Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
8/25〜8/31頃

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 寝苦しい。もう何回目になるか分からないが改めてベッド脇のデジタル時計を確認すると、蒲団の上に寝転がってから2時間は経っていた。気温は29度。熱帯夜である。
 気がつけばじっとりとした汗で寝間着はおろか蒲団までびっしょりと濡れていた。このままでは脱水症状になってしまうかもしれない。取りあえず水でも飲もう。ついでにシャワーでも浴びて寝間着とシーツも換えてしまうか。どうせ寝れやしないのだ。
 ところが、起き上がろうとして身体が動かないことに気付いた。『金縛り』という言葉が頭に浮かんだ。しかしよく聞く一般的『金縛り』の症状とは少し違うような気がする。身体が全く動かないというよりも、何か重たいものに上から抑えつけられているかのような感触だ。例えるならそう、修学旅行で掛布団を上から10枚ぐらい被せられた時の感覚に似ている。違うのは今回は上に乗っているのはただの暑い空気、そして布団を被せた友人が掘り起こしてくれたあの時と違って、今回は横でグーグー寝ている息子にしか助けを求められないということだ。
 そんなことを考えている間にも圧迫感は増し、どんどん息苦しさは増してきた。汗は滝のようになって体中から流れ落ちていくし、このままでは水か空気かが足りなくなって死んでしまう。近所迷惑も省みる余裕も失い、とうとう悲鳴を上げた。
「た、助けてくれぇ! 誰かー!」
 フッ、と身体が軽くなり、力を入れていた身体は抵抗を失ってびよんと大きく撥ねた。その勢いで身体を起こし、そのままどこか身体に異常がないかチェックしていく。問題ない、ちゃんと動く。さっきまであった圧迫感もウソのように消失し、心なしか先ほどよりも涼しくなったように感じられる。時計を見ると、さっきから15分も経っていないのに、気温は24度まで下がっていた。
 不思議なこともあるもんだ。取りあえず水を飲みに私は階下へ降りていった。

「チッ、今日こそは熱中症に見せかけてあのクソ親父を殺せると思ったのに……」
「そんな事言って、わざと最後緩めたでしょ?」
「そんな事あるわけねーだろ。まだ術が未熟だっただけだ」
「素直にクーラー点けてって言えばいいのに」
「そんな軟弱なお願い出来るか! 男だぞ俺は」
「ハイハイ、相変わらず似た者同士ね」
「何だと! もういっぺん言ってみろ、ブチ殺すぞ」
「やれるならやってごらんなさい? 未熟者さん」
「チッ……」

     

「この奥にある廃屋、『出る』らしいよ」
「『出る』って? 幽霊が?」
「うん、姿かたちは見えないらしいけど、夜な夜な怪しげなラップ音が聞こえるらしい」
 一組のカップルが坂道を登りながら怪談話に興じていた。
「ラップ音って何?」
「なんか、手を叩いたりとか、壁をバシバシしたりとかする感じの音だよ。ホラ、ポルターガイスト現象って奴」
「ふーん。でももしそのラップ音ってのが本当だとしたら、『出る』のは幽霊じゃなくて、そのポスターなんとかなんじゃないの?」
「ああ……そう言えばそうだけど……」
 彼女のノリが思ったより悪いので彼氏はバツの悪そうな顔をしていたが、それでもめげずに言った。
「だからさ、確かめに行こうぜ」
「えええー」
 彼女は露骨に嫌そうな顔をしていたが、彼氏は半ば強引に説き伏せた。
「大丈夫! ちょっとだけだから! ちょっとだけ! 気になるでしょ?」
「いやー別に……」
「いいじゃん、ほらほら! 行こう行こう!」
 彼氏は彼女を引きずるようにして、坂道奥の洋館の敷地に入っていった。

「ねえ、これ不法侵入じゃないの?」
「大丈夫だよ、塀の周りをちょっと回るだけだから……それに前の持ち主が死んでから30年ぐらい経つけど、新しい持ち主はここに来たことはないんだって」
 未だ乗り気でない彼女をなだめすかそうと必死の彼氏を彼女が制した。
「黙って」
 やっちまった、という顔をして彼氏が黙ると、彼女は少し顔を緩めて言った。
「そんな顔しないで。ほら、何か聞こえない?」
 彼女の言った通りだ。聞こえるのだ……カチ、カチと何かを弾いてぶつけるような音が……。彼氏は音のする方向へ目をこらした。闇の中に音に合わせてチカ、チカと火花がまたたいている。ラップ音に、人魂か。
 カチカチというラップ音は断続的に続いている。が、よく見ると人魂の光の強さはまちまちだ。音が鳴っても光らない場合もある。ふと彼女が声を上げた。
「あれ、ライターじゃない?」
 彼女が指差したのは、果たして宙に浮いた100円ライターが一人でに動いている様子であった。闇夜にきらめく火花は、ライターの火打ち部分が光って見えていたのだった。カチカチというラップ音もライターの音に違いなかった。
「どうして、ライター?」
 彼氏が静かに息を吐くように呟くと、浮かんでいるライターの方から、まさに幽霊に相応しいようなか細い声が答えた。
「人魂が、つけられないんです……」

     

 昼飯を求めて町を彷徨っていると街角の店に貼られた張り紙が目についた。
『冷やし中華始めました』
 冷やし中華か……。そういえばこの夏はまだ食べてなかったな。もう夏も終わりなのに『始めました』の張り紙がまだ出ているというのも中々趣きを感じるではないか。どれ、一つ入ってみるか。のれんをくぐって引き戸を開ける。
 中は中華料理屋というよりは昔からある定食屋という風情だ。カウンター席は木製で背の低い椅子の上にはクッションが敷いてあり、奥の座敷は禿げかけた畳にこれまた背の低い机と座布団が敷いてある。座敷の壁は障子と襖で仕切られているし、よく見れば床の間のようなところもあるし、まるで蕎麦屋か何かのように見える。障子の上には紙に書かれたメニューが並ぶが、古いのと字が汚いのとでほとんど読めない。その下に、障子に被せるように色褪せたビールのポスターが貼ってあるところだけが、唯一中華料理屋を彷彿とさせる部分だった。店内を一しきり見物した私はカウンターに座り、店員に声をかけた。
「冷やし中華一つ」
 水とおしぼりを運んできた店員は怪訝な顔をした。
「今はやってないですよ」
「え、もう終わっちゃったんですか?」
「終わったっていうか……」
「分かりました。じゃあ何ならあるんですか?」
「えーとそうですね……メニュー見ます?」
 店員がカウンターの奥から取り出したメニューをを開いて愕然とした。中華料理が一品もない。あるのはそばとうどん。ところどころに丼ものもあるが、ラーメンも、チャーハンも影も形もなかった。店を間違えてしまったようだ。恥ずかしさに身体が火照るのを我慢しながら注文をした。
「じゃあ、天ざるを一つ」
「え、ないですよそんなの」
「ないの!?」
 思わず大声を出してしまった。じゃあこのメニューは一体なんなんだ?
「あ、すいません! 古いの出してた……」
 慌てた店員が別のメニューを出してきた。さきほど出したのはここに前に入っていた蕎麦屋のものらしい。新しく貰ったメニューを見ると、今度は間違いなく中華料理屋のものだ。『冷やし中華』の文字があった。私は思わずまた叫んでいた。
「あるじゃないですか冷やし中華!」
「ですから、まだ始まってないんです」
「え、でも店の前に張り紙が」
「あのクソ店主、去年の張り紙まだ剥がしてねえのかよ!」
 店員がブチ切れた。ブチ切れたいのは私の方なんだが。どうやら冷やし中華初めは当分お預けのようだ。

     

『そういう時はとにかく激しく抵抗しなさい。相手を人だと思うな』
 スマホでそう書き込んで送信すると、ややあって新しい文章が下からポップした。
『抵抗って、具体的にどうするんですか?』
『振り向き様に頭突きでもかましてやるんだ。下手に気取って金的とか目潰しとか狙わない方がいい』
『そうなんですね。弱点狙えって言われるかと思ってました』
『弱点狙うのは難しいんだ。生半可に齧って素人が出来るようになるもんじゃないし、男に力で抑え込まれたら終わりだ。一撃必殺を狙え、顎に攻撃して舌を千切ってやれ』
 最近流行りの『質問アプリ』。質問者が匿名の立場で投稿した質問から、回答者が自分で答えられる範囲のものを選んで回答を書き込んでいく。質問者と回答者の間では一時的にチャットルームが作られ、そこで回答の補足や追加質問が出来るような仕組みになっている。
 最近の私の中で、こうして若い女性に護身の心得を回答するのが私のささやかな息抜きになっていた。過去にカブスカウトで習った簡単な実践護身術だが、今の若者には新鮮な内容も多いらしい。口コミで評判を呼び、今ではちょっとした人気回答者になっている。いい事をしたという感覚もあるし、異性に頼られる感覚があるからか、ストレス発散にもなっている気がする。
 回答を終えた私は前に視線を向けた。深夜の歩道は人気が少ないが、それでもこの辺りは住宅街なだけあり、帰宅を急ぐ人がちらほらといる。歩きスマホはよくないが、こうでもしないと人気回答者とサラリーマンの二足のわらじは履けない。
 と、前に居た女性のかばんから何かが落ちたことに気がついた。近付いて拾い上げてみれば、個人情報の塊たる手帳である。これはいけない。背中を追いかけて声をかける。
「あの、すいません。落とし」
 女性は振り向きざまにもの凄い勢いで頭を突っ込ませてきた。突然のことに反応が出来なかった私はそのままモロに頭突きを顎に貰ってしまった。そのまま後ろ向きに頭から倒れ込む。
「が、ま……」
 痛みをこらえて目を開ければ、私の上で女性がこちらを指差して何か言っている。返さなくては。とにかくその意識だけが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「受け、取って、下さい、グフッ」
 地面に仰向けに倒れ込んだまま手帳を差し出した私は、そのまま金的を食らって意識を手放した。
 そうか、金的、トドメには効果的なんだな。それが最後に私が感じたことだった。

     

 祭り囃子が鳴り響き、人のざわめきと雑踏の音を背景に浴衣の群集が舞い踊る。踊りの中心には紅白に彩られた櫓が立ち、その上に乗った和太鼓を上半身裸に鉢巻をして大きく身体を動かして叩いている。
 盆踊りから更に一回り離れて広場の周囲には、祭には欠かせない出店が立ち並んでいる。食べ物屋や金魚すくいなどの遊技屋を前に家族連れや学生のグループが群れを成し、買い食いしたり遊技に興じたりしている。
「ねえねえ、なんか買っていいでしょ?」
 一組の親子がその屋台の前を連れ立って歩いている。駄々をこねている少年は、まだ小学生ぐらいに見える。父親は腕にかじりつく息子を少し呆れた目で見降ろしている。
「ホントに買うのか? 父さんは賛成しないぞ」
「ええ〜いいじゃん! こないだのテストで満点取ったら一つ言うこと聞いてくれるって約束したよね?」
「しょうがないな……お小遣いの分までだぞ」
 父親は諦めたフリをしてそういうと、少年は『やった』と小さく叫んで人込みの中を駆け出した。
「こら、走るな! はぐれたら買ってあげないぞ」
「えーとね……あった! ねえ、あれやりたい」
 少年が指差したのは型抜きだった。今では珍しい裸電球に照らされて、陰気そうな顔をした店主が机に向かう子供たちを静かに見守っている。子供たちのあどけないながら集中した様子が外にまで伝わっているのか、提灯に彩られて賑わいを見せる他の出店に比べると、その店はいくらか大人しく見えた。
「本当にあれがやりたいの? 金魚掬いとか射的とか、もっと楽しそうな奴でなくてもいいのか?」
「あれがやりたい。あれが一番楽しそうだよ」
 少年がそう言うのを確認して、父親は店主に声をかけた。
「いくらですか?」
「どれでも10分で1回200円。この中から好きなの選んでやって。抜けた時の賞金はここに書いた通りね」
「いえ、そうでなくて」
 父親は顔色一つ変えずにこう言った。
「この店の価格です」
「はい?」
「この子が出店ごっこがしたいらしくて。丸ごと買い上げますんで、使わせていただけませんか?」
「ねえパパまだー? 僕早く型抜きの繰り抜きを厳しく判定して絶対に賞金上げないおじさんごっこしたいよー」

     

「グッハッハッハッハ、さあ戦闘員たちよ、ここにいる奴らを皆拘束してしまうのだ!」
「そうはさせるか!」
「何者だ!? はっ、まさか?」
「アクマイトの悪行、たとえお天道様が見逃がしてもこのアニムレンジャーが見逃がさない!」
 お決まりのセリフを叫びながら、俺は怪人組織・アクマイトの幹部であるデュバルの前に立ち塞がった。もう幾度となく繰り返された光景だ。
「おのれにっくきアニムレンジャーめ……! 今日こそは貴様らの思い通りにはさせんぞ、かかれ戦闘員たち!」
「ギッ!」
「ギィ〜!」
 アクマイトの戦闘員たちがこうして向かってくるのももはや見慣れた光景だ。繰り出される手刀や蹴りに手足を合わせ、受けたり躱したりしながら戦闘員たちを薙ぎ倒していく。もはや寝ていても出来るのではないかというぐらい身体に染みついた動きである。
「キャーッ!」
 はて、まだ悲鳴を上げるようなシーンではないと分かっているはずだが。そう思って客席に目をやると、後ろの入口からバラバラと人が逃げ込んでくるのが確認出来た。その後ろから、人よりも巨大な影が入ってくるのも。あれは……クマだ。
 なぜクマがここにいるのか? その答えはすぐに出た。客席中央にある園内放送のスピーカーが喋り始めたのである。
『園内のお客様、並びに従業員にお知らせします。先ほどオリからツキノワグマが一頭逃げ出したことを確認しました。遭遇した場合、気付かれないようにゆっくりとその場から逃げてください。決して立ち向かったり、捕獲しようとしないでください。繰り返します……』
 ハッと気付くと、俺の足にデュバルが取りついていた。その声は震えていて、ほとんど鳴き声だ。
「た、助けてくれぇ……アニムレンジャー……」
 無茶言うな。俺はスーツアクターだぞ。だが、気付けば多くの観客が俺たちの後ろに隠れて、何かを期待する目で俺を見ている。
 止めろ。そんな目で見るな。そんな風に意識するな。そんなに期待されたら……。
 銃声が鳴り響く。クマは動きを止め、やがて崩れ落ちた。続いて複数人の警官と猟銃を持った人たちが広場にどやどやと入ってきた。
「大丈夫でしたか? 怪我人はいませんか?」
「ありがとうございます。幸い僕らは……」
 そう答えながら、俺は冷や汗を拭った。危ない危ない。俺はスーツアクター。こんなところで正体を明かすわけにはいかないんだ。

     

「本当に、やるんですか?」
 少女の手は震えていた。
「他に手段がないんだ」
「でも……」
「これが最後のチャンスなんだ。祖父の墓前にやれることはなんでもやると誓ってきた。これをやらずに失敗するようなことになったら、僕は死んでも死に切れない」
「でも……でも! こんなの危険過ぎます。何かもっと……安全で、いい手段があるはずです」
「安全な手段を試すことは、同時に危険な手段を用いることと矛盾しない。早くしてくれ」
 男は急かしたが、少女はふるふるとかぶりを振った。
「だめです! 私には出来ません……こんな恐ろしいこと」
「くどい! やるんだ。君が出来ないなら、私が自分で」
「あっ」
 男は少女の手を取ると、そのまま自分の方へぐいと引き寄せた。そのまま片腕を手繰り込むように懐に引っ張り込むと、短く叫んでよろめいた。
「あ……ああ……」
 少女の顔は硬ばり真っ青になっている。男は脂汗を流しながら、凄惨な笑みを浮かべた。
「ありがとう……これで準備は整った」

 その日教授は乗り気でない試験監督を命じられてうんざりした気分だった。彼にとって自分の所属する大学の入試は関係のない出来事であったし、早く自室に戻って今度の投稿分の下書きの続きをやりたかった。だから最初、その男が入ってきた時にも大して気にも止めなかったのは無理もない。教授が気がつけたのは、男の周囲から人が避けるように遠ざかり、まるで猛獣を見物するかのようにぐるりと取り囲んでいたからだ。既に男は会場の真ん中辺りまで進み、背後には赤い液体が垂れた跡がぽたぽたと入口から足元まで続いていた。
 教授は目を剥いて男の様子を眺めた。滴り落ちる赤い液体は片手で抑えられている腹部からにじみ出ているようだ。表情は激しく歪み、恐らくは強い痛みを伴っているだろうことが想像出来た。
「君……」
 教授がたまらず声を掛けようとすると、男は素早く腹を抑えていない方の腕を上げて、教授を制するポーズを取った。
「僕には構わず。それより、早く試験用紙を配ってください」
 有無を言わせぬ口調だった。
「傷、深いんです。一刻も早く解き終えて治療しなければ」
「だったら、先に治療をしてから」
 教授の提案に男はかぶりを振った。
「駄目です。命の危険によって上げたIQでテストを受けなくては。先に手当てしたら、合格率が下がってしまいます」

       

表紙

天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha