壁の上に朝日が見えた。
ウッドの北。開かれた門の、すぐ前に三人はいた。
シエラとペイル、ボルドーである。三人とも、荷物を抱えている。
そこに、セピアとカーマインが近づいてくるのが見えた。
それぞれ、馬を一頭ずつ引いてきていた。
セピアは、いつもの服ではなく、ウッドの兵に近しい服を着ていた。
すっきりとした顔をしている。
「重ね重ねになりますが、本当にありがとうございました。私は、ここで父の下で、兵の一人としてやっていこうと思います」
「そうか」
ボルドーが、笑顔で言った。
「皆様方の旅が、良い旅になるよう、心から祈っています」
言った後、セピアが、こちらに目を向ける。
「シエラもありがとう。今までに、何度も助けられてしまったな。私の方が年上なのに」
そう言って、にこりと笑う。
「またいつか、真剣勝負をしよう。私も、ここで鍛錬に励む。絶対にいつか、シエラに勝てるぐらいに強くなるからな。私達はお互い、切磋琢磨できるような関係になれると思うんだ」
セピアが、うれしそうに言っているのを見て、シエラも少しうれしくなった。
「前にも言った、私なりの正義。私は、それをできるだけ通す道を選んでいくよ。いろいろ見てきたけど、それには、やはり強くならないといけないからな」
シエラは頷いた。
「ちょいちょい待て待て。俺との決着も、まだついてないのを忘れてないかい?」
ペイルが、親指を自分に向けて言った。
「そうですね。いずれ決着をつけましょう」
「お、おう」
もっと、言い争いのようになると思っていたのか、ペイルは、拍子の抜けた表情をした。
「その馬は?」
ボルドーが言った。
「将軍の指示で、山城までになりますが、私が案内させていただくことになりました。馬を使えば、半日ほどで到着することができますので」
カーマインが言う。
「では、シエラ。ここでお別れだ。必ず、また会おう」
セピアが笑って、手を差し出した。
シエラは、再び頷いて、その手を握りしめた。
山あいの、谷間のような道が続いた。
ごつごつした、岩や土だけの道である。
馬は二頭で、操っているのは、ボルドーとカーマインである。
ボルドーの後ろにはシエラが、カーマインの後ろにはペイルが乗った。
初めて馬に乗った。馬車とは比べものにならないぐらいの振動と恐怖である。想像していた以上に高いと思った。シエラは、ボルドーの背中にしがみついていた。
しばらく、その谷間のような道を走っていたが、やがて、視界が開ける場所にたどり着いた。
いつの間にか、随分と山を上がってきたようだ。
大山は相変わらず、前方で変化はないが、他の山々は、低くなっていた。山城が、もうすぐそばに見えた。
「おお、すげえな」
ペイルが、後ろを見て言った。
シエラも振り返ると、随分と遠くまで、景色を見渡せることができた。
あそこを、自分が通ってきたのか。遠くから見ると、不思議な気分だ。
さらに数十分、馬を走らせると、小さな小屋が見えた。
「馬で行けるのは、あそこまでです」
そこからは、一気に角度が険しい斜面を徒歩で登った。一度、途中で休憩を入れて、さらに歩く。
中天に掛かった太陽が、傾きだした頃に、ようやく山城にたどり着いた。
ウッドに比べると如何にも小さいが、守るには効果的な城だということは分かる。こんな所に城を作ろうと考えることがすごいと、シエラは思った。
「本当は、部外者は立ち入ってはならないのですが、今回だけは特別です」
カーマインが言った。
「悪いな」
「商人達には、くれぐれも内密に」
カーマインに着いて、中に入る。狭い通路をくぐって、真っ直ぐ進んだ。やがて、山城の北側に出た。
「おおっ」
ペイルが声を上げた。シエラも、同じ声が出そうになった。
ずっと、先まで大小様々な山々が続いているのが見えた。右手前方には、大山が根本近くから見える。雲が、途中に掛かっている。
「この山脈が、国境というわけだ。と言っても、こんなものがあると、境にせざるをえんがな」
ボルドーが言う。
「前にペイルが、先の戦争でここだけが破られなかったという話をしていたがな、ここは攻められなかっただけなのだ」
「え?」
ペイルが驚いた顔をする。
「北からここを攻めるのは、労力の割に、さして意味はない。山越えは難しすぎるからな」
「あ、そうだったんですか」
「本当に大変ですからね、この山々を越えるのは。冬ともなると、もう絶対通ることはできません。商人達の、商いのために見せる力には驚くばかりですよ」
カーマインが言った。
「まったくだな」
「北の国にも、さらに北があるのですよね?」
シエラが言うと、三人は不思議そうな顔をする。
「ああ」
「陸地は、どこまで続いているのですか?」
ボルドーは少し考える顔をした。
「いろいろ話は聞くが、本当の所は分かっていないな」
少し、間を置いて、言葉を続ける。
「昔の知り合いにな。残りの人生を使って、陸地の果てを見てくると言って、北に旅立った男がいたのを思い出した」
「へえ」
ペイルが言う。
「その人はどうなったんですか?」
「さあな。もう、何十年も前に別れたきりだ」
ボルドーは、遠くに目をやった。
「陸地の果ては見れたのだろうかな……」
しばらく、四人は黙っていた。
少しすると、ペイルがその場で足を動かした。
「あの、カーマインさん。ここって用を足す場合の規則とかあるんですかね?」
「ええ、厠があるのです。案内しましょう」
カーマインに連れられて、ペイルは建物の中に入っていった。
二人だけになる。
「シエラ、この景色に見覚えはあるか?」
ふいに、ボルドーが言った。
言われて、少し考える。
どうだろうか。
この旅の間、自分の記憶に自信が持てないことが多かった。今更、自分の記憶など当てになるのか、といった自虐のような言葉が頭を過ぎった。
「分かりません。ない、と思いますが」
シエラは言った。
「そうか……」
言って、ボルドーは再び北を見る。
「実はな、国境を越えた、さらに北にドライという町がある、といった話を聞いたのだ」
シエラは、思わずボルドーを見た。
「ただ、シエラの故郷のドライであるかどうかは分からない。たまたま、同じ名前の町があるだけかもしれない」
言葉を続ける。
「もしも、仮にだ。その町が、お前の故郷だとする。だとすると、カラトとお前は、スクレイに入るために国境を越えているはずだ。それも恐らくこの山脈を。三年前のお前の足だと、相当大変だったはずだが、記憶にないというのなら、やはり違うのかもしれないな」
そう言われて、シエラはもう一度考えた。
確かに、こんな所を通っていたのなら、忘れるとは思えない。
でも……。
「シエラ、ドライでは雪が多かったか?」
「冬になると、毎年積もっていたと思います。ただ、特別多かったといった印象はありません」
「ふむ」
ボルドーは、息を吐いた。
「やはり、違うのかな」
何か、心地がいい。
前に感じる暖かさのためか、さっきから体に感じている軽い揺れのためか。
どっちにしても、心地がいいと思った。
何をしているんだっけ……。
目の前は真っ暗だが、明かりが重なって見えている。
自分が、目を閉じていることに気が付いた。
瞼を上げる。すぐ目の前には、まだ黒があった。
いや、人の頭だ。
そして自分が、誰かに背負われていることが、ようやく分かった。
目線を動かし、辺りを確認する。
一面真っ白だ。一体ここはどこなんだろう。
そして、これは誰だ?
「おはよう」
前にいる人が言った。男の声だが、随分涼しげな声だ。
そこまでいって、ようやくこの男が誰なのかを思い出した。
ただ、いつ背負われたかは思い出せない。
「寒くない?」
前の男が言う。
少し背中が寒いと思った。自分の格好を見ると、大量に服や毛皮を着込んでいた。
こんないい防寒着、今まで着たことがないのに、寒いのはどういうことだろう。
ただ、これ以上世話がかかる奴だと思われたくもないので、黙って頷いた。
「そうか」
そう言って、男は微笑んだ。
この笑顔だけは、どうにも不思議な気持ちになる。
そして、ようやく周りが、一面の雪原であることが分かった。自分や、男の吐く息も白い。そうか、寒いわけだ。
男は黙々と歩いている。
自分も、歩く体力は回復していると思った。ただ、もう少しだけこのままでいたかったので、降ろしてくれとは言えなかった。
本当に何だろう。この心地よさは。
「大山だ」
男が言ったので前を見ると、白い巨大な山が、左の前に見えた。
少し怖くなってきた。
あそこから先は、もう別の世界だ。まったく知らない場所、知らない人々。
何も知らない。それは、ただただ恐怖なんだ。
身体が震えていた。
「ごめん」
男が言った。
「俺には、俺を信じてくれとしか言えない」
何を今更、と思う。
「……信じる」
言っていた。そう言うしかない。
「ありがとう」
男が、また微笑んだ。
この笑顔が見たかったから言ったのかもしれない、とも思えた。
「信じるよ、カラト」