Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      





 伯爵は野戦病院に居た。
 爵位にも遠慮して乏しい医療品が優先して割り当てられたが、伯爵は尊大な印象を与えぬよう一般負傷兵達にこそそれらを与えるよう命じる。もっとも、伯爵は貴族の常でむしろ世話を受けることには慣れていたし、負傷の程度も決して軽くはなかった。
 天幕を張っただけの薄暗い病室で、周囲の音を遮る物は殆ど無かった。腐敗臭に薬品の匂いの混ざった甘ったるい臭気の中、伯爵は鎮痛剤で朦朧とした頭で騒音に耳を澄ませていた。
 天幕の外では一人の陸軍将校がいつ果てるともなく盛んに演説していた。
 名前をホロヴィズと言い、軍部・政界に広く影響力を残す丙家一門の筆頭で、前線視察中に民間人から顔に毒液を掛けられたという話を聞いたが、実際に顔は見ていない。
 演説は同じ内容を様々な表現を駆使しつつも繰り返し述べていたため、最初は殆ど聞き取れなかったものの単語を繋いで行くうちに次第に内容が掴めて来た。どうやら捕虜にした亜人達を全部屠殺解体してその肉を食料の足しにすることを主張しているようだった。
 合理的だな、と伯爵は思った。そうでなくても捕虜はほとんどその場で処刑され、残った者も鉄条網で周囲を囲っただけの収容施設で、兵食のわずかな残飯を投げ与えられて生き延びている状態だった。
 皇国軍の前線では医療品のみならず武器弾薬、被服、食料さえ尽きかけていた。とはいえ、民間の食料価格の高騰が止まらない一方で、本国の軍需倉庫には集積された食肉が、輸送先も決まらぬままウジがわくに任せているとも聞く。
 海軍経理学校の教育が悪いせいだ。もっと有能な補給担当者が必要だな…と伯爵は漠然とした頭でそう思った。
 演説はさらにニーテリア世界からの亜人の根絶を主張していた。確かに亜人が根絶されれば、この戦争も終わるだろう。だがどうやって?
 開戦から十年以上が過ぎても、我々は大洋という巨大な堀と、魔導防壁という厄介な盾に阻まれて、チェスで言うステイルメイトに陥っている。
 経済の生命線たるスーパーハローワーク商業連合を始めとする中立国や影響下の属国との通商路を確保し、また相手のそれを断ち切るために海上と空中で行われる不断のパトロールと襲撃は、これまでも何度か大規模な空海戦に発展しており、互いに多大な出血を強いて長期的には相手を失血死に陥らせる可能性はあるものの、大陸そのものを本土として持つ両国には当分は決定打とはならないだろう。
 また、陸軍の面目を保つためだけに行われるとも言われる、今回で7次にもなる散発的な敵本土に対する遠征は、その度に陸海空三軍の莫大な資源が投入され、さらには、かつてない戦場の様相に対応するべく、多大な犠牲を払う試行錯誤によって考案された各種戦法も洗練の極みに達しつつあるにも関わらず、いずれも跳ね返され、今回もそうなる可能性が高い。
 戦争はまさしく一種の血みどろの屠殺場だが、敵味方が互いの家畜を一頭ずつ屠っていった時、最後に残るのはどちらか?
 人口の伸び率が減少しつつある我が国ではあるまい。

 演説は的を射ない抽象的な表現を展開したり、『古代ミシュガルド史』などから引用したらしい怪しげな「真実」を根拠に出していたりしていたが、全体としての印象は、冗談めいた親しみやすさと激しい攻撃性を使い分け、感情において人の心を掴み、理論での容易い反論を許さないものだった。
 物質主義で鳴らした我が軍も、ジリ貧になれば舌先三寸に頼らざるを得ないわけか。
 伯爵は天幕の天井をぼんやりと見つめていた目を閉じた。

 まぶたの裏に甲皇国陸軍部隊が隊列を揃えて草原を行進するさまを空からながめる様子が目に浮かんだ。
 甲皇国第7次アルフヘイム遠征軍は海溝上の戦いの後、さしたる反撃を受けずアルフヘイム大陸沿岸に上陸していた。




       

表紙
Tweet

Neetsha