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ミシュガルド冒険譚
されど愛しきその腕よ:6

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 獣が暴れたことで床が崩れ、機械兵の均衡が崩れた。
 「ビャクグン!」
 「はい!」
 その隙にビャクグンの斬撃が機械兵の左腕をようやくとらえた。
 力づくで左肩から下をを斬りおとす。
ウルフバードは苛烈な笑みを見せた。
だが、もう限界のようだ。
 「…っ」
 眩暈を覚えて体がふらついた。
思わず膝をついてしまう。
 気力も体力ももう尽きようとしているのだ。
 無理もない。魔法を行使しすぎだ。
 肺が焼ける。心臓が壊れそうだ。
 吐き気を覚えて口から漏れ出たのは血であった。
 これはいよいよ駄目かもしれんな。
荒い息の中手が赤く染まったのを見てウルフバードは自嘲した。
 それを見たビャクグンは思わず駆け寄ろうとする。
 「小隊長殿!!」
 「馬鹿…敵に…背を向けるなっ…!」
 かすれ声ながら激しさがこもる。
 はっとビャクグンの顔が衝撃を受ける。
 背後に殺気を感じた。
振り下ろされた剣を振り向きざまにビャクグンは受け止めた。
 重い。
 ビャクグンの力をもってしても受け止めるのに苦心する一撃だ。
 表情を歪める。
 そして悔しさを漏らした。
 「戒めを…っ」
 戒めを、戒めさえ解けば、この窮地を脱することができる。
 ここにいるすべての者を助けることができる。
 だが、決して破ってはならない最後の砦だ。
 ただでさえ怪しまれているのに、戒めを破れば確実に甲皇国には身を置けなくなる。
 それは、それだけはあってはならない。任務のために、里のために。
 「あの子たちのために…っ!!」
 ビャクグンの瞳が凄絶に煌めいた。
 渾身の力で剣を押し返す。
 そこに隙を見出したウルフバードが最後の力を振り絞って水に形を与えた。
 「…“刳”!!!!」
 激流の貫撃が機械兵の右腕を抉る。
 機械兵の剣がぐらりと力を失う。
 「はぁああああああああああああああああっ!!」
 ビャクグンは剣を振り上げ、勇ましく吠えながら機械兵の身体に打ち込んだ。
 塔の主は最後に耳障りな金属音を立て、爆発した。
 「やったのか…?」
 「そのようですね…」
 呆然と呟くウルフバードにビャクグンが答えた。
 2人とも満身創痍の状態だ。
 敵を倒した安堵からか、ウルフバードは意識を手放しかけた。
 「小隊長殿!!」
 慌ててビャクグンがその体を支える。
 「俺の体を支えるくらいなら…敵の一人でも倒しやがれ…」
 ビャクグンはすぐさましゃんと背を伸ばし、他の機械兵からの攻撃を受け止めにいった。
 悪態をつこうとしたウルフバードの口からは血霧が漏れる。
 今一度魔法を使おうものなら、体力を全て奪われ動けなくなってしまうだろう。
 「まったく……こういうタチじゃねぇんだがな…」
 自重を浮かべるウルフバードの視線の先、安置されていた藍色の宝玉は静かに輝いていた。

 爆発に過剰に反応した化け物はさらに暴れまわる。
 床のひびは獣を中心として広がり今にも崩壊しそうだ。
 「早々に決着をつけねばならないのである…っ!」
 ゼトセが駆けだした。
 それに続こうとしたシンチーの眼前に剣が降ってきた。
 塔の主の得物だ。爆発と共にここまで飛ばされてきたらしい。
 その切れ味は恐らく他の機械兵以上。
 シンチーは咄嗟にその剣を掴んだ。
 ずしりと重く、普段の剣よりも一回り大きい。刀身は紅く煌めいている。宝石でつくられているのだろうか。不思議な光と魅力を放っている。
 シンチーはその剣を構えた。
 チラとヒザーニャを振り返る。
 彼は笑っていた。
 「俺は大丈夫だ。行ってきな」
 無言で頷くとシンチーは駆けだした。
 
 「はぁあっ!」
 薙刀でもって獣と大立ち回りを繰り広げるゼトセの図はなかなかに壮絶なものだった。
 シンチーは彼女の援護に回る。
 「シンチー殿!小生がこやつを攪乱するである!」
 「わかりました…っ!」
 前日には想像すらつかなかった、両者の共闘。
 獣の尾を躱しシンチーは裏に回る。
 ゼトセは俊敏な動きで獣の正面に立ち、薙刀を構える。
 「今度はヘマしないである!」
 そう叫び薙刀を振り上げた。
 獣が吠える。
 空気が痺れ、体が畏縮しかける。
 それでもゼトセは駆けた。
 「でやぁあああっ!」
 一閃。獣はそれを躱しゼトセに食らいつこうとする。
 身体をばねのようにして跳ね跳び逃れる。
 再び一閃、前脚がそれを受け止めた。
 「今である!」
 獣の背後にいたシンチーがその言葉を合図に跳躍した。
 身体よ、今だけは痺れるな、動け!
 「やぁあああああっ!!!!」
 剣を獣の首に突きたてた。
 血液が噴出する。
 獣の暴走は激しくなった。
 剣を支えにしていたシンチーはしかしその激しさ故にたまらず飛ばされる。だが剣は放さない。
 「シンチー!」
 ロビンがヒザーニャの元を離れてシンチーを受け止めた。
 「シンチー、大丈夫か!?」
 「…えぇ、大丈……っ」
 シンチーの言葉は獣の咆哮に遮られた。
 首に剣を突きたてられてなお、獣は目の前にいるゼトセを狙い吠えたのだ。
 「きゃあああっ」
 辛うじて獣の前脚と拮抗していたゼトセの薙刀はしかし、彼女の身体ごと弾き飛ばされてしまう。
 獣が前脚についた翼を広げ、羽ばたいた。
 爆風が吹き荒れ、瓦礫の嵐が彼らを襲った。
 獣が飛んだ。
 同時に床が崩れた。
 獣は吠えながらゼトセに向かってあぎとを開いた。
 ゼトセは薙刀を構えた。
 「“障”!!」
 咆哮と崩落の中で雷鳴のような声が轟いた。
 ゼトセの目の前に水による障壁が築きあげられ、獣を阻んだ。
 その障壁の頑強さは前日身を持って知っていたのだろう、獣は最後にもう一度吠え、血を流しながらも高く跳躍し、塔の天井を突き崩して去って行った。
 瓦礫の雨が降る。
 水の障壁は既に消え、ゼトセは慌てて頭を守る。
 顔面蒼白なウルフバードと目があった。
 あの魔法はあの男のものであろうか。今にも倒れそうなその男の姿はゼトセの目に嫌にはっきりと焼きついた。

     


 轟音が響く。
 「うわっ…」
 ロビンはシンチーを抱えたままよろめいた。
 シンチーはロビンから飛び降り、剣を無理やり鞘にしまった。
 元の剣にも愛着はあるが、こちらの剣の方が強そうだ。
 と、その時恐ろしいほどの振動が襲った。
 再び轟音が響く。
 もはや塔の限界であった。
 床が崩れ、さらに傾きだしている。
 「こっ…これでは…!」
 薙刀を支えにゼトセは均衡を保つ。
 なんとか、瓦礫から身を守り、ロビンたちとの合流を図る。
 一歩踏み出した瞬間、床が崩れた。
 危うく落下しかけた彼女の腕を掴んだのはビャクグンだ。
 「かたじけじないのである」
 「いえいえ」
 ゼトセを引っ張り上げたのを確認してウルフバードはロビンたちに合流した。
 表情には疲労と焦燥が入り混じる。
 「まずいな…あの化け物が暴れたせいか…別の原因か知らねぇがこのままじゃ生き埋めだ」
 もう限界なのだろう。言葉もとぎれとぎれのウルフバードを見てロビンはそう察する。
 見れば脚も震えているし、顔色も蒼白だ。
 ロビンは焦りを隠さずに叫んだ。
 「とにかく、下へ急がないと…!」
 と、そこでシンチーが弾かれたように走り出した。
 駆ける先、身動きの取れないあの男がいる。
 「ヒザーニャ!」
 彼女の悲痛な叫びとゼトセの驚きの声があがったのはほぼ同時。
 「あそこ、霧が発生しているである!!」
 「何!?」
 驚き叫んだウルフバードの目にも、階下につながるその穴から濃霧が、自分たちをこの場所に導いたあの濃霧が湧き上がっているのが見えた。
 しかし、誰もが呆けてそれに対して何をすればいいのかわからなかった。
 一瞬の間の後、ロビンが怒鳴った。
 「全員あの霧に向かって走れええええっ!!!!」
 弾かれたように全員が駆けだした。
 床は崩壊を続け瓦礫もひっきりなしに落下してくる。
 振動に足をとられ、轟音に身をすくませながらも皆懸命に走った。
 中には落下していく者や落下物に潰される者もいた。
 ロビンは皆を先導するように走った。ゼトセとビャクグンは降りかかる瓦礫を弾いて安全な道を確保する。
 シンチーだけが流れに逆らってヒザーニャのもとへ走っていた。
 
 その中で。
 「っ…!」
 ウルフバードは肺が焼けるように痛むのを無視してよろめいていた。
 霧に向かって走れない。
 生死のかかった戦いの中で、もはや体があそこまで動いた方が不思議だった。
 柄にもなく、皆が生き残るために魔法を行使しすぎたようだ。
 もう魔法は使えないと、これ以上使ったら動けなくなるとわかっていたではないか。
 どうして見ず知らずの女のために魔法を使ったのだ。
 自嘲気味の自問。自重交じりの自答。
 あぁ、そういえばガキの頃はそれで軍人に相応しくないだなんてどやされたんだったな。
 が、どうしても自分はそういう気性だったのだから仕方ない。
 目が霞む。呼吸の仕方を忘れる。
 せき込むと血霧が辺りに散った。
 痛みを抑えるように胸を掴む。
 生きるために必死に前に進んだ。
 毒に苦しみながらももがいたあの時のように、手を伸ばし生を掴もうと足掻いた。
 霧があの時の杯と重なった。
 その時だ。
 瓦礫が身体を直撃した。纏う毛皮がその衝撃を最低限抑え込むが、ウルフバードはその場に倒れこんだ。
 「ぐうっ…!」
 また血を吐いた。脂汗がにじむ。
 もはや起き上がる力も残されていないかのように、立ち上がろうとしてはまろび、膝をつき、それでも前に進もうとした時だ。

 「っ…!」

 床が崩壊した。
 
 必死に動かした手足は宙を無意味にかき、彼は奈落の底へと吸い込まれるように落下していった。
 

 これは死であると、理解した。
 本当は一瞬の事なのであろう。だが、ウルフバードには死に向かうその瞬間が異様に長く感じられたのだ。

 ――なるほどな、結局この身体が災いする訳か。
 落下する中でウルフバードは自嘲を浮かべた。
 ――こんなところで死ぬのか、俺は。
 どうせなら死のうと思った時に死にたいものだったが。
 光が勢いよく遠のいていく。
 まったく、くだらねぇ人生だったな。
 そう結論付けた時だ。
 「小隊長殿おおおおおおお!!」
 自分を呼ぶ声がした。
 見るとビャクグンがこちらに向かって落下してきているではないか。
 唖然としてウルフバードは口を開いた。
 「…馬鹿が」
 その声色は、表情は柔らかい。
 思えば、彼の身を案じてくれる部下など今までいただろうか。
 否、自分は恐怖で人を動かすことしかできないのだ。
 あぁ、だからあいつは馬鹿だっていうのさ。
 「…こんな自分のために命を散らす奴がいるかね」
 「死ぬつもりは毛頭ありません」
 落下する瓦礫を巧みに使い、ウルフバードに追いついたビャクグンは、上官を抱きかかえ、今度は瓦礫をジャンプ台替わりに跳躍を始めた。
 みるみるうちに遠のいていた光が近づいてくる。
 そして、濃霧の中へ飛び込んだ。
 一瞬の出来事に呆然としているウルフバードに対してビャクグンは笑みを見せた。
 「…死ななかったでしょう?」
 「…やはりお前は大馬鹿者だよ」
 生の喜びをかみしめ、ウルフバードはため息をついた。
 

 シンチーはヒザーニャに肩を貸しながら必死に濃霧を目指していた。
 瓦礫に足をとられ、振動に均衡を崩しつつ、それでも着実に一歩、また一歩と進んでいた。
 「シンチー嬢、もういい。君も限界のはずだ!」
 「嫌です…っ!私は…あなたを助けたい…っ!!」
 ヒザーニャはその言葉に驚いたように目を見開いた。
 2人より先に霧にたどり着いたロビンはゼトセを先に進ませ、振り返った。
 もう残っているのはあの2人だけ。
 だが、もはや床の大半は崩れ落ちてしまい、壁も崩壊を始めている。絶え間なく瓦礫が降り、塔自体が今にも崩れてしまいそうだ。
 不思議なことに霧自体は周囲がどれだけ崩壊しようとも依然としてそこにあり続けるのだ。
 故に霧の中は安全地帯であると思われる。
 だから早く。早く来てくれ。
 「シンチィイイイイ!!」
 叫び、手を差し出した。
 もうすぐだ。もうすぐ彼女らもここまで辿り着く。
 後はこの手を握ってくれればこちらまで引き寄せられる。
 シンチーもそれに応え、手を伸ばした。
 その時瓦礫が落ちてきてシンチーの脚を砕いた。
 「あぁあああっ!!」
 絶叫が響いた。
 「シンチー!!」
 ロビンが霧から出て駆け寄ろうとする。
 しかしゼトセがその腕を掴んで引き止める。
 「駄目である!ロビン殿までも死んでしまうである!早くこの霧を抜けるである!!」
 「嫌だ!!シンチーがっ!シンチーがっ!」
 冷静さもなにもかもをかなぐり捨ててロビンは叫んだ。
 霧の効力がどこまであるのかはわからないが、今のロビンはほぼ全身を霧から出している。
 ゼトセは力及ばず彼に引きずられる。
 「この…っ、なんて固い腕であるか!」
 八つ当たりのように腕を引っ張るがびくともしない。
 「シンチー!」
 そんなことは気にもかけず、ロビンはシンチーに声をかけた。
 うずくまる彼女。足が瓦礫に挟まれている。
 ロビンはゼトセを無視して霧から飛び出そうとしたが、眼前の床が崩壊し、二の足を踏んだ。
 2人の間に生まれた大穴が2人を永久に離れ離れにする現世と冥府の境であるかのようだった。
 届かない。この手は届かないのか。
 「あ゛ぁああああ゛あ゛あああ゛ああ゛ああああああ゛あ゛あ゛ああああああっ!!」
 ロビンは絶叫した。
 その悲痛な叫びにゼトセの目から涙があふれた。
 そうだ。
 大切な者を助けることのできない無力さは、悔しさは、憤りは、その身を裂くものなのだ。
 ゼトセはそれを知っている。
 だから強くロビンを止めることができない。
 一方でシンチーとヒザーニャに、もはや後がないのもわかっている。
 それがたまらなくやるせなくて。
 「シンチー殿おおおお!ヒザーニャ殿おおおお!」
 叫ばずにはいられなかった。


 痛みのせいで一瞬意識が飛びかけた。
 立ち上がろうとしても、脚はびくとも動かない。
 シンチーが脚を斬りおとしてしまおうかと考えた時だ。
 「シンチー嬢…!」
 「ヒザーニャ…!あなた…っ」
 声がした。苦悶の中その方を見上げるとヒザーニャが槍を支えにして立っている。
 矢に貫かれた膝からはとめどなく血が溢れ見るだけでも痛々しい。
 それでも彼は笑った。
 「必ず、君を助けてみせるよ」
 「何を…」
 シンチーが言い終わらないうちにヒザーニャは槍を瓦礫と床の間に差し込んだ。
 てこの原理で瓦礫をどかそうというのだ。
 「そんなっ…!」
 彼の脚はそんな負担に耐えうるものではない。
 立っているだけでも難しい筈なのだ。
 果たしてヒザーニャは激痛に顔を歪めた。
 「ぐうううっ!!」
 「もうやめて…ください!ヒザーニャ!」
 何故、声が震えている。
 何故、視界が揺れている。
 頬を伝う液体。これは何だ。
 ヒザーニャは自らの体を支えにしながら瓦礫を動かした。
 「ぐぅううぁああああっ!!」
 力を込めるたびに苦悶の叫びはいや増す。
 「ヒザーニャ…」
 弱弱しいシンチーの声にヒザーニャは無理やり笑みを作って見せた。
 「そうだ、シンチー嬢、君の思いは見つかったかい?」
 場違いな質問にも思われた。
 今も瓦礫は降り注ぎ、地響きと共に2人は均衡を崩す。
 それでも、素直にシンチーは考える。
 「…わた…しの……?」
 「そう、義務でもなく、使命でもなく、君がほんとに願うことさ!」
 ヒザーニャが唸る。
 彼の足元には血だまりが出来ていた。
 シンチーはそこから目をそらした。
 ついに瓦礫が少し浮き上がった。
 脚の戒めから解かれ、シンチーは無理やり立ち上がった。
 再び霧を目指そうとするがもはやそこまで辿り着くための道は崩れ落ち、今自分たちが立っているこの場所ももう崩壊寸前だった。
 霧の向こうではロビンが必死に手を伸ばしている。
 シンチーも必死に手を伸ばした。
 しかしその手はとどかない。
 跳躍をしようにも自分もヒザーニャも脚に怪我をしているのだ。
 と、その時彼女の体が浮き上がった。
 否、ヒザーニャが最後の力を振り絞って彼女を抱き上げたのだ。
 シンチーが目を見開いてヒザーニャを見ると、彼は脂汗をにじませながら言った。
 「シンチー嬢くらい、抱えて投げ飛ばせると言っただろう?」
 「…っ!?…や…め…」
 何をするか、予想がついた。ついてしまった。
 それが恐ろしくてたまらない。
 シンチーはヒザーニャの腕にすがった。
 「やめ…てっ!ヒザーニャ、あなたも…っ!」
 「シンチー嬢」
 シンチーははっと息をつめた。
 ヒザーニャの声は驚くほどに穏やかだった。
 轟音と震動が響く中、不思議と彼らの間に静寂が広がった。
 ヒザーニャは微笑む。
 「もうわかってるはずだ。君が望むことは。最初から、君たちが出会った時からわかっていたはずだ」
 シンチーは首をぶんぶんと横に振った。
 わかりたくない。そんなのわかりたくない。
 「嫌…」
 苦笑が聞こえたような気がした。
 「ほら、向こうを見てごらん」
 「え…」
 その声に従って振り返る。
 何よりも大切な人が、こちらに向かって手を差し出していた。
 何かを叫んでいる。それを聞けるだけの余裕がなかった。
 ヒザーニャは続けた。
 「君が掴むべきは…掴みたいと願うのは、あの手だろう?」
 「………っ」
 嗚咽が漏れた。
 嫌だ。この腕も、この腕も掴んでいたい。
 我が儘を言ってもいいと言ったのはあなただ。
 だから我が儘を許して。
 お願いだから、一緒に帰ろう。
 とめどなく溢れる涙のせいでヒザーニャの顔がよく見えない。
 それでも、きっと彼はいつも通りきざったらしい表情でこちらを見ているのだろうと思った。
 「さぁ、生きてくれ、シンチー嬢。君の想いを、願いを叶えるために…!」
 そう言ってヒザーニャは最後の力を込めてシンチーを放り投げた。
 「…っ!!」
 何も言うことができずされるがままにシンチーは飛ばされ、その腕に、誰よりも彼女のことを想ってくれている彼の腕に抱きとめられた。
 ぬくもりが伝わってくる。
 苦しいほどに抱きしめられて、嗚咽が1つ漏れた。
 と、そこで振り返る。
 ヒザーニャが穏やかな表情で立っていた。
 「ヒザーニャ!跳べぇ!!」
 「ヒザーニャ殿!!」
 ロビンとゼトセの声は掠れていた。
 もう何度も自分たちの名前を呼んだのだろう。
 シンチーも彼の名を呼ぼうとした。
 だが声がうまく出ない。
 涙はこんなにも流れてくるというのに。

 ヒザーニャとシンチーの目があった。



 最期に彼は笑ったのだと思う。




 次の瞬間、瓦礫が降り注ぎ、ヒザーニャの姿は見えなくなった。
 
 「ヒザアアアアニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
 ようやく叫んだシンチーのその声は塔が崩壊する轟音にかき消された。
 ロビンとゼトセが身を翻す。
 彼らを包んだ霧はそのまま霧散し、塔は跡形もなく崩れ去った。


     

――――




 いつからそこに立っていたか、もう覚えていない。
 
 とにかく、森には泣き声が響いていた。
 しゃがみこんで涙を流し続けるシンチー。傍で慰めるゼトセも目に涙を浮かべている。
 ロビンは茫然と空を見上げたまま動かない。
 どうにか無事であったピクシーも今は黙ったまま彼らを見守っている。
 
 全てが嘘のようだった。
 昨日であったばかりの若者が。自分と年も近く会話も弾んだあの男が。
 魔法とも何とも判断の付かないものに巻き込まれ、全く見知らぬ場所に飛ばされて。
 そして、シンチーを、助けて。

 何もかもが消え去ってしまった。
 あの渓谷に行くのは困難だし、そもそも塔自体が崩壊してしまった。
 得たものは何もなかった。
 ただただ、喪失が彼らの胸に重くのしかかっていた。
 
 死とはかくもあっけないものなのだ。
 
 一瞬で大切な者が奪われる。

 遺された痛みは、悼みは、いつまでも心の最奥で彼らを苛み続けるというのに。


 「シンチー殿…」
 肩を優しくたたくゼトセに礼を言ってシンチーは立ち上がった。
 その先にいるロビンがのろのろと彼女に顔を向けた。
 「……ロビン」
 泣き続けて目が充血している。
 声も枯れている。
 体力も気力も限界で、彼の元へ進む足取りは頼りない。
 それでもシンチーは進んだ。
 手を伸ばした。
 「……私は…また、守れなかった」
 ロビンが痛みに耐えるような表情をみせた。
 「ヒザーニャも…あなたも…私がもっと強ければ…こんなことにはならなかったのに…」
 浮かんでは消えていく二日間の光景。
 シンチーはしゃくりあげた。
 「…私は…従者失格です……」
 ゼトセが息をのむ。
 ロビンも何かを言おうとしたが、やめた。
 シンチーがまだ何かを言おうとしたからだ。
 「あなたは約束してくれましたね…争いのないように世界をかたむけると。私が笑顔になれるような世界にしてみせると」
 「あぁ…」
 2人を繋ぐ大切な約束。2人の原点。
 その誓いがある限り、2人は。
 「私は言いました。ならばそれを手伝おうと。あなたを守ってみせようと。…私にはそうしなければ生きている意味がなかった」
 「あぁ…」
 本当はあの時死んでいた。
 それを助けてくれたのがロビンだ。
 ようやくみつけた生きる意味を、シンチーは失いたくなかった。
 だから彼に、誓いに、使命にすがった。
 「だから私は、あなたを守るべきだと、それが使命だと…自分に言い聞かせてきた。それ以上の我が儘は、言わなかった。最低限の使命を…果たしてきた」
 シンチーがまた一歩、ロビンに近づいた。
 涙を流す彼女の顔からどうして目を背けることができようか。
 「ミシュガルドに来て以来…あなたに助けられてばかりで…私は何もできていない……」
 シンチーが手を握り返せる位置まで近づいてきた。


 「…それでも…っ、それでも私は…あなたの傍にいたい…!」


 想いは響き、心の一番大事な場所に刻まれる。

 「守るべきとか、存在意義とか、そういうことじゃないの!私は…私はロビン、あなたと一緒にいたいの…っ」
 必死に言葉を紡いだシンチーの手が不意に乱暴に引っ張られた。
 ロビンがシンチーの手を取り抱き寄せていた。
 もう離さないとばかりにきつくきつく抱きしめる。

 「…ありがとう」
 ロビンの声は震えていた。
 「……うん」
 なされるがままに、ロビンの体温を感じる。
 自分を受け入れてくれる彼の優しさはどこまでも深く、どこまでも温かい。

 越えてはならない一線なんてはじめからなかった。
 大切なのは自分の気持ちで、欲しかったのはきっと使命とか存在意義なんかじゃなくて。


 願ったものはずっとそこにあったのだ。
 今はその温もりに甘えていたい。
 悲しみで凍てついた心が優しさを取り戻すまで。



 大切なことを教えてもらった。きっと、この出会いは一生胸に抱き続ける。
 されど愛しきこの腕よ。
 ずっと傍にいたい。いつまでもこの人と一緒に過ごしていたい。
 されど愛しきあの腕よ。





――――


 『へぇー…それで昨日は連絡がつかなかったんだね』
 「あぁ…それどころではなかったんだ。すまないね、ハナバ。心配をかけた」
 『まーったくだよぉー。エンジなんて駐屯所に乗り込む勢いでさぁ』
 「…あの子は、まったく。」
 『ま、許してあげてよ。エンジはエンジなりに心配だったんだからサ』
 「…それは……」
 『それにしても、何で助けたの?』
 「え?」
 『そりゃあ自分たちの使命は丙家の監視だし?ウルフバード・フォビアといったらアルフヘイムからすれば最重要人物なんだから近づけたことはすごいけどさ。でも見捨てることだって――』
 「ハナバ」
 『…っ』
 「…駄目だ。人の死を願うなんてあってはならない。助けられるなら、私は助けたい。ただそれだけだ」
 『……そっか。わかった。とにかく乙家には自分から全部伝えておくね』
 「あぁ、頼んだよ」


――――


 「…酷い目に遭った」
 森の中、ウルフバードはだらしなく地面に寝転んでいた。
近づいてくる足音の主を確認し、安堵したように目をつむる。
 「どこへ行っていた?」
 「…偵察です」
 「あぁ、そうかい…」
 渓谷からなんとか生還して、ウルフバードはそのまま数刻森の中で寝転がっていた。
 もはや歩いて帰る気力もなかったのだ。
 「…彼らはちゃんと戻れたでしょうか」
 ビャクグンが言わんとする人物たちを正確に理解し、ウルフバードは気のない返事を返した。
 「さぁな…。ま、無事だったらいいよな」
 たった一日程度の縁であったが、彼らのおかげで得たものも多くある。
 今度会うことがあったら礼をしようと思うウルフバードだ。
 「ただ、まずは駐屯所に帰らないとな…」
 そういえば、そもそもこの森にやって来たのはホロヴィズのあんちくしょうが来るから逃げ出したのがきっかけだった。
 それから一日帰還せず。
 駐屯所内で問題が発生しているかと思うとさらに帰る気が失せる。
 ビャクグンが苦笑した。
 「それでも、もう帰らないとさらに帰りにくくなりますよ」
 深くため息をついてウルフバードは諦めたかのように立ち上がった。
 確かにあれだけ休息を得たのだから、体力も魔力も戻っている。
 「…仕方ねぇな」
 共に生還した兵士たちを見回す。
 全員満身創痍で、顔も疲労一色だ。
 あれだけの死地をかいくぐってこの森に戻ってきたのはたった6人。
 ウルフバードは燃え尽きた体の、それでも生きていることの喜びをかみしめている6人の部下たちに遠くから声をかけた。
 「ご苦労だったな、お前たち。犠牲になった者も多かったが、お前らがいなかったら俺たちは生きてこの地に帰ってこれなかった。礼を言う。ゆっくりと休め」
 兵士たちは緩慢に頷き、敬礼した。まさか自分の上官が労いの言葉を書けてくるとは思いもよらず、戸惑いが見える。
 そんな彼らを見てウルフバードは口角を釣り上げ、呟いた。
 「“烈”」
 紡がれた言葉に従い、兵士たちが爆発した。
 軽い破裂音と共に森が少し揺れる。
 辺りに兵士の残骸が散らばる。
 血臭とも死臭ともとれない匂いが辺りに充満する。
 「小隊長殿!?」
 目の前の衝撃的な展開にビャクグンはさすがに声を荒げる。
 彼の抗議に臆することなく、彼はビャクグンを睨んだ。
 「…これで、秘密を知る者は俺とお前だけだ」
 懐から藍色の宝玉を取り出す。
 それを見てビャクグンは瞠目した。
 「それは…っ」
 「そうさ。ちゃんといただいてきたのさ」
 そう邪悪に口元を歪ませる。
 「…小隊長殿、まさかとは思いますがその宝玉を手にしたからあの塔の崩壊が加速したのでは…?」
 「だったらあの霧も同じ理由で現れたんだろ。文句ばかりを言われる筋合いはねぇな」
 言いよどむビャクグンに対してウルフバードは苛烈に笑った。
 「とにかく、このことを知るのは俺とお前だけだ。当然だが他言無用。ようやく手に入れた力だ…大切にさせてもらう」

 ロビンたちが知らず、ウルフバード隊だけが知っている事実。
 塔の1階の壁に壁画と文字が刻まれていた。
 それを発見したウルフバードは彼ら以外に知られないようにそれを削らせたのだ。
 ロビンたちが指摘したあの壁である。
 そこに書かれていた言葉は。
 「…アルキオナの石……」
 ビャクグンが厳かに呟いた。
 ウルフバードも凄絶な笑みをみせる。
 そして慈しむように宝玉を太陽に透かした。
 「そう。それがこの宝玉の名。…そしてこのアルキオナが導くは、ミシュガルドの玉座」
 


 その名も、アルドバラン。

     

 謝辞
 今回の話は「ミシュガルド合同調査報告所~1~」より「霧の谷」「天空浮遊上アルドバラン」を参考にさせていただきました。ありがとうございました。
 霧の谷/ http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=18230&story=27
 天空浮遊上アルドバラン/ http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=18230&story=32

       

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