第二十一話
「ユキオです」
少しだけ緊張しながら、俺はトニーの部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
「失礼します」
ゆっくりとノブを回し、部屋に入る。
トニーの表情が気になったが──、無表情だ。
手で促され、机を挟んで向かいに座る。
「……漸くですね」
我慢出来ずに、トニーが口を開くより先に言った。
この一年。俺は財団の指示で、様々なSCPとの接触や対話を試みてきた。対象は未分類のものから、それこそネットで見た事のあるような『有名な』ものまであった。幾つかは有益な結果を得られたが、ほとんどは全くの徒労に終わった(周りの職員の話によれば、これでも収穫は多い方だという)。
具体的にどんな事をしたかというと、あるSCP(これは未分類のものだった)の時は、単純に素手で触ってみるよう指示をされた(俺で『実験』する前に、生命を脅かすような危険が無いか、Dクラス職員でテスト済みと聞かされた)。結果としては無反応。しかし──詳細は教えてくれなかったが──Dクラス職員が触った際には反応があったそうだ。つまり、このSCPは俺の体質──頭の中にある金属の影響で反応が抑えられるという事がわかった。
他にも人間の姿をしたSCPと対話させられた事もあった。その時は特別な結果は得られなかったのだが、なかなか貴重な体験だった。
俺は仕事をしながら、ずっと『イチナナサン』との接触実験を許可してもらうよう要求し続けた。しかし財団が貴重な『モルモット』である俺を簡単に死の危険に曝す様な事をするわけも無く、要求は却下された。それでも俺が何度も訴え続けたのは──、上手くは言えないが、それがアイデンティティの確立には絶対に必要と思ったからだ。
財団は俺が本当に『イチナナサン』の攻撃対象にならないのか疑っている。それは職員達──特に博士達の言動の端々から見てとれた。俺がギデオン博士の送り込んだスパイだと考える人間も少なからずいるようだ。そんな風に思われるのは、俺には耐え難い。博士は──ギデオン博士は、俺の家族や友人達の仇なのだから。
昨日、『実験』を終えた俺にトニーが声をかけた。
「明日の十三時に私の部屋へ来て下さい」
それを聞いた瞬間、俺はピンときた。ついに、許可が下りたのだと。
「……一昨日、財団がユキオさんの申し出に対して、許可をしました。明日の十四時に隔離棟にて、ユキオさんには『173』と直接の接触を試みていただきます」
「はい」
俺はトニーを真っ直ぐに見据えて答えた。トニーもいつものように顎を撫でながら、俺を真っ直ぐに見ている。
「これは大変危険な実験ではありますが──」
「わかっています。しかし──」
「大丈夫です、ユキオさん。私はユキオさんを信じています。私が心配しているのは……、心配しているのはそこでは無いのです」
「……?」
トニーが小さく咳払いをした。何か、言いにくい事なのだろうか。
「……この一年。ユキオさんは色々な実験に率先して参加して下さいました。その結果、財団は非常に有益な情報を沢山得る事が出来ました。ありがとうございます」
「いえ……」
「しかし……、中には多少危険な実験も含まれましたが、命の危険があるようなものは無かったかと思います」
「そう、ですね」
何が言いたいのだろう。
「今回の実験は、非常に危険な実験です。最悪死ぬ危険性もある実験です」
「大丈夫ですよ」
「はい。わかっています。問題は、財団がそういった死の危険を伴う実験を許可したという事なのです」
「つまり……?」
「つまり……、そうですね……。厳しい言い方をすれば、財団がユキオさんが最悪死んでも問題無い、と判断したという事になります」
「……そんな、まだたった一年ですよ? まだまだ調べて無いSCPだって──」
「もちろんです。もちろん今回の許可が『処分』を意味しているとは思いません。しかし、ユキオさんも気付いているとは思いますが、職員の中にはあなたをギデオン博士のスパイだと考えているものもいます」
「……」
「例え今回の実験の結果、あなたが無事だったとしても、それが即ちスパイで無い事の証明になるわけではありませんが──」
「無事ならまだまだ生かす価値があるとわかるし、死んでしまったなら『怪しい奴が処分出来た』という事で良し、と?」
「あくまでも私の推測ですが……」
そう言ってトニーは黙った。
そこまでは……、正直考えていなかった。
今回の実験が成功に終わるのは確実だが、その結果、俺の評価はいったいどうなるのだろうか?
余計に疑いが強まるという事は無いだろうか?
実験が成功すれば、俺の言っている事が真実だと単純に証明出来ると考えていたが、現実はそう甘く無いらしい。
「──それでも、ありがとうございます。俺、嬉しいですよ」
「……そう言っていただけると助かります。では、明日のブリーフィングを始めます」
トニーが机の上のファイルを開く。
表紙には『SCP―173』の文字。
表紙を捲ると、そこには忘れもしない『ヤツ』の写真があった。
明日、ついに『イチナナサン』に会える。
会ったら、一発ぶん殴ってやろうか。
スパイで無い事のアピールにもなるかも知れない。
俺は思わず笑いそうになるのを堪えながら、トニーの話に耳を傾けた。
***
俺は分厚い、無機質な扉を前に深く息を吸った。
この扉の向こうに『イチナナサン』がいる。
「準備はよろしいですか? よろしければ、カウントを開始します」
耳に入れたイヤホンから聞き慣れたスタッフの声がする。
準備は出来てるかって?
当然出来てるさ。
でもその準備は俺がしたんじゃない。
誰かが──おそらくはギデオン博士が──勝手にやったんだ。
頭の中にふと『復讐』という言葉が浮かんだ。
復讐?
今まで不思議と考えた事が無かった。
俺から全てを奪った相手に復讐する。
考えてみれば当たり前の思考じゃ無いか。
でも、どうやって?
……いや、やめよう。こんな事、今考える事じゃない。
気を紛らわすように、ぐるりと周りを見渡す。
地下格納庫の様な部屋。
銃を構えた職員はいないが、中二階の回廊があって……。
そして、この分厚い扉。
ああ、いつだったか、ゲームで見たのと同じ景色だ。
あの時は……、そう俺の部屋で、ユタカがPCに向かっていて……。
涙腺が、つんと痛む。
「準備はよろしいですか?」
イヤホンから再度確認の声が聞こえる。
いけない、感傷的になっている場合では無い。
「OK」
俺の返事を合図にカウントが始まる。
「カウントが終わったら、扉が開ききるまで決してまばたきをしないようお願いします」
わかってるさ。
──、
3、
2、
1……。
カウントが終わり、扉が小さく軋みながら上に開いていく。
ゲームで見た時より、恐怖は感じなかった。
そう、大丈夫。
俺は大丈夫だってわかっている。
ヤツの姿が、足下から少しずつ顕わになっていく。
広い部屋の左手の隅。
これもゲームと一緒じゃ無いか。
何だか、現実味が失せていく。
だけど、これはゲームじゃ無い。
現実なんだ。
扉が完全に開いた。
俺はしっかりとヤツの姿を確認してから、ゆっくりと、目蓋を閉じた。