Neetel Inside ニートノベル
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     ○

 鮮やかに息づいている、廃墟の街の片隅。
 赤煉瓦で建てられた倉庫の中に、二人は居た。
「……明穂。それはいくらなんでも詰め込み過ぎじゃないかな」
「なーに言ってんの武藤」
 暗がりの中、明穂はリュックにこれでもかというほど缶詰を蓄えながら微笑む。
「私たちは生きるために旅をしているのよ。そのために食料は不可欠でしょうが。それに、ウタも食料品は自由に取っていい、って言ってたでしょ?」
「うん、まあ、そりゃそうなんだけど」
「だったら、形振り構っている場合じゃないわ」
 両手に持った缶詰を交互に見て選別し、また一つリュックに入れる。
「貪欲に生きることが大事。他でもない武藤が言っていた事よ」
「ああ……」
 肯定も否定もせず、武藤は生返事で答える。
『僕はただここで歌い続けているだけ。それ以外には何もしてないよ』
 彼――ウタの言うことが気になっていたのだ。
 あの後武藤は明穂が休憩している間、ウタにこの街のことについて質問を繰り返していた。
 なぜこの街は繭化が進んでいないのか。なぜこの街にはウタ以外誰もいないのか。もしかして繭化に対抗する方法を知っているのか。ウタが温厚で、話の通じる相手だと判断した瞬間、武藤の、詰問にも近い疑問の嵐がウタに襲いかかった。
 だがウタは全く動じず、色んな言葉を並べながら、決まって最後にこう付け加えた。
『僕はただここで歌い続けているだけ。それ以外には何もしてないよ』
 間違いなく、『武藤理論の破綻』だった。
「……納得、いかないんだよなあ」
 明穂と距離を置き、星空を見上げながら呟く。
 ただ歌を歌っているだけで、繭化が防げる。そんな話は当然聞いたことがなかった。武藤のいた街にも弾き語りをする人はちらほらといたが、その誰もが繭となったのを武藤は見てきた。だからウタの行動だけで繭化が防げるとは思えなかった。
 武藤が繭化した者たちを見届け、<葬儀師>として生きてきた結果の理論。
 それが真っ向から否定されるとなると、武藤はやりきれない思いになった。
 自分の考えが間違っていたとすれば、今まで出会った人々には間違った理論を、繭化への対策を伝えていたという事になる。それはつまり武藤の旅の目的が達成できていないことを表していて、武藤は「旅を辞めようか」とも考えた。
 繭化への抗い方を教え、繭化を防ぐ。大義名分ではない。それが武藤が旅をする理由なのだ。
 それが適わないのであれば、旅をする目的などどこにもない。
 あーあと溜め息を吐き、武藤は煉瓦の壁を背に地面に座る。ひんやりとした感触が服越しに伝わる。
「珍しくショボくれてるわね、武藤」
 どうしようもなく絶望して、やる気をなくして寝っ転がる。
 偶にそんな状態に陥る武藤を堰き止めるのが、明穂の役目だった。
「ショボくれるもシャバくれるもないよ。今の今まで正しいと思ってたことが、あのウタによって全否定されたんだ。自暴自棄にならないほうがおかしい」
「ふーん、そんなもんなの」
 明穂みたいな能天気ガールじゃ分からないよ、と武藤は声にせず独りごちる。
「でもまあ、全てが間違っているってわけではなさそうだけどね」
 武藤の隣に座りながら、少し優しげな声で言う。
「ガレージであった彼は少なくとも理論通りだったし、ナオキとその妹さんもそうだった。だからウタみたいな例外もいるだけって話で、君の理論の大筋は間違ってないんじゃないかな、って私は思うよ。何となくだけど」
「珍しいね。明穂がそんな風に言うなんて」
「どういう意味よ、それ」
「いやあ、だって明穂と言えば鉄拳で分からせる、って感じだったからなあ」
 ああ、こんな事を言うから明穂の鉄拳制裁を喰らうんだろうな。
 武藤はすぐに後悔したが、今日の筋書きシナリオはいつもと違っていた。
「うん、そうしてやろうかと思ったけど、なんかね」
 明穂はいつもの快活さを思わせない、どこか儚げな声で言う。
「何だか、怒る気分になれないのよ。この街にいると」
「…………」
 武藤は押し黙る。吹きすさぶ風が、ひゅう、と鳴いた。
「何て言えばいいのかな。発表会の前とか、そういう時に感じるむずがゆい緊張感あるじゃない? あれに似た感じの、こう、ふわふわした感じの気分がぬいぐるみに詰め込まれた綿みたいに体中を支配している感じ。上手く説明は出来ないけど、身体の中に虫がいるような、神経をくすぐられているような」
 体育座りをする明穂の目は、どこか虚ろで。
「言い知れぬ不安感にも似た、不思議な気持ち。武藤は感じない?」
「不安感、か……」
 対する武藤は、先程までの虚無感はどこへやら、微かに活きた目をしていた。
 この目は、武藤が「推理」をしている時の目だ。
 武藤は周囲を見渡す。
 いつもの元気がない明穂。缶詰がぎゅうぎゅうに詰め込まれたリュックサック。赤い煉瓦。赤いポスト。空のごみ箱。見当たらない空っぽの缶詰。響き渡る歌声。城壁。明瞭にもかかわらず、その城壁の外からは聞こえなかった歌声。市民のいない街。それでも生きている街。ウタの行動。そもそもの違和感。
 武藤の頭の中で、そんな風にせめぎ合うパズルピース。
(待てよ、もしかして……)
 それらは、ある一つの仮定をしただけですんなり組み合わさり、結論を生み出した。
 思いつくと同時に、立ち上がる武藤。
「明穂」
 そして、明穂に向けて言う。
「リュックの中に入れた缶詰、あるだろう? あれは全部置いてってくれ」
「……またいきなり、どうして?」
 無垢に首を傾げる明穂。
「答えを聞けば、君はきっと『そんなことはありえない』と笑うだろう。だから何も言わない。何も答えない。ただ、僕の言うことに反抗してくれれば、それを見せることはできる。だけどね、明穂」
 空を見る目を細めながら、武藤。
「きっとその光景は、君が何よりも忌み嫌うもののはずだ」
「……!」
 俯きがちだった明穂の目が開かれる。
 隠し事を暴かれた、子どものように、弱々しく。
「…………もう」
 消え入りそうな声で。

「もう、あんなの嫌だよ」
「ああ。だから、今夜だけは僕の言うことを聞いてくれ」

 街に沈黙が落ちる。
 ウタの声はいつまでも、夜闇に溶けずに響いている。

       

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