Neetel Inside 文芸新都
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隔離施設
事の発端

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 蝉の鳴き声が辺りを埋め尽くすように響き渡っている夏の空の下。
 勉強上等という落書きが校舎裏にされている学び舎の中に用意された、演劇部というプ
レートの掛けられた部屋の中に、死んでいるのではないかと思うほどに項垂れている数名
の学生の姿があった。

「いや、もしかしたら死んでいるのかもしれない。もしそうならば神聖な学び舎で起きた
悲惨な事件ということになるのではなかろうか?」

「なかろうか?じゃありませんよ。なんですかその説明は……。ただでさえ暑さで参って
るっていうのに、これ以上疲れさせるようなこと言わないで下さいよ。しかも校舎裏の意
味不明な落書きまで事細かに説明してまで」

 部屋の中央に置かれた長方形の机を挟んで対峙していた二人が目を合わせた。
 他の学生たちはそれどころではないらしく、様子を見ることもせず必死に団扇で涼んで
いる。時々手を休めているところを見ると無駄手間のような気がしてならない。

「荒巻君はわかってないなぁ。演劇というのは、その世界の中に登場する人物そのものに
なりきらなければダメなのよ。つまりその人の気持ちを知るにはどんな『場所』でどのよ
うな『状況』なのかということはとても大事なの」

「それが演劇の話でしたらそうでしょうとも。だけど今のは僕が聞いた限りでは現在の状
態を面白おかしく説明しただけに思えたんですけど。それとブラが見えてますから襟元を
パタパタ動かして涼むのは止めてくださいよ」

「暑いんだから仕方ないじゃない。涼しい上に目の保養にもなるしで一石二鳥なんだから
文句言わないでよ。それより荒巻君のその口調どうにかならないの?理系って感じでなん
かヤダ」

「目の保養になるなら喜んで凝視しますけどね。ただでさえ暑さで参ってるのにそんなど
うでもいいことに集中力なんか使えませんよ」

 部長は「何よそれー」と不満を漏らすと急に立ち上がった。
 部員のみんなが部長に注目する。また何か突飛なことを言い出すのではないかと思いな
がら俺は部長の言葉を待った。

「暑いなら涼めばいいのよ!」

「阿部部長。それができてたらこんなことしませんよー」

 団扇で涼んでいた女生徒が間延びた感じに茶々を入れる。
 脚本を書いてくれている我らが演劇部の看板部員、長岡さんだ。
 彼女の言うとおり涼める方法があれば、手が疲れるまで団扇で扇ぐなんて愚行はしてい
ない。だけど部長の話には続きがあった。

「甘いわね。甘味処湯佐の抹茶最中より甘いわ!」

 湯佐というのは駅前のアーケードにある和風喫茶店の名前だ。学生達の評判も良くて
「甘味処」と呼ばれている。名前のとおり甘味が強い味付けの料理が多く、中には甘うど
んなる珍味もある。ぶっちゃけどうでもいいことだがさらに補足するとそこの店員さんが
可愛い。制服も可愛い。ただそれだけ。

「海に行きましょう。来年受験だし骨休めできるのも今のうちだけよ」

「なにバカなこと言ってるんですか貴方は。ここは内陸ですよ。海までどれくらいの距離
があるか分かっていってますか。学生の身分が旅行できるほど金持ってるはずないでしょ
うに。部費で出るなら……あっ」

 荒巻が反論するが途中で何かに気付いたらしく言葉を濁した。
 恐る恐る相手の機嫌を伺うように部長に向き直る

「まさか合宿だとか言い訳するつもりじゃないでしょうね?」

「荒巻君って頭イイよね!さすが理系っぽいだけのことはあるなぁ。私尊敬しちゃうよ。
もっと尊敬できるようにそれっぽい理由も考えてくれると嬉しいなぁなんて」

「僕に交渉役やらせるつもりですか!?冗談じゃないですよ。本当の理由が涼みたいだけ
なんて、学校側に知られたら僕の成績に響くじゃないですか!!」

「大丈夫大丈夫。バレたりしないから。うちの子たちって口が堅いし。こういうときは逆
に協力してくれるって、ねー?」

 部長に同意するようにそれぞれが「するするー」や「オッケー」などと軽く返す。自分
に害がないと分かったら容赦がない。それが演劇部員である。
 かく言う俺も自分に害がなく、逆に利になるのだと知れば悪い気もしない。

「俺も賛成の方向で」

「お前まで俺を見捨てるのか!?」

「荒巻。お前とは保育所の頃から一緒だったよな。それだけ長い間学校生活を共にしてい
た俺だから言えることがある。大丈夫、お前なら上手くやれるさ」

 最後にさわやかな笑顔と親指を立てる仕草を忘れない。
 それを見て諦めたのか。しぶしぶ「わかりました」と口にした。

 そこからは大賑わいだった。荒巻が「それらしい理由」を考えている間に皆で名目上は
合宿、内心は旅行の内容を話し合う。さっきまでの静けさが嘘のようだった。みんな暑さ
など忘れたかのように次々に案を口にする。
 そうしてその日の部活は終了した。

 決定したことは夏休みの長期休暇を利用して旅行をすること。
 場所は部長の実家のある海沿いの町。
 期間は四泊五日の三つだ。


     

 演劇部の良識派である長岡楓は考える。
 自分の体重くらいはあるであろうスポーツバッグと合宿の手引きと書かれたしおりを
持って。晴天と言わんばかりの言葉そのままに雲ひとつない青空を見上げて。頬を伝う
汗を億劫に感じつつ長岡楓は考える。

(おかしいなぁ~)

 夏の長期休暇。学生にとって最大のイベントとも言える夏休みの初日。
 駅前は人波で溢れかえっていた。自分のように誰かを待っているような人もいれば、
休暇なんて存在しないといった様子のサラリーマンが急ぎ足で目の前を通り過ぎたりも
する。そんな多種多様な人の中に一人ぽつんと、しかも大きな荷物を持って待ち惚けし
ている姿は傍から見れば家出少女に見えないこともない。自分でもそう思えてしまうの
だから他の人も思っているかもしれない。

 腕時計を見る。駅前に設置されている大時計を見る。また腕時計を見る。
 どちらの時計も同じ時間を示していた。だというのに彼らはまだ来ない。

(遅いな。約束の時間から30分くらい過ぎてるんだけど)

 合宿の手引きをパラパラとめくる。集合時間と場所が書かれているページで手を止め
た。集合時間は10時、場所は赤白駅南口。右手の方角が東なのでここは南口。合ってい
るはずなのに演劇部のみんなの姿はなかった。

「暑い~。なんでみんな来ないのかな~。もう疲れたよ~」

 普段以上に間延びした声で不満を口にする。それで暑さが紛れるわけでもなかったが
口にしてしまうのはなぜだろうか。

「いたー!見つけた!!」

 聞き覚えのある声が後ろ、駅の中から聞こえてきた。

「部長来るの遅いですよ」

 部長はため息をついて私の肩を両手で押さえつけた。

「また長岡ちゃんが間違えたの。ここは北口。南は今私がやってきた方向。みんなあっ
ちで待ってるの」

 真剣に親が子に諭すように部長は言った。
 言っている意味が私には理解できなかった。右が東なのだから背中の方角が南になる
わけで、ということはここが南口なのだけど……。

 私は思っていることをそのまま口にする。

「だって右が東でしょ?」

「右は右でしょう!?試しに右手を東だと決めてその場でくるっと回ってみなさいよ。
それで長岡ちゃんの疑問が解けるはずだから」

 私は部長の言うとおりに右手をまっすぐ伸ばしてそのまま一回転してみる。

「東西南北が東に!?」

 すぱーん、と合宿の手引きで頭を叩かれた。地味に痛い。

「右が東なのは地図上とか進行方向が北という前提条件がないと成立しないの。なんで
長岡ちゃんは頭良いのにこうも天然さんかなぁ?」

 なるほど。いくら待ってもみんなが来ないわけだ。
 今度はこういうことがないように気をつけよう。

 波乱の強化合宿初日はこうして始まりを告げたのだった。


     

「意外と綺麗なもんですね」

 駅から見える町並みを見て荒巻が言った。

 部長曰く田舎らしいが想像していたより随分と普通だった。
 都会と言えるほど発達はしていないが住宅が連なっているところを見れば俺の住んで
いる町とさほど変わりなく思える。ただ一つ違いがあるとすれば電車を数本乗り換えな
ければ都心に行けないというところだろうか。

「バスもそこまで本数少ないってわけでもないな」

 アニメとかでは一日に数本しか出なかったりしていた。てっきりそういうものが田舎
だと俺は思っていたのだが違っていたらしい。それ以前に田舎の基準を知らない。もし
かしたら部長が田舎だと言っているだけで田舎ではないとか。 

「はいはい。ではさっさと目的地に向かいましょう」

「ええ。それは僕としても大手を振って賛成意見ですけれど。自分の荷物くらい自分で
持ってください。僕達は部長の従者ではないんですから」

「あら。これから私の家にお邪魔するのに荒巻君はそういうことを言うんだ」

 荒巻以下部員達が押し黙った。
 最初からおかしいとは思った。合宿と銘打っているもののたかが部活動にそこまで部
費を学校側が出してくれるとは思えない。せいぜい電車の運賃程度だろう。宿泊費まで
はさすがに出してくれないと思う。それなのに許可が下りたって言うことは……。

「先生の物分りが珍しくいいなあと思ってみれば、前もって話してあったんですね。旅
費とかもどうせ部長持ちでしょう?なんでわざわざ合宿なんて建前が必要だったのか分
からないんですけど」

「だって部活動ってことにしないと誰かさん達が来てくれない気がしたのよね。他の子
は優しいから来てくれただろうけど『誰かさん達』が来てくれなさそうだったからわざ
わざ遠回りなことをしなくちゃいけなかったのよね」

 うっ、と俺と荒巻は言葉に詰まる。
 去年も部長に旅行に誘われた記憶があるがメンドイからって理由で断った気がする。
 きっと荒巻も似たような理由で断ったに違いない。

「ま、まあ理由はどうあれ今回は参加しましたしそこまで恨みがましく言わなくてもい
いと僕は思いますよ。ほら折角の旅行ですし楽しみましょう」

 荒巻の変わりように俺はため息を吐いた。
 長いものには巻かれろとは古人は上手いことを言ったものだと思う。

「荒巻の言うとおり楽しむとしますか。部長はさっさと案内してくださいよ。俺たちは
場所がわからないんだから」

「内藤君はせっかちね。まあこんなところで熱中症になってもつまらないし行きましょ
うか。みんな遅れないでよ」

 部長が先頭に立って歩き出す。
 俺達もそれに合わせて歩き始めた。

 視界には軒並み連なっている住宅と一本の道路。
 その先には遠目からでも分かるほど青く広い海の姿があった。

「本当に来たんだな」

 俺は感慨深く口にした。
 海なんて子供の頃に親に連れられて行ったきりだ。ここ数年出掛けたこともなければ実
物を目にした記憶もない。

 夏の暑さを身体で感じながら俺は歩く。
 皆に遅れないようにとちょっとだけ足を急がせながら。

「遅い!さっさとこーい!!」

 いつの間にやら随分と先に進んでいた部長が大声を上げる。
 我らが部長は今日もハイテンションのようだった。


       

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