Neetel Inside ニートノベル
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第十三話

 モニタに辿り着くまで、何度転んだだろうか。体中が痛い。半袖のシャツからのぞく腕は痣だらけになっている。
 俺は、画面は見ないように気を付けながらモニタを観察した。先程は気付かなかったが、このモニタ、どうも周りの設備とは浮いて見える。何というか、後から簡易的に取り付けたような感じなのだ。注意書きも、簡単にシールを貼り付けただけである。
 ……まあ良い。それより、どれが何のスイッチなのか調べなくては。

 ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ……

 背後の壁の向こうから、微かながらも『イチナナサン』の発するあの嫌な音が聞こえている。
 説明書きを見るが、いまいち、よくわからない。『ON・OFF』とか『IN・OUT』とか簡単に書いてくれれば良いのに、説明は小さな文字でだらだらと書かれている。
(くそっ)
 焦りから、思わずモニタを叩こうと腕を振り上げた。そのせいで体のバランスを失い、俺は慌てて壁に手をつく。良かった、スイッチは押してしまわなかったようだ。
 しかし──、
(しまった……)
 モニタの画面が、視界に入ってしまった。
 そこには……、部屋の中、ひとり座り込む男の姿があった。やせ形で、やたらと手足が長い。服は着ておらず、全裸だ。何だか、苦しそうな表情をしている。
 眼を逸らせないまま見続けていると、男がまるで恥ずかしがってでもいるように、両手で顔を隠した。
 そして──、

 いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

 分厚い鉄板の壁越しにも伝わる程の、鼓膜を引き裂かんばかりの絶叫。獣のような咆吼では無い。明らかに人間の声だ。

 ガンガンガンガンガンガンガンガガンガンガンガンガンガンガガンガンガンガガガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガガガンガンガガガガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガガガンガンガンガンガガガガガンガンガン

 叫び声に続いて聞こえてきたのは、壁を殴打する音と、振動。俺は思わずその場に尻餅をついた。

 いいいいいいいあああああああああああああああああああああああああうううううううううううううあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 やばい。
 やばいやばいやばい。
 俺の勘は正しかったんだ。やっぱりモニタを見たらいけなかったんだ。
 ちくしょうちくしょうちくしょう!
 やばいやばい、どうする。
 どうする!
 絶叫も、壁を叩く音も未だ続いている。その音があまりにうるさくて『イチナナサン』の音は聞こえないが、いなくなった保障は無い。
 廊下には『イチナナサン』。部屋の向こうには『ゼロキュウロク』。『ゼロキュウロク』ってどんなやつだった? ネットで見たはずだが、これっぽっちも思い出せない。
 ああああ、だめだ。立てない。
 腰が抜けている。
 封印された扉の方を見る。少し、変形し始めているように見える。
「う……うああああああああああああああああああ!」
 全ての力を振り絞るように叫び、俺は動かない体を無理矢理起こした。激痛が体を走るが、それどころでは無い。
 一気に立ち上がると、入って来た扉の方へ走る。外には『イチナナサン』がいるかも知れないが、ここは一か八か、博士の言葉を信じるしか無い。
「ちくしょおおおおおおおおおおお!」
 扉の鍵を開け、一気に押し開ける。
 すると、目の前に──、
(『イチナナサン』!)
 しかし、ヤツは微動だにせずこちらを見ている。
 考えている暇は無い。
 俺は廊下へ飛び出した。
 そして『イチナナサン』を背にして、走り出す!
(……大丈夫、なのか。生きてる、よな、俺)
 叫んだまま、俺は必死に走る。『イチナナサン』は追ってきていないようだ。
 これでもう『イチナナサン』は怖く無い。博士が言っていた事は本当だったのだ。

 ガンガンガンガンガンガンガンガガンガンガンガンガンガンガガンガンガン……

 遠くから『ゼロキュウロク』が壁を叩く音が聞こえる。あの扉は、あとどれくらいもつのだろうか。壁を破ったら、その後、ヤツはどうするのか。俺を追ってくるのだろうか。そして、もし追いつかれたら? 俺を、どうするつもりなんだ?
 ヒューヒューと喉が鳴る。もう、痛みも何も感じない。
 どれくらい走った?
 どれくらいヤツから離れられた?
 こうなったらもう、怖いのは『ゼロキュウロク』だけだ。
 ここまで何度も角を曲がったが、基本的には一本道だった。ヤツが反対方向へ行かない限り、あっという間に追いつかれてしまうだろう。ヤツの走るスピードが、異常に遅ければ良いが……。
「う、わ……」
 目の前に突然何かが現れ、俺は思わず前のめりに倒れた。突然現れ、今俺の体の下にあるものは……。
「は……ははは」
 それは『イチナナサン』だった。
「邪魔じゃねえかこの野郎!」
 俺は力の入らない震える拳で『イチナナサン』の顔面を叩いた。
「お前なんかもう怖く無いんだよ!」
 もう、何度もまばたきしている。しかし、俺は生きている。
「何だよ、畜生! 殺してみろよ、おら!」
 何度も、何度も殴る。ヤツの顔に血がつく。俺の拳が、割れたのか。
「みんなをやったみたいに殺してみろよ!」
 ヤツは、ただじっとこちらを見つめている。
「畜生……、何でなんだよ……。何で俺を殺さねえんだよ!」

 いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああうああああうあうあううううううううああああああああ……

 その時、廊下のずっと向こうから『ゼロキュウロク』の咆吼が聞こえた。壁を叩く音はまだ聞こえている。しかし、気のせいか声が大きくなってきたような……。
「畜生!」
 もう一度『イチナナサン』を殴ると、俺は感覚の無くなった足を気力だけで支え、全速力で走り出す。
 くそっ、何て走りにくい廊下なんだ。
 このまま逃げて、どうする?
 もしこの先が行き止まりだったら?
 逃げ込む部屋は見つかるのか?
 でも、その部屋だって……。
「──っ、てめぇ、どけよ!」
 再び『イチナナサン』が目の前に現れた。狭い廊下だ、横を通る余裕は無い。俺は『イチナナサン』に体当たりをした。もう、怖く無い。
 ガクガクと震える足を叩いて、叩いて、俺は下敷きにした『イチナナサン』を無視して再び走り出す。
「くそっ、お前なんかなあ、怖くねえんだよバカ野郎!」
 叫んで、走る。
 視界が、霞んできた。
 もう、限界だ。
 もう……。
 俺は、糸の切れた人形のように、その場に倒れた。

 いいいいいいいいいいいああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああうわあああああああああああああああああああわあああああああああああああああああうわああああ……

 叫び声が聞こえる。
 扉を叩く音は、どうだ?
 だめだ、こんなところで倒れていちゃ。
 立たなくちゃ。
 逃げなくちゃ。
 みんなの分も……、生きるんだ。

 しかし、顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは、

(いき……どまり……)

 無慈悲な、白い壁だった。

       

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