Neetel Inside ベータマガジン
表紙

見開き   最大化      

セリエント感想(上)

人工知能が人間の知性を超える時。

シンギュラリティと呼ばれるその「時」は、一部の知的な人々の想像力を掻き立てる一方で、残りの多数に一種の恐怖を与えてきた。人工知能の暴走による人類滅亡といった筋立ては、『火の鳥』や『ターミネーター』に代表されるようにSFでは古典的な題材であるし、また機械が人間の雇用を奪っていく未来図は、産業革命以来から多くの凡庸な人たちを不安に陥れてきた。評者は後者に属する。対して作者のクラック先生は、その「時」を熱烈に待望する技術者の一人である。彼はいう。「その時、私は美少女になれる。」と。

なぜシンギュラリティによって、人は美少女になれるのか。私にはその理屈がさっぱりわからないけれども、とにかくも作者は、その待望者であり、しかもその道についてかなりのプロである。その彼はどのような未来を、その経路を展望しているのか。その興味こそ私が本書を手に取った直接の動機である。したがって、この感想もまた、エンターテインメントとしてではなく、未来予想図として、その可能性と不安について考察することが主な目的となる。果たして人工知能は人間を超えるか、それは人間を支配するか、それは人の仕事を奪うのか。

 人工知能が人間の頭脳労働を代替する可能性について、私自身は次の2つの障壁があると考えている。第1に、パフォーマンスの客観化の技術的困難である。機械による判断が人間を代替する過程においては、目標となるパフォーマンスが数値化され、その上で優位が示されなければならないが、現在人間に残されている仕事にはそのような数値化がそもそも難しいものも少なくない。企業であれば、最終的には株主利益の最大化ということになるかもしれないが、その数値の決定要素はあまりにも大きい。第2は、その政治的困難である。パフォーマンスの数値化が仮に技術的に可能であるとしても、それは必ず一面的なものとなる。それについて、見落とされた安全性、不安について人間、とりわけ専門家が激しく抵抗し、最終的には必ず人間のチェックを挟むようになるだろう。医療や運転、人命、福祉に関わる分野において、機械と人間の判断が分かれた場合、どちらに従うべきか、機械の判断が人間の理解を超えた場合、それに従うことができるか。そのような不安を専門家は唱え続け、法制度を以って身を守るだろう。政治が最後に人間に残される仕事だと、私が考える所以である。
 一例として、昨年少し話題になった「ハピネス指数」について見てみよう。あるデバイスを人間が身につけ、心拍数その他バイタルをとることで、人間の活発度、幸せさを観測し、それが高ければ会社のパフォーマンスを上げるという話だ。ハビネスちゅうにゅう。会社はオッケー。ハーバードビジネスレビュー(日本版)という品のない雑誌で取り上げられたこの記事は、明らかに開発会社のプロモーションの一環だが、このような話を誰が間に受けるだろうか。仮に、それが正しかったとして、会社のパフォーマンスのために、ハッピーでなければならないといわれ、そこに気持ち悪さは残らないだろうか。
 
 「セリエント」では、この種の疑問に見事に答える形で、人工知能が普及する極めて説得力のある未来図を展開している。第1に、自動運転などは、それは現在の欧米圏ではなく、アフリカ等の国家諸制度、とりわけ人権に関わる制度が未整備な土地においてまず普及するであろうというものだ。政治的困難の壁を延辺において打ち破る、周辺変革説の一種とも言える。第2に、金融取引など、比較的パフォーマンスが明確な分野において、まず人間にとって変わるということだ。現実にも金融取引は、コンピューターへの代替は最も早くから進んできた分野で、古くは30年前の1987年にブラックマンデーは、機械が一斉に同じ判断をしたからこそ発生したという説もあるほどだ。第3に、既存の巨大IT企業の変質である。かつての通信会社が、「情報を運ぶ」ことを価値とし、今日のIT企業が「情報を集める」ことを価値としている。これらを踏まえた上で、「情報を理解する」AI企業が成立する。その際には、通信企業が今日でも重要なインフラ提供産業であるのと同様に、IT産業は情報の売却によって新しい産業基盤を提供するという。また、計算リソースもウェブ上で市場取引される(オープンデバイス財団)。このような重層的な産業理解は極めて説得的である。
 また、その過程において、新しい技術が実現するたびに「それはAIではない」とみなされる現象、またその過程で日本はおそらく乗り遅れてしまうのではないか、という予見もまた、著者の現代日本の政治経済に対する洞察に裏打ちされたものであろう。特に「実現したものはAIではない」は至言。そうやって世界が漸進的に塗り変わっていく様を言い当てている気がする。これだけの世界観・シナリオを、既存の材料や技術の延長線上から、予見し、構築してみせる著者の見識には大いに唸らされた。政治経済オタもとい造詣の深いの本職技術者おそるべき。

(続く)

       

表紙
Tweet

Neetsha