都の方向に向かった。
勧誘の町巡りが始まって、もう十日は越えている。
「こんな長く戦線を離れていていいのか?」
「当分はね。今、注意する必要があるのは、クロス軍の本体だけだし。南下してきたら、すぐに、連絡がくるようにはしているから」
ダークの疑問に、カラトは、そう答えた。
都の近くの、大きな町に入った。
大通りの店は殆どが開いている。人も、疎らだがいる。こんな状況だというのに、ご立派なものだと、ダークは思った。
「さて……」
言うとカラトは、大通りから外れて、奥に入った。
場の雰囲気が変わる。この雰囲気を、ダークは知っていた。おそらく妓楼か、その類だろう。
ダークも、山に住んでいたころに、通っていた町で行ったことがあるのだ。
こんな所も、こんな状況でも商売は続けなければならないのだな。
カラトは、大きめの店に入った。
男が応対に出てくる。
「グラシアさんに会いたいのですが」
「ああ……お客さん。彼女は、なかなかに値が張りますよ」
客に対して、そういう対応をするのも、こちらが金を持ってるようには見えないからだろう。
「いくらですか?」
男が、何本か指を立てた。
カラトが、少し考える仕草をする。
「分かりました。払います」
男の目が見開かれた。
「なかなかに、愉快なことをするな。フォーンから貰った軍資金で、女遊びとは」
ダークが言うと、カラトがこちらを見る。
「別に、悪いとは思っちゃいないさ。むしろ、見直すところができたと思っていたところだ」
「いやいや、ちょっと待って。違う違う。勧誘だよ、勧誘」
慌てて、カラトが言う。
「勧誘?」
「そうそう」
「こんな所に、誰がいるっていうんだ」
「それが、いるんだよ」
二人は、入り口の近くの一室で待たされていた。
「だったら、金を払う必要があるのか?」
「会うのが難しい人だからね。こういう所は、正攻法でいったほうが手っ取り早いと思ってね」
しばらくして、先ほどの男が呼びに来る。
男に案内されて、妓楼の奥に入った。こんなに奥行きがあったのかと思うほど進む。やがて、一つの部屋の前にたどり着いた。
二人は中に入った。
部屋の奥に、窓があり屋外が見えた。ダークは、建物の構造を考えたが、どこがどうなっているのか分からない。
窓から、外に床が出っ張っているようで、そこを囲うように柵がある。そこに女が一人、外の方に顔を向けて腰掛けていた。
栗色の長い髪が、頭の後ろで纏められている。年齢は、二十代の中頃辺りか。手には、細長い棒を持っている。そこから、不思議な煙が上がっていた。
成る程、横顔しか見えないが、確かに美形という顔なのだろう。
「こんにちは」
カラトが言った。
女は反応しない。
「グラシアさんですね」
女が、こちらを一瞥した。
「俺は、スクレイ軍に所属しているカラトという者です」
女は、細い棒をくわえる。
「俺たちと一緒に国を守る為、戦う気はありませんか?」
当然、ダークは驚く。今回の勧誘相手は、この女なのか。
そんなことはお構いなしに、カラトはいつもの話を始めた。
「いい趣味とは言えないわね」
話し終えた後の、女の第一声だった。ゆっくりとした口調だ。
「趣味?」
「そういうことでしょう」
「違います」
「はあ?」
女が、意地が悪そうに笑う。
「できれば、ここではない場所で会いたかったのですが……ここという場所のことは、一端忘れて聞いてほしいのです」
「それを私に言うか」
カラトが、口を噤んだ。
いつものごとく、話しについていけない。
「もしも真面目に言ってるんだとしたら、話す相手を間違えていると思うけど?」
それは、ダークも同感だった。
「実力がある。そして、スクレイの民である。それさえ揃っていれば、どんな身分、役職であっても問題ではありません」
カラトが言うと、女は、薄ら笑いを止めた。
「……あなたが問題にしなくても、他の誰かさん達は、問題にするでしょう?」
「そういうことを変えるために、あなたが戦えばいいのです」
女は、もう笑っていない。カラトを睨みつけるように見ていた。
少しして、目線を外に戻す。
「もしも、その話が嘘だったら、あんたを後ろから射殺してやるよ」
カラトは笑った。
「とりあえず、当初予定していたのは、これで最後だ」
二人は、都の中にいた。
大きく豪勢な屋敷が並んでいる一角だった。話を聞くと、貴族の住宅街らしい。
今は、人の気配がまったくなかった。
「今、勝手にここに住んでも、誰も文句は言えんだろうな」
窓から中を覗くと、何もない家と、ごちゃごちゃに荒れている家がある。
「貴族の人が逃げる時に、金目の物は全部持ち出したみたいだね。なにか残されてた家は、誰かが入って荒らしたみたいだ」
「逃げるねえ……王族といい高官といい、どこへ逃げるというんだか」
さらに道を進んだ。
突き当たりに、一際大きい屋敷があった。当然、そこにも人の気配は感じない。
カラトは、屋敷の正面扉までくると、扉を叩いた。
しばらく沈黙。
「誰かがいるのか?」
「さあ」
「さあ?」
窓を覗く。他の家同様、高価そうな物は見えない。人の生活感もなかった。ただ、荒らされてはいないようだ。
カラトが、もう一度、扉を叩いた。
やはり、無反応だった。
「うーん」
カラトが、辺りを見回す。
「どちら様かしら?」
突然、上の方から、若い女の声がした。
二人は、数歩下がって、屋敷の上方を見る。
人の姿は見えなかった。
「突然、お邪魔してすいません。自分は、スクレイ軍に所属しているカラトという者です。スカーレットさんに会いに来たのですが、ご在宅でしょうか?」
大きめの声で言った。
再び、しばらくの沈黙。
「鍵は開いているはずです。どうぞ、お入りになって」
また声がした。
今度は、扉の真上の二階から聞こえたことが分かった。
「では、お言葉に甘えて、失礼します」
二人は屋敷に入った。
すぐに、大きな部屋に出る。いや、部屋ではないのだろう。扉が左右にいくつもあるのが見える。正面に大きな階段があって、それが途中で二つに分かれている。天井が、驚くほどに高かった。
やはり、人の生活感は感じられない。いや、もしかしたら貴族の屋敷というのは、元々感じないものなのだろうか。
「とりあえず、さっきの声の所に行こうか」
二人は階段を上がって、入り口の真上の方に向かった。
部屋があったが、どこもほとんど物がなく閑散としている。本当に、こんな所に人がいるのか疑いたくなった。
しかし、すぐに見つけた。
おそらく、入り口の真上にあった窓だろう。その窓のすぐ側で、椅子に腰掛けている若い女がいる。その女の手前には小さな机があり、その上には、本やら、陶器やらが置かれていた。
まるで、その一角だけで生活しているような錯覚に陥りそうな異質さだった。
水色の髪が二つに纏めて、肩のすぐ下辺りまで流れていた。高価そうで、ひらひらした服装をしている。ダークが考える貴族らしい服装と、ほぼ同じだった。
女は、近づく二人に一瞥もせず、本らしき物を見ていた。
「こんにちは」
カラトが言った。
女は、ゆっくりとした動作で本を閉じると、それを机の上に置いて、初めてこちらを見た。
「こんにちは」
女が、少し笑みながら答えた。
「スカーレットさんですね」
「ええ。カラトさんは、あなた?」
「そうです。そして、彼はダーク」
「こんにちは」
スカーレットが、こちらを見て言う。
「……」
「あら?」
スカーレットは首を傾げた。
「すいません、彼は無愛想なんです」
女は笑った。
「どうぞ、お座りになって」
あった椅子に勧められた。
「それで、軍人さんが私に何の御用でしょうか?」
カラトは、少し辺りを見回す。
「お一人で住んでいるんですか?」
「ええ、今は」
「ご家族は、どちらに?」
「さあ……南の方に避難すると言っていたので、おそらく、そちらの方でしょう。具体的な場所は分かりかねます」
「どうして、あなたは避難されなかったんですか?」
「その必要がないと思ったからです」
「必要?」
一つ間。
「どうして、その家の者が、我が家を離れなければならないのでしょうか? その家の者なら、その家にいて当然でしょう」
「確かに、そうですね」
二人が笑む。
こいつら……。
「それで、家と共に心中しようってことかい。それが、貴族の美学とでも言うのか」
ダークは、思わず口を挟んだ。
「心中などどは思っていませんわ」
女が、こちらに目を移して、変わらない口調で言う。
「もし、賊がこの屋敷に入ってこようものなら、私が、賊を一人残らず切り刻むだけです」
そう言うと、女は机の上にあった飲み物を優雅な仕草で飲んだ。
ダークは呆気にとられる。カラトが笑っているのが見えた。
「スカーレットさん。この屋敷だけを守るのではなく、この国を守ろうという気持ちはありませんか?」
カラトの言葉に、女は少し首を傾げる。
そして、いつも通りの話を始めた。
「いくらあなたが強くても、国が倒されれば、この屋敷を守ることは難しいでしょう。それよりも、国を守るほうが手っ取り早い」
それに、と言葉を続けた。
「それに簡単です」
言うとカラトは笑う。女も微笑んだ。
「ちなみに聞いてもよろしいかしら? 私に声をお掛けになられたのはどうして?」
「実は、前々から興味があった人がいたんですが、その人の正体が誰なのか、ずっと分からなかったんです。それが最近、結構な情報網を使うことができるようになりまして、やっと誰なのか分かったんですよ」
女の眉が、少し動いたのが見えた。
「それがスカーレットさん、あなただったということです」
少しの間。その後、女は軽く溜息をついた。
「どこからどう漏れたのだか……私も、まだまだですね」
カラトは笑う。
そして、立ち上がった。