Neetel Inside 文芸新都
表紙

黒兎物語
100 弱さの免罪符

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「我が育ての母ミハイル…いや、アレクシア。
子の過ちを正すのが親の役目なら その逆もまた然りだ。」

クローブは朽ち果てた聖母子像の前で、ミハイル4世を
アレクシアと呼んだ。彼にとって、アレクシアの名はただ単にミハイル4世の旧名の意味ではない。
かつて母と慕った彼女への愛と敬意を込めた名前だ。

男子の生まれにくいエンジェルエルフ族にとってクローブは神児のごとく寵愛された。
産みの母が亡くなり、近縁だったアレクシアの許に話が舞い込んできた。
だが、アレクシアは族長の娘もといエンジェルエルフ皇帝の皇太子であり、
本来ならば、彼の育児は乳母候補に挙げられた
ニツェシーア・ラギュリ、ソフィア・スビリミタス、フレイア・ジラソーレによって行われる筈だったが……
まず、ニツェシーアもといニッツェは拷問術や房中術などハードコアな方面での英才教育をしようと
意気込んでいたので却下となり、ソフィアは子供嫌いで当時 禁断魔法の勉強をしており多忙のためこれを辞退、
フレイアは極度の人見知りで育児などもってのほかでちゅと愛玩用ハムスターさんの腹話術を介してこれを辞退……
まったくもって引き取り手がなくなってしまった。
エンジェルエルフの男子は将来、次期皇帝もとい族長となるべき存在である。
これは困ったと悩んだ族長(アレクシアの父)は、やむなくアレクシアを乳母として
指名したのである。幸い、エンジェルエルフの女性は子供を出産していなくても母となれば
母乳が出やすい体質の者が多く、アレクシアもそれに外れることはなかった。
栄養的な面でクローブを育てることには何の心配もなかったが、アレクシアは相当難儀しながら
クローブを育てたと言う。さらに、アレクシアは子育ての間、父親の死と向き合わねばならず
後継ぎのいない動乱の中で急遽女帝ミハイル4世として就任し、
公務に励みながらも、クローブを育てたと言う。

「……母上」

朽ち果てた聖母子像にかつての想い出を重ねながらクローブは悲しげに呟く。
かつて、理想としていた親子の姿は確かにあったはずなのだ。
だが、もはや 今の2人の姿はこの聖母子像のように朽ち果てている。
どこで道を踏み外してしまったのだろうか。

母はいつしか選民思想に取り憑かれ祖国を自滅させようとしている、
アレクシアは亡き父の信念を叶えるべく、女を いや、母の顔を棄ててしまった。

アルフヘイムの精霊樹はエルフの物だ―

エルフ至上主義……ただその信念を守るためだけに、アレクシアの父は多くの獣人を殺した。
アレクシアはその父の信念は正しいと確信していた。
アルフヘイムはエルフだけの国家だったハズなのに
いつしかよそ者の獣人たちが我が物顔でのさばり、アルフヘイムの文化をズタズタに
してしまった。父はエルフがかつてのアルフヘイムを取り戻せるように獣人たちと戦っている―
アレクシアはそう 信じていた。だが、父は味方であるハズのエルフ(ダート・スタン)に殺された。
獄中死というあまりにも屈辱的な殺され方で。

父の復讐……それを成し遂げるためにアレクシアはミハイル4世となった。
だが、悲しいことに時代は彼女の復讐を許しはしなかった。
彼女が復讐に信念を燃やせば燃やすほど、アルフヘイムという国は
より一層エルフと獣人との和平・歩み寄り・多人種の理想郷として変貌していった。
そしてダメ押しの亜骨国大聖戦……エルフと獣人にとっての共通の敵、甲皇国の出現。
もはや、エルフが獣人を敵視するどころではなくなっていた。時代遅れと揶揄されながらも、
ミハイル4世はラギルゥやシャロフスキー、ゴールドウィン家を抱き込み、なんとかして
エルフ至上主義が風化しないように力を尽くした。

だが、子であるクローブはもはや狂信的思想と言える母はもはや今の祖国アルフヘイムには
マイナスにしかならないことに気づいてしまった。
戦時中だというのに、手を取り合い共闘を頑なに拒み、勝てるはずだった数多くの戦を
大敗と撤退の歴史に塗り替えた母ミハイル4世の愚行に クローブは我慢がならなかった。
断腸の思いの末、クローブはもはや母の存在こそがアルフヘイムを破滅に導く種となってしまっていることに気づいた。



母と子の対立は避けられなかった。

だが絶縁したとはいえ、クローブは母としてミハイル…いや、アレクシアを
忘れ去ることは出来なかった。だからこそ、たとえ鬼のような女であろうと、
かつて自分を育ててくれた母の死は辛い。だが、母の罪はそれほどまでに深い。だからこそ、せめて母の手で人生を狂わされた者の手で 母の悪業を止めてやらねばならない。



「……ディオゴ セキーネ……」

ちょうど、クローブが
ヌメロのべングリヲンナイフ、ネロのボウガンに加工を終わらせた時だった。
クローブは重い口を開いた。

ゼロマナ加工をディオゴの銃に、セキーネのワイヤーに施すために、
2人から各々の得物を貰い、加工を施しながらクローブは2人に語りかけた。

「……母が君たちにした罪を許せなどとは言わん……むしろ、憎むべきだ。
君たちは母のせいで、愛する家族を奪われたのだから。」

ミハイルはまず獣人族への攻撃の足がかりとしてアルフヘイムの最大人口を誇る
兎人族の融和を崩しにかかった。そのために、セキーネもディオゴも本来ならば同じ兎人族として親友同士で居られたハズの2人が白と黒の違いで分断されることになってしまった。
その過程で、セキーネは母を毒殺され、叔父をこの手にかけた。
ディオゴは妹を陵辱され、苦難の人生を歩まされた妹は 自分の目の前で殺された。
その全ての火種を作ったミハイルを2人は許すことは出来なかった。

「母は……自身の親が犯した過ちを認めることが出来なかった……それは彼女自身の弱さだ……家族の復讐に囚われ、自分の弱さから逃げた……! だが、その過ちはここで終わらせる。母の過ちのため、苦しみ傷ついてきた君たちに託す……どうか母を止めて欲しい。」

涙はなかった。祖国を思えばこその魂の願いだった。
そして、母の罪の精算をしなければならない。過ちを認めるために母の命を差し出し、悲しみを耐えねばならない。それが自分に課せられた使命だ。
クローブは確信していた。

「安心しろや。てめぇなんぞに頼まれなくとも、ミハイルはこの手でぶっ殺す。」

ディオゴはそんなクローブの願いを意に介さず、まるで罵倒するかのように返した。

「元よりクソババアはただでは殺さねぇ‥…腐れマ〇コが引き裂けて脳天から飛び出すぐれェに
ブチ犯してやっからよ……期待して待ってろや。
もっとも、しなびて その腐れマンコにちゃんと穴が開いてたらの話しだかよォ……ケケケ」

悪魔のように下卑た笑いを浮かべながらディオゴはクローブの顔を覗き込む。
元々の黒兎語特有の下品で下劣な表現を相まって、言動は畜生のそれである。
ディオゴの顔に、もはや愛情など一欠片も残ってはいなかった。
もはや呪いのようにディオゴに取り憑いた妹の死が、
彼から他者への愛情・慈しみ・思いやり……その全てを奪ってしまった。

戦友であるはずのクローブが過ちを犯した母ミハイルの暗殺を断腸の想いで託す心境を、
誰も理解できないわけではなかった。いずれにせよ、戦士としてその意図を汲み取るべきが本来の武士道や騎士道の定めである。
だが、そんなものにザーメンをブチまけるようにディオゴはクローブに食ってかかった。

「……言っとくが てめぇの母だからッつって少しも容赦なんザしねェから
そのつもりで居ろよ。そこらへんのボロゾーキンみてぇにして
城壁に吊るしてやるよ。」

通常の人間ならば、いくら母に非があろうともこれほど侮辱されれば怒っても、
誰もクローブを諌めはしないだろう。明らかに道に背いているのはディオゴの方だからだ。
正直、部下であるはずのヌメロの方が今にもディオゴに殴りかかりたい気持ちを必死で抑えていた。
だが、愛すべき妹を奪われた悲しみがディオゴをこれほど歪めてしまったのだと考えると
心の底からディオゴを憎むことは出来なかった。 必死に歯を噛み締めながら堪えるヌメロを他所に
だが、それでもなお クローブは少しも表情を歪めることなく、ディオゴの顔を見つめていた。


「……あなたがゲオルクから見限られた理由が分かる気がしますよ、ディオゴ」

気まずい雰囲気の中、セキーネが言い放った。

「あァ?」

張り詰めた怒りの糸がキレたように、ディオゴはかっと目を見開いた。
今にも一触即発の状態だ。ディオゴは今にもセキーネに殴りかからんばかりの勢いで、激しく睨みつけた。
もうそこに人間の知性など感じられなかった。ただの狂暴で凶悪なケダモノの黒兎がそこにはいた。

「……言葉次第で死ぬぞ おめェ」

ゴリ…ゴリ…と鈍い音を立てながら指中の関節を鳴らし、
ディオゴはセキーネを殺しにかかろうとした。
だが、それに臆することなくセキーネはそれに匹敵せんばかりの激しい怒りの表情で
ディオゴを激しく睨みつけた。

「……ディオゴ あなたは……!!
いや……お前は!
妹を……モニークさんを感情の捌け口に使いたいだけだ!!!
おまえが!! 憎悪と殺意を他人に八つ当たりして発散してるのは!!
全部、妹さんが死んだから許されると思ってるからだ……!!!」


「ッあァ!!ゴラあァ!!!」

もはやディオゴはセキーネを殺す勢いで飛びかかった。
だが、ネロがすかさずそれを背後から抑える。

「おまえは妹さんを利用して……憎悪と殺意を吐き出してるだけだ!!
おまえは……っ!! 最低の……クズ野郎だ!!!!」

後にネロは語る。セキーネがこれほどまでに口調を荒らげ、
そして 怒りを露にしたのは人生最初で最後だったと。

「オォラァ!!でめ゛ェ!!マジでブッ殺っ!!」

殺すと言いかけるのを待たず、ヌメロがディオゴの頬に平手を食らわせた。
無言のまま、ヌメロはディオゴを悲しく見つめた。ディオゴは我に返ったのかのように、ヌメロを見つめる。

ヌメロを見つめ、ディオゴは無表情のまま目を見開き、涙を流し、うなだれた。

「……いい加減にしろよ このボケが……!」

ヌメロは奥歯を噛み締め、溢れる涙を堪えながら搾り出すように言った。
今でこそ主人となったディオゴではあるが、かつて兄弟分だった。
ヌメロは良き義理の兄として、ディオゴの道を正す存在であったはずだった。
それがいつしか 道を踏み外してしまった。全てはモニークが陵辱されたあの日からだ。
ヌメロは、ディオゴに同情して慰めるだけの人間になってしまっていた。
だが、誰かがディオゴを正してやらねばならない。

「復讐はてめぇの弱さの免罪符になんかならねェんだよ……」

ヌメロはディオゴの頬を優しく撫でながら言う。
復讐を理由に弱い自分を免罪符にしていいハズなどない。
いつまでも免罪符として利用されるモニークがどれほど悲しむかを考えるべきだと誰かが言ってやらねばならない。
かつて、ゲオルクもディオゴに同情するが故に正すことが出来なかったと
セキーネに漏らしていた。セキーネはヌメロにそのことを話し、
いつかディオゴの生き方を正すべきだと話し合っていたのだ。

憑き物が落ちたようにディオゴはうな垂れた。ネロも
そんなディオゴの姿にもはや彼を拘束するつもりはなく、やるせなくただ彼の腕を離すしかなかった。

「……すまない」

ヌメロはクローブに向かい、膝をつき詫びた。男である以上、仲間に諭されて面目を潰され、
もはや精神は謝罪どころではないディオゴに代わり、非礼をどうか許して欲しいと
心の底から願った。


「……謝るな、謝るのはこちらの方だ。」

クローブはディオゴに詫びた。
母の過ちが一人の獣人をここまで追い詰め、苦しめてしまったことに。
エンジェルエルフ……天使の名を持つエルフ族に相応しい人格者だった。

       

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Neetsha