連花は心から答えた。
「そんなの私がわかってる。誰より一番わかってる。たぶん、アレじゃ俊也を止められないことも。私じゃもう、どうにもできないことも」
「なら……」
「でもね、……あたしにも、意地ってもんがあんのよ」

 連花はアクリルカバーに覆われた甲種B型・試作プロット004の起動スイッチを静かに押した。研究施設内にレッドアラートが流れる。
 制御不能の試作兵器を使用する際の退避勧告である。

「あんたは逃げないよね」

 いそいそと出口に向かおうとする部下に連花は問う。

「負けるって言ったんだから」
「い、言ってないです」
「言った」
「……言ってはいませんが、思いはします」
「ならここにいて、あたしと心中して」

 どかっと施設長の革張り椅子に腰掛け、連花はメガネを外して白衣に差す。

「そう、死ねばいいのよ」

 ふわふわと笑う。

「死ねばいい」



       

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