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学者が助走をつけて殴るレベルの「古事記」
豆知識‐その23 ←新しい夏。更新の夏

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豆知識その二十四「誓約は現代でも衰退してはいなかった?」

 スサノオとアマテラスの件といい、天之波波矢の件といい、とにもかくにも神様達は、話し合いに折り合いがつかなかった時は誓約に頼る傾向にあります。
 しかし、これは別におかしい行為だとは思いません。ぶっちゃけこの誓約、現代にも残っています。それが何かというと、勘のいい読者の方ならば既に察している事かと。
 この誓約、現代では「じゃんけん」という形に変わって受け継がれているんですね。勿論、じゃんけんというもののルールが考え出されたのはずっとずっと後の事でしょうが、根本的な概念は誓約のそれです。
 じゃんけんの結果って、何故か物凄く納得感ないですか? そこには特に道理や証拠もないのに、何故かじゃんけんで結果が出た時、多少納得が行かなくても従いますよね。しかも割と早い段階で「じゃあじゃんけんで決めようぜ!」ってなりません?
 神様の誓約とは、これのスケールが大きくなったバーションですね。我々のやるじゃんけんが、命一つに直結するイメージです。流石に現代人ともなるとこれはありませんが、神様の世界では、これがまかり通っていたわけです。
 筆者自身そう思っているし、読者の方々の中にもうっすらと感じている方もいらっしゃるかと思うのですが、日本神話の中での「命」って、物凄く軽いものとして扱われている感があるんですよね。初登場の神様がいきなり死んだりしますし、凄く力を持つ有名な神様の死にざまが描かれていなかったりと、結構命が軽く扱われています。
 しかし、これは仕方のない事だと思います。我々は命に限りがあるからこそ命を尊ぶわけで、ニニギが余計な事をするまでは、神様って何かがない限りは悠久の命が約束されていたわけですよ。ですから、命なんてものは腐るほどあった。仮に命を失ったとしても結構簡単に生き返る事が出来る。だから別にそれほど大事ではなかった、と。
 ですから、命程度ならば、じゃんけん的な誓約で決めても特に問題はなかったわけなんですね。現代では絶対に考えられない事です。

 というわけで、これにてニニギ編は終了します。最初から最後まで下衆でしたね。幾らなんでもこれではあんまりなので、近いうちにニニギに関する文献を漁ってみようと思います。
 さて、次回から、今回サクヤビメが焔の中で産み落とした双子の弟の方である山幸彦が主人公となります。
 うーん……こうして書いてみると、古事記ってロマサガ2みたいな感じなんですね。世代を超えて語られる物語、みたいなね。

 余談なのですが、筆者自身、こうして書く事で初めて疑問に思う事や学べる事が沢山あります。質問コーナーなんかはその典型的な例です。あれぶっちゃけ、質問されてから「あれ? そういえば?」と疑問に思って調べてるのも何個かあるわけですよ。何もかんも最初から筆者が知っているわけじゃないわけですね。そこまで沢山の情報があれば、こんな感じの書き方をせずにもっと精密かつわかりやすく書いてますからねぇ。
……あっ、誤解なきよう追記しますが、「質問するな」って言ってるわけじゃないです。依然変わらず質問大歓迎です。実際質問されてから調べるのって楽しいんですよねぇ。そこで質問内容とは全然違うけど知らなかった事が新たに発覚して「そうだったのか!」ってなるのが楽しいんですよこれが。

       

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