Neetel Inside 文芸新都
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 この世界に溢れる悲しみの総質量はこの星を覆う海水とほぼ同等であることをメフィスト・フェレスは知っていましたから、この願いを叶えると言う事の絶望的作業量だって、ある程度理解していました。しかも、その作業を完了させるまで、目の前にいる少女の魂には、手を出す事が出来ないのです。契約とはそういうものでした。
 それでも、メフィスト・フェレスはこの少女の願いを叶えよう。と、心に誓いました。
 「それは、随分と大変なことではあります。しかし、必ず、その願いを叶えて見せますよ。」
 そう言うと、メフィスト・フェレスは由美にもう一度握手をするべく、手を差し伸べました。
 「それでは、あの建物は取り壊さないように、父に伝えておきます。きっと・・・きっとお願いしますよ。」
 由美は、握手に応えるわけでもなくニコッとだけ微笑んで、そうして、少し物悲しい表情を浮かべ、静かにうつむきました。
 しばらくして、メフィスト・フェレスは無言のまま(それは、声を出す事で決意がぶれてしまう事を恐れて、ではあるのですが)由美の部屋を後にしました。
 メフィスト・フェレスが部屋から出て行き、しばらくした後、由美は、その透き通るように白い手を目の前で組み「神様。あたしは、今悪魔と契約しました。人類の幸せの為とは言え、悪魔と契約したあたしをお許し下さい。」とつぶやき、その夜は一晩中祈りをささげたのでした。

 朝倉由美は敬虔なファンダメンタリストでした。
 毎週日曜日には、教会に赴き、一冊の本に書かれている人類の愛と平和を熱心に読み上げ、そうして、「神」に向かって静かに祈るような心優しい少女です。
 「この世界には、きっと悲しいことが多すぎる。だから、人の心だってどこまでもどこまでも濁っていくの。もしこの世界から、悲しい事が無くなれば、もう誰も美しい心のままに、幸せの中をニコニコと生きることが出来るのですよ。その為になら、この命を差し出しても何の後悔も無いのです。」
 いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも・・・由美はそう信じ、そうして、そんな事ばかり祈っていました。
 そんな一人の少女が、悪魔と契約を取り交わしてでも、世界を幸せにしようとする事には、実は、何の不思議も無かったのです。

 翌日から、メフィスト・フェレスはこの世界に散らばるありとあらゆる悲しみを集め始めました。その途中、本当の意味で悲しみをなくす為にはその元凶になる「苦痛」や「絶望」さえもなくしてしまわなければいけない事に、はたと気がつきました。
 悲しみ、苦痛、絶望の質量は無限大に増え、由美の提示した小さな二階建ての建物などわずか2日で埋まってしまいました。それでも、世界中にある悲しみ、苦痛、絶望は減る事は無く、むしろ、メフィスト・フェレスが収集するスピードをはるかに凌駕するペースで増え続けていきました。
 メフィスト・フェレスは悪魔と呼ばれる所以ともなった能力のひとつを使う事で、由美の提示した小さな二階建ての建物の1室を無限の空間に仕立て上げ、そこに悲しみを次々と運び込んでいきました。
 悪魔の能力を使ってまで、この建物にこだわったのは、由美の願いにあったこの場所に「中央悲劇閲覧センター」を作ろうと言う理想を具現化するためでした。
 何日も何日も何日も何日も・・・
 メフィスト・フェレスは世界中を飛び回り、そうして悲しみ、苦痛、絶望を集め続けました。
 晴れる日も。雨の日も。曇る日も。
 メフィスト・フェレスは世界中を飛び回り、そうして悲しみ、苦痛、絶望を集め続けました。
 由美は、毎週日曜日には、教会に赴き、神に対して悪魔であるメフィスト・フェレスの成功を祈り続けました。
 その矛盾には、もしかしたら、由美の無意識下にある、神への失望も相まっていたかもしれません。しかし、そうであったとしても、由美に出来る事は、ただ、メフィスト・フェレスの成功を神に祈る事だけでした。
 ただ、由美の願い空しくも、メフィスト・フェレスの収集するスピードをはるかに凌駕するペースで、世界中に悲しみは蔓延していきました。少しずつ、少しずつ、メフィスト・フェレスに限界が近づいていました。それでも、まだ、世界にある悲しみは減少する事なく、増え続けていきます。
 不意に、メフィスト・フェレスは気がついてしまうのでした。

       

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