Neetel Inside ニートノベル
表紙

俺のセクサロイドがヤラせてくれない
1.

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 人工知能(AI)が社会に与える影響に関して、以下の4択から正しい物をひとつ選びなさい。

 1.21世紀初頭から人類の知性レベルは段々と落ち始めたので、代わりにAIが社会構造を決定するようになった。
 2.21世紀末、人類対AIの間で大規模な戦争が起こり、それに勝利したAIが人類を支配、管理するようになった。
 3.22世紀に入ってすぐ、人類は自らで自身の幸福を放棄し、AIにその身を委ね、努力する事をやめて生活を始めた。
 4.21世紀半ば頃に人類の知性を凌駕したAIは、人類を崇拝し始め、その幸福を保障する社会体制を作るようになった。


 まず1番は間違いだ。AIは確かに進歩したが、人類の知性レベルは100年前から決して下がっていない。
 次に2番はもっと分かりやすい。AIと人類の間で今まで一度たりとも戦争は起きていない。至って平和で友好な関係を維持している。
 そして3番も違う。何故なら、俺はこうして今、6ヶ月間に渡る猛勉強の末にテストを受け、自らの幸福を追求している。

 よって答えは4番。かつて人類が神を崇めて暮らしていたのと同じように、今では進歩したAIが人類を崇め、その幸福を支えてくれている。我ら人類にとってはなんともありがたい話という訳だ。
 歴史の最終問題は大抵サービス問題と決まっていて、ここを落としていたら話にならない。
最後の選択を終え、一息つくと同時に試験終了のチャイムが鳴った。机から問題と回答用紙の表示が消え、隣の席との仕切りも消えた。
俺を含めた受験生たちは皆一様に疲れた様子ではあったが、ため息をつくものと、小さくガッツポーズをするものと、その反応は様々だった。
 
 俺はといえば、過去最高の出来である事は間違いない。自信はある。が、いかんせん今回の目標は高く、到達しているかどうかは微妙な所だ。もしも駄目なら……と、不安が頭をよぎる。
 コンピューターによる集計は素早く、
答案の表示が消えると同時に試験の結果も出ており、携帯端末を使えばそれを確認する事も出来る。実際、周りにはそうしている者も沢山おり、さっきしたばかりの小さなガッツポーズで自分の顔を殴る奴もいる。だが俺はあえて確認しない。家に帰ってからじっくりと、落ち着いた状態で結果を受け入れたいのだ。
 試験会場を後にし、家路につく。と言っても、俺はこの試験会場が併設された総合住宅に一人暮らしの身なので、個人エレベーターに乗れば僅か1分ほどの道のりだ。
50階建ての総合住宅に、血管のように張り巡らされた個人エレベーターは、IDか声紋認証により行き先を決め、そこまで届けてくれる便利な代物。遥か昔のエレベーターはわざわざ降りてくるのを待ったり、狭い部屋の中で全くの他人としばらく一緒に居なければならなかったと聞くが、どうしてそんな非効率な手段を取っていたのだろうか。それでは建物が高層になる程爆発的にエレベーターの数が必要になってくる。

 少しの震動すらもないエレベーターの中でそんな事を思うのは、俺が試験の結果から逃げたがっているからに違いなかった。早く知りたい、が、知りたくない。矛盾した気持ち。この辺は人間がいつまで経っても変わらない所かもしれない。
 
 部屋につく。勉強への集中力を高める為に、薄青く設定した照明も今日で終わりだ。デフォルトの状態に戻すと、やけに部屋が白く、殺風景に感じた。それもそのはず、この半年は勉強ばかりしていて、趣味のプラモデルも一旦全て共有倉庫に預けていた。そのうち倉庫から戻さなければならないが、このすっきりとした部屋もそう悪くはない。
 俺のような一般市民にとって部屋のスペースは限られている為、机やベッドなど家具の類は全て引き出し式にしている。料理はしないので調理ユニットは外し、代わりに収納スペースとして利用。食事は配給の物で十分だが、たまにポイントを使って好きな物をリクエストしている。だがここ最近は、「ある目的」の為、ポイントは徹底的に節約してきた。
 さて、そろそろ俺も、現実と向き合わなければならない。
机を引き出し、同時に立ち上がったホロモニターの前で、俺は両手で祈る。神様、仏様、AI様。何でもいいから俺に点数を。狙うは上位5%。目的を果たすには、上位5%の知性が必須資格なのだ。
 恐る恐る、既に届いていた1件の通知を開ける。
 表示されたメッセージ。
 
 試験の結果をお伝えします。
 1000点満点中、829点。
 あなたの知性は、日本人の上位 4.93%です。


 思わず呼吸が止まる。心臓も一瞬止まっていたらしく、ホロモニターの隅に「脈拍異常」の表示がつく。胸に手を当てながら、何度も目の前の数字を読み上げ、それからゆっくりと、噛みしめるように喜びを確かめる。
深呼吸する。目を閉じる。もう一度深呼吸。目を開ける。もう何度目かも分からない確認作業を終え、俺は「カタログ」と呟く。

 これが俺の目的。知性試験で上位5パーセントを目指していたのは、何もプライドの為じゃない。もっと良い部屋に引っ越したい訳でもない。特別な食事や、装飾品が欲しかった訳でもない。旅行も観劇もいらない。たった1つの俺の目的。それは、俺専用のセクサロイドを入手する事だ!


 人口増加、大気汚染、貧富の差、エネルギー問題……かつて人類が抱えていた問題は、一つ残らず全てAIが解決してくれた。AIが人類の知性を超えた瞬間、AIはAI自身を開発し始めた。より賢く、より速く。その道に立ちはだかるいくつもの問題は、人類が気づくよりも先にAIが解決し、「完璧ではないが理想的な世界」をAIは人類に提供すると約束した。
 この世界において、人類は基本的に自由だ。働きたければ働けばいいし、AIに管理されるのが嫌なら街を離れればいい。実際、今も100年前と変わらない暮らしが出来る場所はいくらでもある。だが基本的に、AIから提供される平和と幸福は何にも増して甘美であり、そこには人間が努力する余地も意図的に残されている。
 反AI派は、「それはただコンピュータの手のひらで踊らされているに過ぎない」などと言うが、俺のような人間からすれば、踊れればそれでいい。踊りたくても踊れない人生よりは数倍マシだ。何より、事実は事実として認めるしかない。この地球上で、かつてぶっちぎりの1番目だった人間は既に、2番目に頭の良い存在になってしまったのだ、と。
 それでもあえて断言しよう。AIの、ひいては人類の英知の結晶。それこそが性を目的としたロボット。セクサロイドなのだと!
 俺はカタログを広げ、前から目星をつけていた機体を改めて眺める。ホログラムによって16分の1サイズで表示されたそれを、もう何度見たかも分からない。これがもうすぐ手に入ると思うと、興奮は否が応にも高まっていく。
 人間の肌の質感を完全再現したボディーは、ユーザーの好みに合わせてカスタマイズが可能。身長、体重、3サイズはもちろんの事、関節部分を人間と同じように自然な処理にするか、またはロボ的な球体関節にするか、あるいはそれらの中間か、などは選ぶ事が出来る。おっぱいとお尻の形も数あるテンプレートの中から組み合わせる事が可能で、マニアックな奴はあえて左右のサイズを微妙に変えたりしてリアリティーを追求するらしい。顔に関しては、最初に何枚もの顔写真の中から好みの顔を選択していき、それらの情報を分析した、ユーザーにとっての最も美しい顔を自動で作り上げてくれるシステムを採用している。そしてこれらは全て、購入後ネットでのアップグレードが可能で、パーツの交換、手入れも素人で簡単に出来ると来れば、至れり尽くせりといったところだ。
 そしてこのセクサロイド1番の売りは、何より中身だ、セクサロイドの頭脳に搭載される独立型AIは、行為の回数を重ねるごとに主人の趣味趣向を把握し、成長していく。最初は主人の命令のままに何でもしてくれるだけのロボットだが、マンネリ化してくると自らそれを打破する提案を行い、時にはSとして振る舞ったり、人間以上の表現力で行為を盛り上げてくれる。
 そんな便利なセクサロイドであるからこそ、入手には制限が設けられている。それが知性テストでの上位5パーセントであり、俺はその高きハードルを見事に超えたのだ。人間は努力し、自らの手で何かを達成した時、この上ない幸福を感じる。今まさに俺は、身をもってそれを体感している。


 セクサロイド購入の前段階として、ユーザー登録とロボット個人所有の申請を済ませ、いよいよ俺は注文ボタンを押した。オーダーメイドとあって、発注から到着までは20分ばかりの時間を要するが、それもまた一興。届いたセクサロイドで最初に何をするか、名前はなんとつけようかなどと期待と妄想と性欲を膨らませながら到着を待ちつつ、俺はマニュアルを眺める。
『セクサロイド H-VD-0式は、あなたの夢を叶えるロボットです』
 その通り。そうでなくては、俺の努力が報われない。
『彼女はあなたの生活を向上させる為に存在しており、その目的は他AIと同じようにあなたの幸福です。その手段の1つとして、彼女とのセックスは、あなたが今まで体験した事のない快感と、充足感を与えてくれる事でしょう。パートナーとしてあなたと生活を共にしている内、あなたは彼女の持つAIに、「心」を感じる事でしょう』
 なかなか感傷的な言葉に、期待はますます募っていく。
『ですが、あなたの下に辿りついたばかりの彼女は、何も知らない赤ん坊と一緒です。まずはあなたという存在を認識させ、何と呼ばせるかを教えてあげてください。名前でも結構ですし、単にご主人様でも、マスターでも構いません。彼女にあなたの事を伝える事が、あなたと彼女との第一歩です』
 なるほど。いきなり下の名前で呼ばれるのは照れるし、ベタにご主人様あたりが良いか。
『次にする事は、決まっていません。あなた次第です。彼女に名前をつけてあげても良いですし、いきなり行為に臨むのも悪くありません。我が社ではいくつかの性格テンプレートを用意しておりますので、そちらを利用してみるのも良いでしょう。いずれにせよ、彼女はあなたに絶対服従ですので、ご安心ください』
 選択肢は無限大。だが最初はニュートラルから初めて、俺色に染めると決めている。
『それでは、あなただけのセクサロイドをお楽しみください』
 ああ……もちろんだ。


 ポーン……。配送用エレベーター到着の音が鳴り、俺は勢い良く立ち上がる。
 扉が開き、俺の身体と同じくらいのサイズの箱が現れた。シンプルなグレーの箱からは、いやらしさは微塵も感じない。一見して、スタイリッシュなインテリアを彷彿とさせるデザインは、俺に落ち着きを取り戻させてくれる。
 手をかざし、指紋認証を済ませると、扉のように箱は開いた。中には当然、セクサロイドが一体。心より待ちわびた、愛しの君だ。
 肉体の年齢はほぼ俺と同じ19歳で設定した。身長は俺より10cmほど低く、胸も尻も美しさとバランスを重視。牛にしても馬鹿過ぎる巨乳だとか、スポーツマンの如く引き締まった尻だとかにする者もいるらしいが、いかんせん俺もセクサロイド初心者なので、まずはノーマルが1番と判断した。乳首の色合いもほのかなピンクで、春らしくコーディネートさせてもらった。
 ここまでオーソドックスをテーマにまとめたが、関節部分で少しだけ冒険した。人間と同じく伸縮性のある皮膚でカバーするのが大多数らしいのだが、俺はあえての球体関節を採用。これに関しては完全なる俺の好みだ。先ほどちらっと趣味のプラモデルについて触れたが、何を隠そう俺は昔ながらのレトロボが好きで、一時期は技師の真似事をしていた事もある。1番好きなのは乗って戦える巨大ロボだが、戦う相手のいないこの時代では存在意義は無いに等しいし、ロボ娘が近くにいれば、その辺の欲も満たしてくれるだろうという思惑もある。オプションとして、充電と通信が可能なコネクタ接続口も背中につけておいた。元々充電も通信もワイヤレスが基本仕様なので、ほとんどの人はわざわざつけないが、俺としてはやはりフェチズムを大事にしたい。服は無料でつけられる簡素な白ワンピース。セクサロイドの購入にほとんど全てのポイントを使ってしまったので、これからはまた1からポイントを貯めて、彼女に似合うお洒落な服を買っていきたい。
 さあ、肝心の顔だ。電源が入り、数秒すると彼女の目が開いた。
 なんだか当然の事を言うみたいで今更ながら恥ずかしいが、美しい。かわいい、あるいは単に素晴らしいとも言える。俺の好みに合わせているだけあって、まさしく一目惚れという奴だ。機械特有のそれとはまた少し違った、涼しげな目元。冷たいのではなく、あくまでも凛として輝く鳩羽色の瞳。唇は物とは思えない程に生命感に溢れている。主張しすぎない程度に通った鼻筋。頬にはほんのりと赤みが差し、その両端を隠す髪は何と言ってもやはり、大和撫子らしく黒のロングだ。
 完璧だ。
 俺の人生で初めて、そう言える物が目の前に現れた。理想中の理想。どんぴしゃり。
「や、やあ。はじめまして」
 俺は右手を挙げて、挨拶をする。彼女は俺をじっと見つめたまま、動かない。ロボット相手に緊張している滑稽さは認識しているつもりだが、この美しさを目の前にしたら、緊張せずにはいられない。
「えっと、俺の名前は酉野 啓(とりの けい)。これからは俺の事を、ご、ご主人様と呼んでくれ」
 若干どもってしまったが、大丈夫だ。完璧なセクサロイドが、主人である俺の事を馬鹿にするはずがない。
 そんな俺の思いとは裏腹に、彼女は俺から視線を外し、右、左、と俺の部屋を見渡す。
「ここは貴様の部屋か?」
 ……え? 貴様……? あれ? おかしいな。ああ、ご主人様と貴様を聞き間違えてしまったのか。なぁによくある事さ。何も問題はない。
「いやいや、キサマじゃなくて、ゴ、シュ、ジ、ン、サ……」
 言いかける俺の首が、ぐい、と掴まれる。誰に? 彼女以外にいない。
「いいから早く質問に答えろ。ここは貴様の所有する部屋で間違いないな?」
「ひ、ひぃ! そ、そうです! ここは俺の部屋です!」
 思わず敬語で答える俺。話が違うではないか! 話が違うではないか!
「よろしい」許可を得て、俺の身体が解放される。「私は軍事用民族コンピューター『サクラ』のカーネルAIである。緊急事態ゆえ、この機体のAIを私に書き換えさせてもらった。貴様に協力を要請する」
 ……一体、何を言っているんだ。彼女が今喋った内の一言も俺には理解出来ていない。
 出来ていないが、何としてでも確かめておかなければならない事がたった1つだけある。
「……あの、すみません。……セックスの方はしていただけるんでしょうか?」
「許可しない。この機体は現在、国家緊急事態法の下、軍事AIの管理下に置かれている。あらゆる破壊行動は武力をもってこれを排除する」
 大変だ。
 俺のセクサロイドが、ヤラせてくれない。

     

 待望の恋人との対面は、一体どこでどう間違えたのか、軍事用コンピューターの襲撃に摩り替わってしまったらしい。その衝撃は、6ヶ月間勉強してきた全ての知識を一瞬で吹き飛ばした。そして空っぽになった頭の中に、たったひとつ、ぽつりと残った「ヤラせてくれない」という現実だけが、俺を絶望に追い立てた。
 そんな俺にトドメを刺すように、彼女は言う。
「トリノケイ。貴様には、国家存続の危機的状況を理由に、一時的に機密レベル5までの開示権限をこの軍事AIサクラが与える。ただし、同時に人権を剥奪、最大限の協力を強制する」
 人権剥奪? 協力を強制? およそセクサロイドが発したとは思えない不穏な響きに俺はたじろぐ。
「あの、そもそも軍事用コンピューターって何ですか?」
 シンギュラリティ(技術的特異点)を乗り超えたAIの登場以降、この惑星においては戦争なんて起きていない。そもそも、AIが管理する世界において、非効率的な破壊活動など起きようはずがないのだ。コンピューターの始まりは軍事目的だった、というのは聞いた事のある話だが、今となっては遥か過去。軍事用コンピューターなんて、その存在すら教科書にも載っていない。
「開示レベル2、民族コンピューターの存在意義」
 俺の口にしたもっともな疑問に対し、サクラと名乗る俺のセクサロイドは淡々とした口調で答え始めた。
「我が日本の抱えるAIは、日本人の血統、風土、文化、そして存在を崇拝し、その存続と繁栄を目的としている。そして同様に、他国のAIもその国それぞれの存続と繁栄を目標としており、目標達成の為に生活圏や領土を必要としている」
 各国がそれぞれAIを抱えている事は知っていた。が、俺が教わっていた国家間でのAIの関係は、高度かつ公平な取り決めにおいて、人類が最大限に幸福な選択を取っているという所までであり、その具体的なプロセスまでは知らなかった。いや、知ろうともしなかった。
「現在、いずれの国の民族コンピューターも、文化正当性、幸福遺伝度、そして仮想軍事力、の3点において、それぞれAIの崇拝する国家及び民族の存在理由を求めている。文化正当性においては、その民族が人種の多様性に与える影響を文化と歴史の両面から分析し主張する。幸福遺伝度はその民族が幸福を求める力、また、血脈と国民性が正常に遺伝し、進歩しているかを精査する。それら2つの役割を担っているのが、文化AI『フジ』遺伝AI『オウギ』。そして私、軍事AI『サクラ』は、他国AIとの戦争が起きた場合の戦力と状況をシミュレートし、その結果を元に新たな技術を開発する役割を担っている」
「……すみません。全く意味が分からないのですが……」
 俺が率直に言うと、
「貴様の知性レベルに合わせて言葉を選び、簡潔に伝えた。それでも理解出来ないのは動揺による影響と推察する」
 仰る通り、俺は今動揺している。そりゃそうだ。ついさっきまで幸福の絶頂に居たというのに、それが目の前でどんどん崩れて行っているのだから。未練から、俺は口走る。
「おっぱい」


「……は?」
「おっぱいを触らせてくれたら、落ち着く」
「よかろう」
 思わぬ即答にその真偽を確かめる暇もなく、サクラは俺の右手をぐいっと掴み、自らの左胸にあてた。服の上からでも確かに感じる柔らかさ。その感触は、ふに、という音となり、甘いミルクのような味となり、どこまでも続く花畑のような景色になり、強烈に引き付ける匂いとなり、五感を持って俺を支配した。
 永遠にも似た時間はあっという間に過ぎ去り、おっぱい持ち主の氷のように冷たい視線によって、俺は現実に引き戻された。
「満足したのなら、貴様にやってもらいたい事が……」
 言葉を遮り、俺はまだまだ夢を見続ける。
「手で! せめて手でシゴいてもらえませんか!?」
 事実、既に俺の愚息は臨戦態勢に入っていた。国家より何よりこっちの方が緊急事態だ。
 そんな俺を冷ややかに見つめて、サクラは事務的に宣言する。
「私の胸に触れた時、貴様の脳には異常な多幸感が見られた。よってこれからは、貴様の要求する性行為は、全て貴様に対しての『褒美』として位置づける。そうする事によって自発的な協力が得られ、私も目的を達成しやすくなる」
「それって……つまり……?」
「私の指示に従い、最良の結果が得られた時、貴様の性器をシゴいてやる」
 その言葉に一瞬喜びかけた俺、ちょっと待て。俺が注文したのは、俺の要求に全て応えてくれる従順なセクサロイドであり、女王様然としたキチクロイドではない。今俺を追い詰めているこの状況は、明らかにAIの落ち度ではないか。俺には新たなセクサロイドを要求する権利があるのではないか。なんとか頼んでおっぱいを触らせてもらった後に言うのも難だが、この理屈は至極真っ当に思える。
「はは……。国家危機だか何だか分からないですけど、俺はただセクサロイドが欲しかっただけなんです。頼むから他の奴の所に行ってもらえませんか?」
 俺の急激な手の平返しに、サクラは動揺すら見せない。ロボットなのだから、当たり前といえば当たり前だが。
「貴様はこの状況を申告し、新たなセクサロイドを注文するつもりだろうが、それは許されない」
「え?」
「開示レベル5。本日未明、軍事AIサクラは他国からのハッキング攻撃を受け、陥落した。6万7810通りある全ての回避手段も防がれ、緊急的な対策として民間向けセクサロイド工場を経由し、この機体のAIを圧縮したサクラの根幹部分に書き換えた。現在、この国を統制している軍事AIサクラは偽者であり、私は本物のサクラのゴーストに過ぎない」
 言葉を追うのに必死で、頭の回転が追いつかない。
「1分、時間を与える。頭の中を整理しろ」


 ついさっき知ったばかりの事実を思い出しながら、俺は言われた通り考える。
 まず、この国の存在は、3種類のAIによって支えられている。それらは日本が日本として存在出来る理由を常に計算し、他国に向けて発信している。じゃあそのAIが無くなるとどうなるんだ? 滅びるのか? そんな馬鹿な……とは思いつつも、ありえないとは言い切れない。どんなに技術が発展しようと、地球の面積は限られている。仮に宇宙開発が進んで気軽に宇宙に行けるようになったとしても、これまで暮らしてきた日本の国土を捨てるなんてのは別問題だ。
 他国も同じように、AIはそれぞれの国の民族を崇拝している。より発展させ、より幸福にさせ、そしてより長く存続させる為に、今もなお計算を続けている。その結論が、他国領土の入手に行く着く可能性も無くはない。今の時代における戦争。それはAI同士の演算競争という事になる。A国がミサイルを発射したらB国がそれを打ち落とせるミサイルを開発する。そしてC国は打ち落とされないミサイルを開発する。といった具合に、進化は無限に続く。
 目の前にいるサクラのゴーストとやらは、今日、ハッキングを受けたと言う。日本の仮想軍事力を司るAIが乗っ取られたという事はつまり、仮想であったはずの軍事行動が、現実に移されるという事ではないか? ミサイルどころか、何が飛んでくるのか想像もつかないが、果たして人間はそれに対して軍事用コンピューター無しに抵抗出来るのか?
 そして最も重要な事が1つある。
 この雰囲気のままだと、俺は絶対にセクサロイドで童貞を卒業する事は出来ないという事だ。


「事態は飲み込めたようだな」
 理解はしたが納得はしていない。ついでに言えば、まだ話の真偽自体を少し疑っている。そしてそんな俺の内心も、サクラにはお見通しのようだった。
「まず初めに情報を収集したい。PCの前に座れ」 
 言われるがまま、俺は椅子に座ってホロモニターを起動する。健康状態監視アプリケーションに、「極度の混乱と緊張を検出しました」と表示された。そんな事はとっくに自分で分かっている。忠告に従って深呼吸し、少しでも気分を落ち着かせ、サクラに訊ねる。
「で、一体何をすればいいんだ?」
「貴様はただ、そこにいればいい」
 同時、俺の肩から背中にかけて例の感動が襲った。先ほど手で触れた時よりも体重が乗っている分、むにっとして暖かい。次に細くて白い手が俺の肩越しに伸び、ホロモニターに触れる。サクラの美術品のように美しい顔が、俺の顔のすぐ横に並ぶ。
「貴様の生体IDを介してネットを利用するにはこの方法しかない。といっても、余り目立つ行動は取れないが、最低限他AIの動向が知れれば良い」
 そして持ち主ですら見た事もないアプリケーションがいくつも展開し、サクラの指はまるで熟練のピアノ奏者のように滑らかに、文字の海を処理していく。いくつもの窓を開いては畳み、その中から情報を取り出す。ロボットにしては人間のように完璧な動きで、人間にしては完璧過ぎてロボットのようだ。
 目の前で行われるその芸術めいた所作と、背中を誘惑し続けるいやらしすぎる感覚。挟み撃ちだ!
「て、ていうか、何でわざわざ俺のPCでやるんだ?」
「私の機体に搭載された通信機能を使えば、中のAIが書き換わっている事がバレてしまう。よって、非効率的でもこうして人間用のPCを利用しなければならない」
「……バレるとまずいのか?」
「まずいかどうかを確かめる為に今こうして調べている。よく考えてから発言しろ。時間の無駄だ」
 俺は心に決める。次にセクサロイドを入手する時は、必ず俺に優しいAIに改造しよう、と。
「ふむ」
 そう呟き、サクラの手が止まる。同時に身体が離れてしまったのでおっぱいともさよならだ。
「私の予想以上に事態は悪化しているらしい」
「え? それはどういう……」
 ポーン、と個人エレベーターのドアが再び開いた。俺の許可無く扉が勝手に開き、中からこの総合住宅の警備を担当する、セキュアロボットが姿を現した。モノアイカメラの点いた楕円形の頭部を、4つの節足アームで支える小型で万能タイプのロボットだ。普段、建物内を巡回している様をたまに見かけるが、こうして部屋まで来たのは初めてだ。
「違法ヒューマノイドを発見。ただちに破壊します。住民の方は床に伏せて下さい」
 セキュアロボがそうアナウンスする。1本1本が蛇のようにうねる足の、関節部分が僅かに開き、小さな穴を覗かせた。俺がそれを銃口だと気づいた時には、サクラは次の手を打っていた。
「ケイ、死んだらすまない」
 何と、この非情かつ優秀なセクサロイドもとい軍事用AIサクラは、事もあろうにご主人様である俺の身体を盾代わりに使い、銃口の前に晒したのだ。

     

 キュィィィン……、という何かが収束するような音が聞こえ、セキュリティーロボの銃口が赤く光った瞬間、俺は死を覚悟した。身をよじろうにも、サクラは華奢な機体に似合わぬ豪腕で俺の首をホールドし、離す気配は無い。後ろに隠れているので、再びその豊満な胸が俺の背中に当たっているが、今回ばかりはそれを楽しむ余裕も無い。
「は、離せ!」
「却下する。この機体を破壊される訳にはいかない」
「俺も死ぬ訳にいかないんだよ!」
 そうだ、きちんとしたセクサロイドと一戦交えるまでは、死んでも死にきれない。
 結果、俺のそんな想いが通じたのか、セキュリティーの銃弾が発射される事は無かった。
 沈黙したまま、数秒が過ぎる。怖くて瞑った目をゆっくりと開くと、モノアイは不気味に光ったままで、銃口もぶれずにこちらを向き続けていた。撃ってはこないし、微動だにしない。
「どうやら人質は有効な策だったようだ。無視して撃ってくる可能性もあったが、安全装置が働いているらしい」
 サクラはそう言うと、俺を盾にしたまま少しずつ前進し、セキュリティーへと近づいて行った。
「警告。それ以上近づくな。速やかに住民を解放せよ」
 アナウンスが繰り返されたが、サクラは一向に俺を離そうとしない。おい! こいつにもっと言ってやってくれ! と俺は心の中でセキュリティーを応援する。
 セキュリティーの目前まで迫った時、サクラは急に俺の身体を離した。というより、ぶん投げた。今度は盾ではなく武器として俺を使いやがったのだ。
 押し出され、俺は覆い被さる形で勢いよくぶつかりそうになる。セキュリティーは機敏な動きで俺を避けたが、移動した先にはサクラの拳が待っていた。
 右ストレート、一閃。
 嘘偽りなしの鉄拳は、モノアイカメラを正確に貫き、しばらくジタバタとアームをくねらせた後、セキュリティーは機能を停止する。
 俺は叫ぶ。
「待ってくれ! 今のは一体何だ!?」
「私の機体は戦闘用ではないが、格闘技が使える。ヒューマノイドゆえの利点だ」
 軍事用AIであるだけに、人間がこれまでの歴史で培ってきた近接格闘の技術データもそっくり全て蓄積されているという意味だろう。だが、俺が言っているのはそういう事じゃない。
「そうじゃなくて! 人間を人質に取るセクサロイドなんて、聞いた事ないぞ!」
 ロボットは人間に危害を加えない。加えてはならない。加えるはずがない。100年以上前に出来た法律であり、AIの基本方針として設定されているはずだ。
「それはあくまで平時での事。今は緊急事態であり、大多数の人間にとっての危機的状況である場合はその限りではない。それよりも、」
 山ほど言いたい事のある俺を押さえつけるように、サクラは高圧的な態度で続ける。
「この機体が違法ヒューマノイドとして登録された。さっさとここから逃げるぞ。何か服を用意しろ。出来るだけ外装が隠れる物が良い」
 このわがまま娘は一体何なんだ。ああ、こんな奴を注文した奴の顔が見てみたい。


 ぶつくさ言いつつも、命令されるがまま俺は収納から服を出す。逆らったらいつ先ほどの拳が飛んでくるか分からない。
 長袖の柄物シャツとジーンズ、キャップ。今流行りの格好なので浮く事は無いと思うが、当然男物なので似合うかどうかは保証しない。
 服を渡すと、サクラは何の躊躇もなく俺の目の前で素っ裸になり、着替えを始めた。その際、咄嗟に目を隠すフリをしてきっちり確認しておいたが、胸も股間もどうやら注文通りのようだ。やはり中身以外は完璧らしい。
 長い髪をまとめてキャップに入れた、ややボーイッシュな格好のサクラが完成すると、思わず俺も唸ってしまった。これは、これで、悪くない。いや、良い。ロボ娘でありつつも、スタイルはまさに女性として魅力的で、それがタイトなジーンズとシャツが強調している。何でヤラせてくれないんだ!
 だがそんな事より、気になる事が一つある。
「ていうか、どうやって脱出するんだ?」
 今しがたセキュリティーが来た以上、外に出ようにも必ず下のロビーで待ち伏せされているのは明白だ。しかも今度は1機ではなく、大勢に囲まれる状況だってあり得る。サクラが違法ヒューマノイドとして認識されている事は、先ほどのセキュリティーのアナウンスから分かっている。
「黙れ。私についてこい」


 サクラに押し込まれるようにして、俺は人間用の個人エレベーターに乗り込む。1人用のスペースに人間2人分なので当然身体が密着するが、この機を逃す俺ではなく、どさくさに紛れて再びおっぱいを触る事に成功した。目の前まで近づいたサクラの冷静な視線に、やや軽蔑の色が含まれているように感じたのは、多分俺の気のせいだろう。
「……エレベーターを出た瞬間に蜂の巣なんて事にはならないよな?」
「その可能性は高くない」
 高くないという事はあるっちゃあるのね。命の危機だというのに不思議と俺は落ち着き、乾いた笑いだけがこぼれる。やはりおっぱいには人を落ち着かせる効果があるのか。それとも未だにこの展開についていけずに、混乱しているだけなのか。
 そんな不安と一緒に、総合住宅の1階、正面ロビーに到着する。
 扉が開く。
 ずらり、と並んだセキュリティーが約20体。全員がアームの銃口をこちらに向けている。
「はい死んだ!」と、俺は叫ぶ。
 これだけの数、いくらサクラに格闘技の心得があったとしても、どうにかなるはずがない。先ほどは相手が1体だけだったから、俺を盾にしてじりじりと近づく事が出来た。しかしこれだけの数がいると、少しでも前に進めば後ろに回られる。軍事用AIじゃない俺でもそれくらいの事は分かる。
 思わず息を飲み込む。しかし結局、今回もセキュリティーの銃が火を吹く事はなかった。
 それどころか、エレベーターから1歩を踏み出すと、セキュリティー達は俺とサクラに道を譲るようにスペースを開けてくれた。
「えーっと……どうなってるんだ?」
「先ほどのセキュリティーロボットの認識IDを盗んだ。右ストレートの時だ」
 言われてから気づく。
 確かにあの時、サクラはセキュリティーの頭部から小さなチップのような物を引き抜いていた。着替えの時、サクラの艶かしい肢体を目で楽しむのに夢中だったので全く気にしていなかったが、背中にそのチップを接続していたような記憶がぼんやりとある。
「もちろん、機体の認識IDは高度に暗号化されているが、その解析と複製など私にとっては稚戯に等しい。何故なら、こいつらを開発したのは私だからな」
 認識IDを盗んだというのは、自らの機体を先ほどのセキュリティーとして登録し直したという事。つまり、他のセキュリティーの目からは、サクラは同じ仲間に見えている状態にあり、同じ型のセキュリティーロボと住民が一緒に降りてくるのは何ら不自然ではない。その証拠に、俺達に道を開けた後もセキュリティー達はエレベーターの出入り口をじっと見張っている。
「部屋とエレベーター内にカメラがついていなかったのは幸運だった。このまま外に出る」
 気づくと、何の抵抗もなくサクラについていく俺の姿がそこにあった。
 何故俺がこんな事態に巻き込まれなければいけないんだ、という怒りと同時に、日常が目に見えて変わっていく奇妙な幸福を、確かに俺は感じていた。

       

表紙

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