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◯ミヤの眠り 、私の朝 |杏野丞

「コピーロボットがあれば便利だろうな」

ある年齢以上の世代であれば一度はこのように思ったことがあるはずだ。「コピーロボット」は藤子F先生の『パーマン』で出てくる人形で、自分の身代わりをつとめ、そしてその記憶は本人とも共有される。しばしば家や職場を開けるヒーローにとって便利なスーパーアイテムだ。本作は、いわばこの「コピーロボット」にあたる「複体」が一般に普及した社会を描いたものだ。解説文のあらすじを見てみよう。

「人が遠隔操作ができるロボット『複体』が普及した未来を舞台に、家族どうしの『理解しあえない断絶』を描いたのが『ミヤの眠り、私の朝』だ。主人公のミヤは生まれつき複体に馴染めない体質。ある日とうとう、家族に向かって、複体の利用をやめる旨を伝えるのだったが……?」

 複体が普及した未来。しかし、ここでは「コピーロボットがあれば」という安易な妄想が打ち砕かれる。複体が一般的な社会では、教育や仕事のあり方も当然それに応じて高度化されるからだ。便利な道具は決してそれだけで人を楽にはしない現実を思い知らされる。作者は、ものすごい想像力の持ち主だ。
 そもそも「常に自分と違う自分がいる。同じ時間の記憶が同時に頭に流れ込む」ことは、想像してみればすごく気持ちわるい。主人公の「美弥」は、このような現在の私たちにちかい感性の持ち主だ。誰もが複体の存在、そしてそれを前提とした社会に適合しているのに、ひとり彼女は複体の存在になじめず、社会ではいわば補聴器のような医療器具の補助を必要とする。身心のハンデキャップの持ち主として扱われる。

 複体に馴染めない自分。それになじんだ社会や家族。紹介文にもあるように、その両者の断絶が物語の一つの軸となる。

「ディスコミニケーション」はグロエリ小説で、まあたおそらくSF全般で頻出するテーマだ。本書においては、維嶋津先生の「帰還者に向けたよりよい生活の手引き」がこれにあたる。家族間の断絶は元壱路「断末魔コンテスト」にも触れられている。そうしたジャンルの作品として、本作の大きな特徴は、その感覚の転倒にある。

 読者の共感は単純に主人公「美弥」に寄せられない。確かに、主人公は現代の私たちに近い感性の持ち主であり、この架空世界では理解されない少数派である。通常であれば、彼女に感情移入するだろう。美弥は、このわかってくれない生きづらさをセリフでも地の文でも訴えてくる。それは私たちに納得できるものだ。

しかし、それでも読者は「美弥」の側に立てない。
「捨てられる複体」である「ミヤ」も語りかけてくるからだ。
複体社会においてなじめなかった主人公「美弥」(私)。
そのために放置され、放棄される「ミヤ」(私)は、
12年間放置され、その事実さえ知覚し得えず
6歳で止まった30秒の時間を生き続ける。
この両者の視点が入り混じることで、
読者の心は文字通り大きく揺さぶられる。
私たちにとって常識の外を生きているはずの
「姉」や「父」や「母」の気持ちがむしろ理解できる。

これは不思議な体験だ。
結末の先には何が待っていたのか。
本書の締めくくりにふさわしい、
ちょっと胸が締め付けるような、切ない読後感だった。

以上

       

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