Neetel Inside 文芸新都
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 日が沈んだ。


 夜に幕舎の中で、グラシア、グレイ、コバルトが集まった。
「取り敢えず、軍全体へっていうのを先に中身を確認しておこうと思ってね。発表するかどうかも、三人で精査してから決めておきましょう」
「ルモグラフさんは?」
「元十傑へっていうのも、一緒に開けようと思ってるからさ。ま、後で意見は聞くけどね」
 グラシアが言うと、二人が頷いた。
「ダークは呼んだ?」
「駄目だ、興味ないってよ」
 コバルトが首を振る。
「ほんと、協調性のない男」
 少しの苦笑が起きる。
「殿下に宛てたのは?」
「もう殿下に渡してある。中身は、見てないから分からない」
「そう」
「じゃあ、開けるよ」
 言って、グラシアは、軍全体へと書かれた封を開いた。
 一体、何が書かれているのだろうか。考えながら、紙を開く。
 そこには、大きい字が書かれていた。

 特になし。

 思わず、グラシアは前に倒れそうになった。
「どうした、どうした?」
 二人にも、紙を見せる。
 二人ともに、苦笑する顔になった。
「どういうことだよ、おい」
「待って、まだ文章があるよ」
 グレイに言われて、もう一度紙を見直すと、大きい字の下に、小さい文字での文章があることが分かった。大きい字が、あまりにも印象が強かったので、すぐには目で捉えられなかったのだろう。
 それを見る。

 戦況というものは、刻一刻と変化するものだ。これが開けられているということは、わしは既に過去の人間なのだろう。過去の人間である自分に、何か言えることはない。故に、戦略について、わしから言うことは特に無いと書いておこう。
 ただ、もしも、わしの発言の、何かしらの影響力か、或いは発信が必要だというのなら、遺書にこう書いてあったと、好きに捏造しても構わない。これを見ている者達で相談して決めるといい。わしは、お前たちを信じている。以上だ。

 グラシアは、読み終えてから、紙を二人に渡した。
「これ、大勢いる中で開けてたら、やばかったね。何考えてんだよ、あのじいさん」
 二人が読み終えるのを待った。
「じゃあ、次はこれだ」
 元十傑の者達へ、と書かれている封を出した。
 また、何か不意打ちのような文面があるのではないかと身構えたが、特に無いようだ。
 文面を見る。

 まずは、始めに謝っておこう。半分、発起人のような立場の自分が、中途にて抜けてしまうことに。本当に、申し訳がない。
 後のことは、お前たちに頼むしかない。シエラを、本当に支えてやれることができるのは、お前たちだけなのだ。
 そして、本当に勝手なのだが一つ頼みごとがある。もしお前たちの中の人数が、残り一人になってしまった場合、その時は、その残った者が、何もかもをかなぐり捨てて、シエラを連れて逃げてほしいのだ。お前たちが全員いなくなってしまえば、シエラを支えてやれる者がいなくなってしまう。
 一応、わしが、もしもの時のために計画していた逃走経路についての概要も記しておく。
 これを頼めるのは、お前たち以外にはいない。
 宜しく頼む。
 以上だ。

 先ほどと同じく、読み終えた後、紙を二人に渡し、二人が読み終えるのを待った。
 それから口を開く。
「殿下の心配ばっかだね」
「ほんと、本当の孫みたい」
 グレイが、目を細めて言った。
「で、どうする」
 しばらく経ってから言った。
「私は、いいよ。まあ、どうせ元々根無し草だ。どこへ行っても同じようなものだろうし」
 グレイが言った。
「コバルトは?」
「俺も、まあいいぜ。まあただ、あの嬢ちゃん、俺のこと嫌ってるんじゃないのかな」
「ああ、多分大丈夫だよ」
「だったら、了解だ」
「分かった。じゃあ、この三人で決めておこう。この中の二人が欠けることになったら、残った一人が、ボルドーさんの頼みを聞くってことで」
 三人が頷く。
 しばらくは、先ほど呼んだ紙を見返すなどをしていた。
「グレイ、あんた遺書とか書いた?」
「何を書けっていうのよ?」
「そうよね」
 笑い声。
「そういえば……」
 ふいに、グレイの声。
「シエラに宛てたのには、なんて書いてあるんだろうね」
 グレイが、少し目線を上げて言った。










 翌朝。セピアはシエラの幕舎に向かっていた。
 一人である。同じくシエラの護衛部隊に誘われていたペイルは、ボルドーから頼まれていた仕事を続けたいという理由で、そちらに残ることになった。出発の前に会ったペイルは、セピアに、宜しく頼むとだけ言っていた。
 おそらく、迷いに迷って選んだのだと思う。
 幕舎の前に、マゼンタが立っていた。
「あの、これから宜しくお願いします」
 セピアが言うと、マゼンタが微笑んだ。
「中へどうぞ」
「あっ、いえ。私は、マゼンタ殿の部下なので、他の護衛部隊の方と同じ扱いでいいです」
「それは、困りましたね。グラシアさんからは、いつも殿下の傍に置いておくようにと言われたのですが……」
 すると、マゼンタが、急に幕舎の入り口の方に目を向けた。
 どうしたのかと思い、セピアも向ける。
 少しして、ゆっくりと入り口に垂らされていた布が上がった。
 ゆっくりとした足取りで、少し目線を下げたシエラが出てきた。目の周りが腫れていることが、すぐに分かる。
 シエラは、こちらを見つけると、少し驚いた表情をしていた。
「殿下、御体調はよろしいのですか?」
 セピアが言うと、シエラは少し頷いた。
 やはり、まだ元気は無いか。
「お顔を洗われますか?」
 マゼンタが言うと、シエラはそちらに目線を移した。
「こちらに水を用意しますか? それとも、水場まで行かれますか?」
「水場に……」
「承知しました。少々、お待ち下さい」
 言うと、マゼンタは振り返って、片手を上げた。
 少し遠巻きにいた女達が、慌ただしく動き始めている。全員、ある程度の装備をしているので、護衛部隊の人間なのだろう。
 しばらくして、一人の女が片手を上げていた。
「準備が整いました。では、参りましょう」
 マゼンタが歩き始めると、シエラも、その後ろについて歩いていた。セピアも、一瞬どうするか迷ったが、ついて行くことにした。
 砦のすぐ近くの林の中に小さな川がある。兵達の生活用水は、ここのものを使っている。一行は、その川の上流に向かった。皆が使えるのは、少し下流の水からだ。
「ありがとう。ここからは先は、セピアだけでいい」
 途中で、シエラが言った。突然のことだったので、セピアは驚いた。
「分かりました。では我々は、この場で待機していますので」
 マゼンタが言って、護衛部隊の者達は、散らばっていった。シエラだけが、さらに上流に向かって歩いていく。セピアは、慌ててついて行った。
 そこから、五十歩ほど歩いた先に、地中から水が湧き出している場所があった。そこで、シエラは水を手で掬って、顔を濡らしていた。
 セピアは、しばらく、そのすぐ後ろに立っていた。
 シエラが、懐から布を取り出し、顔を拭く。
 それから、振り返って、こちらを見た。
 一瞬、シエラに見えなかった。落ち着いた目をしていて、佇まいも落ち着いた雰囲気になっていた。
「ありがとう、セピア。すぐに駆けつけてきてくれて。すごく嬉しかった。それから、ペイルさんも」
 小さいが、はっきりとした口調で言った。
「と、とんでもございません。私も、殿下に対して、失礼な応対だったかもしれません。どうか、御寛恕ください」
 シエラは首を振った。
「本当にいいって。あのままだったら、私は多分、心が持たなかったかもしれない。だから、今私が立っていられるのは、二人のお陰だよ」
「お役に立てたのならば、望外の喜びです」
 セピアは、頭を下げた。
 それから、しばらくの間。
「ねえ、セピア。一つお願いがあるのだけれど」
 シエラの声。
「二人だけでいる時は、昔の口調で話してほしいんだ」
「え?」
「駄目かな」
「いえ、駄目ということではなく……」
「私は心が弱い。それは、一人で乗り越えるべきものだということも分かっている。だけど、目的を成す前に、私の心が折れてしまっては、意味がなくなってしまう。だから、セピアがいてくれれば、心を保つことができると思う。対等な立場で、一緒にいてくれる人が」
 言って、こちらを見据えた。
 セピアは考える。
 当然、無礼というものだ。シエラの配下になると決意したからには、それは曲げるものではないのだろう。
 しかし何より、その主君の頼みごとなのだ。
 主君であり、そして友達でもある。
 断れる頼みごとがあるのか。
 セピアは、決意した。
「分かりました。私で良ければ……」
 言ってから、咳払い。
 少し俯いてから、シエラを見た。
「分かったよ、シエラ」
 言うと、シエラは微笑んだ。それを見て、セピアは再び不思議な気持ちになった。
 以前のシエラは、こんな微笑み方をしたことがあっただろうか。なんというか、幼さのようなものが、消えたように感じた。それに、先ほどから、口数も随分と多くなっている。
 いいことなのかどうかは、分からなかった。
「セピアは、今まで、どこにいたの?」
「ああ……私は、騎馬隊だ」
 しばらく、二人で話をした。

 セピアは、ボルドーがシエラに宛てた手紙に、何が書いてあったのか気になったが聞かなかった。聞けなかった。
 きっと、二人だけの心の内に留めておくべきものなのだろう。
 そう思った。




       

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