Neetel Inside ニートノベル
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日替わり小説
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「昨日のエッチどうだった?」「いやー、ちょっと疲れたよ。流石に4回はね。今日は数を減らしてトライしてみるよ」
こうした会話は現代ではごく当たり前の挨拶のように交わされている。しかし、つい100年ほど前まではそんな事はあり得ないことだと言ったらどうだろう。
かつて人間は、セックスをして子供を作っていた。セックスをすることで、女性の腹の中に赤ん坊が育つのだ。こう書くと冗談はやめろと言う人もいるかもしれない。しかしこれは50年ほど前まではごく当たり前の話だった。クローン技術と人工子宮技術の発達は、社会における性行為の意味合いを全く置き変えてしまった。
現在のセックスに関する議論では、主に二つの立場が存在する。その両方ともが共有しているのが、「セックスは娯楽的行為である」という認識だ。この認識自体が人工生殖の普及によるものであることは言うまでもないが、セックスが過去有していた神秘的なイメージはもはやどこにもない。
セックスは娯楽だ。しかし娯楽であるが故に、それはどのように日常生活に位置付けるべきか、という議論は盛んになされている。ここで重要なのは、過去には神秘的行為とされていた性行為は、当時より秘匿され、慎重な扱いを要求していたということだ。
この扱いを引き継ぐべきとするのが節制派だ。ハシダ・ナイコ(33)はこう語る。「そもそも本が嫌いな人にとって読書が無意味な時間であるように、セックスを趣味としない人にとってセックスは時間の無駄であり、触れたくない情報でもあります。確かに性的な情報の氾濫が社会風紀や子供の発育に影響するという科学的な根拠は明らかになっていません。しかし、過去の事例に従うことにはそれなりのメリットが存在します」
享楽派のフリース・エクス(25)の言い分はこうだ。「セックスは人間に与えられた官能を最大限に発揮出来る時間です。人が食事を楽しむように、人はセックスを楽しみます。それは本能の為せる技なのです。与えられた官能を刺激し、最大限に研ぎ澄ませることは人類共通の目標であり、共有すべきビジョンであると考えます。セックスはもはや、隠すべきこと、恥ずかしいことではありません」
かつて古代ローマでは、生きるための食事が娯楽となり、美食文化が隆盛した。セックスを新たなる文化の先駆けと見るか、あだ花と見るか。技術の進歩により、我々はまた一つ、新たな課題をつきつけられようとしている。

       

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