Neetel Inside ニートノベル
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「……………………はあ?」
 しばらく空気が凍りつき、それを解かすように武藤は頓狂な声を上げた。
 目の前に立つ白装束の男は、自分のことを神様だと言った。いきなり現れただけでも不審だというのに、あまつさえ神であると自己紹介する。まず疑ってかかる武藤は当然として、普通の人間なら怪しんで当然だ。
「今、僕のことを怪しいと思ったね」
 そんな思いを汲み取ったか、それとも想像がついたのか、男は苦笑して口を開く。
「無理はない。名前も知らない男がいきなり『私は神だ』と言ったんだからね。仮に僕が君の立場だったとしても、疑心暗鬼になること間違いなしだ。おお、自分で言っておきながら僕はとても怪しいぞ」
「……だから、何なんだよアンタ」
 うんざりした様子で、武藤は溜め息を吐く。
 涙も枯れ果ててしまった今、もはや悲しみに暮れる気分にはなれなかった。
「用がないなら帰ってくれ。僕をしばらく一人にしてくれ」
「どうして?」
「どうもこうもねえよ。僕はもう――」
「“あの子”のことは、どうでも良くなってしまったのかい?」
 男の言葉の端を聴覚が捉え、武藤は俯いていた顔を上げる。
 神を自称する男の表情は変わらない。白髪の向こうで輝く瞳を細めて笑っている。
「あの少女は君にとって大切な存在なんだろう? それを死んでしまったからといって放っておいていいのかい?」
「意味分からないこと言ってんじゃねえよ」
 大体なんでコイツは明穂のことを知っているんだとも思ったが、言葉にはしなかった。
「アイツは死んだ。僕はそれを悲しんだ。それで終わりだ。いつまでも引きずっていちゃあ、後にも先にも進めない」
「なるほど。君はまだ子どもなのにキチンとした死生観を持っているんだね。感心感心」
 男は微笑みながら頷いたが、すぐに表情を堅くする。
「だけどね。どうもまだ、君の中には後悔が残っているように思える」
 片隅に仕舞おうとした感情を逆撫でするような、滑らかな声。
 武藤は眉根を寄せて男を見る。優しさを帯びた表情の中には、違う感情が潜んでいる気がした。
「信じてくれないのを承知で言うけど、あの子はまだ死ぬ運命のはずじゃなかった。僕は神様だから分かるんだ。だけど彼女は死を恐れなかった。亡くなる寸前まで、嬉しそうに笑っていたよ」
「…………」
 武藤は何も答えずに、明穂との約束を思い出していた。
 そんなに昔のことではない。つい昨日、この寺社で交わした約束だ。

『どちらかがいなくなったら、必ずどちらかが探しだす。約束。破ったら、針百本だから』

「どちらかがいなくなったら、必ずどちらかが探しだす。約束。破ったら、針百本だから……だったかな」
 ――それを一語一句間違えず、男は諳んじてみせた。
 武藤は思わず目を見開く。記憶の中の明穂の言葉と、男の台詞が重なった。
「おま……なんで、それを」
「今際の際に呟いていたよ。おまじないのように何度も。まあ、誰とその約束を交わしたまでは分からないけど、きっとあの子にとって大切な約束だったんだろうね、うんうん」
 ゆっくりと何度も頷き、男は――神は慈愛に満ちた笑みを武藤に向ける。
「だからね、僕は彼女の思いを汲んであげたいと考えているんだ」
「……? つまり、どういう…………」
「“武藤くん”。神様である僕からの提案だ」
 不意に名前を呼ばれ、武藤は肩を竦ませる。
 この男、どうして僕の名前を――――
「僕は神様だ。ゆえに、この世界の行く末は僕の手の内にある。そして今、僕は世界を淘汰しなければいけない局面に立たされている。余計なものが増えすぎたからだ。人間だけじゃない。あらゆる生き物から建造物のような非生命体に至るまで、この世界にはものが溢れすぎた。だからここで一度、僕は世界を掃除しなければならない」
「……何を言って」
「武藤くん。僕が考えている淘汰の基準は、“存在理由を持っているかどうか”なんだ」
 神の長い白髪が、無風にもかかわらず揺れ動く。
「生き物で言えば、確固たる理由を持って生きていること。それが今後の世界で生きていくための条件だ。そんな施策をつい先日始めたわけなんだけど、どうにも悲しい事件が起こってしまった。ある少女が、生きるための理由を抱えているにもかかわらず、命を落としてしまったのだ。しかも僕が見守る中でだ」
 止み始めた霧雨の中、身振りを交えて話し続ける神。
 その様子はさながら、子どもらへ物語を紡ぎ続ける紙芝居師のようだった。
「僕はたいへん悲しんだ。このようなことがあってはならない。生きる希望を持っている人間が意味もなく死んでいく世界に存在価値などない。だから僕は世界を作り替えた――つまり、淘汰を始めたんだ」
「……生きる理由を持ってる奴以外は、死ぬ世界」
「そういうこと。だから彼女は、明穂はまだ死ぬべきではない。神様である僕はそういう理由で、明穂を生き返らせようとしたんだ」
「! おい、アンタもしかして本当に神様なのか!? アイツは……明穂は生き返るのか!?」
「可能だよ。それなりの代償は必要になるけど」
 食って掛かる武藤を、神は両手で静かに制する。
「もちろん、その代償を負うのは、他でもない君だ。君にはその少女を生き返らせる代償として、この世界の行く末を見届けてもらう。自身もその“現象”となってね」
「現象……?」
 恐らく「世界の淘汰」のことを言っているのだろうが、武藤には想像もつかなかった。条件に当てはまらないものを、どのようにして消していくというのか。
 その答えは、文字通り神のみぞ知る。
「最終通告さ。神が世界の淘汰を始めたことを知らせる最後のサイン。それは爾今より人々と蝕む“現象”となってこの世界に現れる。その現象名は、“繭化”」
 神が人差し指を空に向けて突き立てると、その先端から糸のようなものがするすると伸びた。
「神の糸だ。理由を失ったものから、神は繭の糸を、意図的に絡み付けていく。神の糸と神の意図。上手く洒落になっているだろう? これが絡みついたが最後、生きる理由を持つことが出来なければ、全ては白い蛾となって飛び去っていく。
 ……幼虫が成虫になる過程と同じだよ。蛹や繭の中では、一度幼虫の身体はどろどろに溶けて撹拌され、新しい身体を生み出すための糧となる。この世界も一度『繭化』という現象によって撹拌して、再構成する必要があるんだ。武藤くんにはそれの終わりを、繭化の流れに逆らいながら、僕の代わりに見届けてもらいたい」
「僕が、神の代わりに、世界を……?」
 神は頷く。

「息苦しい世界が、繭化によって貪欲に生きるもので満ちた世界に変貌していくのを見届けて欲しいんだ。
 そして、神の啓示に気付けない人にはどうか、そのことを間接的に伝えてほしい。
 繭化による消滅を防ぐためには、存在理由を見つけ出さなければならない。漫然と日々を貪っているだけではダメだ、自分が在ることに価値を見出さなければならないんだということを、僕に代わって伝え続けてほしい。
 必死で生きれば、脅威からは逃れられる。
 繭というものに立ち向かうことで、人々は貪欲に生きるようになれる。
 世界を、導いて欲しいんだ。
 そんなオピオイド麻薬性に満ちた繭の存在を、人々に知らしめることで」

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