Neetel Inside ニートノベル
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週末のロストマン
第八話「リトルバスターズ」

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 上体を逸らして横薙ぎの攻撃をかわし、返す刀で鳴海は奏汰の腹部に一撃を叩き込む。
 宙に叩き上げられた奏汰を見上げ、鳴海は低い姿勢を取り、両手で握り締めたベースを後ろに構え、跳躍する。奏汰へと真っ直ぐ向かう鳴海と奏汰の目が合った。
「っの野郎!」
 鳴海の振る一撃に合わせるように、奏汰はギターを振った。宙で重なりあう二つの音と衝撃で、二人は弾き飛ばされ、鳴海は地面に激突する寸前にベースを地面に叩きつけて勢いを殺して着地すると、すぐに顔を上げた。
 距離の空いた互いの空間を鳴海は目を細めて見つめる。奏汰もまた、対等に渡り合ってくる彼の姿を見つめていた。あれほど打ち負かされ、顕現されたベースもへし折られ、圧倒的に力量を見せつけたはずなのに、彼は立ち上がってきた。それもさっきとはまるで別人だ。
「ロストマン、だったか。お前はどうして、そうまでして彼女に拘る?」
 奏汰の言葉に、鳴海は首を傾げる。
「あいつは現実で成功している。そんな奴がこんなところにいる必要が無いだろう。ここは鬱屈とした感情を抱えている奴らの掃き溜めなんだから」
「……掃き溜め?」
「あいつは現実で飛べる。飛べない俺達とは比べ物にならないくらい遥か遠くに、だ。だから、俺はムーンマーガレットの名を殺すんだ」
「……あんたには、彼女の【音】が聴こえていない」
 だから、あんなに寂しくて、刺々しい音が出せるんだ。
 そして律花も、きっと自分を隠し続けているから、音が出ないんだ。
 鳴海は駆ける。
 構えたベースは軽く、一から十まで全てを教えてくれる。どう扱えばどう【鳴って】くれるのかが頭に流れ込んでくる。
 これなら、いける。
 ギターを構える奏汰に唐竹、右袈裟、左袈裟と次々に斬りこんでいく。リーチの長いベースはギターに比べて少々振りが遅いが、それでも一撃一撃の威力はギターよりも優れているらしい。鳴海から繰り出される攻撃を受け止め、しかし奏汰はじりじりと圧されていく。
「いい加減に、しろぉ!」
 逆袈裟を振り上げた隙にギターを順手に持ち替え、奏汰は引き千切るように掻き鳴らす。奏汰を中心に周囲を囲うように音撃が形成される。目の前に迫る衝撃波に鳴海は即座にベースを持ち変えた。
 一から十まで、できることは全て分かった。
 だから、この【音撃】にどう接するべきかも、鳴海は理解していた。
 周囲のブッキングを見ながらずっと思っていたことだ。
 何故皆、あんなに音をぶつけ合うのだろう。
 音はもっと綺麗にできるものだ。重ねる音を選べばどこまでも透き通った和音にすることだって出来る。
 右手の人差指で四弦をハジく。まるでアンプを通したような低音が這いずりまわる。
 ベースが生み出す低音は、基本の音。
 バスドラムに低音を重ねる。バッキング、リードギター、メロディ。多彩なギターサウンドをバンドとして集約するための核であり、影の薄い裏の功労者。
 全ての音を一つに繋げる為に。
 あらゆる人を受け止める為に。
 鳴海が求めたのは、弾き飛ばす力じゃない。受け止め、調音する力だ。
 迫る音撃の波を読み取る。ファズがかったノイジーな音だ。よく聴かないとコードすら分からない程潰れてしまった音。シューゲイズなんてレベルじゃない程の擦れた嫉妬に塗れた音に鳴海は潜り込んでいく。

――潜れ。

――探れ。

――もっと深く。

――もっと探れ。

――彼の音を識れ。

――感覚を尖らせろ。

 手にした弦に指を掛け、フレットに左の指を滑らせる。低音から高音へ一度スライド。深い低音が唸る。
 探れ。探れ。語らない彼の感情を探って、コード苦しみを見つけろ。

――ノイズの先の音が聴こえた。

 鳴海はベースを鳴らす。
 深い低音がギターノイズの中に潜り込む。敵意に満ちたギターサウンドが、彼の目の前で柔らかな和音へと変わっていく。ふわり、とギターからノイズが溶けて消えていく。
 奏汰は唖然とした。観衆も、目を疑った。
 彼の圧倒的とまで謳われた音撃が、鳴海の音に掻き消されて消えていった。本来ならば弾き飛ばされる筈の彼は、得意気な顔をして、奏汰を見つめていた。
「なんだよ、それ……そんなの俺は、知らない……」
 自信を打ち砕かれた事も理由にあった。だが、それ以上に鳴海の基本スペックが奏汰を徐々に上回り始めている。彼のベースが、馴染み始めている。
 レモンドロップスはキャンディを舐めながらその光景を見て、ひっそりと笑う。
「なるほど、鳴海君は確かに特殊なプレイヤーだ」
 ジョニーは、腕を組みながら鳴海の戦闘を見ていた。弾くのではなく、受け入れる。そんな音撃の出し方を、このモッシュピットで見たのは彼も始めてだった。
「彼は、自分の思い通りにいかない世界との摩擦を解消している。ここに来た時点でね。だからこそ、僕達とは違ってマイナスのない、ゼロのプレイヤーだった」
 だから、彼は顕現が出来なかった。ジョニーは目を細める。
「でも今、彼は戦う理由を見つけた。きっとそれは、私達とは違うベクトルの力なんでしょうね。仮に私達が鬱屈とした感情や満たされない焦燥感、言わばマイナスの力を使っているとするなら、彼はプラスの力を使っている」
「だから、弾くことしか出来ない音撃を、無力化できると……そういうわけか」
「無力化、じゃないですよきっと」
 ジョニーがレモンドロップスを見た。彼女は舐め終えたキャンディの棒を前に突き出すと、片目を閉じて目を凝らすようにして鳴海に重ねる。
「彼は全部背負うって言った。だから、相手の音を打ち消すなんて、そんなナンセンスなことはしていません」
 眉を顰めながらジョニーは再び鳴海を見た。奏汰の音撃に自分の音を当てては和音にして衝撃をかき消している。そうか、と彼は納得するように呟いた。
「彼は、受け止めているのか」
 ならばきっと、彼はこのモッシュピットで唯一の異端になるに違いない。
「週末のロストマン、ね」
 彼はやはり、ラスト・ホリデイの最大の対抗馬になるかもしれない。
 ジョニーは去っていった男の背中を脳裏に浮かべながら、そう思った。鳴海君なら、彼を止められるかもしれない。
 身を削り続ける彼の悲しい強さへの執着から、彼を救ってくれるかもしれない、と……。

   ・

 雪彦は、唖然として鳴海を見ていた。戦況をひっくり返した彼の猛攻を見ながら、彼がここへ来る前に言っていた事を思い出す。
――俺は、勝利を諦めない。
 彼は追いついたんだ。彼が憧れていた存在と同じプレイヤーの世界へ足を踏み入れ、彼女のピンチに颯爽とヒーローのように立ち臨み、そして今こうして戦っている。
 自分もこんな風になれるだろうか。
 雪彦は自らの両手を眺める。この手で、もう一度立ち上がって、戦う事が自分にも出来るだろうか。
 想いは形に、形は力へと変わっていく。
 雪彦の両手の中に、一振りのギターが現れる。黒と白に交互にペイントされたボディのストラトタイプのギター。スクワイア・サイクロン。
 鳴海が何もかもを受け止めて戦うと決めたように、自分は彼女の為に強くなりたいと、そう思った。彼に比べたらこれはきっと小さな理由になるだろうか。
 それでも、雪彦も、立ち上がろうと思った。
 目の前でブッキングに興じる彼を見て、冷め切っていた胸元に、火が灯るのを感じた。

   ・

 奏汰は、律花が嫌いというわけでは無かった。
 ただ、自分の挫折と、自分に成り代わろうとする妹の姿が重なって、彼女との接し方がまるで分からなくなってしまっただけだ。自分が出来無かったことを、彼女はいともたやすくこなしていく。
 そうして気が付けば、出来る妹に対して奏汰は嫉妬を覚え、嫉妬すればするほど自分が堕ちていくのを感じた。
 堕落していく中で見つけたモッシュピットは、とても心地が良かった。
 ここでは挫折も関係ない。ひりついた自分の感情をぶつけるだけで世界が反転した。憧れと畏怖、嫉妬。溢れそうなフラストレーションを瓶ごとブチ壊してくれる。
 だから、そんな空間に、妹がいることに、彼はとても驚いた。
 奏汰に出来なかった事を全て乗り越え、現実で成功を重ねるのに、これ以上何を不満に思っているのか。こんな泥まみれの世界に浸って汚れる必要なんて彼女には無い。
 だから、救おうと思ったのだ。
 お前の居場所はここには無いと、お前は現実で生きるべきだと。
「なのに、なんでお前は邪魔をするんだッ!」
 防戦一方の中に見つけた微かな反撃の機会を奏汰は見逃さない。腹部に叩きつけられ身体をくの字に曲げる鳴海に蹴りの追撃を見舞い、弦を引き千切るように奏でる。
 渾身のノイズサウンド。
 だがそれを、吹き飛ばされながら低音を鳴らすことで鳴海は和音に変えてしまう。
 不思議と彼が中和した音は、奏汰に気分を良く、身体の負担を軽くさせた。良い音だと思った。だが、そんな音では勝てない。
 モッシュピットは心を折る戦いなのだから。
「俺の邪魔をするなァ!」ギターを手に奏汰は駆ける。
「てめえの邪魔なんて知るか!」受け身をとった鳴海は叫ぶ。
「何も知らないくせに!」振り被ったギターを弾き飛ばされ、しかし奏汰は構わず空いた手を握り締めると、鳴海の右頬を殴りつける。
 殴られた鳴海は、ベースから手を離すと、奏汰の顔面に拳を叩き付けた。
「知らないさ、言わなきゃ何も分からないしどうしようもないだろうがッ! お前がムーンマーガレットに何を思っているかなんて分かるかよ! でも、例えお前が好意で彼女を叩きのめしたとしても、その好意は全く伝わらなかった。だから彼女は泣いたんだ」
 視界の端に律花を見た。
 彼女は、流した涙を拭って、立ち上がっていた。
「あんたが何をしたいのか、音が教えてくれたよ。でも、そんなひりついた音で何が伝わるって言うんだ。何故彼女の音が出ないのか、その理由を俺はずっと考えてきた。お前は彼女の事を知っているんだろう? なら、なんで彼女の悲鳴を聞かない?」
 なあ、律花、お前はなんでそんなに強いのに、ここに来ちまったんだ。
 両肩を掴まれ、腹に鳴海の膝がめり込む。迫り上がるような吐き気に奏汰は絞りだすように悲鳴を吐き出す。
「そんな歪みきった音をぶつけあったって、分かり合えるわけがないだろうが! だから俺は、アンタの音を調音する! 吐き出したいほどの想いがあるんなら、もっとハッキリとした音を使って伝えてやれよ!」
 そんな事できてたら、苦労しない。
 目の前の彼は真剣な眼差しで奏汰の事を見つめていた。自分や他のプレイヤーとは違った、敵意のない、強い眼差し。
 顔面に、鋭いのを一発貰った。
 そういえば、律花とマトモに話したのは、いつが最後だっただろう。
 小さい頃はいつも兄さんと愉しげに後ろをついてきたものだ。
「……兄さん!」
 妹の声がして、奏汰は思わず顔を向けた。
 キャップ帽を脱いだムーンマーガレット、白部律花の姿をそこに見つけた。
 顔を隠すようにしてかぶっていたキャップを右手に持ち、左手には、再び顕現したギターを持っている。一度へし折った筈なのに、ギターは確かにそこに再び存在していた。
 月の光を浴びて、真紅に輝くギブソンSG。
「律花……」
「帰ったら、改めてちゃんと話そうよ……兄さん」
 そう言って彼女はにっこりと笑うと、ギターを構える。
 追撃の為にベースを拾い上げた鳴海は、律花と奏汰の対峙を見て微笑むと、構えようとしていたベースを下ろし、身を引いた。
 律花は、ムーンマーガレットは、弦に触れる。一度も出せなかった音撃。どうしてとずっと考えてきたが、答えがどうしても出なかった。けれど、今なら出せる気がした。
 私はムーンマーガレットであり、白部律花だ。彼が全てを受け止めようとしたように、私もまた私自身をちゃんと受け入れてあげなくちゃいけない。
 好戦的なムーンマーガレットも。
 優秀な白部律花も。
 受け入れて、一歩前に進みたい。
 手にしたピックで六本の弦を垂直に鳴らす。
 クランチサウンドのパワーコードが鳴り響き、その音撃は奏汰目掛けて飛んで行く。
 奏汰はマスクを外した。
 隠した素顔を曝け出した奏汰の表情は、とても穏やかなものだった。




 ブッキング結果。

・週末のロストマン○

・デッド・オブ・ナイト●

       

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