『本物のスライダー』
「そうね、つまりこういう事なのよ」
目の前にいる少女はそう言うと、得意げな顔をしてコーヒーをフォークで掬って見せる。
何をしているのかさっぱり分からん。効率のいい冷まし方か? と、喉まで言葉が出掛かるが、何かを察したのだろう。機先を制するが如く
「あれ? 意味分からない? と言うかコレ知らない?」
そこから一気にまくし立てるように、『コーヒーをフォークで掬う』ウンチクを聞かされる。
なんでも、メジャーリーグで本物のスライダーを投げる投手はいないとかなんとか、騒ぎになった時に、スライダーの名手と言われた人物がこう言ったのだそうだ。
曰く。『本物のスライダー? それは、コーヒーをフォークで掬う様なものさ』
そう言ったのだそうだ。……、だからどうしたと言うのだろうか。その名言? 自体の意味不明さと相まって、説明を受けて、より何をしたいのかが分からなくなった。
どうやって、この少女を追い返そうかと思案している間も、ニコニコと笑いながらコーヒーをフォークで掬い、そして、そのフォークの、少し湾曲した所に残ったコーヒーをすする様に飲んでいる。フォークで掬い、二コリと笑い、そしてコーヒーをすする。
あぁ、このまま放置していたら、フォークで掬えなくなって、そうしたらこの少女はどうするのだろう……ニコリと笑わなくなるのかな等と、軽く現実逃避を始めた脳を、奮い立たせる、何故こうなったのかを最初から洗うのだ、そこに突破口がある!! 気がして……
1・
今日もいつもどおりだ。
そう思いながら、既に日も高くなり始める時間に起きるでも無く、なんとなく起きる。
いわゆる、『私立』探偵をやっている、やってはいるが、恥ずかしながら『私立』である、なんちゃら探偵協会なんかにも所属もしていない、勝手に名乗っているだけの……。
そう、素人だ。
そんな所にわざわざ頼む人間なんか、つまり、言いにくいが、まともじゃない(つまり、頭とか依頼内容とかだ)そんな関係で通常営業=閑古鳥。
入り口前には一応『御用の方はこちら』と親切なブザーを着けているが。生憎と御用の方がいようといまいと、あまり鳴らされる事は無いのだ。
なにしろ、狭い縦長のワンフロアの事務所だ。
申し訳なさそうな木製のドアからは、擦りガラス越しに中が伺える。
長方形の事務所は、入り口が東側にありそして当然、西側が突き当たりだ。その、西側に俺の仕事用のデスクがある、丁度夕日をバックにする形になる、そしてパーテーションで目隠しをして、来客用のスペースを作っている。
俺ならドアをノックして声を掛ける。恐らく誰でもそうだろう。
そんな訳で、いつも通り。何となく起き、昨日着たまま寝てしまったシャツだけでも着替えるかと、来客用ソファから起き上がったら。居た。
パーテーション越しに見える自分のデスクに……神宮寺……と声を掛けそうになるほど渋い表情を作り、これ以上無いほどの渋い顔でこちらを見ている、少女。年のころは、制服からして高校生ではあろうか。が座っている。
あまりの渋さに弟子入りを志願しそうになる……訳も無く。とりあえず、時折来る、勘違いした痛い高校生(『私立』探偵に妄想を膨らませて)だろうと、軽く、コーヒーでも飲むかい?
と大人の余裕を見せつつ。来客用のモカを淹れてやって、君はどうしたの? と聞いたんだ……そしてフォークを取り出し……
ふむ。
突破口はどこにも無かった。
「それにしても、私立探偵って感じで良い事務所ね!!」
そりゃどーも、とは言わずに苦笑いで返すので精一杯だ。
状況が把握できない。
そうだ先ずは、相手の目的だ。何をしているんだ俺は!!
「君は何をしに? その、依頼とかでもあるのかな?」
我ながら情けない言い様だ。しかし、小坊主ならまだしも相手は女子高生だ。下手な騒ぎにはしたくはない……ただでさえ胡散臭い商売してる身だ。ここは穏便に……
「はぁ?! 探偵事務所に女子高生がコーヒー飲みに来る訳もないでしょうよ!!」
鼻の骨を目掛けて鈍器の様なものを振り下ろしたくなる…やはり『痛い』方の来客か。
「勿論! 依頼よ、探偵さんに依頼をしに来たのよ」
きょとん
今、この言葉の真の意味、と言うか状態を身をもって知ることが出来た。
そんな俺をよそに依頼内容をとうとうと語りだす。
「あそこに、木あるでしょ? 桜の木がさ」
そういって少女が指差した方向は壁……だがそうじゃないだろう恐らく駅前の事だ。
「あそこの桜の木って古いのよ、樹齢何年だったかな? まぁとにかく一杯よ」
そう言って、砂糖とミルクをたっぷり入れられてしまった、元も子もないモカを、凝りもせずフォークで掬って。ニコリと笑った。
*
樹齢1500年とも2000年とも言われている(正直適当な言い伝えだ、いい所数百年ってところなのだろう)その桜の木の立地がとてもいい場所にある。
駅から徒歩2分……も掛からないだろう場所に鎮座している。小さな公園があり、そこに堂々たる風格を持って……むしろ桜の木以外何も無い広場なのだが。とにかくある。
そして、いわゆる都市開発、移設の案もあったが、樹齢故木がもたないだろうと言うことで切り倒す事になったのだそうだ。
そんな桜の木だ、反対運動等もあったそうだが、どうやら切り倒すことで話しが進みつつあるらしい……。
「それで、俺にどうしろと?」
起き抜けに、電波少女との会話で頭が痛い。
「勿論!! その工事を中止に追いやって欲しいのよね」
コーヒーを掬って、すすり、ニコリ。
このままでなら、容姿も相まって白痴美とでも言うのだろうか、美しいお嬢さん。で通るだろうになぁ、と完全に依頼と言う名の放言を受け流していた。
「なんかさぁ? その工事ってのも気に食わないのよねぇ」
なにやら鼻歌交じりに、掬えなくなったコーヒーをクルクルかき回す。
「反対派の一番ノリノリだったおじさんなんかも、急に仕方ないとか言い出しちゃうし」
フォークで掬えなくなったコーヒーをクビリと飲み、嫌よね~大人って。と、足をぶらぶら。それを見つつ、そうか掬えなくなったら普通に飲むのか……と少し残念? な気持ちになりつつ話の先を待つ。(依頼等受けるつもりは、はなから無いのだが)
「でさ? 探偵さんならその辺、ちょこちょこっと、人の弱みに付け込んだり出来るじゃない?」
酷い言い草だ。人をそこらの与太公かナニかだとでも思っているのだろうか。まぁ、得意分野な訳だが……。
「ん、確かにだ。確かに君の言うとおり、そのおじさんなり、役人なりの弱みをちょこちょこっと出来たとしよう。それで工事が中止って。そりゃ無理だろ」
*
人間、ヒトにしか出来ない事がある。
世界は儚く脆い。何時かの人間の言葉の様に、蝶の夢の様な、危ういバランスの繰り返し。
それはまるでシーソーの上での全力のキャッチボールの様な……