Neetel Inside 文芸新都
表紙

少女は英雄を知る
記憶

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 日が沈もうとしていた。


 軍は、少し西に移動した。敵は、少し東に移動したという。
 まともな戦闘を再開するのは、明日ということになるのか。

 シエラは、シエラ用に一つだけ用意された幕舎の中にいた。一緒にいるのは、セピアとペイルだ。
 先ほどから。セピアがペイルの治療を、少々荒っぽくやっているところだった。
「なあ、もうちょっと優しくしてくれよ。俺は、命の恩人だぞ」
「すいません、あまりやったことがないので」
「えっ?」
 シエラは、自分の寝台に腰掛けて、そういうやり取りを見ていた。見ながら、別のことを考えていた。

 先ほどの戦闘の最後のことが、頭から離れなかった。
 最後に、自分の前にいたのは、誰なのか。
 すぐに、周りの者に馬に押し上げられたので、確認ができなかった。
 あの背中が、頭から離れないのだ。

 意識を前方に戻すと、二人が心配そうに顔をのぞき込んできていた。
「シエラ、すまない。私達が不甲斐ないばかりに。あのような、危ない目に遭わせてしまって」
「ううん、あれぐらいどうってことないよ」
「シエラがそうでも、私たちが、もう気が気じゃなかったよ」
 そう言って笑いが起きた。

「殿下」
 声がした。すぐに、グラシアとグレイが幕舎に入ってくる。
「何だ?」
 シエラが言った。
 入ってきた二人は、少し見合った。
「二人は、出ていきな」
 グレイが言った。
 少し三人で目を合わせた後、ペイルとセピアが出て行った。

「それで、何だ?」
 改めて言う。
「会わせたい人がいるのです」
 グラシアが言った。
 この機に及んで、誰と会わせようというのか。
「この幕舎の周りには、人払いをしておりますので、他の者を気にする必要はありません。あとは、殿下にお任せします」
 グレイが、そう言った。
「それでは、我々は……」
 それから、二人は出て行く。

 奇妙な言い方だった。それに、一対一で会わせようということなのだろうか。そんなこと今まで無かった。
 とりあえずシエラは、幕舎の中央で腕を組んで立っていた。

 しばらくして、入り口の垂れ幕が、ゆっくりと上げられる。
 すぐに、黒いものが見えた。少し俯いた人の頭だ。
 それから、黒、










 な。


 何。


 何が。


 何で。


 どうして


 目の前に


 目の


 中に


 分からなかった。










 呆然としていたのだと思う。
 どれぐらいの時間かは分からない。
 シエラは、目の前のことを、状況を理解しようとした。

「久しぶり……」
 幕舎の入り口で、少し伏し目がちで突っ立ったままの男が言った。

「なん、で……」
 自分が、ようやく口にした言葉だった。

 男の片方の目が、こちらに向く。
「うん、いろいろ言わなければならないと思う」
 男が言う。
「そして、いろいろと説明もしなければならないんだろう」
 続く。
「だけど、その前に一つ言わせてほしいことがあるんだ」
 そう言ってから、もう一度視線を真っ直ぐこちらに向ける。
 口を開いた。

「……ごめん、シエラ」
 そう言って、少し頭を下げた。

「ごめん?」
「すぐに後を追うって言ったのに、なかなか追いつくことができなかった。二回嘘をついちゃったから」
 そう言った。

「本当にカラト?」
 声がうまく出なかった。

「うん」
「本当の本当に?」
「うん」
「なんで?」
 同じことを言ってしまう。

「なんでだろう……」

 カラトが少し笑った。















 グレイは、男に近づいた。
 黒い髪は、昔よりも少し長くぼさぼさで、少し髭が見える。服装は、庶民が着るような服だった。そして、片方の目には眼帯がかかっている。
 ただ、もう片方に見える穏やかな目は、昔と同じだと思った。
 さらに男に近づいた。
 それから、自分が記憶している、その者の名を呼んだ。
「カラト?」
「ああ、グレイ」
 男が言った。

 グレイは、目頭が熱くなるのを感じていた。
 それから、以前に聞いていたグラシアの話を思い出す。
「記憶が戻ったんだね」
「まあ……多分」
「多分って……」
「自分の記憶が間違っていないって証明することなんて、自分自身では不可能なことなんだ」
 そう言った。

 グレイは、カラトが生きているということは、すでに知っていた。
 グラシアが、シーに会いにいった後に聞いた話だ。
 シーが住んでいた家の地下で、カラトを見たというものだった。
 その時の驚きは計り知れないものだったらしい。話を聞いたグレイも、衝撃的だった。
 カラトが生きていた。
 三年前、重態のカラトを隠れ家に運んだシーは、そこで心気医療を施し続けた。シー本人も、助かるとは思っていなかったらしいが、奇跡的に一命をとりとめたのだ。
 しかし、目を覚ましたカラトには、記憶がなくなっていた。
 何もできない赤子のようになっていたわけではなく、通常の生活が行える程度には、知識や教養があったという。
 当然、シーのことも覚えていなかった。
 その後の暮らしのことは、詳しくは分からないが、シーはこのカラトの症状について調べ始めた。
 やがて、一つの結論に行き着く。
 単純な記憶喪失ではなく、記憶は、本人が思い出すことを拒絶しているのではないか、というものだった。
 本人が、思い出そうという心持ちさえあれば、記憶は蘇る。
 それが、シーの結論だった。
 おそらく、それは前の戦いの時の、いろんな人間の裏切りが原因なのではないかと推測できる。あれが、やはりカラトと言えど、精神的に衝撃だったのだ。
 グラシアが、この話を持って帰ってきた時に、どうするかと聞かれた。
 例えば、カラトに会い、昔の話を教えるとどうなるか。記憶が蘇ったとしても、それは四年前に戻るだけだ。また、どこかに去ろうとするだろう。
 では、シエラのことを教えればどうなるのか。もしかしたら、シエラの為に戦うと言うのかもしれない。
 だが、それでいいのか?
 本人が本気で、もう戦いたくないと思っているので、記憶を思い出さないようにしているのかもしれない。そうなのだとしたら、無理矢理記憶を呼び起こすべきではないのではないか。
 カラトが、自ら立ち上がり、自ら戦う意志を起こさない限り。
 そう思ったのだ。
 ボルドーとグラシアは、そのグレイの意見に同意してくれたのだった。

 グレイは、前方に意識を戻した。
「ここに来た理由は?」
 グレイは、カラトに問うた。
 この質問に、何と言うかで、今のカラトの状態が分かり、今後どうなるかも分かる。
 グレイは、緊張を感じた。
 少しの間の後。
 カラトは微笑んだ。

「うん……あのペイル君にね、力を貸してくれないかって頼まれてさ」
「ペイル?」
「そう、で少しでも力になればと思ってね」
「何を言っているの?」
「いや、だから理由」
 グレイは、唖然としてしまった。
「それから、友達が、行くって言ってたんで」
 そう言って、カラトは振り向いた。
 その視線の先を追うと、一人の男が、杖をつきながら、ゆっくりとした足取りで近づいてくるところだった。
 グレイは、吃驚した。その男にも見覚えがあった。
「フォーン」
「おや、その麗しいお声は、グレイさんですね。いやあ、懐かしいなあ」
 そう言ったフォーンの目は、両目ともに閉ざされていた。
「生きていたんだ……今まで、どこに? その目は、どうしたの?」
「あはは、そう矢継ぎ早に質問されると、困りますね」
 そう言った。
「ええ!」
 横から声が入ってくる。
 見ると、グラシアの目が見開いていた。
 さらに、その後ろから、コバルトとダークが近づいて来ていた。
「やっぱり、カラトか。遠目に見ても、お前だって分かったぜ」
 コバルトが言った。
「久しぶり、コバルト」
「ああ、久しぶりだな」
 そう言って、片手を上げる。
「よお」
 ダークが言った。
「やあ」
 カラトが返す。
「記憶が戻ったということなのね?」
 グラシアが、同じやり取りを始めようとしていた。
 カラトが、先ほどと同じように返した。
「この内戦のことは、当然聞いてるよね?」
「ある程度は」
「じゃあ……その、王女のことも」
「シエラのことは聞いたよ」
 そう言った。
「それから、ボルドーさんのことも」
 そう言って、視線を遠くに向けた。
「あの人には、いくら感謝しても、足りないな。本当に、お世話になってしまった」
 それから、目を閉じた。

「これから、どうするの?」
「どうって?」
「シエラのために戦うのかってこと」
「うん……できることなら、俺も幕下に加えてもらいたいな」
「その後は?」
「その後、考えるよ」
 のらりくらりとしたやり取りに、グレイは辟易としてきた。カラトが、どういう動機でここに来たのかが分からない。ただ、シエラのために戦うと言っているのだ。
 今は、それだけあれば十分なのかもしれないとも思い始めてきた。
 その後のことは、自分が何とかするしかないのかもしれない。

「じゃあ、殿下に挨拶したほうがいいな。きっと、吃驚するだろうね」
 すると、カラトは少し俯いた。
「どうした?」
「いや……」
 一つの間。
「会っていいのかどうか分からない」
 カラトが、再び視線を遠くに向けた。
「どうして?」
「俺が、あの子をこの世界に入る切っ掛けを作ってしまったんじゃないかって……そう思うから」
 そう言った。




       

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