Neetel Inside 文芸新都
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Roundabout
僕の”行動”

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 かちりと、扉の鍵が無機質な音を立てた。その音は僕の予想よりも大きな音で、随分と響いたように思えた。ドアノブを勢いよく回し、鍵を抜き取ると僕はしっかりと部屋の中へと足を踏み入れた。講義を抜け出し、数時間振りに入る部屋はいつもより空気が淀んでいるような気がした。
 反射的に空っぽのかばんを玄関に放り投げた僕はタンスから数日分の衣類を取り出した。いつもより少し大きい鞄を取り出し、必要な物を丁寧に入れた。隙間の見えないその鞄は僕の決心の表れでもあった。皆と今まで以上にうまくやる為に、もう一度あの過ちを正す為に、僕は”彼女”に会いに行こう、そう思った。

 幸い休日前の金曜で、今日中に故郷に戻る終電を逃さなければ今週末は自由な時間が取れる。そして”彼女”とも会う機会がある。もし今週末が駄目でも、”彼女”にもう一度会うまではこちらに戻るつもりは一切なかった。ぐいぐいと驚く程に体が動いた。
 僕の身体は動きを求めていた。ノートパソコンを開き電車の時間を調べると、僕は纏めた荷物と、置き去りにしていった携帯を再び手に取り部屋を出た。携帯を開くと、今朝以上のメールと着信が溜まっていた。全てTからのものだった。

 手から汗が噴き出た。心臓の鼓動が早くなり、僕の決心を鈍らせた。だが、ここできちんとケリをつけなければ僕はこれ以上前に進めないような気がした。
 「少し話をしよう。」
 そうメールを打った僕の手は震えていた。僕は怖かったのだ。母に叱られることに怯えていた幼少時代を何故か連想させる震えを感じていた。僕は自室の扉の目前で一度足を止め、深呼吸をしてから目を瞑ったまま送信ボタンを押した。

 目を開くと、送信が完了したことを告げる画面がでていた。一気に緊張の解けた僕は再び足を進めた。
 その間は一瞬であった。
 また、着信が来た。Tからであった。僕は数秒悩んだ末にその電話を受け取った。

 「話って。」
 冷たいTの声が耳に突き刺さった。
 「連絡しなくて悪かった。」
 跳ね上がる鼓動を感じぬ振りをして僕は言葉を発した。
 「何で謝るの。」
 Tは冷たい態度を突き通した。
 僕は深く息を吸い、一気に言葉を声に出した。
 「一時間程したら水槽横の椅子のところに行く。そこに来てほしい。」
 Tは答えなかった。数秒程待ってはみたが声を上げる気配も何もなかった。
 「頼んだよ。」
 そう付けたし、僕は電話を切った。

 緊張した。だが言い切ったという結果が僕をほんの少しだけ安堵させた。もう一度僕はゆっくりと空気を肺に入れ、深呼吸をした。今日だけで何度深呼吸すれば良いのだろうと下らない疑問が頭をよぎった。そして僕の指は”彼女”にメールを送る動きをしていた。頼む、上手くいってくれと懇願した。
 Tとは違い、返事はすぐには来なかった。だが僕はそれを待つことは無く足を動かした。何故なら僕には一時間というタイムリミットが迫っていたからであった。

 かつて偉大な科学者アインシュタインは時間は相対的なモノであるということを実証したが、それを僕自身も実感していた。急な旅費をATMから降ろす為に郵便局に来たのはいいが、年配の先客が数名おり、一時間あれば確実に再び学校に戻れると算段した僕の予想は簡単に裏切られてしまった。ようやく当初の目的を果たし、学校に戻ろうとした頃にはTに告げた時間を超過してしまっていた。申し訳無い気持ちを胸に僕はポケットに財布をねじ込めて走りだした。

 僕の通う学校は比較的賑やかな通りに面していて、正面の門をくぐるとすぐに大きな校舎が目の前に現れる。その校舎にガラスの戸を抜けて入っていくと少し広めのホールがあり、突き当りには中庭に抜けるガラス戸と、そこから横にいくと木製のベンチがいくつか設置してある。そして一番非常階段に近いベンチの横には寂しげな水槽が設置されている。

 そして息の切れた僕はすぐにTを視界にとらえた。彼女はむすっとした顔で正面入り口寄りのベンチに独り座り僕の顔を直視していた。その目は僕の背筋を凍らせるのには十分な冷たさであった。ホールには珍しいことに誰の姿も見えず、そこから今すぐにでも逃げ出したくなる気持ちを増幅させた。僕はそんな気持ちを歯を食いしばって抑え込み、僕はいつもよりも重い足を彼女に向けて動かした。彼女はただそこで座ったまま、何も言わずに僕を上目使いで睨みつけていた。きっと、数秒にも満たないその沈黙はただ僕の中で罪悪感を募らせた。そして、Tの背中の霜降りガラスは彼女を必要以上に際立たせている、そんな気にさせた。

 「遅れてごめん。こっちから呼び出したのに。」
 先ずはこちらの非を認めて謝罪しなければならないと思った。だがそんな謝罪も彼女はゆっくりと目を逸らすのみで言葉を話すことはしなかった。

 「で、昨日は何で連絡できなかったの。」
 そう静かに彼女は僕に聞いた。
 「いや、昨日はバイトがあって…」
 言葉に詰まった。だがこれは半分が事実だった。
 「ごめん…」
 そう、言おうとは思っていなかった謝罪の言葉が口をついた。
 「…らい…」
 俯いたままの彼女の言葉は細々しく、聞き取ることが出来なかった。え、と僕が文字で聞き返したことをすぐ後に後悔することになった。

 「もうあんたなんか大っ嫌い!!」

 そう彼女は大声でその場で高らかに宣言した。その目は僕を鋭く捉えていて逃げようがなかった。

 「あんたのそういうところが本当に嫌い、大っ嫌い。マジで無理、我慢できない。何でさ、メールの一つも入れられないの。何でさ、アタシに言わないの。何で、ねえ何で!?どこにいて何してるのかは何時も連絡しろって言ってるのに何でそんなことも出来ないの、ねえ!?それで、何。バイト?はぁ?」
 明らかにTは興奮をしていた。人目も憚らずこんな取り乱し方をする彼女は初めて見た。僕はそんな彼女の口調に合わせることなく、ゆっくりと口を開いて伝えた。
 「ねえ、聞いて。そこはもう前にも話をしたでしょ。俺は信じてほしいって…」
 「信じる?信じるって何?アタシの言うことも出来ない奴を信じろって?」

 駄目だ、そう僕は感じとった。もう彼女は壊れた状態に移行してしまってそれをどうにかすることは出来ない、そう感じ取った。一晩連絡を怠っただけでこの状態にまでなったのは初めてだった。僕に何かを言わせるつもりはないという意思だけはひしひしと伝わってくるのが分かった。

 そして僕はこの状況を打破するだけの話術を持ち合わせてなどいなかった。
 だが、こうして彼女が激昂し、求めてくることも全ては僕に対する感情が要因となっていることは僕が一番理解していた。僕にはそれに対し、謝罪をするべきなのだろう。そう思った。もしもここで僕が折れたのならば、僕は一生変わることが出来ないだろうと、そんな気がしてならなかった。Tから目を逸らしゆっくりと息を吸い込み早まる鼓動を押さえつけた。僕の肺から吸引された空気が一定の速度で排出された時、僕は彼女に最後の嘘をつこうと決心を固めた。

 「悪いけど、俺の方ももう無理だよ。」
 思考がゆっくりと鈍るような沈黙がゆっくりと流れた。空気が変わった。彼女も邪魔をすることはしなかった。
 「こんな終わり方は俺も嫌だったけど、ごめん。別に付き合ってる人がいるんだ。もう、一人にしてほしい。」

 口の中で何か苦いモノを感じた。ちょうど胸の間を特大の鎌で思い切り抉られる気がした。そしてTの表情から、この瞬間最も聞きたくない言葉を言おうとしていることが読み取れたことが僕の息を詰まらせた。

 「ねえ、何で。何でそんなこと言うの。アタシはこんなに好きなのに…」
 つい先刻の威勢はもう感じ取ることが出来なかった。
 「ねえ、何で分かってくれないの。私一人じゃダメなのに、一人じゃ全然ダメなのに。ほら、ね。確かに私も言い過ぎたと思う。謝るから、ほら...」
 見る見る内に彼女の僕を捉えていた攻撃的な目はその姿を完全に潜めていた。そして僕は再度実感していた。
 これが彼女の持つ他人には見せない側面の一つなんだと。彼女はきっと様々な人に依存してしまうのだろう。その依存してしまう自分の弱さが怖くて、人と接するのにも依存することが分かっていて、だからこそ数人の幼馴染にしか心を開けなくて、新しい人と繋がるのが怖くて仕方がないんだろうと。そんな彼女の臆病さを隠す為に彼女はいつでも明るく振る舞った。そんな空元気に僕は自分を重ねてしまった部分も少なからずあるんだろうと思ってしまった。

 「ほら、また髪も伸ばすから。ね?私変わるから、だから…」
 僕は彼女の弱弱しいその言葉の先を聞く勇気は持ち合わせていなかった。

 「俺たちはさ、きっとすれ違ったままお互い見えなくなっただけだよ。」
 そう、僕は告げた。出来るだけ静かに、感情を抑えて。
 「でも...!」
 そう彼女は擦れ切れた声を目尻に水滴を貯めながら張り上げようとした。
 この喉を詰まらせる胸の痛みは彼女に対する八つ当たりではない。彼女を付き離すその姿を目に焼き付けることがきっと僕の受けるべき罰なんだろうと強く思った。そう強く思ったからこそ僕はしっかりと彼女の目を見据えて言葉を放った。

 「ごめん。」

 僕は振り返り、正門へと身体を向けた。一歩進めば進む程、彼女の嗚咽ははっきりと耳の中に入り込んでいくような気がしてならなかった。言葉にならない言葉を吐き捨てながら泣くその彼女の声は、僕の中の罪悪感を増幅させ、振り返らないよう歯を食いしばる顎の感覚は喉を詰まらせた。涙腺に何か熱いものが込上げるのを耐えれば耐える程僕の胸は少しずつその傷は広がっていった。僕はまたきっと別の過ちを犯したのだとそんな気がした。僕は自分の心にまた、蓋を閉め、傷を見て見ぬ振りをしながら足を動かした。

 最低な奴だと、他でも無い自分を殴りたくなった。

       

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