Neetel Inside ニートノベル
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――――


 警報を知らせる鐘がけたましく交易所に響き渡る。
 津波が来るぞという叫び声と共に人々がそれこそ波のように高台へと押し寄せる。
 「アンネリエ…っ!」
 その人波に抵抗しながらケーゴはアンネリエの手を取った。
 びくりと緊張が伝わるが、それどころではない。
 流されないように必死に歩き惑い、ケーゴは喚いた。
 「何なんだよこれ!津波くらいで何みんな慌ててるんだ!?」
 津波というとは大きな波がやってくるということだろう。だがここまで大騒ぎすることだろうか。
 確かに濡れるのは嫌だけどさぁ、とこぼすケーゴの頭をベルウッドが思い切り叩いた。
 「あだっ」
 「この世間知らず!そんなのんきなこと言ってる場合じゃないでしょうが!」
 ベルウッドに睨まれたピクシーが旋回しつつ説明を加えた。
 「私がマスター・ケーゴの無知に呆れながらも警告するところによれば、現在迫っている津波の高さはおよそ8メートル。このままでは死にます」
 「死ぬぅ!?」
 思ってもみなかった言葉だ。
 ケーゴはベルウッドに手を引かれ、まろびながらも尋ねた。
 「な、何故!?」
 「私が説明するところによれば、津波とは通常の波のように表面のみがうねっているわけではなく、海底から海面までがそのまま移動しながら全てを押し流していく自然現象です。その力は絶大で、数十センチの津波でも危険なのです。おそらく交易所の城壁もあの高さの波では倒壊する可能性が高いでしょう。押し寄せる波は家屋を押し流し、やがて引いていきます」
 「…なるほど?」
 よくわからないがとにかくすさまじいらしい。
 「私が推奨するところによればすぐさま交易所を出て高台へと避難するべきです」
 「高台って…!」
 アンネリエの手をケーゴが掴み、ケーゴの手をベルウッドが掴む。そうして必死に走りながら北門を目指す。
 既に北門には人が集まっており、押し合いながらも交易所の外に押し出ようとしていた。
 交易所の周囲は森に囲まれている。逃げるとすれば北門を抜けて森の小道を通過し、登山道へ行くのが最短だ。
 やがておどろおどろしい音が彼方から響いてきた。
 海が暴れている。海が吠えている。
 その音が人々を狂乱に陥れ、ケーゴ達もがむしゃらに人垣をかき分けようとした。
 やけくそ気味に叩かれていた半鐘の音がやんだ。
 叩いていた者も恐怖に逃げ出したのだ。無理もない。
 その時だ。
 (交易所の皆さん!聞こえますか!)
 声が頭に響いた。
 突然の出来事に一瞬人々は動きを止める。
 (ご存知の通り津波が迫って来ています!だけど落ち着いて!今、魔法監察庁の人を中心に魔法使いが津波を食い止めに行ったの!だから…だから魔法が使える人は協力して!この交易所を守って…!)
 「ふざけるな!」
 遮るように怒号が響いた。
 混乱しながらも頭に響く声を聞いていた内の誰かが叫んだのだ。
 「下手したら死ぬかもしれないってのに協力なんかできるか!」
 その言葉で催眠から解かれたかのように人々は再び高台に向かってぐしゃぐしゃと走り出した。
 見れば逃げまどっているのは人間ばかりだ。
 羽の生えた鳥人や魔法の使えるエルフは空に退避している。
 中には先ほどの言葉に応えて魔法で津波から交易所を守ろうとしている者もいる。
 そこでケーゴは唐突に気づいた。
 人間は何もできないのだと。
 守ることはおろか、逃げることすらできないのだと。
 できることをやろうと、できないことを無理することはないのだと、そう考えていた。
 それと矛盾する思いも抱いていた。
 じゃあ自分にできることって何だ。
 ぐらりと何かが崩れた。
 津波が来たのかと思ったが違う。
 自分の中の何かが崩れた。
 アンネリエは自分の手を掴む彼の手が力なくほどかれたことに気づいた。
 慌てて握り返した。
 と、そこでアンネリエは何かに気づいたかのようにはっと目を開いた。
 一方存外強く手を握られたケーゴも驚いてアンネリエを眺める。

 ――何か、何か大切なことに気づくことができるような気がした。

 「何してんのあんたたちはー!!」
 しかしベルウッドの怒号が2人の間に割って入った。
 ケーゴとアンネリエはびくりと肩を震わせてベルウッドの方を見る。
 背の低いエルフは彼らを見上げて喚く。
 「この緊急事態に手をつなぐのが初めてなことにでも気づいた訳!?それどころじゃないでしょーが!さっさと走れーっ!!」
 言われて初めてお互いの手を見る。
 あまりに必死でそれに気づいていなかったのだ。
 「~~~っ」
 場違いなようにケーゴの頬が火照る。
 とはいえどもここで手を離すのもおかしな話だ。
 そんなやりとりをしている間にもケーゴ達は押され、弾かれ、結局その人だかりの外に追いやられてしまった。
 音は次第に大きくなっている。
 このままではもう間に合わない。
 「…っ、どうせ間に合わないなら…っ」
 ケーゴは短剣に手をかけた。
 なんとか自分も交易所の防衛に貢献できないだろうか。
 できない訳ではない、と思いたい。
 無力なままが嫌だからとか、そんな負けず嫌いな理由じゃない。
 ちらとアンネリエを見る。
 不安そうにこちらを見ているエルフは、人間よりも長寿で魔法に長けて誇り高き種族のはずなのに、それを感じさせないほどに華奢で、儚げで。
 ――守りたい。
 出会った時からずっとそう思っていた。
 彼女が話せないからとかそういうことではない。
 なぜかは分からない。ただ、そうしたいと直感した。それだけだ。
 そうだ。違う。
 「逃げれないからじゃない……ただ、守ってみせる…っ!」
 ケーゴは迷いを振り切るように彼女の手を離した。
 アンネリエの目が衝撃で大きく見開かれた。
 「ベルウッド!アンネリエの事頼む!できるだけ遠くに逃げてくれ!」
 それに気づかずにケーゴは叫び、駆けていく。
 「あっちょっと!待ちなさいよ!バカケーゴ!」
 そう叫ぶベルウッドの声すら聞こえず、アンネリエは力なく立ち尽くした。
 次第に遠くなる背中に向かって言いたいことはたくさんある。
 どうして、彼を呼び止めることができないのだろう。
 どうして、彼に伝えることができないのだろう。
 どうして、彼に聞くことができないのだろう。
 「…っ」
 どうしても声が出ない。
 どうしても脚が動かない。
 引き止めたいのに。追いかけたいのに。
 その代わりとでも言いたげに目からは感情があふれ出してしまいそうだった。


 ――ねぇ、ケーゴ。守るってそういうことなの?


       

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