Neetel Inside ニートノベル
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 原付を降りて小屋を見上げた武藤は、さながら町外れの工場と言った感想を持った。
 それほど民家と呼ぶには相応しくない外見だ。田舎の溶接工場なんかこんな感じじゃないだろうか、と独り言つ。
 小屋のそばには、少し広めの空き地がある。砂利が敷かれていて(というよりは何も手を付けていない状態)、入り口のように開けた場所以外は有刺鉄線付きの柵で囲まれている。柵の中には小屋の他に、木製のベンチと大きな木と、燻る焚き火が一つ。誰かが調理をしている可能性など二人の思考からは既に抜け落ちていたので、大きな落胆はなかった。
 人の気配は全くない。火が燃えていたということはつまりさっきまでここには誰かが居たということなのだが、人影はどこにも見当たらなかった。もしかしたら木陰に隠れていて、二人のような流れ者を狙っているとも考えられる。原付に積載していた荷物を全て持っていることを再確認し、武藤は砂利の上へ踏み入る。
 目についたのは、シャッターが全て閉まっている小屋。長年動かしていないのであれば錆び付いていてもおかしくないが、どうも小綺麗で直近に動かした形跡が見られる。それに、風が吹いて自然に散らばったとは思えないほど、ベンチのそばの砂利がなくなって地面が露出している。
 決定的なのは、焚き火の付近に転がっている真新しい何かの小骨。
「決まりだね。ここには誰かが居た」
 武藤はしゃがんで、指先で小骨をつまむ。どうやら魚の骨のようだ。魚の骨があるということは誰かがここで食事をした可能性があるが、それがいつなのかは分からない。骨はそう簡単に風化しない。
 ただ、煙の昇っている焚き火の跡が、それがごく最近であることを示唆していた。
「あくまでも、『居る』じゃなくて『居た』なのね」
 明穂が、武藤の言葉に隠された意味を汲み取る。
「そうだね。嗅覚で分かるというか、まあ『役割』だから仕方がない」
「その人は、もうどこにもいないの?」
「さあ。どこかに行っているかもしれないし、もしかしたらそこにいるかもしれない」
 武藤はシャッターで閉ざされた小屋を指さす。
「僕の予想が正しければ、そこにもう一人いるはずだ。“生きている”方がね」

 二人は忍び足で、小屋に近寄る。
 小屋とは言ってもそれは単なる呼び名で、大きさは一般的な一軒家ほどありそうだ。町工場の残骸か、それとも車のガレージか。何にせよこんな場所に住んでいるということは、ただ者ではなさそうだった。
 なんせ、付近に民家はない。繭化を受けて家から避難しているとかではなく、恐らくは武藤や明穂と同じ旅人だ。
 魚を調達できる程度の生活力はありそうだ、と暢気な考えを浮かべながら、武藤はシャッターの前に立つ。
 かなり横幅の大きいシャッターだ。小屋の横幅のほとんどを占めていて、武藤と明穂の二人が並んで寝そべっても大分余裕がある。これだけのシャッターを持ち上げるには、相当な労力が必要だろう。
 武藤が気になっていたのは、まさにそこだった。
「明穂。君は一人でこのシャッターを上げろと言われて、出来ると思うかい?」
「……こんなか弱い少女を捕まえといて、まだそんなこと言ってるの?」
 明穂はため息混じりに言う。
「無理だと思うよ。シャッターって思っている以上に重いから」
「その口振りからすると、閉まっているシャッターを開けようとした経験がありそうだけど」
「薄幸野垂れ死に時代にね。で、そのシャッターがどうかしたの?」
「うん、実はね」
 随分陽気に暗い過去を語るな、と思いながら武藤は答える。
「原付で近付いた時から思ってたんだ。この小屋、どこを見ても窓がない。屋根の近くに換気口はあるけど、そこから人が出入りしているとは思えない。だからさっき僕が言った“生きている人”は、いつもこのシャッターを開け閉めして生活しているということになる」
「それのどこがおかしいの?」
「おかしくはないよ。ただ、少なくともここに住んでいるのは僕らみたいなガキじゃないってことさ」
「数人の子どもが、徒党を組んでるっていう説は?」
「ないだろうね。それにしては生活感がなさすぎる。小骨の量もせいぜい魚二匹分だったから、子どもの胃袋には割に合わないだろう。それにあの焚き火の中、何本かだけどタバコの吸殻が残っていた。仮に子どもだったとしても、そいつらはタバコを吸う様な子どもだ」
「……大人一人のほうが、まだマシね」
「マシというか、そもそも確定的だと思うよ」
 直後、武藤はシャッターを右手で、ガシャンと叩いた。
「さっきからそこにいるんでしょう? 盗み聞きは良くないですよ」
 武藤がそう言うと、狼狽えている男の声と足音が、シャッター越しにはっきりと聞こえた。
「ど、どうして…………」
「すぐに分かりますよ。呼吸の音、コンクリートと革靴の擦れる音。ストリート・チルドレンじみた生活をしてきたので、どうもそういうことには敏感になってしまうんですよね。どこかのガサツで鈍感な女の子とは違って。ぐへぇ」
 刹那、武藤の脇腹に蹴りが入る。明穂はか弱い少女とはかけ離れたカラテ少女だった。
 武藤を蹴飛ばした明穂は、心底軽蔑するような、汚物を見る目で武藤を見下ろした。
「クノー」
「『クソ野郎かつ無能な武藤』の略語ってことは何となく分かるけど、もうそれ原型残ってないよね」
「き、君たちは一体……」
 突然始まった馴れ合いに戸惑っている様子の人物に、武藤は笑って答える。
「ああ、心配しないで下さい。あなたに危害を加えるつもりはありません。むしろ僕は『救済者』です」
「救済者……?」
「ええ。よければここを開けてくれませんか?」
 武藤は、シャッターの向こう側に微笑みながら。
「僕は武藤。『繭化』に抗うという名目で、旅をしているのです」

       

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