Neetel Inside ニートノベル
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守羽と由音が屋上で組手を行っていた頃、久遠静音は廃ビル群の立ち入り禁止区域に足を踏み入れていた。
この場所で数々の激闘があったことは静音もよく知っている。つい最近では都市伝説『口裂け女』との戦闘でも使われていた。
街からはほどよく離れ、黄と黒のテープを張られただけのこの場は人外騒ぎに片を付けるには絶好のポイントなのだと守羽も言っていた。
その闘いの爪痕なのか、あれだけ乱立していた廃ビルの内いくつかが記憶にあった位置から消えている。正確には根本まで崩壊して原型を失くしていた。
その残骸を見て、静音は自分の知らぬところで命懸けの戦闘を続けてきた守羽のことを想う。
ゆっくりとヒビ割れて荒地となった地面を歩いて、廃ビルの残骸に触れる。
瞬間、静音を覆う影が出現した。
「……」
見上げれば、さっきまでは何もなかったその場所に、大きなビルが建ち空と太陽を隠していた。
ただし、窓は割れ壁は剥がれ、ボロボロの廃れたビルではあったが。
“復元”の能力。
久遠静音の記憶と認識を元に、物体を元の状態に戻す力。
このビルが廃れるより前の状態を知らない静音にとって、これ以前の状態にビルを戻すことはできない。
逆に言えば、どれだけ破壊されたとしてもこの状態までなら戻せる。
どれだけの重傷でも、どれだけの欠損でも、どれだけの大怪我でも。
静音が万全の守羽を知っていれば、絶対に戻せる。
だがそれだけだ。
守羽のように肉体を強化して戦うことも、由音のように悪霊の力を用いて戦うこともできはしない。
背中に庇われることはあっても、背中を預けられる役にはなれない。
無力な足手纏い。
一番傍にいたいのに、傍にいることが重荷になってしまう。
カナは言っていた。守羽が命の危機に瀕する時、『あの状態』になる為の引き金トリガーになるのは自分の存在だと。
(…それでは駄目だ)
引き金になるだけでは駄目だ。結局、撃ち出されるのは守羽自身。それでは何も変わらない。
守羽は前回の四門襲撃から、『次』が来るのを身構えている。自分も、それまでに何かできることを探さなければならないだろう。
ひとまず、静音は自分の記憶にある限りの倒壊したらしきビルを全て“復元”させた。さすがに短期間でいくつものビルが倒壊していたら不審に思う者も現れるかもしれないという懸念のもとだったが、そうしている間だけでも少し意識を目の前の問題から逸らせたことが大きかったかもしれない。
逸らせたついでに、静音はポケットの中にある二枚の紙切れに指先で触れる。
どういうことだか、静音はこの紙切れを友人から貰った。
発端は金曜日、つまり昨日だ。
授業の合間の休み時間に、静音はその友人とこんな会話をした。

『…………』
『あら、物憂げな表情しちゃって。どしたの静音』
『…千香ちか。私、そんな顔してた?』
『うん。やめなさいよ、そんな儚げな顔するの。また望んでもいないのに男が寄ってくるわよ?』
『気を付けるよ』
『あんたはあの後輩君以外の男になんて眼中にないんでしょ、そういうのはその子に見せなさいよ。きっとほっとかないから』
『………うん。…そうだね』
『…なんかあったの?』
『ううん、何も』
『嘘つき。…まったくもう。はい、これ』
『?』
『よくわかんないけど、これあげるから仲良くしなさいよ。後輩君と』

ほんとはあんたと一緒に行こうと思ってたんだけどね、と言って半ば押し付けるようにして友人がくれた、映画の前売り券だった。
千香という女友達は大の映画好きで、仲の良い静音は時折こうして誘われることがあった。
自分はそんなに気遣われるほど酷い顔をしていたのだろうかと友人に対して申し訳なく思うと共に、せっかく貰ったこの券を使わずに終わらせるわけにもいかないと考えていた。
彼女の気遣いを無碍にはできない。
気分は暗澹たるものだったが、チャンスはチャンス。そうでなくとも休日に彼と一緒にいられる理由ができたと思えばいくらか気持ちもこの夏空のように晴れてきた。
問題は、守羽の側に予定があるかどうかだ。
映画の上映は明日、日曜日。
学生であれば誰かしらと遊ぶ予定があってもおかしくはない。特に四門との一件以来、由音とは仲良さそうにしているところをよく見る。
断られてもおかしくはない。
そう思うと不安が膨れ上がっていくが、誘う前から弱気になっていても意味がない。
勇気を出して、メールではなく電話で勝負を掛ける。
最後の廃ビルを“復元”し終わったその場所で、静音は携帯電話を耳に当て彼が出るのを待つ。
すぐに出てくれた。
『はいもしもしっ、どうしました?』
少し慌てた様子で、口に何か入っているかのようなくぐもった調子で守羽は電話に出た。
もしかして食事中だっただろうか。腕時計に目をやれば、もう時刻は昼になる頃。その可能性は大きい。
悪いことをしたかも。
出だしから申し訳なさを抱えたまま、それでも静音は件の用件を伝える。
「うん、あのね。明日って時間、あるかな?」
『明日ですか?…はい!全然大丈夫ですよ』
電話の向こうで「うぉいっ!?」と戸惑う声が遠くから聞こえた。どこか店で食事しているらしい。
『何かありましたか?あ、買い物とかですか?荷物持ちでもなんでもしますよ!』
「ううん。友達から映画の前売り券を二枚貰ったから、一緒にどうかなって」
『映画ですか、わかりました。それじゃ、明日…えっと待ち合わせ場所とかはー』
それから二人で手早く待ち合わせ場所と集合時刻を決め、電話を切った。
「…………ふうー」
大きく息を吐き、緊張から握り込んでいた拳を開く。じっとりと汗が滲んでいた。
不安一杯だったわりには、とんとん拍子に事が進んで決まってしまった。これが取り越し苦労というものか。
何はともあれ誘えてよかった。
今度は安心と共に期待が膨らみ、途端に明日が楽しみになる。
彼女にしては非常に珍しく、スキップのようにステップを踏みながら静音は廃ビル群からその場をあとにした。

       

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