Neetel Inside 文芸新都
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屈託のない人に用はない
☆出産の記録(4月某日)

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 とある朝、「おしるし」があった。軽い出血。出産に備えて子宮口が開き、そこに粘液とともにつまっていた血液が排出されるのだという。産院で助産師さんに教えてもらってはいたが、来ない人も多いと聞いていたので、発見したときには「本当にあるんだ」と感心した。既に正産期に突入していたので産まれても問題はないはずだれど、いったい何をきっかけに私の身体は(あるいは胎児は)このタイミングで出産に向かうことに決めたのだろうと不思議に思った。
 おしるしが来てからどれくらいで出産になるかも、人によって違うらしい。ネットで検索しても次の日には産んでいましたとか、3日後陣痛がきましたとか、1週間後という話なんかもあったりして、当たり前だけどはっきりしない。
 とりあえず母に知らせて、それから東京にいる夫にも連絡した。おしるしがあったけれどいつ出産になるかはわからない。明日の朝かもしれないし、3日後かもしれない。仕事の都合もあるだろうからいつ来るかはお任せします、と。夫は相当迷ったようだが仕事中に飛行機を手配して、自宅にも帰らず着の身着のまま、最終便でこちらに来ることになった。
 さて、陣痛。おしるしが来てから少しして、お腹がきゅーんと痛くなり始めた。だいたい20分間隔くらいだけどまだまだばらつきがある。痛みははっきりしたり弱まったりを繰り返していて、特に辛いということもない。のんびり昼寝をしていると少しおさまってきたりもして、「陣痛も弱くなってきたし出産はまだ先かもね」と夫に実況していた。
 温泉旅行での前駆陣痛みたいに、このまま何事もなくおさまっていくのかな? と思っていたのだが、結局また19時頃から痛みが強くなってきた。間隔はまだまばら。20分おきから15分おきくらいにはなったけれど、そこからが縮まらない。お産のあとはしばらくお風呂に浸かれないので、念のためゆっくりとお風呂に入った。そのあいだも赤子は時折ぐにぐにと動いている。この頃から痛みが軽い腹痛から少し重みを伴う痛みに変わってきた。子宮がぎゅーっと絞られるような、思わずうめいて立ち止まってしまうくらいの痛み。それでも痛み自体は1分半くらいしかないし、やっぱり辛いしんどいという感じはない。陣痛って思ったより楽だなぁとか思っていた。
 23時に夫が到着。おつかれさま、と家族で笑って迎える。お風呂を済ませた夫と一緒に並べてお布団を敷き、寝ようとするのだが、その頃から痛みは更に重く鈍くなってきた。間隔を測ると10分を切ることが多い。でも6回測って1、2回はまだ15分だとか12分が混ざっている。日付が変わる頃に念のため産院に電話すると、「毎回10分を切らないうちはまだ早いので、もう少し我慢して様子を見てください」とのこと。うーん、まだなの? 結構辛い。ついでにお腹も空いてきた。夫も空腹だと言う。キッチンに行くと、夜中に産院に向かうことになっても大丈夫なようにと、母がおにぎりを作ってくれていた。鶏そぼろが入っているおいしいおにぎりで、ありがたく頂いた。約10分ごとに痛みで中断しつつだったけれど。
 産院との電話で「なるべくうとうとして体力を温存しておいてください」と言われたので、横になって陣痛間隔を測りながら目を閉じていた。が、しかし、ほとんど眠れない。意識は眠気でもうろうとしてはいるのだが、ほぼ10分おきに1分半くらいの痛みが来て、うめきながら耐えて、それが遠のいたと思ってうとうとしたらまた痛みが……の繰り返し。痛みも半端ではなく、息を止めて全身を縮こまらせ、声にならない声をあげつつ耐える。子宮というか、腹部全体、骨盤もお腹もお尻も全部が絞りあげられるような今までに経験のない種類の痛みで、なんとか逃れようとどう態勢を変えても楽にならない。ときどきうめき声をあげると大丈夫? と夫が訊くが、彼が起きていたところで何かできるわけでもないし、なるべく寝てもらっていた。
 結局、その状態のまま朝の6時を迎えた。朝日が昇り鳥が鳴いている。下半身の壊れそうな痛みに耐えていると急に胃がねじれるような吐き気がこみ上げてきて、「もうやだ、もう無理、絶対に無理」と動物のように唸りながら起き上がり、傍らのゴミ箱にそのまま嘔吐した。夫が慌てて背中をさする。気がつくと痛みの質が変わっている。なにか重い塊が無理矢理に骨盤を広げていくようなずしんとした感覚。それなのに陣痛間隔はまだ時折10分を切らないものが混じっている。
「これは絶対におかしい。とにかくもう一度電話する」とほとんど絶叫しつつなんとか産院に連絡すると、「とりあえず一度来てもらって様子を見ましょう。入院準備だけはしてきて」とようやく言ってもらい、これ以上自宅で耐えられる気がしなかったので少しほっとする。夫や両親に手伝ってもらいながら陣痛の合間に最後の準備をして、夫の運転する車で産院へ向かった。
 産院に着くと、すぐに内診台へ。足を全開にする間抜けなポーズのまま、お腹のあたりで区切られたカーテンの向こうで2人の助産師さんが直接手をつっこみ代わる代わる子宮口の確認をして、小声でなにかを相談しあっている。子宮口は10cmが最大で、陣痛が進むにつれ徐々に開いていくのだが、まだ全然開いていないとか言われたらどうしよう、帰らされたらどうしよう、これ以上辛くなったら耐えられるんだろうか? とびくびくしてしまう。
「おうちでものすごく頑張りましたね」
 と、助産師さん。子宮口はすでに6センチほど開いているという。入院の際は2?3センチくらいが普通で、ほとんど開いていない人もいるくらいだというので、やっぱりこの異様な種類の痛みはお産が進んでいるせいだったんだ、とほっとした。
 普通はこのあと陣痛室という部屋でモニターをつけながら陣痛間隔が狭まってくるのを待つのだが、もうそれも必要ない段階ということで、入院着に着替えてから車椅子に乗せられてそのまま分娩室へ。部屋の真ん中には大きな1人掛けソファのようなベッドのようなものがあり、薄暗いオレンジ色の照明がそれを照らしている。周囲の助けを借りて横たわると、お腹にモニター装置が取り付けられる。胎児の心拍や陣痛の間隔を見るためのものだ。
「お産が進んでるのに、陣痛間隔が長いですね。普通はもう5分を切っててもおかしくないんだけど」助産師さんがパソコンの画面を見つめて不思議そうにつぶやく。それから腕に太い点滴用の針が刺された。いざ点滴が必要になったときにすぐに始められるように準備しておくらしい。この太い針の跡は、その後3ヶ月ほどしこりになって残っていた。
 分娩台の上で痛みはますます強くなる。悲鳴を堪えてうめいているので喉が痛くなって、夫がストローキャップを付けたペットボトルを差し出してくれるのを飲むが、胃がうまく受け付けない。糖分を補給するために用意していたリンゴジュースをひと口飲んだら、またあの胃がねじれるような吐き気がまたこみあげてきて、3度ほど吐いた。胃にはもう水分しか残っていなかったらしく胃液をひたすら吐いた。
 瞬間、ぱちん、と小さな感覚があって、温かい水のようなものが流れ出てくる。破水だ。胎児を覆っていた羊膜が破れ、羊水が流れ出てきたのだ。いよいよ出産が進み切ってきた。分娩台に乗ってからここまでが2時間くらいだっただろうか。
 痛みは更に質を変えていき、気が遠くなるというか、意識が掃除機で思いっきり吸い込まれるような、脳みそや身体の内側が真空状態になるような、「引き込まれる」感覚になる。そうなってくると痛みがもはや痛みではなくなっていた。強烈な光のような閃きが全身を振り絞るように走る。息を吸うのもやっとだけど、この尋常ではないものから逃れることはできず、ただ食らいついていくしかない。
 助産師さんたちが分娩台の足元をなにやら操作する。足を開いて台に固定されて、足の裏で思いっきり踏ん張れるようになった。
「もういきんでいいですよ。タイミングを合わせて、レバーを握って足を踏ん張って」
 左右の手すりを握り、痛みの強烈な閃きがぎゅうううっと身体を絞るたびに、思いっきり息を吸い込み、言われた通りに踏ん張る。うめいていたら、力が逃げるので声を出さないで、と助産師さん。
 不思議なことに、いきみのタイミングははっきりわかった。痛みがずんずん脳に迫ってきて、なにか膨大な感覚がぶわっと膨らみ、膨らみきったかと思うと次の瞬間に身体の内側のなにかがぐぐぐっと重々しくくぐり抜けていく。本当に少しずつ。そのタイミングにあわせて、助産師さんが「息を吸って、止めて。……いきんで!」と声をかける。両手で手すりを思いっきり引き、足を踏ん張り、背中を丸め、腹圧をかけ、そのなにかがくぐり抜けていこうとするあいだじゅう息を止めて全身を振り絞る。そしてまた、その何かがふっと遠のいていってしまう。息を吸う。その繰り返し。
 普通ならここで陣痛間隔は1分を切るらしいのだが、私は最後まで2分とか3分のままだったそうだ。あとから夫に聞いた。痛みの間に必死に呼吸をする。もはや肩で息をするというレベルではなく、過呼吸の人のように悲鳴のような声を伴う呼吸だ。そうやっていきみ続ける。この時間がなによりも1番キツかった。もう限界、身体のどこにもひとかけらもエネルギーが残っていないのに、「もう頭が見えてますよ」と言われているのに、なかなか産み落とせない。ぐったりと休憩したいけれど、骨盤の内側になにか巨大なものが挟まっていて、それはもう元には戻せないどころか、私がここで諦めれば胎児は外に出られず、最悪心拍が止まってしまうかもしれない。他人ではどうにもならない、私にしかこの生き物を産み落とすことはできないのだ。ほとんど寝ていない、食べていない、12時間近く痛みにさらされ続けた状態で、全身のエネルギーを振り絞り全力で踏ん張る。その状態が30分以上続いた。
 子宮口が開き切るまでは進みが早かったのに、ここで普通よりも時間がかかったらしい。会陰は可能な限り切らないと希望していたのだが、途中で駆けつけた母が「切ったらすぐに出るはず。切ってもらったら」と言うので、もう耐え切れないと思い切開してもらった。ぱちんという鋏の音。痛みはない。じんとした熱が走る。次の瞬間、ぷるん、という弾むような勢いで胎児がずるりと出て来た。一瞬の沈黙。それから産声。
 ああ、産んだ。
 おつかれさま! と夫や母、助産師さんたち。消耗しきった私。
「女の子ですよ」
 胎児が、いやもう赤ちゃんになった元・胎児が、ところどころ白い胎脂や血液がついたまま、胸の上に乗せられた。小さくて軽い。声を上げて泣いている。緑色にねじれたへその緒が夫によって切断され、クリップのようなもので止められた。へその緒ってこんな色をしていたんだ。
 こんな生き物が入っていたんだ、という感慨のようなものはあった。でも感動するには疲れすぎていた。正直言って、単純に外見としてはさほどかわいい生き物にも見えなかった。肌は思ったよりも赤黒く、あちこちしわしわでひょろりと痩せている。ただ手足の指はそろっていたし、目も耳も鼻も口も、ぱっと見て異常はなかった。そのことにほっとした。
「お母さんだよー」と言ってみる。胸の上でうずくまる生き物はアラームのように機械的な周期で小さく泣いているばかりだった。助産師さんたちが私に巨大な紙おむつのようなものをあてがい、それから赤ん坊を連れて行った。体重などを測るらしい。
 夫と母がそれについていき、私は薄暗い部屋に1人になった。産んだはいいが、これからどうなるのだろう。ぼんやりと天井を眺めていると女医さんが入ってきて、傷を縫いますね、と点滴から痛み止めが入れられる。ちく、ちく、ちくと粘膜の上に刺激が走る。じわじわと身体の輪郭が侵食されるような痛みだ。それが何度も何度も、延々と続く。普段なら我慢できないほどの痛みではないはずなのに、消耗しきった心身にはなんだか辛い。扉の向こうでは赤ん坊の泣き声と、「……グラムだって、大きいね」「すごい、かわいい」と夫と母の歓声が聞こえてくる。産んだのは私なのに、みんなは向こうにいて、私はこの薄暗い部屋で1人だけ痛みにさらされている。ぎゅっと身体に力を入れて耐えていると、手足がガクガク震えた。制御できない震えだ。早く終わって欲しい、と祈るような気持ちで身をよじりながらうなって耐えた。

 分娩後、普通は2時間ほどそのまま分娩室で休み、その後入院用の部屋に移動する。けれど私の場合出血の経過を見たほうがいいので、と結局6時間近くその部屋で待たされていた。
 出産後はちょうどお昼の時間だったので昼食が出されたのだが、会陰縫合からなぜか手足の震えがおさまらない。全身が重くてどこにも力が入らない。体中のエネルギーを使い果たしてしまったらしい。食欲も全くなかった。汁物だけをなんとか口に入れるけれど、身体がうまくうけつけてくれないのか、なかなか飲み込めない。
 なにか冷たくてするりとしたものなら入るかもしれない。ゼリーが食べたい。そう言うと、夫がコンビニまで走って、みかんゼリーとグレープフルーツゼリー、バニラアイスクリームを買ってきてくれた。実際に前にするとアイスクリームが1番食べられそうに見えた。半分にも満たない量を少しずつ少しずつ、ゆっくりと口に入れて溶かしてなんとか飲みこんだ。
 少し体勢を変えたり、起き上がろうと腹圧をかけると、そのたびに血の塊がたくさん出て行くのがわかった。何度か助産師さんが来て巨大な紙おむつの中の分厚いパッドを取り替えていく。そのうちまた女医さんが入ってきて出血の具合を確認してから、もう少し縫いましょう、と言った。
 家族がまた外に出され、先に縫った辺りよりももっと中の方、もっと脆弱な粘膜の辺りが縫われた。痛み止めがかなり弱まっていたので、これは脳に直接響くように強烈に痛かった。痛い痛い、と呻くと、点滴から痛み止めが追加される。すぐに効いたけれどやはり痛みが完全になくなるわけではない。じくり、じくりと縫合はひたすらに続く。何針縫うのだろうと気が遠くなる。脳を縫われているみたい。
 私の身体にはもう痛みに耐えるだけの気力が残っていなかった。そういえば辛い時は泣いてもいいんだっけ、と思い至って、痛いよう…とつぶやきながらしくしく泣いた。陣痛でも産むときでもそのあとも泣かなかったのに。

 そして産んだその日から、母親の仕事は始まるのだ。
 
 

       

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