Neetel Inside 文芸新都
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拝啓クソババア
一話

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親のいない人間はいない。これは別に何かの格言や大層なものじゃなく、至極当たり前の普遍的な事実であって、俺たち人間は皆それを知って生きている。直接聞いたわけじゃないがたぶんそこらへんの動物だってそんなことわかってるだろうし、道を歩く通園途中の幼稚園児だってなんとなくそれを知っている。別に自分の産まれた瞬間を見たわけでもないけど両親らしい人物を知っていて、なんの疑いもなくパパ、ママなんて呼んで甘える。とにかく俺の言いたいことは、皆母親の子宮の中で誕生して大きくなって大体ハンドボールくらいの大きさになったら産道を通っておぎゃあと顔を出すんだってこと。誰にだって親はいる。親なら子供がいる。当たり前だ。だからこそ俺が小学2年になるかならないくらいのときに親父が蒸発したときは俺もお袋もこの世の終わりみたいにして悲しんだし、それを契機にお袋が俺に対して暴力を振るうようになったとき俺はこの母親から産まれたという事実を認められなくなった。実際にはどこか知らないところに自分の本当の母親がいて、今目の前で俺を心ない表情で殴るこいつは俺のおふくろじゃないって具合に。そんなことを考える俺は出生記録の存在も知らない本当に愚かなガキだったし、むしろ小学生らしいとも言えた。でもその時はそれぐらいしか俺を救ってくれるような真実はなかったのだ。
そんな子供でもいつかは大人になる。人は誰でも大人になる。正確に言うとならざるをえない。身体的な意味じゃなく、精神的な意味で、ということはわかっているけど具体的に大人って、なんて聞かれると上手く答えることのできるやつは少ないだろう。俺もそうだ。タバコが吸える、風俗に行ける、手に職がある、なんてことはとても些末なことに過ぎなくて、きっともっとすごいことなのだろうと思う。俺は今年で26になる。世間的には大人と呼ばれる歳だけど、まだそんな実感は正直ない。もしかしたら他人から見れば俺は精神的にも大人なのかも知れないけれど、当の本人にその気がないんだから、たぶんまだ子供なのだろう。
大人ってやつにいつならなきゃならないのかというとそれも人それぞれバラバラで、早いやつはもしかしたら中学生でなっているのかも知れないし、逆に還暦を過ぎてもアダルト・チルドレンなんてやつもいる。ただ一つわかるのがなるべく早い方が良いのだろうなということ。たぶん俺にもそういう時期みたいなのが近づいてて、もうそこにあるんだろう。そしてそれがお袋を許すことにも繋がるのだろうと思う。東京に出て来てお袋と縁を切ってもう8年とちょっとの冬になるけど、俺の心の奥の少し仄暗いところでは、まだ憎しみの感情が巣を作って棲み付いてる。

       

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