Neetel Inside ニートノベル
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オピオイドの繭
四章「グッドマンズ・アフターダーク」

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「吊り橋効果、というものがあるんだ」
 武藤は変わらぬ口調でそう語る。
「男女二人が危機的状況下に置かれた時、怖くてドキドキする心理が一緒にいる相手にも働いて、好感を持ちやすいという。そう、今の僕と明穂のようにね」
「聞いたことあるわ。刑事ドラマなんかでもよくあるわね」
「それは違うような気がするけど、そういうことにしておこう」
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと脱出方法を考えるわよ」
 明穂はいつも以上に真剣な面持ちで、周囲を見渡す。
「こんな所、すぐにでも抜け出さないと居心地が悪いわ」
「ああ。空気も悪いし、良い気分じゃあない」
 二人がいるのは、廃ビルの一室。
 窓も何もない物置のような部屋に、武藤と明穂は閉じ込められていた。

 時はいくらか遡る。
「……随分と寂れた街だね」
 原付のスピードを緩めながら、武藤は呟いた。
 キュルキュルとブレーキ音が響き渡るのは、荒廃しきった街。元々は栄えていた都市のように見えるが、今はもうその殆どが真っ白な繭に覆われてしまっている。間違いなく、繭化の症状だ。
 繭の糸は必要とされなくなった物から巻きつけられていく。繭化してしまった物は、しばらくの間繭の姿を維持し続けるが、やがて完全に存在価値が消え失せると、中身は真っ白な蛾となって何処かへ飛び去って行く。
 目を凝らして仔細に観察すると、繭糸の間からはまだ、灰色のビル肌が垣間見える。
 だから、この街に起きている繭化はまだ初期段階と言えた。
「つい最近、繭化の影響で人がいなくなった街と推測できるね」
「まともな食料にありつけるかしら。そろそろコンビーフのサンドイッチも飽きてきたわ」
「君はいつも食に植えてるね、明穂。まあ、それが元気である証拠なんだけど」
 原付から降り、そのままハンドルを持って押していく武藤の隣を、明穂が歩く。
 街は静まり返っていて、二人の足音がよく響く。所々白い糸に覆われたビル群はどこか異様な雰囲気を放っていて、武藤はすぐにそれを感じ取った。
「明らかに怪しい匂いプンプンだね。恐らくまだ人が住んでいるというのに、恐ろしいほど誰も見当たらない。どこかに隠れているか、狙われているか。もしかしたら既に術中にハマっているかもしれないね」
「術中?」
 反芻する明穂に、武藤は目線で答える。
「ほら、例えばこの辺りの地面。周りの地面はコンクリートなのに、ここだけ土になっているだろう? そんな場所がさっきから幾つもある。もしかしたら、これは落とし穴かもしれない。他にもコンクリートが剥げている部分はあるけど、ここだけは綺麗に円形になっている。周りのヒビ割れ方から見ても、明らかに人為的に剥がされたと言えるだろうね」
「ふーん。まあさすがの洞察力といった所ね」
「はっはっは、いやあそれほどでも」
「で、物は相談なんだけど」
「うん、何だい明穂?」
 不意に、二人の足元から地面の感覚が消え、ドサッと深みに落とされる。
「本当に落とし穴だったみたいね」
「あちゃー、これはうっかりしてたなあ」

     ○

「全く、落とし穴に気付いていながら引っかかるなんて、どうかしてるわ」
 明穂は窓のない部屋を歩き回り、何処か抜け道がないか探っていた。
 ただ、両手はロープで縛られて自由が効かないので、何かを探すにも足を使うしかない。
「明穂。頼むから大きな音を出して壊すのはやめてね」
「うるさいわね。なりふりかまっている場合じゃないのよ」
 言いながら、倒れた本棚を蹴飛ばしていく。足技が得意である明穂は足さえ自由なら問題ない。だが内心焦っているのか、表情も行動も少々落ち着きがない。見かねた武藤は「あー明穂」と聞こえるように語りかけた。
「ひとまず少し落ち着いてくれ。脱出する方法なら僕が考えるから」
「脱出する? 拘束されている身でよくそんなことが言えるわね、武藤は」
「はは、何を言っているんだい」
 さっきまで手首を縛られ、拘束されていた武藤は。
「そんなものとっくに解いてしまったよ」
 微笑みを投げかけながら、自由になった両手をひらひらと振ってみせた。
 得意げな武藤を見て、明穂の顔はみるみる苛立ちを帯びる。
「……抜け出すコツでもあれば、ぜひともご教唆いただきたいわね」
「なに、難しいことじゃないよ。縛られるときにこっそり、紐の一部を握っておいたんだ。連中はきっちり結んでるつもりだろうけど、実際は紐に余裕があるからユルユルさ。脱出マジックの初歩テクニックだね」
「御託はいいから、私の紐も早く解いて」
「はいはい」
 シュルル、と慣れた手つきで明穂の拘束を解く。
 晴れて自由になった明穂は、んーっと一度だけ伸びをして、
「それじゃ、こんな所さっさと出るわよ。こんな扉、私の鉄山靠で……」
「ちょっと待ってくれないか、明穂」
 ぴた、と明穂は動きを止める。呼びかけた武藤は、床に散乱する本に目を通しているようだった。
「……何か知りたい情報でもあったのかしら、有識者どの」
「明穂も皮肉を言うようになったね。お世辞にも上手いとは言えないけれど」
 言う口は冗談交じりだったが、本に走らせる目は真剣そのもの。
 蹴飛ばそうとした明穂も、それに気付いて構えを解く。
「ああ、そうだ。今はいつもの乱痴気騒ぎを起こしている場合じゃない」
 こめかみには、汗が流れていた。
「僕らが幽閉されたのは、どうやらマトモな場所じゃないようだからね」
 『解体のススメ』。
 『人体解剖学』。
 『ヒトを造り変えるための70の方法』。
 散らばっていた本は、どれもが人体手術に関するものばかりだったのだ。

       

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