Neetel Inside ニートノベル
表紙

週末のロストマン
第二話「ムーンマーガレット」

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 白部律花―しらべ りつか―にとって、他人から賛美を得るのはゲームのようなものだった。
 成績を上位に配置し、校内で特に中枢の役職を手に入れ、そして趣味は多彩で、誰とでも好意的な会話を行えるように備える。そして何より他人を立てる事が得意であるべきだと彼女は思っていた。
 トップに立つよりもナンバーツーの方が動きやすくて、反発も少ない。出る杭は打たれるなんて言葉もあるくらい、人というものは頂点に立つものを引きずり落としたがる。人類みな平等とはよく言ったものである。
 ただ、そうして作った「敵の居ない世界」を維持するには、些か体力が必要だった。自分の中で生じた感情を抑えているうちに、まるで時限爆弾でも抱えて日々を過ごしているように律花は思えてきたのだった。
「リツカは本当に良い子だよね。嫌いっていう子いないんじゃない?」
「皆にも好かれて、成績も優秀とか……リア充ってアンタの為にある言葉よね」
「ずっと前からリツカさんの事が好きで……。清楚で、誰からも好かれてて、俺、ずっと憧れてたんです」
「白部はよく出来た生徒だ。この調子なら推薦も大丈夫だろう。これからも気を抜かずがんばれよ」
 思い通りの言葉が手に入るほど、心の中が摩耗していくのを感じた。自分が自分じゃ無くなっているような感覚。白部律花という個人が透過して消えていく。皆の中にいるけど、皆の中にいない。私は本当に皆に好かれているのだろうか。本当に優秀なのだろうか。模範的な生徒であることに固執した結果、律花にとって学校生活は最早ゲームと化した。
 そんな現実味の無い世界で苦痛を感じながら過ごしていた時、律花は新しい世界と出会ったのだった。

 楽器で黒い人型をただひたすらに殴り飛ばす世界は、律花をすぐに惹き込んだ。

 他にも大勢いるプレイヤーと戦う時もあった。負ける事も少なくは無い。
 だがこの世界は嫌いではなかった。むしろ、学校で失いつつあった白部律花という個人とまた会えた気がして、彼女はとても嬉しかった。
――ここではいい子ぶる必要が無い。成績優秀である必要も無い。誰かの風評に怯えることも、親の言いなりになることも、大衆に好かれる白部律花である必要が無いのだ。
 いつしか律花はその世界で有名になっていった。
 深く帽子を被ったボーイッシュな少女の、少女とはとても思えない戦績と、必ず月を背に飛んでやって来る姿。手に持った血のように紅いSGと、トドメを刺される前に唯一見ることの出来る彼女の素顔。
 この世界で律花は、いつの間にか「ムーンマーガレット」と呼ばれるようになった。律花自身がそれを気に入っているかと言えば、正直な所微妙だったが、自分が認められていくのが嬉しいのも事実だった。
 だからその日も、いつも通り律花はムーンマーガレットとして豪快に活躍して、脚光を浴びて帰るつもりだった。
 ただのベースを持った男をプレイヤーと間違えるまでは……。

   ・

――昨夜の出来事が無くなれば良いのに。
 胸の中にそんな思いを秘めたまま、律花は作り笑いを浮かべていた。
 目の前に座る男性に対して初めに抱いた印象は、パッとしない平凡そうな優男というものだった。本来なら見向きもしないそんな男と何故共に、それも駅前のファミレスにいるかと言えば、彼女の勘違いで盛大に彼のベースを叩き壊してしまった事が原因だった。
 ウェイトレスが料理を持ってくるが、やけに沈黙が続く男女の扱いにどうにも困っているようで、ちらりちらりと二人を見て小声でハンバーグとライス、グラタンになりますと言うとテーブルに置いてそそくさと言ってしまった。
 律花は無言で彼の前に置かれたハンバーグとライスを自分の元に確保すると、彼にグラタンを送った。鳴海は無言でそれを受け取ると、スプーンを手にとって黙々と食べ始める。
 傍らにはギグバッグがあるが、丁度真ん中の辺りで不自然に折れ曲がっていて、それが更に律花の罪悪感を深めた。
「……あの、私が奢りますから。男性ですしそれでは物足りないでしょう?」
 沈黙に耐えかねて律花がそう言うと、彼は一瞬だけこちらを見つめ、それから再びグラタンを口に運ぶ作業に戻った。ほとんど機械的な勢いで食べていく姿を見て、律花はどうにもいかない状況に苛立ち初めていた。
「普通に人が迷い込んでくるのは良くあることだから、何時もなら適当に逃すんですけど、まさか本物の楽器を持って迷いこんでくる人がいるなんて思ってなかったから……だから……」
「だから問答無用で殺しに掛かった……と?」彼はやっと口を開いた。
「プレイヤー同士なら何か対応してくるだろうし……それで……」
 鳴海は小さく溜息をつくと、スプーンを置いた。
「あの場所は、何なの?」
「場所、ですか?」
「そう、俺が迷い込んだあの場所だよ」
「知りたいんですか?」
「ああ知りたいね。どうして襲われたのかもそうだし、どうして自分があんな所に迷い込んだのかも気になる。あと白部律花さん、だっけ? 白部さんが一体あそこで何をしていたのか、何故ギターを振り回していたのかも気になるね。あとはーー」
 鳴海は人差し指で二回テーブルを叩き、その指先を彼女の胸元に向けた。
「昨日の夜とは随分と服装が違うのも気になるね」
 律花は自分の胸元に目を遣る。モスグリーンに白いラインの入ったセーラー服に、飾り気の無いセミロングの黒髪。プリーツの整ったスカートから覗く足はひざ下までグッと白いソックスが引き上げられ、よく磨かれたローファが光を受けて艶やかに燦めいている。
 再び彼女の顔に視線を戻す。赤く縁取られた眼鏡だってそうだ。あの時は掛けていなかったはずだ。
 全身を隈なく観察する鳴海に、律花は少し不愉快そうに目を細めると、自分の胸元を抱き留めるように両手で隠す。細くて白い手先が糊のきいた制服をくしゃりと歪める。
「……見ないでください」
「そんな痴漢でも見るような目を向けないでくれよ。俺は、ただ、こんな子があの夜俺を助けてくれたとはとても思えなくてさ」
「助けた?」律花はきょとんとする。
「だって君が来てくれなかったら、俺は今頃あの化け物達に……」
 目の前の少女は暫くじっと鳴海を見つめる。その瞳に敵意はまるで無くて、あの日見た獰猛さは見られない。そう、彼が見惚れた彼女とはどうしても思えないのだ。

「あ」

 暫く続いた無言は、彼女のたった一言で破られた。
「そうですよね、私が助けたんですよね! そう、危なかったんですよ! 私があの群衆に飛び込んでなかったら今頃――」
「そうだよな、俺も獲物だと思ってたんだもんな」
 ぐ、と言葉を詰まらせる彼女を見て、鳴海は深く溜息をついた。
「大漁の獲物がいる! ラッキー……なんて思いでやってきて、ついでに見たら楽器持ってる奴がいる。ついでに手応えありそうな敵まで出てきたからついでにやってやろう、と」
 ちらりと彼女の方を見ると、彼女は目を伏せて下唇をぎゅっと噛み締めていた。何も言い返せない、という悔しそうな表情を見て、鳴海はもう一度深く嘆息し、気分を変えようと水を口にする。
「まあいいさ、それは置いておくとしよう」
「水に流してくれるんですか?」
「楽器の弁償はちゃんとしてもらうけどな」
「……ケチ」
「ケチじゃない! 命を助けて貰えたところまでならありがとうで済んだんだ! 化け物に囲われてる時点でおかしいことに気づいても良かっただろう!」
「元はといえば貴方が……」
 律花の言葉が止まる。鳴海の言葉を切っ掛けに徹底抗戦に出ようと意気込んだ瞬間に突然彼女は表情を青くし、それから身なりを整えて椅子に座ると両手を膝に載せた。その姿を鳴海が不審がっていると、後ろの席から彼女の名前が聞こえてきた。
「こんにちは、白部さん」
 同じモスグリーンの制服に身を固めた少女達が次々にやってくると、席で縮こまる彼女に声をかけ始める。
 律花は眼鏡を両手で丁寧に直すと、首を傾いでにっこりと微笑み、そして先刻よりも二つ三つ高く可愛らしい声で、言った。
「あら、皆さんお揃いなのですね」
 鳴海の背筋に悪寒が走った。これが果たして昨夜自分の周辺を取り囲んでいた化け物をなぎ払い、打ち倒し、獰猛な笑みと共に暴れ回っていた少女なのだろうか。混在するイメージを纏め上げようとするがどうにも枠に収まりきらない。
「白部さん、この方は?」
 顔を顰め眉根を寄せている鳴海を一瞥してから、少女の一人がそう律花に囁く。律花はああ、と言葉を濁しながら鳴海に向けて目を細めると、髪に手をやり軽く梳かす。
「先日私の財布を拾ってくださった方でして、そのお礼がしたいと今日お呼びさせて戴いたんです。ほら、色々と大切な物が入ってるから、お食事位はと思って」
「お財布、ですか。それは困りますね」
「ええ、それでこの方に何かお礼を、と言ったところ、そんな大した事はしていないからと一度は遠慮されたのですが、それではこちらの気も済まない、と目についたここでお食事を……」
「白部さんがこんな所に珍しいと思っていましたが、成程そういった理由だったのですね。こういった場所に入るとご両親が五月蠅いと言ってましたからおや、とは思っていたんです」
「この件に関してはお父様やお母様にも伝えてありますし、皆さんがご心配なさる必要はありませんよ。でも、心配してくれてとても嬉しいです」
 全く流暢に嘘が出てくるものだ。鳴海が目を細めていると、その視線に気がついたのか、律花は少女たちの一瞬の隙をついて鋭い眼差しをこちらに見せ、それから再び笑みを浮かべる。
――口裏を合わせろ。
 成程彼女が裏表ある理由はどうやらそこにあるらしい。鳴海は無言のまま頷くと、生温い作り笑いを浮かべながら女子生徒達が過ぎ去るのをやり過ごすのに協力することにした。
 殺されては敵わない。


「それで、本題に入っても良いかな」
 即興で優等生を演じたのが随分疲れたのか、先程よりも律花の表情は窶れて見えた。相当な負担が掛かる事を毎日やっているのだとすれば、夜にあんな獰猛になることになんとなく納得もできた。
「本題?」
 机に突っ伏していた彼女はそう反芻した。どうやら言い返す気力も起こらないらしい。
「あの世界のことさ」
「あの世界って……【モッシュピット】の事?」
「モッシュピット?」随分と荒々しい名称だと鳴海は驚く。
「私も詳細は知らないけど、毎週金曜日の七時を過ぎると、あの空間が生まれるの。誰が付けたのか、意味も分からないけど、あの場所を知ってる人は皆【モッシュピット】って呼んでる」
「週に一度だけ?」
「月に四回だけランダムに発生して、零時になると消えていく。そのモッシュピットが生まれた空間は、どうやら別世界になっているみたい」
「元々そこにいた人は?」鳴海の問いに律花は首を振る。
「いない。本当にそっくりな別空間が生まれて、そこに特定の人間を引きずり込んでいるみたい」
「特定の人? 何か入る条件があるのか?」
 律花は頷くと、一呼吸置いてから、口を開く。
「怒り、悲しみ、不満とか、ネガティブな感情を強く抱く人は迷い込みやすいって聞いたわ」
 ネガティブ、か。鳴海は昨夜を思い出す。確かにあの日自分はネガティブな感情を抱いていたのかもしれない。自分自身の中に沈殿していた不安や不満で頭が一杯だった。
「その顔を見る限り、迷い込んだ理由に思い当たる節はあるみたいね」
「さっきから律花ちゃん、キャラがブレ過ぎじゃ……」言い終える前に彼女はテーブルに両手を叩きつける。顔が真っ赤だ。耳まで茹で蛸のようになっている。
「ちゃん付けしないでください! あとキャラも別に関係ないじゃないですか!」
「じゃあ白部さんで、御機嫌よう」
「律花で良いです! もう呼び捨てで統一してください!」
 一通り叫び終えて落ち着いたのか、彼女はグラスを手に取るとドリンクサーバーに向かう。
「飲んで大丈夫なの?」
「別に一から十まで親の言いなりになってるわけじゃ無いですから」
 そう言って、律花はグラスをぎゅっと握りしめる。
「……あの人達には、あの人達の望む私を見せていれば良いんです」
 小さくそう呟くと、ドリンクサーバーに彼女は向かう。鳴海は暫くその寂しげな後ろ姿を見ていたが、やがて居心地が悪くなると自分もグラスを手に取り、ドリンクサーバーの元へと向かう。
「それで、あの化け物の存在理由とかは分かってるの?」
 隣で氷を入れている鳴海を一瞥してから、律花は目を細めた。
「あれはオーディエンスって言うそうです。なんていうか、人のネガティブな感情に強く惹かれるらしいです」
「そっちの発生源もネガティブな感情、なのか」
「世の中で我慢してる人って沢山いるし、それを十分に発散できている人なんてごく少数に満たないじゃないですか。私個人の観点ではありますけど……。多分、そんなマイナスが形になったのがモッシュピットで、オーディエンスなんじゃないかと私は考えています」
「つまり無くすには人々の抱くマイナスを解消しなくてはいけない、と」
「そんなの無理でしょう? あと、私達がオーディエンスを解消していかないとどうやら発生箇所も増えるみたいなんです。これは私よりも長くあの場所を知っている人から聞いた話なんですけどね」
「増える?」ドリンクを入れ終えた二人は共に席に戻っていく。
「私達……プレイヤーって言うんですけど、一度大きなやり合いになってプレイヤーの数が相当減ったそうなんです。それで各所で発生していたモッシュピットの処理が追いつかなくなった結果、一度爆発的に増えた事があったらしくて……」
「ちなみに、迷い込んだ奴はどうなるんだ?」
「発狂します」
 その言葉に、鳴海は足を止めた。ニ、三歩歩いてから、律花も足を止め、振り返る。
「あの場でオーディエンスに捉えられても命はあります。ただ、人の形を成すまでに凝り固まったネガティブな感情を受けて、平気で居られる人はそうそういません。それは鬱であったり躁状態であったり……。あるいは粗暴な性格になったり、真逆の性格になったり……。他者から見れば化けてしまうんですよ。少なくともそれまでの人では無くなってしまう」
「自分が自分でいられなくなる、ってことか……」
 もしあの日捉えられていたら、あの手が届いていたなら、今自分はどうなっていたのだろうか。そう考えると、鳴海はあまりいい気分はしなかった。本当に彼女に命を救われていたという事が実感できる。
「だから、私達のやっていることは世界のリフレッシュみたいなものです。凝り固まったマイナスを吹き飛ばして、出来る限り現実に出さないようにする。私達は私達でちょっとした週末のゲームが出来る。プレイヤーもオーディエンスも、意外とうまく関係が成り立っているんです」
 そう言って微笑む彼女に、鳴海は複雑な顔を浮かべることしか出来なかった。
 再び向かい合うように席につくと、律花は入れてきたメロンソーダをストローで啜って、美味しそうに表情を和らげる。この姿だけ見ていれば普通の女子高生なのだが……。鳴海も同じようにコーラに口をつける。
「それで、君達プレイヤーの出現理由は?」
「貴方みたいな迷い込んだ人の成れの果てみたいなものです」
 ストローを指で弄びながら律花は言った。それくらいしか無いじゃないですか、と。
「大きなマイナスを抱えているからこそ、それを発散したいと考える人は多いですから。私だって、似たような感情があるし、だからこそあの場所では開放的になっているんです。だから、多分貴方、鳴海さんももしかしたら素質はあるのかもしれませんよ?」
 グラスからストローを抜き取ると、律花はそれを鳴海に向けた。先から零れ落ちた雫がメロンソーダーの表面に波紋を作ると、底に張り付いていた気泡達が一斉に湧き上がり、音を立てて外に飛び出していく。
「それが、あのギブソンSGなのか」
「SGってあのギターの事ですか?」
 鳴海が頷くと、律花は首を小さく傾げる。
「私はギターをやったことがありませんからよく分からないけど、なんとなくあの形や色は気に入っているんです。あの場所では必ず一人楽器が武器として出現するそうですけど、私は当たりだったのかもな、なんて」
「楽器に限られているのか?」
「ええ、中でもギターは多いですけど、色んな楽器があるみたいですよ」
 だから名称に音楽に関連したものが多いのか。鳴海は納得する。どこぞのバンドマンが勝手に付けた横文字がいつの間にか流行ったのだろう。
「その、プレイヤーになればあの場所で戦えるのか?」
「戦えますよ。週末の五時間だけですが」
「ちなみに、プレイヤー同士の戦闘は多いのか? 怪我はしないのか?」
「どこまでも入念な方ですね。鳴海さんは。私なんてここまでの大半を知らずにやってましたよ」
「慎重な性格なんだ」鳴海の返答に律花は溜息をつく。
「あの世界で人は傷付きません」ただ、と律花は言葉を続ける。「楽器を出すには体力と気を確かに持っている必要があるんです。攻撃を受ければ疲労感が溜まる、疲労感が溜まれば気力がブレる。集中力も無くなる。すると楽器は消えます。そうなったら負けです」
「命の危険は無いのか」
「その分負けた後の疲労感は酷いですけどね。状況に依っては丸々二日寝てしまうことだってあります。あとは、一週間は武器の具現も出来なくなる。つまり数少ないモッシュピットに行けるチャンスを逃すことにもなる」
「【ゲーム】として考えれば、相応のリスクは十分にある、と」
 鳴海の言葉に律花はその通り、と微笑みを浮かべた。
「気になるようでしたら来週来てみます? 楽器壊したこともありますし、実際にモッシュピットで見せてあげますよ」
 その時の微笑みは、まさに昨夜の獲物を求めるような、獰猛さを持ち合わせたものだった。鳴海は生唾を飲み込むと、小さく頷いてみせた。

       

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