Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
9/29〜10/5

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 鞄の重みが肩に痛い帰り道、不意に頭に冷たいものが当たった。雨だ。しかもかなり強い。慌てて近くの店に滑り込んだ。
 店内は雨の影響か少々薄暗く、中がよく見通せない。降り始めとはいえ乾いた室内の空気、そして埃っぽい感じの臭い。しばらくして、ここが古書店であることに気付いた。
「ありゃ、ちょっと失敗したかな」
 外は酷い土砂降りになっていて、窓の向こうはちょっと先も見通せないほどに真っ白だ。帰るなら雨が止むのを待つか傘を調達するかの二択だが、流石に古書店で傘が買えるとは思えなかった。駅前の本屋とかならレジ前で売ってたりするのだけれど。
 となれば、早く止むことに期待するしかない。
 どうせだから、本棚の中身を物色していこう。時間潰しにもなるし、気に入ったら買えばいい。そう思って隣の本棚に目を向ける。ずらりと並ぶくすんだ色の背表紙を見ていくうちに、妙なことに気がついた。
 知っている本がなさすぎる。
 世の中には色んな本があるから知らない本だらけなのは当然のことだが、古書店に並ぶ本というのは案外巷でもよく売れたベストセラーとか名作、ハウツー本みたいなものが多い。流通量が多い分売る人も多いという当たり前の話なのだが、ここにある本はどういうわけか見たことも聞いたこともないタイトルのものばかりだ。装丁もなんだか古めかしくてゴツいものばかりだし、文豪の全集の一部とかだろうか。
 試しに一つ手に取ってみる。やはり年季の入った表紙には『初めて忘れた傘』とシンプルに題名だけが印字されている。作者名や出版社名はない。同人誌か何かだろうか?
 本を開いた瞬間、古書の香りと共に昔の記憶が蘇った。そう、それは遥か昔、まだ私が小学生だった頃。お気に入りだった傘を通学バスの中に置き忘れた。後で泣いてわめいて親と一緒に探したが、傘はどこにも見つからなかったのだ……そんな昔の記憶を幻視する。ハッと気付くと、手にしていたはずの本は消えており、代わりにあの日なくしたはずの『お気に入りの傘』が握られていた。柄に貼られたひらがなの名前シールまでそのままである。間違いなく私の持ち物だった。
 何が起きたのだろうか。私は困惑しながら外を見た。雨はやや小降りになっている。帰るなら今だろう。
 私は十数年前の変身ヒーローの絵が描かれた空色の傘を広げると、古書店を出て行った。

     

「いてっ」
「何やってんだよ! ちゃんと取れよもう」
 弟がキャッチし損ねて頭にボールをぶつけたのを見て、兄は腹を立てた。
「ううう、だってよく見えなかったんだもん」
「言い訳すんな! 早くボール取ってこい、続きやるぞ」
「でもさ……あれ、ボールどこ?」
 気がつけばもう夕方だ。山の裾野辺りにある公園からは山が陰になって太陽の光が遮られ、大分手元や足元が見辛くなっていた。まだ夕方だからなのか、街灯はついていなかった。
「しょうがねえな。俺はこっちを探すから、お前はあっちを見てこい」
 二人は手分けして公園の中を探し始めた。ところが暗いせいか、二人がかりなのにボールは中々見つからない。
「兄ちゃん、もう帰ろうよぉ」
「バカ、ボールなくしたなんてバレたらそれもまた怒られるんだぞ」
「また明日探せばいいじゃん……。ここ暗くなると、お化け出るんだよぉ」
 弟は半泣きだ。無理もない。今日は早く帰って久々に帰ってくる父ちゃんのお出迎えをするのだ。父ちゃんの帰宅に間に合わなかったら母ちゃんがどれほど怒るか、兄だって想像もしたくなかった。しかし、弟の言うことを聞くのはなんとなく癪だった。
「嘘付くなよ。そんなの聞いたことないぞ」
「でも、その怪物、凄い音立てながらもの凄い早さで走ってくるって……目がギラギラ光って遠くからでも見えるって」
「へ、お前もしかして怖いのか? 俺は平気だけど」
 弟は何か言い返そうとしたのか口を開き、そのまましばし驚愕の表情で固まった。わずかな沈黙の隙間を縫って、遠くから低い唸るような音が響いてくる。
「ま、まさか……」
 それと同時に、兄の後ろから何かの明かりが差し込んできた。思わず振り返るとそこには、大きな二つの明るい光が二人をジッを見据えているではないか。
「で、出たああああああああああ!!」
 弟が叫んだと同時に、また別の大音量が鳴り渡った。
「アンタタチィ! 何こんな時間まで油売ってんだい! 父ちゃん帰ってきちゃったじゃないか!」
 怪物の脇からひょこりと人の首が覗いた。二人の母親だ。煌々と光る二つの明かりは怪物の目ではなく、車のヘッドライトだった。運転席には父親の姿も見える。二人は思わず泣き出した。
「うわあああああん母ちゃあああん」
「良かったあ……母ちゃんで良かったよお……」
「な、なんだいあんた達……」
 叱り飛ばしたのに喜びながら駆け寄ってくる二人に、母親はただただ困惑していた。

     

 夕焼けを背景に『夕焼小焼』のチャイムが流れると、流石に出来過ぎだろと思うことがある。田舎の澄んだ空気が遠くのスピーカーの音を運んできて、まるで輪唱のようにチャイムが流れる様子はどこか幻想的ですらある。
 時々輪唱に不協和音が混じる。近くの道を路上販売の屋台が走っているのだ。俺は彼女の方へ振り返った。
「ねえ、なんか聞こえない?」
「え、ええ……あ、そう!? いや私は何も聞こえないけど?」
 彼女が何故か必死に否定するので、段々自信がなくなってきた。
「え、聞こえないかな……いしやーきいもーって声が聞こえた気がしたんだけど」
「あ! ああ! いもね! 焼き芋! そっかーもうそんな季節なんだー気付かなかったなー」
 言い合っているうちに、音が次第に大きくなってきた。間違いない、石焼き芋の屋台の呼び声である。グゥ〜と腹の鳴る音がした気がした。駄目だ、やっぱり我慢出来る気がしない。
「ちょっと買ってくるよ」
 返事も聞かずに大通りの方へ駆けていく。すぐにゆっくりと走るトラックが見えた。運転席のおっちゃんに声をかける。
「すいません」
「はいよ!」
「二本下さい」
「はいよ、ちょっと待ってね!」
 おじさんは威勢良く返事すると、火箸で芋を器用を取り出し新聞紙に包んでくれた。
「ありがとうございます」
「高校生か……二本だけど……ちょっとオマケして、1000円ね!」
 なんてこった。死ぬほど高い……ジャンプが4冊も買えてしまう。しかし目の前の甘く焼ける臭いにはもはや抗しきれなかった。

「はい」
「えっ。ああ、ありがとう」
 芋を手渡すと、彼女は少し顔をしかめた。御礼を言ってからもじっと手に持ったまま食べようとしない。
「どうした? 芋、苦手だった?」
「いや、そうじゃないんだけど……」
「あ、それともお腹、あんまり空いてなかったかな? ごめん、俺めっちゃ腹減ってたからつい1個ずつ買っちゃって」
「それはいいの!」
 思った以上に声が出たのか、彼女は叫んでから軽く身体を震わせた。
「あの、ありがとう。寒かったし、少しお腹空いたなって思って」
「そう? それならいいんだけど」
 一足先に芋にかぶりついたとき、彼女が何か呟いた気がした。
「大丈夫、さっき出たところだから……大丈夫……」
 かぷり、と彼女が芋に齧りつくと同時に、何か小さな音が聞こえた。例えるならそう、空気が破裂して吹き出すような音が。

     

「ここが言われてた海岸か?」
 ざんばら頭に作務衣姿、ぼうぼうに生えた無精髭のお蔭で表情は全く読めない。唯一その髪の隙間から除く鋭い眼光だけが、容貌も相俟って非常に強い印象を与えていた。
「ふむ……どうやらいないようだな。念の為にあちらも確認しておくか」
 男は砂浜を一瞥すると、そのまま向き直り、奥の防風林に足を進めていった。

 砂浜近くの防風林や防砂林と言えばクロマツが多いが、この林にはモミ、カシ、ブナ、ケヤキなど、およそ海岸沿いに造成されたとは思えないような類の植相が並んでいる。まるで水資源の豊富な山の中にある雑木林のようだ。ふと遠くに気になる物音を聞きつけ、男が足を止めた。慎重に近くの木の裏へと隠れ、音のした先をじっと見据える。
 白い着物を来た、肌も抜けるように白い女である。女は手に柄杓を持ち、それを空中につうと掲げてしばらく持つと、そのまま自らの身体にふりかけている。男は目を見開いた。あれは水浴びではない。雨だ。振り注ぐ小雨をその身に浴びて身を浄めつつあの柄杓の中に溜め、雨の当たりづらい部分に掛け水しているのである。男は空を見上げた。木の分厚い葉枝に陽光が遮られてはいるが、雲一つない青空である。
 男は小さく頷くと、音を殺して女の方へと向かった。

「そこな女子」
 女が振り返ると、一人の男がこちらを眺めて立っていた。作務衣を着て、ぼうぼうに生えた無精髭とざんばら頭の間から鋭い目つきがこちらを見据えている。女は薄らと微笑んだ。
「こんなに晴れていては暑かったことでしょう、こちらでお水でも一杯召し上がったら」
 女が柄杓水を差し出すと、男はフンと鼻で笑い、懐から薄く細長い布を取り出した。布は浮いているのか、フワフワと空中に漂っている。女の表情が変わった。
「そ、それは」
「お前の目論見と正体などとっくに検討がついている。その柄杓水で男の魂を抜き、天へ持ち帰ろうという算段だろうが、そうはいかんぞ」
「またですか……? また羽衣を取られて地べたで好きでもない男とくっつかなくてはならないのですか……」
「さにあらず」
 男が一声発すや否や煙が男を包み込み、次の瞬間そこにいたのは一匹の眼光鋭い狐であった。
「お前はその天気雨を降らせる能力によって我が里へ召し抱えられ、我が一族の結婚立会人として生涯独身で過ごすのだ!」
「いやー!! それなら人間と結婚する方がマシよ!!」

     

 立食パーティーは昔から苦手だったが、どうやら長いこと引きこもりをしている間に一段と苦手になったらしい。皿とコップを抱えた僕は何が出来るでもなく、ただ隅っこでボーッと突っ立つだけの時間を過ごしていた。そこへ現れたのは担当編集。挨拶回りでもしていたのか他の人と親しげに話をしていたが、僕の寂しそうな様子を見兼ねてかこちらへやってきた。
「どうですか、パーティーは」
「いやー、人見知りで中々……。こういうのはどうも苦手で」
「はっはっはっ。でしたら私からどなたかご紹介しましょうか。ちょっと待っていてください」
 担当がふらふらと去っていって数分、背中をぽんぽんと叩く感触がする。振り返ると腰の曲がった老人が立っていた。
 老人はそのままの姿勢で動かない。僕もしばらくはじっとしていたが、やがて勇気をふるって声をかけた。
「あの……何かご用でしょうか……?」
「ん? ワシか?」
「え、あ、人違いだったら申し訳ないんですが、先ほど僕の背中を叩かれたような……」
 老人の首がゆっくりと右に捻られる。ややあって、「ああ!」と老人が声を上げた。
「そうじゃそうじゃ、ワシじゃ。ワシが叩いた」
 老人はカラカラと笑った。
「いや何、あまりにもカチンコチンに緊張している様子だったので、見ていて可哀想でな。老婆心、いや老"爺"心ながら少し揉んで解してやろうかと思ったのよ」
「はあ」
 僕は老人をもう一度じっくりと眺めてみた。年のいった新人……というには少し堂々としすぎているような気もする。もしかして、この老人が担当の言う『見繕ってきてくれた』人なのだろうか? 独特の雰囲気があるし、何かこの業界に多大な影響力を持っている影の実力者とかなのかもしれない……。
「ちょっとおじいさん! また勝手に入り込んで!」
 背後から担当の怒鳴り声が聞こえて僕は肝をぶつした。話しかけられた当の本人は飄々としている。
「今年はバレるのが早かったのう。まだ食べ足りんわ」
「そのうち窃盗で訴えますよ! 全く、守衛さんは毎年いったい何をしているのか……」
 担当はひょい、と老人を抱えると、そこで初めて僕に気付いたようだった。
「あー、紹介はちょっと待ってくださいね。この不法侵入ホームレスをつまみ出してから改めて」
 そういうと二人は僕を置いて去っていった。

     

 その日、市内で最大の規模を誇る噴水広場を占拠したグループのリーダーは、オープンカーに改造した占拠カーのバンから身を乗り出して叫んだ。
「この広場での誓いこそが、我々の勝利への礎となろう!」
 号令に答える形で勝鬨があちこちで湧き上がり、広場がグワリ、と揺れた気がした。熱気溢れるこの集会こそが、この国の将来を直接的に決めていく。

 この国の住民に聞けば、誰もが『自分たちの国は民主国家だ』と口を揃えるだろう。しかし彼らの考える『民主国家』は、一般的な世界におけるそれとは少々様相を異にする。
 とは言っても普段はその違いを体感することは少ない。この国は一般的な議会制民主主義と議院内閣制を敷いており、首相も大統領も一院制の議会による間接選挙で選出されている。したがって、普段は国民自ら政治的案件を取りしきるということはない。
 多くの国と違うのは、議会議員を選出するためのイベントが通常の選挙ではないということだ。この国では議会の代表たちを紙とペンを用いた直接選挙ではなく『占拠』……徒党と原初的な暴力を用いた陣取りゲームで決定するのである。

 『占拠』のルールは極めて単純だ。同じ候補を支援するグループが占拠活動期間を通して、国内の土地を奪い合う。グループの構成員に報酬を支払うことは禁じられており、傭兵稼業は成立しない。また武器の使用は禁止されており、暴行罪や傷害罪などの暴力による罪は普段通り取り締まられる。取り締まりを担当する司法警察や占拠管理委員は仕組み上『占拠』活動を不公平にする恐れがあるため『占拠』権は剥奪されているが、彼らの利益と代表するための『司法枠』『占拠管理枠』が議会に設けられている。『占拠』の対象となるのは解放された公有地で、多くは公園や公共施設であることが多い。占拠の『闘争日』(最も闘争が激化する日という意味で名付けられた)に占有していた土地の面積が多い候補から順に当選となる。

 冒頭のリーダーに話を聞いた。
ーーこれで本当に民意が反映されてると言えると思う?
「勿論だよ! 体力による不公平がないわけではないけど、複数のグループで共闘の交渉をしたり、手薄な場所を狙う戦略的要素もあってとてもエキサイティングだしね。何より皆この『占拠』に向けて身体を鍛えるようになったから、国民全体が健康的になった。皆ハッピーだと思うよ」
(某国特派員・損名馬鹿奈)

     

「大事な話があるんだ」
 そう言われて夕食後、リビングに集められた皆を前にして父さんが言った。
「実は、会社を辞めた」
 ガタン、と椅子を蹴倒して立ち上がったのは母さんだ。
「辞めた!? どういうこと!? 辞めたって!」
「すまん、前もって相談とか出来なくて」
「もう、ちょっと、もう……説明してっ!」
 母さんは溢れ出る感情の余り言葉が出てこない様子だ。辛うじて説明を求める言葉に、父さんは軽く頷いた。
「実は……部門の業績が悪くてな。前々から転職先を探してはいたんだ。そうそう簡単には見つからなかった。けれど、今日ハッとひらめいたんだ。俺には俺の強みがある。それを活かせる仕事なら、自営業でも充分やっていけるんだって」
「その程度の思いつきで衝動的に辞めたの? 会社を?」
 母さんは信じられないというように目を見開いた。
「衝動的と言えば衝動的だけど、別に先の見通しなしで辞表を出したわけじゃない。知り合いや友人のつて頼りだけど、しっかり仕事は決めてある」
「へえ? 自営業って言ったわよね? それでそこまで大口叩くんなら、具体的な仕事を教えてちょうだい。何をするつもりなのか、それでどのぐらい稼ぐつもりなのか、はっきりと!」
 母さんの剣幕は凄まじくて、僕らが口を挟む余裕もない。ところが父さんは平然としたもので、落ち付き払って答えた。
「うん。父さん、これから媚を売って生きていこうと思うんだ」
 全員ポカンとしてしばらく何も言えなかった。聞き間違いだと思ったぐらいだ。しばらくして呟いた母さんの声は震えていた。
「媚?」
「そう。父さん、媚売りのプロなんだ。昔から上司や取引先に媚を売るのが上手だったし。媚ならいくらでも需要がある。顧客にリーチさえ出来れば、いくらだって……」
「家族に対してすらロクに媚を売れない人間が人様に売れるわけないでしょう!」
 説明が終わる前に母さんの雷が落ちた。
「そこまで言うなら、媚びてみなさいよ」
「え?」
「媚びるのよ、ここで! 今すぐ! 私たちに媚を売って、転職を認めさせてみなさいよ! それが出来たら媚でも何でも売っていいわ!」
「そ、そんな無茶な」
「プロならそれぐらい出来るでしょ! ほら、媚びろ〜! 媚びろ〜!」
 突然マンガの物真似を始めた母さんと、それにうろたえる父さん。僕らは降って湧いた地獄絵図、いや世紀末絵図に、ただただ縮み上がるばかりだった。

       

表紙

天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha