■1『こんな俺に誰がした』
あれから六年が経った。
俺のトラウマは悪化の一途を辿っていて、今では女性に触れただけで死にかけるまでになってしまった。
こんな俺にも、好きと言ってくれる女性がいないではなかったのだが、しかし俺にとって、女は鬼だ。
アプローチされても、俺の腹を狙ってきているんじゃないのか、という気持ちになってしまい、目を合わせる事も、まともに話す事もできない。
そうなると、普通は『こいつキモッ』と思ってくれて、遠のいてくれるのだが、たまに現実を認めようとしない強者が現れる。
いわゆる、『私がなんとかしてあげなきゃ!』と思うタイプだ。
実際その気持ちはありがたい。俺もこのままではいけないと思っている。
だから、最初は勇気を出したけれど、最終的にジンマシンが出て、痙攣して、泡吹いたので、その子も申し訳なさそうにしながら離れていった。
あの時の俺は、まるで死にかけのカニの様だった、とは友達の目撃談である。
「と、言うわけで、先ほど廊下で女子生徒と正面衝突した際、ジンマシンが出ました」
「あ、そう……」
ここは放課後の職員室。体中が真っ赤な俺と、担任の教師(中年男性!)が向かい合っている。俺の肌が真っ赤な所為か、周囲の先生たちの仕事がさっぱりはかどっていない。こっち見ないでほしい。
「女性恐怖症っていうか、キミのそれはアレルギーみたいに見えるんだけど……」
「はぁ、よく言われます」
母親以外の女性に触れるとジンマシンが出るので、確実に精神的なモンだとは思うが、いまさら治せるとも思えない。
男子校に進学したかったけれど、近くに無い上、親に一人暮らしは許さないと言われ、俺は近所の公立校に進学するしかなかった。まあ、両親としても、俺の女性恐怖症を治しておきたいから荒療治、って考えだったのかもしれないが……。
「キミ、これからの事について考えてるのかい?」
「えっ、これって進路面談ですか」
「あぁ、いや、そういうんじゃないよ。でも、ほら、彼女ほしいとか、思わないのかい。キミだって年頃なんだから、そういう事には興味あるでしょ」
「まあ、ありますけど、死と引き換えなら絶対にイヤです」
「思いつめすぎじゃない!?」
「俺にとっちゃあそんくらい大事って事ですよ。ほいで? 要件はなんですか」
「……この間、検査受けただろ。覚えているかい?」
「検査ぁ? ――あぁ」
思い出そうとして、顎に手を添えようとしたけれど、その前に思い出した。
ボックス適正検査の事だ。
『
正式名称、『Blank Of eXtreme』
俺も詳しい事は知らないが、なんでも、人間の脳にはデッドスペースという、一切使わない無駄なスペースがあるらしい。そのデッドスペースに、いわゆる超能力めいた物が生まれることがあるらしく、そういう人間が街で悪さをしない様、半年に一度ボックス適正検査を行い、それが目覚めた人間には、それ相応の対処が施される。らしい。
こんなにもらしい、らしいと言っているのは、実際ボックスに目覚める人間はそういないからだ。
何せ超能力。そう数多くいるわけじゃない。日本全国で、まあ大体一〇〇〇人いるかいないか、くらいだと聞いている。
「おめでとう、と言っていいのかはわからないけれど。キミから、ボックス適正が発見されました」
■
それが一週間前の話である。
強制転校って割に、学力診断やらされたり、体力測定させられたり、なんだか酷く面倒だったが、すべての準備も整い、俺はついに、ボックス研究機関。
国立、
だだっぴろいグラウンド、そして、ガラス張りの近代的な校舎。さすが国立だ。校舎から金の匂いがしてくるよう。
周囲には、俺と同じ黒いブレザーを着た生徒達がたくさん居る。こいつら全員、ボックス保持者なのか……。俺はまだ、『可能性がある』と言われているだけなので、別世界の住人に見えてしまう。
あんまりジロジロ校舎を見ていては、都会に立った田舎者みたいに目立ってしまう。
さっさと職員室へ行って、自分のクラスを聞かなくちゃ。
俺は鞄を背負い直し、校門を潜って、来客用玄関に向かう。試験で一度来ているので、そこは滞りなかった。
靴をビニールに包んで、鞄に突っ込み、上履きに履き替え、職員室の扉をノックした。
「失礼しまーす。転校してきた葛城綾斗でーす」
そう言えば、誰かが面倒見てくれるだろう、的な目論見はしっかり成功して、俺の元に、一人の教師が小走りでやってきた。
「――げっ!」
その教師は、女性だった。
黒いスカートスーツに身を包んだ、ショートカットにメガネの、起伏の激しいボディライン。いわゆる、色っぽい女性にカテゴライズされるだろう。
彼女は泣きぼくろを携えた優しそうな視線で、俺を見た。
じっとりと、嫌な汗が体から噴き出してくる。
「キミが葛城綾斗くん? はじめましてっ。あたしがキミの担任、麻生
「……すいません、気分が悪いんで早退していいですか」
「えっ、なんで学校来たの。それなら休んだらよかったんじゃない?」
ごもっともである。まだ始業前なんだから、本当に具合が悪いなら家で電話すればいい。
「今具合が悪くなったんで……」
「さっきまで元気だったでしょ……。出会って早々仮病はよくないなぁー」
マジなんです先生。あなたの所為で腹が痛いんです。
くっそ……。まさか女性が担任とは……。そりゃ、ここにだって女子生徒はいるが……。でも、だからこそ、話す女性は制限しておきたかった。
頭まで痛くなってきた気がする。
「とにかく、早退は認められません。大体、転校初日から早退なんて、友達できなくなっちゃうぞ?」
「いやもう、おっしゃる通り――」
ただでさえ中途入学。
すでに人間関係が出来上がっている中飛び込むのだ。できれば一日でも多くチャンスはあった方がいい。
「ま、大丈夫大丈夫! 何か相談事があったら、先生がしっかり聞いてあげるから!」
と、言って、先生は俺を抱きしめた。
抱きしめた!?
なるほど、どうやらスキンシップが過剰なタイプらしい。
「ぎ、ぎゃぁあああああああああああああッ!!」
俺は悲鳴をあげて気絶した。最後に見たのは、慌てる麻生先生の姿だった。
■
「……俺、女性恐怖症なんで、ほんと、ああいう事されると死にかけるんですよ」
「……ほんっと、ごめん」
放課後である。
何度も言うけど、放課後である。
ジンマシンと口からの泡で、なんだかとんでもない事になっていた俺は、慌てて保健室に運び込まれたらしい。
「で、でもその割に、普通に会話はできてるじゃない!」
「そりゃね。そりゃあ、会話くらい普通にできるよう頑張ったんですよ。最初は目を合わせることもできなかった始末。でも、やっぱり我慢してるから、触れられると爆発しちゃうんです」
「へえ……。面白い体質だね……」
「そいで、俺帰るんですか? ――え、帰るんですか俺。学校に気絶しにきただけなんですけど」
「まあ、もう授業無いし……。それしかないわね」
「えー……」
親に『学校どうだった?』って聞かれたら、『記憶にない』としか言えない。俺がボックス保持者になり、学費免除の箱ヶ月学園に登校できるようになってから、家計が助かると喜んでいる両親になんて言えばいいのか。
俺は、ベットから降りて、サイドボードに置かれていた鞄を持って、先生に「んじゃ、今日は帰りますわ……」と言って保健室から出た。
何しに来たんだよ俺。
「はぁーあ。結局、自分がどこのクラスなのかもわかってねえや」
頭を掻いて、転校初日から先行きの不安を感じていた。
まあ、先生は気ぃ使ってくれるだろうし。先手を打ってクラスの女子に気をつけて、と言ってくれているかもしれん。そういうプラス思考で生活していかないと、俺は腹を刺された時点で死んでいる。
何せ、街のいたるところに殺人鬼がいるように見えるんだからな。
ふっふん。我ながら、自分のポジティブシンキングに惚れ惚れするぜ。
思わず鼻歌を唄い出しそうになった。しかし、その前に、俺にはやるべき事がある。
曲がり角だ。
俺は女子と廊下で正面衝突なんてしたら、フラグはフラグでも死亡フラグが立つ。
なので、まずアウトコースから入り、向こう側から誰も来ないかを確認してから曲がる癖をつけている。今回も、向こう側から誰か来ないか、と確認すると本当に誰か来たので、俺は避けるコースを確かめる。
「……あん?」
いや、ちょ、ま、待って。
俺は角に隠れ、向こう側にいた人影を見つめる。
日差しを吸い込むような銀色の髪。血みたいに赤い瞳。そんな現実離れした色合いを、現実に留めている整った顔立ち。黒いブレザーに赤いリボンをしているから、ここの学生であるとわかる。
汗がじっとりと、いや、頭から水を被ったみたいに吹き出し、呼吸が荒くなってきた。
あいつは、
俺の腹を突き刺した張本人。
トラウマを作った張本人。
なんっで、なんであいつがここにいんだよ!
「まっ、まず、まずい――ッ!」
あいつはこっちへ向かってきている。いくらなんでも、白金だって刺した相手を忘れるわけないし、つまり顔を合わせれば何らかのアクションがある。
また刺される事だってある。
とにかく、様々な可能性が考慮できる。
「逃げるしかねえっ」
元来た道をダッシュで戻り、保健室へ飛び込む計画を立てる。
今はそれしか助かる道はないので、俺はとにかくダッシュした。
「……あら?」
後ろから、廊下を走っている男子生徒を不思議に思う声がする。だが、かまってる場合じゃねえ。俺の今後の人生がかかってる。
「――私に挨拶なしとは、馬鹿者ね」
まっ、まさか、俺の正体がバレた?
いや、関係ねえ。捕まらなきゃいいんだ。
「――『テスタメント』ッ!」
後ろからわけのわからない叫び声が聞こえたと思ったら、今度は俺の足がいきなり何かに躓いた。
「いでぇ!」
リノリウムの床に思いっきり体を打ち付け、何に躓いたのか正体を確かめる。すると、どうやら足に、大きな杭が括りつけられた鎖が巻き付いていた。
「な、なにこれ」
歩み寄ってきた白金は、倒れている俺を見下す。
「あなた、箱ヶ月の生徒のクセに、私を無視するなんていい度胸じゃない」
「は、はぁ?」
「……あなた、もしかして、転入生? なら、もしかして初めて見るのかしら。これがボックスよ、私の『テスタメント』」
……ボックスって、物浮かせたりとかするやつじゃないのか?
「これって、武器じゃないのか?」
「……なんにも知らないのね」
彼女は手を振るい、その、テスタメントとやらを消してみせた。
そして、もう一度手の中に出現させ、もう一度消す。
「転入生なら、ボックスを知らないのも、私に挨拶しないのも納得だわ
」
……そうか。ボックスって、いわゆるPSIとおんなじもんかと思ったが、どうも違うらしい。ああいう風に、武器みたいなのが出せたりするんだなぁ。
「さぁ、クラスと名前を言いなさい。そして私に頭を垂れてから帰りなさい」
すげえ事言い出したな。
おっかしいな……。俺の知ってる白金は、結構大和撫子な感じだったんだけどな。あの最後の一日を除いて。
しっかし、困った。この性格、俺が葛城綾斗だと知れてしまったら、どうなるんだろう。まあ、普通に「あの時刺してごめーん」くらい言ってくれたらいいんだが、そんな期待ができるほど俺のトラウマは浅くない。
「えーと、二年A組の佐藤まさるです」
「……嘘ね。この学校はクラスは数字制よ」
マジかよ!
前の学校のクラスを言ったのにやすやす見破られた。やっぱり嘘は綿密な下調べをしてから吐かないとダメだわ。
「……っていうか、あなた、私と会ったこと無い?」
「いや、気のせい気のせい。シャワー浴びてる時の背後の気配くらい気のせい」
「……なんか、あなたムカつくわね」
ちょっと冗談言って和ませようとしたらこれだよ。
「すいませんでした。クラスは転校して速攻気絶した所為で知りません。名前もその時のショックで全部忘れました」
「……病院行ったら? っていうか、信じると思う?」
「半分は本当なのに……」
「頑なに言おうとしないのね。あなた、私のことを知っているの? ――いや、ちょっと待って」
彼女は、しゃがみこんで倒れれていた俺に目線を合わせる。
「――ま、さか。綾斗、くん……?」
俺は勢いよく首を振った。まるで体の水気を払おうとする犬。
だが、どうやら俺だと確信したらしく、白金はめちゃくちゃ楽しそうに唇を歪ませた。
「へえ……。そっかぁ、綾斗くんがまさか、ボックス保持者になるなんて、ねえ……」
ウンウン頷いている白金。俺との再会で驚き、油断したのか、隙だらけだった。俺はポケットからハンカチを引き抜き、それをヤツの顔面に向かって放り投げ、目眩ましをし、走って逃げた。
後ろから「うふ、ふふふふっ、あーっはっはっはっは!!」と、悪党みたいな悪い声。ゾンビか何かから逃げているんじゃないか、と錯覚しそうになった。いや、殺人鬼か……?