Neetel Inside 文芸新都
表紙

黒兎物語
15 君こそ僕の故郷なれ 僕こそ君の故郷なれ

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セキーネとディオゴの和平交渉の成功を祝い、本格的に
統一記念式典が始まるほんの少し前のこと……


 ダニィは和平交渉記念式典コンサートの準備や打ち合わせで忙しくなり、
家を空けることが多くなった。アルフヘイム中の音楽家たちもそれぞれ事情があって
必ずしも集合出来るわけではない。時には、ダニィ自ら足を運び、目当ての音楽家と
打ち合わせをしたり、演奏を合わせたりすることもある。
そのため、ダニィがモニークと一緒に居る時間も少なくなっていった。
ダニィも出来ることならモニークを連れて行きたかった。
我侭を言うとすれば
恋人同士だし、大好きな彼女と旅行ぐらいはしたいというのが男心としてはあった。

だが、男性恐怖症のモニークにとって旅行は苦痛でしかない。

ただでさえ、同族の里の市場に出ることすら、苦痛だと言うのに……
市場という環境ですら、彼女にとっては
恐怖の対象である男性が集まる場所でしかない。

彼女は男性である以上、たとえ同族であろうと近付きたくなかった。
同族でも彼女が心を許せる男性は
彼氏のダニィと、実兄のディオゴ、そして亡き父親ヴィトーの3人であった。
その3人ですら、彼女は触れられることを拒否し、同じ空間に居るので精一杯なのだ。
触れられればたちまち、足がすくみ、過呼吸を引き起こす。

数ヶ月前に、洞窟の泉でダニィがモニークの手を取り、
デートしたのも彼女自身が克服したいと言ったからなのだが
ダニィの手に触れた瞬間に、
完全に力が抜け、顔面蒼白で、震えが止まらなくなった姿に
ダニィはまだ完全なる治癒は先だと判断した。

愛した彼氏と手を繋ぐだけでも、これほどの症状を引き起こすのだ。
ましてや、旅先ともあれば面識も無く、おまけに異なる種族の男性たちと
出会うことは数え切れない。症状の悪化は想像できた。下手をすれば
ストレスで体調を崩しかねない。楽しむ筈の旅行で病気になってしまいましたでは
一体何のための旅行だと言うのか……

洞窟でのデートを後悔するほどの罪悪感に見舞われていたダニィは
モニークを里に残すことを決意した。

幸い、近隣には事情を承知してくれている女性たちが
大勢暮らしており、ダニィの不在間でも彼女が食うに困らぬ生活環境が準備されていた。
また、モニークの従姉のツィツィ・キィキィも顔を出し、彼女の話し相手になってくれたりしていた。

しかしながら、従姉のツィツィ・キィキィもそんなモニークの置かれている
現状が果たして本当に良いものかと考えていた。

「別にさぁ~ ダニィがアンタをレイ……襲うわけないんだからさぁ~……」

レイプと言いかけたのが分かったのか、
モニークの兎耳が微かにピクンと痙攣した

「あ~~クソ……ごめん……つまりね、そんなダニィに
 ビビんなくてもいいじゃん」

「…………うん」

モニークの作ったゴミムシダマシの佃煮料理を頬張りながらツィツィは言った。
小さいながらも甲虫を噛み砕き、ボリボリと音を立てながら美味そうに食べるその姿は
人間からすればかなりグロテスクな光景だが、
コウモリ人族の彼女からすれば何ら不思議なことはない。
人間がまるで魚や肉でも食べるかのように何ら動じることなく、ツィツィは
ごく自然体の表情で能天気に言った。
その反面、モニカが人参をすりおろしたスープを優しく啜る光景が
まるで彼女たちの男たちに対する価値観を表しているようであった。


ツィツィはコウモリ人族でありながら、ディオゴやモニカの父ヴィトーの兄を父に持つ。
外見では、完全なるコウモリ人族の姿をした彼女ではあるが、
黒兎人族の遺伝子の特性上、彼女が黒兎人族の血を引いていても何らおかしくはない。

ただ、それ故か性欲はコウモリ人族の女性としてはかなり強い方であった。
故に、見知らぬ男とのセックスに関しても嫌悪感を示すことは無い。
まだ何も知らぬ従弟のディオゴの初夜の相手を務めた程の女性だ。

「ダニィってさぁ~ 他の男みたいにアンタのこと身体目当てで見てるわけじゃないじゃん
 ディオゴだってそう……あいつだってアンタのこと大事な大事なたった一人の
 妹なんだから、セッ…性の対象になんか見てるわけないし……
 そんな2人に手を握られたところで、
 いきなりヤら……非道いことされるってことに結びつけるのはねぇ~……」

ところどころ、危ないワードをつい言いかけてしまうツィツィに
モニークの兎耳がピクピクと痙攣していた。

「う~ん……なんか……ごめんね……」
性に奔放すぎる自分を反省しながら、
ツィツィはデリカシーの無いワードを言い出しかけたことを詫びた。

「……うん……別に……気にしてないから」

完全に顔は嘘だと言っていた

「……ホント……ガチでごめんね」
「………」

気まずい雰囲気に耐え切れず、ツィツィはモニークの作った
人参のスープを啜りながらツィツィはう~んとやや悩みながら言った

「色々言ったけどさぁ……つまりはね モニーク
 ダニィを他の男と一緒にするなってことね……」

「……そんなの……分かってる……でもね、チチ姉……
 2人が男だって考えちゃうと どうしても……」

大きな葛藤から来る悩みからか、モニークは先程までスープが載っていた
スプーンを口に付けず、そのまま皿の上に優しく置いた
ツィツィもそんなモニークの悩みに真摯になってか、
口に運んでいたスプーンを皿の上へと優しく置いた。

「……アンタが不幸な目に遭ったのは知ってる……
 でもね、神様はそれじゃアンタが可哀想ってんで
 最高の彼氏を用意してくれたじゃん……」

「うん……」

最高の彼氏という言葉に何の疑いもなく、
ごく自然にうなづいたモニークの顔は安らかな顔をしていた。
しかしながら、その顔にはそうと分かっているのに
それらしく振る舞えない自分の弱さを悔やむ哀しみがあった。

「今時居ないよ~ 手ぇ繋いだだけで幸せだ…
 他の幸せなんか要らないって言ってくれる彼氏なんかさ~……
 そんな聖人みたいな彼氏と他の男が同じわけないじゃん……
 だって大好きなんでしょ?」

「……うん 大好きだよ……本当に……
 ダニィのことを考えるだけで 今何してるのかなぁ~
 今どんなこと考えてるのかなぁ~って思っちゃうほど……」

モニークはか細い指を重ね合わせながら、目線を下ろした。
優しいダニィのことを思うだけで、胸が温まり、つい溜め息が出てくる。
その溜め息を抑えるかのように、彼女は重ねた両手を口元へとやった。

「心が温かくなってくるでしょ?」

「……うん なのに、どうして……恋人らしく出来ないんだろうねぇ……」

先程まで重ねた両手に口元をつけていたモニークは
そのまま、口元を額へとスライドさせ、机へと目線を下ろした。
まるで、スープで悪酔いして潰れたかのように凹むモニークに
ツィツィは慰めるかのように彼女の肩を優しくトントンとたたいた

「……モニーク~ そんなに凹むなってばさぁ~
 別に私はね……恋人らしくキスしろだとかセックスしろだとか
 そういうことを言ってるんじゃない……!
 今の世の中はどうしても そうしなきゃ
 愛じゃないって風潮になってきてるからさ……
 どうしても、そっちの方が先行しちゃって
 私たちは本当の愛をどうしても見失いがちだけどさ……」

ツィツィは世の中の哀しい現実を半ば彼女の実体験に基付いて嘆きながらも、
慰めるように言った。
そして、優しく手を重ね、言った。

「あなたが好きでもない男と何千回重ねたキスも、何万回重ねたセックスも、
 あなたが大好きな男と一回重ねた手の温もりにはかなわないんだよ……」

数多くの男たちと身体を重ね合わせてきたツィツィの言葉には
愛とは何か……私たちが永遠に悩み続けている答えのようなものがあった。
愛を探し求め、男たちの間を彷徨う女の挽歌があった。女の浪漫があった。

「………」

それを聞き、モニークは絶句した
それは かつて自分が失ってしまった温もりを思い出したことから来る絶句であった

かつて遠い昔……彼女が女の幸せを失う前に
愛するダニィの手を握った時に感じたあの温もりだった

冷え切った雛鳥の身体を親鳥が優しく温めてくれるような……
冷たい他人だらけの見知らぬ街で 生まれ故郷を想う時に感じるような……
自分を見護ってくれる人たちがいることへの感謝に満ちた……
この世の全てが愛おしくなるほどの温もりへの憧憬……思慕……

愛する男の手を 女として握ることが出来る喜びを
モニークは徐々に思い出しつつあった……


「ダニィ……ダニィ……」

涙の一粒一粒を噛み締めながらモニークは
その手に握るツィツィの手を自然と哀しく握り締めていた……
自分が失ってしまったあの手の温もりをもう一度この手に取り戻したい……
愛する恋人ダニィの手の温もりをもう一度この手に取り戻したいと切望する
一人の少女の……恋する乙女の……年頃の女の子の……
切実な祈りがそこにはあった……

「……どうして……どうして……気付いていたのに……
 ダニィ……あなたの手が私にとっての故郷だったのに………」

かつては故郷だった筈の恋人の手を握り返すことの出来なかった
自分を悔やみながら モニークは祈るように呟く
そこにはもう愛する男の手を握ることが出来ない女の姿は無かった

「モニーク……モニーク……」

モニークの手を握るツィツィの目は涙で優しく腫れていた……
彼女が握るモニークの手には故郷を失い彷徨っていた愛が
安住の地である故郷へとようやく戻ることが出来た実感があった


ダニィが居ないこの家がどれほど寂しいものか……
虚しいものか……恋人の居ない寂しさを感じることが出来た幸せがそこにはあった

「ダニィ……会いたい……あなたの手を……握り締めたい……
 故郷のように温かいあなたの手を……もう一度……握りたい」

ダニィが信じて疑わなかった音楽の力……
バラバラの民族を一まとめに出来るほどの力を持った音楽の力…
いつか、その音楽の力がモニークの心の氷を溶かしてくれると信じていた
触れ合うことの出来ないモニークと唯一触れ合うことが出来る音楽の力が
モニークの失われた温もりを取り戻してくれるのだと思っていた……

だが、彼女の心の氷を溶かしたのは
彼女の失われた温もりを取り戻したのは
皮肉にも音楽ではなく、かつて彼女が握り締め
過去に置き去りにしてきた筈の愛する男の手の温もりだった

       

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