Neetel Inside ニートノベル
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 ミシュガルド大陸の南西部・甲皇国の軍駐屯地の司令室でで、ゲル・グリップは焦燥感を露わにしていた。
「精霊樹とやらはまだ見つからんのか」
「ハッ、手練手管を尽くしているのですが……全く」
 部下の報告を受け、部屋の中を歩き回るスピードが速くなる。
 謎の大陸・ミシュガルドが出現してからというものの、彼は上官であり忠誠を誓う将軍ホロヴィズの名を受け、ミシュガルド大陸に眠るとされている精霊樹の探索を日夜続けていた。
 だがその大陸の大きさ、故郷である骨統一真国家に匹敵する巨大大陸の探索というのは一朝一夕で終わるものではなく、上陸から幾度も夜を越えた今日になっても、まだ手がかりは掴めずにいた。特に調査期限が設けられているわけではないが、問題はそこではない。
「斥候隊はどうした」
「通りすがりの竜人族レドフィンに壊滅させられたそうです」
「また奴か……」
 かつて甲皇国に単身攻め入った竜人族の戦闘狂、レドフィン。先の大戦でもその力には大いに苦しまされたが、今でもこのミシュガルドを飛び回っており、強そうな者・邪魔な者に戦いをふっかけているらしい。調査を命じられた身としてはあまりにも迷惑な話である。
 それ以外にも、同じ目的を持ったアルフヘイムの連中と遭遇することだってある。停戦中のため良識のある者ならば情報交換さえも可能だが、多くの場合は憎しみと怒りに駆られ戦闘に発展するばかりだった。おかげで先遣隊はゲリラにやられ、斥候隊は通りすがりの竜人族に破壊され、下手打てばこの駐屯地さえも攻撃されてしまうのではないか、とゲル・グリップは危惧していた。
「血と死体の臭いが充満する時代は終わったのではないのか!」
 部下を退出させたあと、苛立ちに任せ、足元の木箱を蹴飛ばす。
「私だってエルフや亜人は嫌いだ。だが、それはわざわざ血を流す理由にならん。私にはミシュガルドの調査遂行という崇高な目的がある。邪魔立てするなら討つこともあろうが、それだけが解決手段というわけでもなかろうに」
「まー、そうっすよねえ。戦うのって面倒くさいですもんねえ」
 不意に聞こえた声に、ゲル・グリップは顔を上げる。いつの間にか司令室の扉を開けて部屋に入ってきていたのは、普段ならば決してこんなところに顔は出さないであろう甲家の将校だった。
「……誰の権限があってここに立ち入った、カール」
「物騒な物言いは止してくださいよ~。甲家の人間に楯突くとあんまりいいことないっすよ。美味いモン食えなくなるとか」
「なるほど、確かにそれは困るな」
 怒りの色を収め、ゲル・グリップは深く息を吐く。
「用件は」
「……部下の生命を重んじるゲル・グリップ殿に、お頼みしたいことが」
 軍帽を録って軽く頭を下げたカールは、愛想の良い笑みを浮かべながら。
「まず一つ。ミシュガルド出現後に入営した兵士名簿の閲覧許可を願います。あと、その中でも――――」
 一通り話したあと、カールは最後に付け加える。
「それくらいですかね。あと最後に一つ。メシ行かない?」
「私は職務中だ。あと言葉には気をつけろ。いくら皇帝の孫の一人であろうと、口の聞き方次第では切り捨てることも厭わんぞ」
「それは残念。東洋の奇跡・キビダンゴを御馳走しようと思ったのですが」
 すぐに出て行け、と口汚く罵ろうとしたゲル・グリップの動きが、止まる。
「待て。ダンゴとは、まさかあのエドマチで作られているという伝説の甘味……」
「あーあ、残念っすねー。じゃあ今日もメシ食いに行こうかなあ~」
「……分かった、お前の要求は全て承諾しよう。その代わり」
「キビダンゴ持ってくりゃいいんすよね、了解」
「私をそのキビダンゴを出している店まで連れて行け、非番の日に」
「あっ、そこまで行っちゃう?」
 亜人の店なんだけど、大丈夫かな。大丈夫だろうな。少しそわそわしているゲル・グリップの様子を見ながら、カールは苦笑い気味に頬を掻く。
 これで餌の準備は整った。
 あとは、調子に乗った魚が食いつくように仕掛けておくだけだ。

「あれ、今日はカールいないんですね」
 給仕服を着込みながらチギリは店内を見渡す。脱臭剤を完備したことで死体を焼くような臭いから開放された『炭火火竜』には、開店前から勝手に入ってきて勝手に肉を注文する常連の甲皇国将校がいるのだが、今日はまだ顔を見せていない。
「別に毎日来ているわけじゃないぞ。アイツも仕事ってのがあるだろうからな」
「……いざ考えてみると、不思議ですよね」
「何がだ?」
 チギリは探偵のように考える素振りをして言う。
「甲皇国の軍将校が、アルフヘイム出身の竜人族の食堂に通っているっていう話ですよ。そりゃあ今は停戦中でしょうけど、攻撃的な甲皇国の甲家の人間が亜人と仲睦まじく話しているってのが常識的には信じられません」
「あー、まあ、確かにそうだろうな」
 思えば不思議に思われても仕方ない。何せ、大戦中はトーチだって甲皇国を相手に戦っていたのだ。もしかしたらその中にカールの部下がいたかもしれない。逆に、自分の部下を殺したのがカールかもしれない。だが二人は別にそこを責めることはしないし、今更剣を取り合って戦おうという気にもならない。
「トーチとカールって随分仲が良いですけど、昔どこかで知り合ったんですか?」
「知り合った……まあそんな感じになるんだろうな」
 トーチはどこか遠くを見る真似をする。
「そもそもカールの協力がなければ、この『炭火火竜』は開店できなかった可能性があるからな。その点ではアイツに感謝しなけりゃならん」
「協力? ただの常連客ってわけじゃ、ないんですね」
「ああ見えてカールは、“情報将校”って名に違わず頭脳明晰でな。アイツの戦略がなければ、亜人の食堂を開店させるなんてところまでたどり着かなかった。アイツなら周りの連中を全員騙して皇帝にだってなれるんじゃねえかって思ってるよ」
「そんなもんなんですかね。実際に頭を使っている現場なんて見たことがないからなんとも言えないですけど」
「頭の回転と胃袋の消化は速いぞ、アイツは」
「どうだか。今日だって本当に仕事に励んでいるんでしょうか。ほら、だって今すぐにでもあの扉を開けて『ヨッ、やってるゥ?』とでも言い……」
 店の入口に目をやったチギリは、目の前の光景に口を閉ざす。
「私は、骨統一真国家甲皇国皇帝・クノッヘン陛下の命を受け、このミシュガルドの調査を行っている者なのだが――――」
 扉を開けていたのは、黒ずくめの軍服で身を包んだ軍人。
 穏やかに流れていた空気が、一瞬で張り詰める。その正体をいち早く見破ったトーチは、緊張感を漂わせながら、
「……カール?」
「いかにも。私はクノッヘン皇帝陛下の孫の一人、皇帝継承権を巡って日夜争いを繰り広げている甲皇国情報将校、カールである」
 いつもおどけていた表情は、冷酷な軍人の顔になり。
 右目の辺りに施しているはずのメイクは、綺麗サッパリ落とされていた。
「此度、この店に訪れたのは他でもない」
 感情の起伏がない、平板な声でカールは言う。
「大衆食堂『炭火火竜』、我が命により、本日をもって解体とする。なお民衆の不安を駆り立てたとされる従業員・トーチとチギリの両名は、これより中央広場で処刑を執り行うこととする」
「ちょ、ちょっと待てカール。お前一体……」
「口を慎め、竜人族」
 トーチに向けられた少し眠たげな表情には、新メニューの提案をした者と同一人物とは思えないほどの冷たさが滲み出ていた。
「さっさと来い。話している時間さえも勿体ない」
 一体どうしてしまったんだ、カール。
 そう尋ねる間もなく一方的な言葉を浴びせられ、トーチは何も言い返すことができずに、やがてゆっくりと首肯した。

       

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