Neetel Inside 文芸新都
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 書物が積まれていた。


 小城の中の一室だった。
 グラシアに、出来る限り集めて欲しいと言うと、見たこともないほどの量が、すぐにシエラの部屋に積まれることになったのだ。
 少しずつ、読み進めてはいるものの、まったく進んでいる気がしなかった。
 それに、いまいち実感できるような知識になっている感じがなかった。しかし、今の自分には、これしかできないだろうと思うのだ。
 自分が、まったく役に立たないだろうことは分かっていた。だから、ボルドー達の作戦には、あまり口出しをしないでおこうと思ったのだ。
 しかし、当然このままでいようとは思わなかったので、安易ではあるが、出来る限り知識を得ようと考えた。何をするにも、まずはそれからだと思う。
 そして、今に至る。

 シエラは、書物から目を離し、息を吐いた。
 人が、集まってきている。不思議な気持ちだった。そして、緊張もする。ただ、その中に、自分に期待をして集まった者は、いったいどれほどいるのだろうか。
 一度だけ、隊長格の集いに、顔を出したことがあった。といっても、特に何も話さず、すぐに退出するもので、顔を見せる意味合いの機会だったのだろう。そんな王女に、落胆する者もいたのかもしれない。
 その中で、シエラは、ずっと頭から離れない事柄があった。
 ペイルとセピアがいたのだ。居並ぶ人たちの、後ろの方にいるのを、ちらりと確認したのだ。
 単純に、嬉しい気持ちがあった。
 本当は、会って話がしたい。しかし、王女という立場で、それが難しいことは分かっている。
 分かっているのだ。

「殿下、ボルドー様がいらしました」
 部屋の扉の外に立っているであろう、マゼンタの声がした。
 マゼンタは、オリーブの町で会ったことのある衛視の女の人だ。シエラの護衛部隊を指揮する者として、グラシアが連れてきたようだ。久しぶりに会ったマゼンタは、すぐにシエラの前でひざまずいた。
 それからは、ほとんどの時間、シエラの側にいる。

「入れていい」
 シエラが言う。ボルドーが入ってくると、恭しい仕草で頭を下げた。
「殿下、先日から言っておりました、南での資金調達を担当する者が決まりました。当分、南での仕事となりますので、今の内に殿下に謁見させておきたいと思い連れてきたのですが、宜しいですか?」
「いい」
 ボルドーが振り向く。少しして、中年の男が入ってきた。背は、低い方だ。
 男が、ゆっくりと頭を下げる。
「ドーブという者です」
 ボルドーが言った。
「そうか。では、よろしく頼む、ドーブ」
 シエラが言うと、ドーブは、もう一度頭を下げる。
「一言だけ、宜しいでしょうか?」
 少しして、ドーブが顔を伏せたまま言った。
「構わない」
 シエラが言うと、ドーブが顔を上げる。
「御礼を申し上げます、殿下。もう無いと思っていましたが、生涯で、再び命を燃やす機会を頂きました。必ずや、役に立ってみせます」
 目に、強い輝きが見えた。
「無学なので、無礼になる言い方だったかもしれません。御容赦下さい」
 そう言うと、再び頭を下げて、それから退出していった。
 ボルドーだけが残る。

「あの人も、カラトの昔の仲間?」
「ええ。その前は、コバルトの山賊仲間だった者です。まあしかし、商才に関しては能力のある者ですので、ご心配なく」
「そう……」
 ボルドーが、こちらを見る。
「少し、お疲れの御様子ですな」
 シエラは、黙った。
「殿下、勉学も宜しいですが、部屋に籠もってばかりですと、気が塞がってしまいます。たまには、練兵などを御覧になるのはいかがでしょうか。ルモグラフなどは、なかなかに見応えのある練兵をしますぞ」
「考えておく」

 しばらくの間を置いてから、シエラは口を開いた。
「……ボルドー。王とは、どういう人がなるのだろう。人の上に立つ人間には、どういう能力が必要なんだと思う?」
 言うと、ボルドーはこちらを見た。
「それは、後天的な意味で、でしょうか?」
 シエラは頷く。
 ボルドーは、手を顎につけた。

「……そうですな。人それぞれに考え方がある事柄でしょうが、私の考えは……人を見る目、でしょうな」
「人を見る目」
「そう……上に立つ者が、何でもできる必要はないと思うのです。部下が、何が得意で何が不得意か。また、何をしたい、何を考えているなど適材適所を見極める、そういう目です。私は、それがあるだけで、名君の素質があると思います」
「それは、どうすれば身につけられる?」
「経験、しかないと私は思います」
 思わず、シエラは溜め息をついた。
「それは、今の私には一番難しい」
 ボルドーが、笑む。
「だからこそ、気長に考えるべきだと思います。ところで、乗馬の訓練は進んでおりますか?」
「ある程度、できるようになっているとは思う」
「それは、何より。そのように、できることからするべきだと思います」
 そう言って、ボルドーは出て行った。

 しばらく、沈思していた。
 今日は、外に出て行こうか。
 シエラは、そう思った。










 石畳で整備されている道を歩いていた。
 都の一角である。驚くほどに人が溢れている都だが、王宮から軍事府に続くこの道は、いつも閑散としている。
 都で、ここだけが気に入っていた。
 フーカーズは、自らの部隊と共に、都に待機するようにと命令が下っていた。もう一ヶ月になる。今日も、任地に戻りたいという申請をしてきた帰りだったが、受諾される期待は、あまりしていなかった。
 理由も分かってはいる。

「おおい」
 背後から声がした。
 フーカーズは、振り返って、声の主が来るのを待った。
 小走りで、具足をつけた男が、こちらに向かってきていた。藍色の髪色をしていて、背が高い。歳はフーカーズよりも、三つか四つ高いぐらいだったか。
 将軍のパステルだ。

「悪い、フーカーズ」
 パステルは、フーカーズの前で、立ち止まった。
「今、時間はあるか?」
「寧ろ、暇を持て余しているよ。早く、任地に戻りたいのだがな」
「それは、当分無理だろう」
「そうだな」
 フーカーズは、苦笑した。
「何の用だ?」
 言うと、パステルは少し表情を引き締めた。

「フーカーズ、会議に参加するんだ」
 予想通りの話のようだ。
「上の連中の中には、君が例の一派と繋がっていると疑っている者もいる。君が直接会議の場で、潔白を主張するべきだ」
「私が言ったところで効果があるか疑問だな」
「当然あるさ」
 パステルが言う。
「それに……上の連中の中には、君の部隊を取り上げようと考えている者もいる」
「それだけは、絶対にさせん」
「当然だ。私も、させたくはない。だからこそ、君が会議に出なければならないのだ」
 フーカーズは、パステルの顔を見た。

 パステルは、今までも、独断専行で問題になる自分を庇ってくれることが何度もあった。スクレイ軍の中でも、数少ない好感が持てる男の一人だ。申し訳ない思いも当然ある。
「分かった、出るよ」
 言うと、パステルが頷いた。
「デルフトも、来て欲しいのだが」
「あいつに関しては、私にはどうしようもないな」

 その後、パステルと並んで、軍事府に向かって歩いた。
「西の謀反だがな、ボルドーという者が加わっているらしい。まさか、あのボルドー将軍なのだろうか?」
「さあ」
 パステルは、意外そうな顔をする。
「君なら、分かるんじゃないのか?」
「いや、そこまで親しいわけではないのでな」
「そうなのか?」
 パステルは、視線を前に戻す。
「他にも、十傑の名前が入っているんだ」
 パステルの表情が歪んだ。
「仮に本物だとすれば、一体何を考えているのだ。今は、国を一つに纏めなければならない時だろう。こんなことをすれば、また外国に足下を掬われてしまうぞ」
 フーカーズは、黙っていた。
「こんなこと知れば、カラト将軍は、さぞ嘆かれるであろう」
 続く。
「カラト将軍は、一体どこに行ってしまわれたのだろうか……」
 フーカーズは、パステルの顔を横目で見た。
 本当に、疑問に思っているように見えた。カラト暗殺のことは、知らないように思える。とはいえ、パステルが関わっているとは始めから思っていなかったが。

「上は、西の叛乱に対しては、どういう方針なのだ?」
 フーカーズは、パステルに問うた。
「それが、よく分からない。問題視していないはずはないのだが、本格的な討伐に乗り出す構えが、まだ見えないのだ」
 軍事府の前で、パステルとは別れた。

 フーカーズは、イエローの町であったことを思い出していた。
 パウダーという男の部屋から出る際に、子供を見た。その子供の首に、カラトの首飾りが掛かっていたのだ。
 その時、おおよその合点がいった。
 その前に聞いたボルドーの話には、どこか違和感が感じられた。何かが抜けているような違和感だ。ただ、ボルドーが話さなかったので聞かなかったが。
 そこに、あの子供を填めると、ある程度の合点がいく。
 そして、西の叛乱で王女として担ぎ上げられている者は、シエラのいう名の女らしい。それも、年端もいかない娘だそうだ。
 おそらく、あの時の娘だろうと思っている。

 軍事府の、フーカーズに与えられている部屋に入った。
「将軍、来客が待っているのですが」
 待っていた部下が言った。
 都にいると、自分に対して何かしら交誼をとろうという輩が、よく訪ねてくる。何か意味があるのかと言いたくなるが、自分の名は、ある程度の効果があるらしい。
 追い返せ、と言おうと思ったが、少し考えた。
「何という名の者だ?」
「コバルト、と名乗る男ですが」
 意外な名だった。
「ここに通せ」
「はっ」
 フーカーズは、自分の椅子に座った。

 おそらくコバルトも、ボルドーの一派の仲間だろう。ということは、自分を直接説得するために、出向いてきたということか。
 随分、思い切ったことをするものだ。国に対して、謀反を起こしたということは、都は、いわば敵の本拠だ。自信があってのことなのか、それにしても、大胆な行動になる。

 フーカーズは、椅子に深く座り、目を閉じていた。
「失礼します」
 声がしたので、目を開く。目の前に立っている具足姿の男がいた。
 しばらく、黙っていた。
「誰だ、お前は?」
 フーカーズが言った。
 知らない男が立っていた。
 男が、少し笑む。
「初めまして、フーカーズ将軍。お目にかかれて光栄です。この度、新たに将軍に就任することになりました、コバルトという者です。以後、お見知り置きを」
 男が、ゆっくりと頭を下げた。
「……何の用だ」
「特に、何も。ただ、将軍に私のことを知っておいていただこうと思いまして。この先、いろいろとありそうなので」
「そのために、わざわざコバルトの名を使ったということか」
「いいえ」
 男が言う。
「コバルトは、私です」
 そう言った。

 何を言っているのか、と思った。不快であることには、変わりない。今までも、こういう手合いはいたが、今までの輩とは、違うところがあった。
 心気が使えることが、見て分かったのだ。それも、かなりの手練れのようだ。
 何者なのか。
「では、これにて失礼します」
 男が振り返った。呼び止めたい衝動が起きたが、堪える。

 男が去ってから、フーカーズは、窓の外に目をやった。




       

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