Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 特に何も考えてはいなかった。


 目を開くと、幕舎の中だった。
 フーカーズは、簡易の椅子に座って、腕を組んでいた。
 自分の為に設けられた幕舎だが、特に何も持ち込んではいない。殺風景な幕舎内が見えるだけだ。それでも、これが一番心が落ち着くと、フーカーズは思っていた。

「フーカーズ、入るぞ」
 声がかけられ、パステルが入ってくる。
「ようやく王子も決断してくれたな。あと、数日遅ければ、もう取り返しのつかない状態になっていたかもしれない。ぎりぎりだったが、何とか間に合った。今なら、十分勝てる」
 高揚した声だった。
「そして、これでやっと君の指揮の下で戦えるな」
 フーカーズは、しばらく黙ってパステルを見ていた。

「パステル」
 少しして言う。
「何だ?」
「王子の下での戦に、なんの正当性もないのだと思っているのなら、王女の方へ行ったほうがいい」
 パステルの目が見開かれた。
「何だと? 何を言っている」
「お前は、王子に何の忠節心も持っていない。それで、命がけで戦えというのは酷だろうと思うのだ」
 パステルの鋭い視線と向き合う。
「君はどうなのだ、フーカーズ」
「私は、ここで戦うだけだ」
 言うと、パステルの口元が緩んだ。
「ならば、私も戦おう。君は、一代の英傑だよフーカーズ。君の下で戦えるということは、軍人の誉れだ。それだけで、戦う理由としては十分だと私は思っている」
「……そうか」
 フーカーズは、目を閉じた。
 余計なことを言ってしまったのかもしれないと、一瞬後悔した。
 しかし、すぐに思考を切り替える。

「軍議を開く、諸将を集めてくれ」
「分かりました」
 パステルが敬礼をして、幕舎を出て行った。

 フーカーズは、しばらく一人で沈思していた。
 デルフトが死んだ。スカーレットも先日、都の地下で遺体が発見された。コバルトと名乗っていた男も、数日前から行方不明という。
 彼らは、自らの命を全うできたのか。
 そもそも、全うとは何だろうか。
 そして、自分はどうなのだろう。
 それは分かるはずのないことだ。自分の死に方など、自分で選べる方が稀なのだ。ましてや、自らの死を客観視することなどできない。
 結局、自分は生き続けるという前提で、人は生きるしかないのか。
 フーカーズは、再び思考を止めた。

 やがて、諸将が集まった。
 整列した諸将の前に立った。
「私が此度の戦での総指揮権を委ねられたフーカーズだ。各々方には、まずは、それを認知していただきたい。何か、異論がある者は、今の内に言っておいてほしい」
 場を見渡す。何人かが頷いていた。
「インディゴ将軍も宜しいか?」
「当然。私などより、よっぽど適任だと思いますよ、司令官殿」
「異論がある者はいないか」
 再び全員を見回した。居並ぶ諸将の一番後ろには、少し俯いているゴールデンがいるのが見えた。
「では、私が全ての指示をさせてもらう」
 そう言って、一つ間を置く。
「我々は、敵軍をここで迎え撃つ」
 言わなくとも、全員分かっているだろう。
「作戦としては、まずは歩兵を二つに分ける。そしてパステル将軍とインディゴ将軍に、二つ歩兵の中核をそれぞれ指揮していただく。これは、全軍の重しになる」
 二人が、頷いた。
「その他の方々には、細かい部隊の指揮になる。これらの選別は、先ほどのお二人にお任せしたい」
 そう言った。
「そして、私は麾下の騎馬隊を率いて遊軍になる」
「ちょっと待て、フーカーズ」
 パステルが、慌てて声を上げる。
「君は総大将だぞ。後方で、全軍に目を配るべきだろう」
「此度の戦での、我が軍の戦術は極めて単純だ。後ろから、細かい指示を送る必要などない。何か指示が必要な時は、移動中の馬上でも可能だ。私は今までも、そうして戦ってきたのだ」
 パステルは、まだ何かを言いたそうだったが、渋々といった表情で引いた。
「そして、もう一つ騎馬の遊軍を作る」
 続けて言う。
「指揮するのはお前だ、ゴールデン」
 下座にいたゴールデンが、弾けるように顔を上げた。
「全体の戦術は以上だ。それでは、各々指揮をする部隊に行ってくれ」
 それで、軍議は解散となった。パステルとインディゴ、そしてゴールデンを、その場に残した。

「何か、言いたいことがあるか?」
 ゴールデンに言った。
 少し、考えるような顔をしてから口を開く。
「いえ……意外でしたので。てっきり、俺は閑職に回されるのかと思っていましたからね」
「はっきり言っておこう。私は、お前にいい印象を持ってはいない。だが、お前の指揮能力は買っている。ボルドーさんに、いいようにやられた後、お前の用兵は慎重さを持つようになった。それは、十分役に立つ」
 ゴールデンが、真っ直ぐこちらを見据える。
「お前は、私が指揮官だと認められるのか?」
「認めていますよ」
 言う。
「……いつか、言う機会があれば言おうと思っていましたが」
 そう前置き。

「あなたの言うとおりでしたよ、フーカーズ殿。俺は、まだまだ井の中の蛙だったということでしょう。十傑の人達の戦いを直接見て、自分がいかに未熟かを思い知らされましたよ。まったく……自分が嫌になる。こんな俺が、遊軍の指揮というのは、荷が重いと思いますが」
「それが分かっているのならば、十分だ」
 フーカーズは言った。
「自信を持っていい、ゴールデン。お前には才能というものがある。十傑の者共は、少々異常なのだ。比べるものではない」
「それは、フーカーズ殿もですか?」
「そうだ」
 フーカーズが言うと、場に笑いが起きた。

「できるな?」
 改めて、ゴールデンに問うた。
「分かりました。やります」
 少し笑んだ後、表情を引き締めて言った。
「よし。では、騎馬隊の動きを、この四人で打ち合わせしておく」










 軍が、ゆっくりと移動をしていた。
 斥候の報告を何度か聞いた。国軍は、まったく動いていないようだ。一応、伏兵がいないか探らせてはいるが、いる気配がなかった。
 あと、一時間も前進を続ければ、敵が見える所まで行く。このままいけば、敵とぶつかるのは日が真上に来るころだろう。そして、それはそのまま決戦になる公算が高い。
 ここにきて、実に単純で分かりやすい構図だった。
 それだけに、グラシアは不安だった。
 まともなぶつかり合いの最中であろうと、それ以外のことを考えていられる人間が必要なのだと思う。それが自分の役目なのだろう。
 不安材料の一つとしては、ダークが、まだ全快ではなかった。通常の人間ならば、立つこともできないほどの手負いなのだが、本人が軍指揮ができると言っているのだ。確かに、馬には乗れるようだが、個人の戦闘能力は、ほとんどないと言ってもいいだろう。
 他にも、考え始めると、きりがない。
 もし、負けることにでもなった場合、どうすればいいだろうか。
 負けた場合のことなどを考えていれば、不安が起きるのは当たり前だ。だから、自分の不安は、あまり当てにはならない。そう思うことにした。

 やがて軍は、丘をゆっくりと越えた。
 前方に、国軍が整然と並んでいるのが遠目に見えた。
 約千歩ほどの距離をあけて、自軍が止まる。
 そのまま待機になった。

 しばらくして、どよめきが起こった。
 シエラが、白馬に跨がって自軍の前に出てきたのだ。
 それから、馬首を回した。ゆっくりと、全軍を見渡してから、大きく息を吸った。
「皆、これまでよく戦ってくれた。いよいよ、正念場である」
 大声を上げる。
「この戦いに勝った後に、我らの悲願だった、真っ当なる国家ができると私は確信している。今こそ、最後の力を振り絞り、全身全霊をもって戦う時だ。皆、鬨の声を上げろ」
 そう言って、シエラは剣を抜いた。
 そして、それを高々と天に向かって掲げる。
 大きな鬨が上がった。
「正義は我らにあり」
 それで、終わった。シエラは、近衛の中に戻っていった。
 鬨の後のどよめきは、しばらく続いていた。

 セピアが見えたので、グラシアは馬を寄せた。
「あれって、殿下が考えたの?」
 セピアが、少し笑む。
「昨晩、二人で考えました」
「へえ。ちょっと心配だったけど、なかなか上出来だったと思うよ」
「ありがとうございます……と、この場合、私が言ってもいいのでしょうか」
「そうだね」
 グラシアは笑った。
「戦の最中、殿下のことは、任せるよ」
「はい、任せてください」





「全軍、進め!」
 後方にいるシエラが、声とともに剣を前に振った。
 攻撃開始の合図である。同時に、自軍が進み始めた。
 部隊の配置としては、まず前衛に騎馬隊が四つ並んでいる。指揮しているのは、コバルト、グラシア、ダーク。そして、グレイの騎馬隊はブライトが指揮することになった。
 これらの部隊は、戦闘の場面によって、ある程度自由に動くことができる。
 前衛の後ろには、ルモグラフが率いる中核の歩兵である。ここには、補佐としてウォームがいる。
 さらにその後方には、シエラのいる近衛部隊が纏まっている。実質的に指揮をとるのはグレイだ。ここが、本陣になるので、よっぽどのことがない限り動くことはない。

 国軍との距離が、五百歩ほどになる。敵の陣形が、少し動いているのが見えた。
 やがて、前衛の騎馬隊が、敵の矢が届くほどの距離まで進んだ。当然、敵が矢を放ってくる。
 騎馬隊は、横に動いた。
 まずこの戦は、歩兵同士のぶつかり合いから始まる。それから、それぞれの騎馬隊が臨機応変に動く手筈になっていた。

 横に移動しながら、敵の歩兵を見る。するとその歩兵が、間を開けるように動いていた。
 次の瞬間、その中から、騎馬隊が飛び出してきた。
 一瞬で分かった。フーカーズ軍だ。
「回避!」
 グラシアは、声を張り上げた。
 フーカーズ軍と、まともに戦うのは愚策だ。それは、一致した意見だった。
 大急ぎで横に動いたが、側面を削り取られるように攻撃された。
 やはり速い。そして、統率に隙がない。
 コバルトが、対応しようと駆けつけてくる。しかし、フーカーズは、すぐに反転をして、再び歩兵の中に駆け込んでいった。
 始めから分かっていたことだが、まずフーカーズの軍を、どうにかしないとならない。

 今度は、別のところから、フーカーズ軍が飛び出してくるのが見えた。狙いは、ブライトの部隊だろう。
 ブライトの部隊も、まともにぶつかるのは避けて動いた。しかし、フーカーズ軍も、絡みつくように動く。
 ダークの部隊が、急行していた。今度は、先ほどよりもフーカーズの離脱が遅い。ダークとぶつかる。そう思っていたが、いきなりフーカーズ軍は、小さな集団に分裂した。
 それが散開して、あっさりダーク軍をかわす。
 と思いきや、少し大きな纏まりが、いくつかでき、それがダーク軍を攻撃し始めた。
 ダークが、対応しようと部隊を動かす。
 しかし、その時には、すでにフーカーズ軍は、歩兵の中に戻っていた。

 変幻自在だった。あの五百ほどの騎馬隊に、いいように翻弄されている。
 歩兵の中を駆けると、歩兵をひいてしまいそうだが、あらかじめ騎馬隊が通る道を作った陣形を組み立てているのだと分かった。
 あれを止めるには、ダークとコバルトの騎馬隊に張り付かせるしかない。
 思ったとき、本隊の方から合図があった。ルモグラフも、同じことを考えていたようだ。
 二部隊が、フーカーズを追いかけることになる。

 歩兵の先頭同士のぶつかり合いが始まる。グラシアは、味方歩兵の援護と、敵の左側面の牽制を始めた。
 再びフーカーズ軍が出てきた。今度は、ダークとコバルトが、すぐに急行する。
 しかし、追いつけなかった。フーカーズの騎馬のほうが、遥かに馬の質がいいのだ。そして結局、また歩兵の中に逃げ込まれる。

 歩兵同士の押し合いは、ある程度進んで止まっていた。互角の押し合いということだろう。
 敵歩兵の、右側面を牽制しようとしていたブライトの部隊に、いきなりフーカーズ軍が突っ込んでいったのが見えた。
 まともに食らってしまっていた。騎馬隊が、部隊の体を成せなくなったのか、離散し始めている。
 ブライトが、どうなったのかは分からない。
 今度は、ダークの軍が早かった。フーカーズと歩兵の間に、割って入った。その隙に、コバルトの軍も到着する。
 少しの間、複雑な騎馬戦が展開していた。しかし最終的には、これでもかと言わんばかりに、変形を繰り返すフーカーズ軍を、捕まえることができずに、歩兵の中に取り逃がしてしまう。
 グラシアは、歩兵の中を直進する、フーカーズ軍を見ていた。
 今度は、こっちか。
 敵の左側面に、フーカーズ軍が飛び出してくる。出てきたと同時に、グラシアは先頭に矢を射た。
 先頭の者が、落馬した。しかし、軍は当然止まらない。グラシアは、少し離れて様子を伺うことにした。
 二部隊が来るまで、時間稼ぎをすれば十分だ。
 すると、フーカーズは、歩兵から離れる方向に走った。
 罠だ。
 迂闊に追いでもすれば、孤立したところを叩かれるだろう。グラシアは、そのままその場に待機した。

 ある程度進んだフーカーズ軍は、突然西に向き、そのまま直進を始めた。
 グラシアは、はっとした。
 まさか、本陣を狙っているのか。
 フーカーズは、逡巡なく進み続ける。
 ルモグラフが、歩兵の一部を裂いて、そちらの対応に回すのが見えた。
 重装備の歩兵だ。いくら、フーカーズと言えど、容易には突破できないだろう。足止めができれば、その間に、二部隊が駆けつけるはずだ。

「隊長! 反対の方にも騎馬隊が」
 部下の声で、グラシアは、敵の右側面の方に目を向けた。
 ブライトが対応していた方面だ。別の敵騎馬隊が、猛烈な勢いで、西に向かって駆けているのが見えた。
 先頭には、金色の髪の男。手には方天戟。ゴールデンか。
 どの騎馬隊も、対応できる位置にいない。ルモグラフも、フーカーズの方に寄っていた。

 シエラの部隊まで、何も妨害できるものがない。
 汗が、一気に吹き出した。




       

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