コニーその3/七面鳥

お疲れ様です。文芸感想チーム・コニー班の七面鳥です。
僭越ながら以下の6作品の感想を担当させていただきます。

・MA REVE [マレーヴ]
・ぱちんこ放浪記
・やさぐれ窃盗団 香炉
・明日のきらめきポリテース
・世界樹の下で
・七色ジュブナイル

偶然にも全部読んでいる漫画ばかりでした。
でも、あらためて感想を書くとなると少し緊張しますね。

今回は『MA REVE [マレーヴ]』と『ぱちんこ放浪記』の感想です。
(更新が遅くて申し訳ありません)



■『MA REVE [マレーヴ]』

まだ第2話ということで物語の導入部ですね(と書いてるうちに第3話が更新されてました)。トップ絵に「この漫画は核戦争後のA.D.27Cに、ゆいいつ生きのこった日本がどーたらする話らしい」とあります。簡潔な説明ですが大まかな内容や世界観は伝わるでしょう。

核戦争後という時代設定。不気味なミュータントの存在。何らかの研究を行っている軍事組織。そして、相応の戦闘力を持ちながらもどこか心に闇を抱える主人公。SFの構成要素としてはオーソドックスと言えそうですが、作品全体を覆う不穏な雰囲気の、その醸し出し方に独特なものを感じます。
例えば、絵柄の不安定さ(突然雑になる戦闘シーンやミュータントのアンバランスな身体等)は、そのまま核戦争後の世界の不安定さを表現しているものとして読めます。また、主人公の山形アデレードは始終イヤホンで耳を塞いでおり、一見他者との間に壁を作るクールタイプの人物に見えますが、(回想シーンを読む限り)仲間の死を悼んで涙を流す仲間思いな一面があったりする。つまり、キャラデザにおいてもこちらの想定を裏切ることで巧みに不安感を煽ってくるわけです。ヘリコプター登場のシーンもそうですね。意外さが物語に回収されず意外さのまま作中に漂っているとでもいいましょうか。ギャグなのかシリアスなのか境界線の曖昧さがまた安定した読書体験を妨げ、そのこと自体が作風と相乗効果を成しています。読んでいて気が重くなりそうですが、それだけの力がこの作品にはあるということです。

他方、端々に垣間見せる作者のセンスも見逃せません。例えば、こんな会話。

 山形「ありがとう おじさん」
 ルイージ「兄さんだ」
 マリオ「弟だろ」

心中する相手を探しているかのような『MA REVE[マレーヴ]』の世界の中に、それでもまだ軽口をたたきながら心遣いのできる人たちがいる。多分それが唯一の希望なのだと思います。



■『ぱちんこ放浪記』

1.

大学卒業後ラブホテルに就職した後輩Kは2年半に渡るホテルマン生活に別れを告げたその日、全財産を片手に東京駅から博多行きの新幹線に乗り込んだ。「今、パチスロ、九州がアツいらしいんっすよ!!」
わずか3日後、Kから電話がかかってきた。「つーか、マジで九州ってクソっすわ!!」それは帰京の電車賃を無心する電話だった。
果たして九州がクソなのかそれともKがクソなのか、当時の私には判断がつかなかった。だが、『ぱちんこ放浪記』を熟読した今ならはっきりと分かる。Kこそが愛すべきクソ野郎だったのだと。


2.

新都社にギャンブルをテーマにした漫画は数多いですが、『ぱちんこ放浪記』は「いかにしてギャンブルに勝つか?」に主眼をおくタイプの作品とは一味違います。

主人公タツヤが勝負を挑むのは、ギャンブルに負けたという過去の事実に対してです。つまり、負けを無かったことにする。あまつさえ「勝って」しまう。要するに決して負けない――それが後に日本最強のパチニートと呼ばれるタツヤのスタンスなのです。彼の天才的発想と知略が敗北という客観的な「現実」を鮮やかに覆す。『ぱちんこ放浪記』の魅力はそこにあると思います。
もちろん、それは「はぁ?俺、別に負けてねーし」という強がりや屁理屈、現実逃避の類ではありません。努力・修行をして勝つまで再挑戦するわけでもない。実際タツヤは“ある天才的な閃き”によって瞬く間にパチンコの2万負けを逆に6万勝ちに換金してみせるのです(なぜ2万の負けが6万の勝ちになるの?と疑問に思った方は是非第1話~第2話を読みましょう)。
既に負けたところから勝負が始まるゆえ、その勝利は必然的に逆転劇。しかも、対戦相手があの難攻不落の「現実」って野郎なのですから、これはもう痛快この上ない。

「お前 負けてないぜ」というタツヤの言葉が負けという過去をそもそも無かったものにし、「6万円の勝ち」だと宣言することで勝利の宴(居酒屋での祝杯)という未来を切り開く――そう、事実として差額8万円の大勝利に導くタツヤの言葉はまるで預言者のそれです。「世界は勝ったという“真実”を受け入れましたよ」と。おお、神よ!素晴らしきこの世界!

この「現実」に対する圧倒的勝利に読者はきっと恐れおののくでしょう。我々の常識は「負けは負け」つまり「A=A」という同一律を前提に成立しているわけで、過去を改変し負けを勝ちにしてしまうタツヤの存在はまさに人外、アウトローだからです。しかし、それこそギャンブラーに相応しい存在形態と言えなくもない。タツヤがパチプロではなくパチ“ニート”と呼ばれるのは、彼が「現実」に真っ向から喧嘩を売り(ある意味目を背け)、「勝って」しまうからかもしれません…。


3.

重度のパチスロ依存症のダンテと、もっと重度のパチスロ依存症のタツヤ。彼らはパチスロという業火に心(精神)まで焼かれてしまった熱い男たちです。そして、その“焼き加減”の妙はまさに生かさず殺さずで、読者はそこにパチスロ業界の闇を垣間見ることでしょう。
『ぱちんこ放浪記』の構成の巧みさは第8話以降のテーマが「パチ禁」である点に看取できます。パチンコジャンキーからパチンコを取り上げることでかえって彼らの狂人ぶりが露になるという仕掛けです。

ところで、ギャンブラーの心理を描いた作品としてドストエフスキーの『賭博者』が有名です。ドストエフスキー自身ギャンブル狂いが高じて生涯極貧生活を強いられたほどで、まあ、『賭博者』を読めばなるほどとうなずけます。
とはいえ、奴とて所詮一介の小説家。それに比して『ぱちんこ放浪記』の作者小室レイ氏は元パチプロという経歴の持ち主です。そう、元プロなのです。ドストエフスキーとはキャリアが違う。

『ぱちんこ放浪記』には元プロとしての経験からくる逆転の発想と、奥深い人間心理の洞察に満ちていて、やはり素人には及びもつかないものがあります。今回感想を書くにあたって必死に考えましたが、パチンコを禁じられたジャンキーがなぜホモに覚醒するのか?(第9話)、その理由はまったく分かりませんでした。しかし、パチ禁→ホモネタという展開が“正解”であることは誰もが直感的に理解できるはずです。おそらく、長いプロ生活の中で体に染み付いた感性が小室氏に“正解”を強いるのでしょう。

小室氏は各話の付録として「ダンテのパチンコ講座」や「本当にあった小室レイの話」等、自身の体験談も漫画にしています。こちらも本編に負けず劣らず面白い。特に第16話掲載の「本当にあった小室レイの話」は、小室氏の誠実さと優しさゆえに生じる葛藤が老婆との心温まる交流を通じて丁寧に描かれており、笑いと同時に涙を誘う非常にハートフルな逸話です。ひとくちにギャンブル狂いといっても様々な相貌があるのですね。
後輩Kに『ぱちんこ放浪記』をおススメしたいけど、また仕事辞めて九州に行くとか言い出しそうなのでやめておきます。