【黒軍機兵ネスラヴニー】
国のため、仲間のため、自分のため。
人型兵器を駆り、青年は戦場を駆ける


 ロボットと戦争――第一次大戦で戦車が登場して以来、創作において、切っても切り離せない題材である。

 ただし、書くハードルは非常に高い。
 世界史を紐解けばわかるとおり、戦争には様々な利害関係が絡み合う。その背景を説得力あるものにしなければ、物語がすぐにリアリティを失ってしまうのだ。

『黒軍機兵ネスラヴニー』は、ロシアをモデルにした架空世界「ユーリテナ連邦共和国」で、とある青年が革命軍に身を投じる姿を描いた作品である。
 舞台となるユーリテナは共和国とは名ばかりの一党独裁国家で、秘密警察あり、収容所あり、検閲あり、物資統制あり、政治家と官僚と企業はどっぷり癒着しているという、絵に描いたようなディストピア国家。そんな国で、主人公のカレルが省庁の私設部隊の新米として始めての実戦を経験するところから物語は始まる。
 初陣で謎の勢力から襲撃を受け、早々に壊滅するカレル部隊。カレルも機体にレールガンの直撃を受けるが、奇跡的に無傷で生き残る。捕虜となったカレルは、ヤン・スワロフスキ率いる民間軍事会社の一員に加わり、進行中であった革命の動きに身を投じていくのだった――。

 第一話、二話を読むだけでも、この物語がいかに緻密なディテールに彩られているかがわかるはずだ。国家の腐敗、ユーリテナを取り巻く他国家との関係、そして物語の中心となる人型兵器「重歩」。膨大な情報が物語の随所に差し込まれ、重厚な世界観を作り上げている。

 しかし、決して読みにくいというわけではない。設定はあくまで脇役。極論を言ってしまえば、読み飛ばしてしまっても特に問題はないのだ。そして、それこそがこの作品の最も凄いところなのである。
 凝った世界観を作れば作るほど、作者はその世界観を中心に物語を作ってしまいがちだ。その結果、物語は架空世界のうんちく語りに終始してしまい、肝心のストーリーは貧相なものになってしまう。
 しかし、ネスラヴニーにはそれがない。視点は一貫して、青年カレルの目線のままである。難しい事は何も知らない、ただ親や国には、何となく反発心を持っている。どこにでもいそうな青年の心境は、そのまま読者の心境と自然にリンクする。初めて人を殺した感覚に苦悩し、身分の違う同僚とは衝突しながらも心を通わせ、異国人の文化に戸惑いながらも興味を抱く――。
 様々な体験を通じて少しずつ成長していく青年の心が、自然に読者へと沁み込んでいく。設定に埋没しない確固とした語り口が、作品と読者の絶妙な橋渡しとなっているのだ。
 こうした作者の配慮は、作中の演出にも垣間見られる。この作品、戦争モノなので当然死人は出るし、かなりエグい展開もあるのだが、その描写は極力凄惨さを抑えて描かれている。また軍隊という厳しい環境にありながら、戦闘の合間に挟まれるエピソードには、まるで修学旅行のような、どこか牧歌的な雰囲気だ(作中のキャラクター自身が、「まるで遠足みたいだ」とボヤくシーンがあるくらい)。
 思うにこうした描写も、「戦争」というテーマと、「読みやすさ」とを天秤にかけ、バランスをとった結果なのだろう。戦争としてのリアリティを保ちながらも、重くなりすぎず、ロボットものとして楽しく読めるエンターテイメント作品として成立しているのだ。

 そして、この物語の魅力を補強するのが、「もう一つの本編」こと「なぜ?なに?ネスラヴニー」である。
 いわゆるおまけ漫画なのだが、その熱量、文章量は本編に勝るとも劣らない。
 物語で出てきた用語の解説、ユーリテナの成り立ちや政治形態について、そして人型兵器「重歩」の歴史や構造などなど、大量の情報を惜しげもなく公開してくれる。小説やゲームの設定資料集が好きな人は思わず読みふけってしまうだろう。
 特に重歩の解説、これはロボ好きにはたまらない。
 戦争でロボを出すとき、絶対に頭をよぎるのは「人型の巨大ロボット出す意味あんの?」という点だ。
 戦場において、人型機械にはハッキリ言って難点しかない。重心は高いからすぐ転ぶし、装甲も厚くできない。キャタピラと比べて悪路の走破性も悪いし、関節部が細いため積載量も劣る。戦場に投入するメリットは皆無なのである。
 重歩の場合、反重力装置というSFガジェットによってこの問題をクリアしている。反重力によって銃弾もある程度無効化するし、積載量や走破性の問題もクリア可能――と、ここまでは設定に多少こだわる人なら考えるレベルだろう。
 しかし、反重力装置の原理説明にわざわざ回路図(しかもジャーヴィス・ユザワ回路とご丁寧に名前までついている)を書いたり、装置による防弾効果をわざわざグラフに起こしたり、重歩の燃料タンクにあたる大容量電池の仕組みと開発の歴史に触れたり、重歩の人工筋肉となっている膨張式蓄電池の解説だったり、さらにはもともと大気圏外の作業用として開発されたものを軍事転用したという細かな歴史まで、詳細に網羅されている。もはや作品を書く上では全く必要ないレベルのこだわりようで、「人型兵器を戦場に投入するにはどうしたらいいか」という命題に対する作者の本気度がうかがえた。脳波操縦におけるフィードバックの問題点について触れる人を見たのは初めてだよ!
 
 そんなわけで、ライト層にもガチ層にも大変おすすめの本作。もともと人気作品ではあるが、まだ目を通したことのない人は、ぜひ一度読んでみてほしい。



【太郎マン】
まごうことなきクソ漫画だが……
妙に癖になる作風は一見の価値あり?


 お手本のようなクソ漫画である。なんせ第一話からウンコが出てくるのだ。二話ではチンコが出てきて、三話ではマ○コ、四話ではオナニー。ある意味、文句のつけようがない。文字は手書きでとんでもなく読みにくいのだが、第四話から修正された。読むだけなら一分かからないくらいだろう。
 
 だがしかし。
 クソ漫画=つまらない……とは限らない。
 クソ漫画の魅力、それは独特の“味”である。演出も考えない、読者のことなんか知ったこっちゃない、適当だろうがなんだろうが、俺は描きたいことを描くのだ――そんな思いで、あるいは何も考えずに投稿されるクソ漫画は、ある意味、作者の心情に近い最も作品だとも言える。そこには計算づくのエンタメ作品にはない、剥き出しの感性が息づいているのだ。
 
 例えば第二話。作者は不意に「東京の女はゴミクソばかりだ」と吐露してみせる。「相対的に人と比べてばかりで、話をしてて値踏みされてるのが分かって不快」と。
 この感覚自体は、けっこう身に覚えがある人も多いのではないだろうか。
「女性」というくくりで一般化せずとも、好き嫌いや人気不人気による残酷な仕打ちは、誰しも経験したことはあるはずだ(好かれる側だったか、嫌われる側だったかはこの際考えないようにしよう。悲しくなるから)。特に社会人になると、学生時代のように表立った悪口を言わない分、こうした「値踏みするような視線」を感じる機会は多い。口では当たり障りのないことを言いつつ、裏では互いの利用価値を値踏みしあうのが、悲しいかな、社会というものなのである。もちろん例外だってあるが。
 そう考えると、彼の何気ない一言は、意外と現代社会の一面を鋭くえぐりだしてはいないだろうか。もちろん本人は狙ったつもりなんて全くないのだろうが、だからこそ、その発言には真実味が滲んでいる。照れ隠しのように続ける「タタン タタン ちんこがタタン」というフレーズも、妙にゴロが良くて頭に残ってしまうのだ。
 まあここらへんの独白もネタ切れなのか第四話では早くも失速気味なのだが、長期連載すればあの「COLT」のような日記漫画としてそれなりのファンがつくかもしれない。変に気負わず、これからも愛すべきクソ漫画を貫いてほしいところ。もちろん、これきりさらっと投げるのもまた一興。描くも描かぬも自由なのが、新都社なのだから。




 いかがでしたか? いしまつ担当分、計6作品のレビューはこれで終わりとなります。
 感想を読んで紹介作品に少しでも興味を持ってくれれば、感想を書いた人としてこれ以上の喜びはありません。

 今年で十周年を迎えた新都社。次の十年で、どんな名作が生まれ、そして終わっていくのでしょう。
 一人の読者として楽しみにしつつ、また色んな作品を読んでいきたいと思います。
 それではいつかまたどこかで。