Neetel Inside ニートノベル
表紙

日替わり小説
2/18〜2/24

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 教室に入ると三人の先生が座っていた。校長先生と、学年主任の島田先生だ。前のテストでは担任の前川先生だけだったので、一気に緊張が高まる。
 落ち着け。落ち着くんだ。これまで何度も練習した時は上手くいったじゃないか。何度か大きく深呼吸してから、教室の真ん中にポツンと置かれた机の前に立つ。
 椅子に座ってもう一度息を吐く。手を机の上のりんごにかざす。ここで失敗したら魔力なしで登録されてしまう。現代では魔力を持たない人間は、実質二等国民扱いだ。僕が魔力なしだと言われたら、両親はどれほど嘆くだろう。
 嫌な想像を振り払うように目をつぶる。もう一度深呼吸。
 もう一度りんごを見つめ、習った手順をもう一度確認する。目と手のひらから力をりんごに送り込むイメージを頭の中に描く。息をつめ、歯を食いしばって全身に力を込める。そして念じるのだ。上がれ。上がれ、上がれ、上がれ。
 りんごはピクリとも動かなかった。前と同じだ。どうして、イメージトレーニングでは完璧だったし、小さいものを持ち上げる練習は上手くいっていたのに……。
 前の方からギシッという音が聞こえた。立ち上がった? コツコツと床を靴が叩く音も聞こえる。テストはもうおしまいなのだろうか。お願いです、あとちょっとだと思うんです、だからもうちょっとだけ待って。そう口にする余裕もなく、ひたすら強く念じる。上がれ。上がれ。
 ガタン、と床が揺れた。びっくりして目線がりんごを外れる。地震よりも長い間隔でゆらゆらと揺れているのが分かる。身体全体をフワッとする感覚が襲った。立ち上がろうとしたが、床がグラグラしてその場にへたり込んでしまった。
 さっき歩いていたのは校長先生だったようだ。窓に手をついて外を見ている。学年主任の島田先生と前川先生の後について、僕も窓に駆け寄った。

 校舎が地面から浮き上がっていた。いや、より正確に言うべきか。
 校舎は地面に向かって空中を落下していた。

 僕は口を閉じるのも忘れて、先生方が必死に何かしているのを眺めていた。それから何があったのかはよく分からない。気がつけば僕の目の前には前川先生がいて、僕に合格を手渡してくれた。
 「最初のテストで気付けなくてごめんなさいね」と先生は言った。
 「あの時、校舎に力が漏れ出してたんじゃないかって島田先生が言うものだから、無理を言って校長先生に来ていただいたの」

     

 夏休みが終わることを考えると、トモヒロは憂鬱だった。終わるのが、というよりは、終わってクラスの奴らと顔を合わせるのが、だ。
 別に不登校だとか、いじめられているとかいうわけじゃない。友達はそれなりにいる方だ。むしろ友達がいるからこそ、憂鬱さが増すとも言える。
 今頃彼らはそれぞれの両親の実家で、川や海で泳いだり、山で虫取りをしたりしているのだろう。暑いだの疲れただの、日に焼けて痛いだの言いながら、楽しそうに夏を満喫する友人たちを想像しただけで、トモヒロはげっそりとした気分になった。
 窓の向こうを眺める。首都高の高架の上と下を流れるように走る車の列が見えた。これが母親の実家の夏の風物詩である。もっとも、光の量が多少違うだけで冬も春も景色には大差ないが……。夏の陽光をギラギラと照り返して、まるで宇宙人の銀色の血液のようだ、とトモヒロは思った。

「ヒロちゃんが来てからいっぱい食べてくれるから、作り甲斐があるわ」
「こんなに食べられないよ……」
「何言ってるの。まだ若いんだから、沢山食べて力付けなちゃ駄目よ。よく食べないと夏バテになっちゃうでしょ」
 祖母は料理好きなのか、とにかく用意する食事が多い。種類もそうだが、何より量が凄まじいのだ。老人の二人暮らしでは1週間かかっても食べきれなさそうな量が1回の食事で登場するので、さしもの中学生もタジタジである。
 祖母と二人で食卓に料理を並べていく。メインの素麺は大きなガラスの器に盛られ、氷水の中に半分漬かっている。副菜には唐揚げ、レンコンのきんぴら、ポテトサラダ、冷奴、いなり寿司、などなど……。
 母親は高校の友人と食事だとかで出掛けていったので、今家の中には祖母とトモヒロしかいない。祖父はこの時間は大抵碁会所に入り浸りだ。つまりこれらを自分がほぼ全て平らげなくてはいけないわけか、とトモヒロは思った。もちろん、そんなことが出来るわけがないが。
 椅子を引いて座ると、つけだれの器に素麺をよそう。この素麺に、今ここにある夏が全て詰まっている、とトモヒロは思った。クーラーの聞いた洋風のダイニング。銀色の車の血流。トモヒロにとって、それらはただの日常の延長でしかなかった。ならばせめて、夏まみれになっている友人達に対抗出来るよう、少ない夏を満喫しなければならない。そう思いながら、トモヒロは素麺をすすりあげた。

     

 この御園町は、空前のUFOブームに湧いている。郊外のすずめが丘に、UFOが定期的に現れるようになったからだ。お蔭で日本中から大量のUFO見物客が毎日山のようにやってくる。
 もっとも一般住民はどうかというと、最初の頃こそもの珍しさにはしゃぎ回ったものの、今ではほとんどの住民は完全に興味を失っていた。今では喜んでいるのは、観光資源が出来た町役場の人たちと、見物客の落とすお金を当てにしている商店街のおっさんおばさん達ぐらいである。
 ……と、もう一人いたな、と光輝は思った。
「何してんの。置いてくよー!」
「お前が、飛ばしすぎなんだろ……」
 ゼーハー息をつきながら、光輝は坂の上を見上げた。花梨は振り返り、仁王立ちして光輝に手招きしている。
「今日こそはUFOに乗り込むわよ! なんたって、これで10回目のチャレンジだからね!」
「そのセリフも10回目だな」
「はーい、お子様はちょっと黙ってようかー」
「うおっ、ちょまっ、あああギブギブギブ!」
「オラッ、オラッ反省したか」
「反省した、したから離し……て……」
 光輝の軽口を予想していたかのような機敏な動き。首に巻き付いたしなやかな腕は細いのにも関わらず凄まじい力である。タップはギブアップの意味なんだぜ……そう思っているうちに、光輝は意識を失った。

 光輝が気がつくと、顔の上にタオルがかかっていた。起き上がるとガサリという音。どうやらブルーシートの上に転がされていたらしい。
「ねえ」
 振り向くと、真横に花梨がしゃがんでいた。
「なんだよ」
 光輝はわざとぶっきらぼうに答えた。彼は締め落としをまだ許していなかった。
「UFOにさ、もし本当に乗り込めたら、どうする?」
「どうするって、俺は別に乗り込めなくてもいいけど」
「答えてよ。もしUFOが目の前に降りてきて、あたしが乗り込んでいったらさ」
 花梨の目は、やけに真剣な光を放っていた。
「ついてくよ」
 そう、思わず口にしていた。花梨の目が見開かれる。急に照れくさくなり、花梨が何かを言う前に付け加える。
「どうせ俺が拒否しても、無理やり拉致るんだろ? さっきみたいに締め落としてな」
「げ。根に持たれている」
「持たん方がどうかしとるわ!」
花梨の目から、あの光はなくなっていた。
「よっし、合格! 流石は私の幼馴染だね」
何なんだ、まったく。上機嫌で観測の準備を始める花梨を見ながら、光輝は心の中で幼馴染に不合格を押した。

     

「フォークロアって知ってるかい?」
「日本語だと都市伝説、かな。そうそう、口裂け女とか有名だよね」
「フフフ、君は今、分かった気になった。フォークロアがどんなものか。そうだよね?」
「だけど、僕の考えるところでは、フォークロアはそんなに単純なものじゃない」
「日本語って、そういうものだろ? 例えば旅館とホテルと宿の違い、君は簡潔に説明出来るかい?」
「言葉、間取り、内装、サービス……色々違うところはあるけれど、それら全てを総称出来る適切な言葉を見つけるのは簡単じゃない。それと同じさ」
「話を戻そうか。フォークロアとはどんな存在なのか? だったね」
「フォークロアは都市伝説だ。それは間違いない。そして都市伝説は、基本的に想像上の存在に過ぎない。それは確かだ」
「けれど同時に、フォークロアは現実でもあるんだよ。あ、笑ったね? いいよ、説明を聞けば君も納得するはずだから」
「フォークロアというのは、実在することが前提になっている。実在はしないんだけど、話を聞く者が『実在する』という幻想を共有していないと成立しないんだ」
「逆にそうした共同幻想を失うと、フォークロアはフォークロアとしては死ぬ。ただの昔流行ったちょっと怖い話ぐらいの扱いになってしまうんだ」
「つまり、フォークロアは現実には存在しないけど、同時に現実に存在している。ちょっと気取った言い方をするなら、現実と想像の重ね合わせの中にある、と言い換えてもいい」
「さて、ここからが本題だよ。例えば、だけどさ……もし僕が、フォークロア上の存在だったとしたら、どうする?」
「なるほど、僕がフォークロアでないことは君が保証してくれるというわけだ。では僕も問おう。君がフォークロアでないことは一体どこの誰が保証してくれるというんだい?」
「ハハハ、冗談だよ。でもね、僕は時々思うんだ……」
「もし本当に、フォークロアが現実と想像の狭間にあるものならば」
「僕らの世界に想像が混じっていけば、僕らとフォークロアとを隔てるものはどうなっていくと思う?」
「ねえ、教えてくれよ。僕らは本当にこの世界に存在しているのかな? 世界3分前仮説を取るまでもなく、僕らがフォークロアでないと……君は確信出来るかい?」

     

 そのおじいさんは、夜になるといつも屋根の上に登って、空を見上げながら手を上げてなにかをしていた。傍目には、ちょっと指揮をしているみたいだ。
 近所の人は、大体おじいさんのことを、頭のおかしくなった人だ、と言っていて、それは私の両親も例外ではなかった。私の家のベランダに出ると道一つ挟んで屋根の上のおじいさんがよく見えるのだが、私がそれを指差したりしようものなら、「やめなさい」と諭されるのが常だった。夜におじいさんの家の前を通る時も、ちょっとでもそっちを見ようものなら「見ちゃいけません」と怒られたものだった。

 その日は朝から風邪気味で、私は部屋でぼーっとしていた。「そんなに辛くないから学校に行く」と言ったのだが、母は心配性で無理矢理私をベッドに押し込んで仕事に行ってしまったのだ。素直な私とはいえ、無理に眠れるわけでもなく、パッチリ冴えた目を持て余していた。
 その時だった、不思議な唸り声と、それから鋭い叫び声を聞いたのは。窓から外を見て、あのおじいさんが前の道に倒れ伏しているのを発見したあと、すぐに救急車を呼んだのだから、当時としては中々マセたガキだったと思う。
 おじいさんの家には誰もいなかったから、救急車には隣のおばさんと私が立ち合うことになった。担架に乗せられる時になって、おじいさんが私に向かって手招きした。
「……これを」
 おじいさんに渡されたのは、小さな方形の缶と、ピンセット。そういえば、屋根の上でこれをいつも持っていた気がする。
「星を掴むんだ。頼んだよ」
 そう言い残して、おじいさんは救急車へと吸い込まれていった。

 皆さんも覚えておられるだろう、数年前の白夜現象。星空の星が次第に増えていき、しまいにはまるで昼間の明るさを超えた白い光が空から降り注いだあの日である。それがこの日の夜だった。
 すっかり明るくなった空を眺めながら、私はおじいさんに言われたことを思い出していた。缶を開けると、そこにはキラキラ光るビーズか砂のような粒が溜っている。それを見ているうちに、私はおじいさんが何をしていたのかを理解した気がした。そして、今夜私が何をしなければならないのかも。私はピンセットを持つ手を、夜空に伸ばした。

 退院したおじいさんは、今でも夜になると屋根の上でピンセットを使っている。そのうち母の目を盗んで会いに行かなくては。オリオンの三つ星を歪めてしまったことを謝る必要がある。

     

 宗二は途方に暮れていた。目の前には、かつてショータローだったものの残骸が転がっている。温かだった胴体は冷たくなり、先ほどまで元気に動いていたとはとても信じられない。
 もうすぐ貫一が帰ってくる時間だ。宗二は素早く頭を巡らした。隠してもいずれは発覚するだろうが、自分がやったとバレない可能性もある。だがもし貫一に今の惨状を発見されたら、言い訳のしようもない。宗二は犯行を隠すことに決めた。
 台所から大きなゴミ袋を用意して、ショータローをすっぽり包み込む。倒れていたところを丁寧に掃除し、落ちている細かな遺留物は全て砕いてゴミ箱に捨てる。ショータローの頭がぶつかった場所は凹みになっているので、僅かに棚をズラして目立たないようにする。
 一通り終えると最後の難題が残った。いくら他を取り繕ってもコイツがいては一目瞭然だ。かと言って突然消えてしまうのもマズい。何かあったのではないかと勘繰られると、留守番でアリバイのない宗二は最有力容疑者になってしまう。
 宗二は全ての処理を終えると、最後の偽装工作に取りかかった……。

 貫一が帰宅すると、弟の宗二がやや興奮した様子で出迎えた。
「おかえり、兄貴」
「お、おう、ただいま」
「ショータロー、なんか出てったよ。俺何も聞いてないけど、兄貴のとこに何か届いてない? アイツ、メール出来るんだろ?」
 いつもと違う弟の態度。貫一はすぐにピンと来た。ははあ、コイツ、何かしでかしたな。そ知らぬ顔をしてメールを確認すると、なるほどショータローからメールが届いている。動画のようだ。ショータローが「事前の命令の通り、云々……」と言い訳を展開していた。少し揺さぶってみるか。
「これ、お前の声?」
「な、ななななな何言ってるんだよそんな訳ないだろ」
 分かりやす過ぎる。貫一は苦笑した。きっとショータローの手足を後ろから操って、声は自分で吹き込んだのだ。圧縮で音質が下がっているので、声真似すればバレないと踏んだのだろう。
「ショータローはどこにいるんだ? もしかしてその棚の後ろか?」
 貫一がせり出していた棚の方へ顎をしゃくると、宗二がビクリと身体を震わせた。図星のようだ。貫一が棚の奥を覗き込むと、果たしてそこには予想通り、会話用アンドロイド・ペッパー君、通称コ・ショータローが横たわって転がっていた。
「ごめん、兄貴……」
 青ざめつつ謝る弟をよそに冷たく兄は言った。
「電池切れだな」

     

 俺は歩きながら心の中でガッツポーズしていた。永きに渡ってチャンスを伺っていたが、遂に個人的に仲良くなれる可能性を掴んだのだ。
 前を行く波多野は担任するクラスの生徒だ。肩の辺りまで伸ばした黒いツヤのある髪がふわりと揺れる。距離を取っているのに甘いいい匂いが漂ってくるかのようだ。いかんいかん、こんな風に観察していてはまるで変態じゃないか。大人の男はあくまで紳士的であらねばならぬ。
 今日は家庭訪問という名目だ。放課後に二者面談の予定だったのだが、どうしても保護者に確認しなければならないことが出来てしまったので、急遽彼女の母親である百合子さんに連絡をつけた。そこで少しだけ時間を貰い、家で具体的な方針について相談することになったのだ。
 地味だが大きな一歩に確かな実感を覚え、俺は軽やかに足を進めた。

「お邪魔します……あれ? 誰もいないぞ」
 波多野に連れられて家の中に入ると、百合子さんは出掛けていた。おいおい、ちゃんと学校を出る前に連絡したんだが……。そう思っていると、波多野が言った。
「おかあさん、どうしても必要な買い物があるから、30分ぐらい外すって」
「あ、そうなの? っていうかお前な……」
 そういうことは黙っておくなよ。お前状況分かってんのか?
 このままだとまずそうだと判断した俺は、一度出直すことにした。
「波多野、お母様が戻られるまで先生……」
「やだ」
「え」
「やだ。帰っちゃやだよ、先生……お願い、もう少しだけ一緒に居て? ね?」
 波多野がその大きな瞳で俺を見つめる。身体からどっと汗が吹き出すのが分かった。この展開はマズい。目を見れば分かる。コイツは本気だ。状況を分かってないのは俺の方だったのだ。
 このままでは俺は目的を達する前に目的を達せなくなってしまう。何とかしてこの場を切り抜ける方策を巡らす。
「波多野、あのな」
「なんとなく、分かってました。先生が私に対して、特別な感情を持っているってこと……」
「いや波多野、違うんだ、俺は」
「最初は驚きましたよ? 私たち、先生と生徒だし」
「あのー、波多野さん、もしもし」
「だけど、先生は優しいし、大人の包容力っていうか、それでいて男らしいところもあるし、それに」
「波多野」
 ここまで来てしまったら、自分に正直になるしかない。俺は波多野の顔を掴んでこちらに向けた。波多野の顔がみるみる赤く染まる。
 俺は残酷な真実を告げた。
「先生が好きなのは……君じゃない。百合子さんだ」

       

表紙

天馬博士 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha