Neetel Inside 文芸新都
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魔女旅に出る

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草野
 椎名の意識が遠のいて、上体が大きく傾き椅子へ沈む。
 倒れる寸での所を、佐藤が受け止める。
 そして彼女を優しく抱擁し、声をかけている。
 目の前で行われるこの光景を、俺はどんな気持ちで見ているのだろう。
 昔、高校時代に、同じことを感じた事がある。自分の思考、感情が消失する感覚。
 何故感情を失ってしまったのか、結論は出ないままだ。
 いま、俺が見ている光景。高校時代の、あの時との共通点は何だろうか。
「気がついたかい」
 椎名が目を開け、佐藤は尚も肩を支えている。
「すみません。なんだか、めまいがして」
 椎名は頭を抱えて言った。
「こちらこそ、すまない。気分を害したみたいで。ただ、君達はやはり、全員、繋がっていたみたいだね」
 佐藤は言う。いつから気づいていたのか。
 もはや偽る必要がないと感じたのか、椎名はゆっくり頷く。
「真一君の絵は、私が預かっているから、いつでも貸してあげるよ。あと、君、草野君だったね。別に警察へ通報などはしていないから、安心していいよ」
 佐藤が、微笑む。
 それと同時に、怒りが再び込み上げてくる。
「ふざけるな」
 椎名が意識を取り戻すのと同時に俺も我に返り、声を発した。
 今は、悩んでいる場合ではないのだ。ただ、追及。
 追及するしかない。
「何が贖罪だ。被害者面するなよ。お前が加害者じゃなければ、一体誰が、田原を殺したっていうんだ」
 俺の言葉を聞いた椎名は座ったまま、こちらを睨み付ける。
「ちょっと待ってよ。証拠もないのに佐藤さんを糾弾するなんておかしいでしょ」
 何故だ。何故、そいつの味方をするんだ。
「俺は、そうだ。勤務表だって、手に入ったんだ。田原が殺された日の」
「それが何の証拠になるのよ。さっきから、草野が間違ってる事くらい、自分でも分かるでしょ」
 言葉が出ない。その通りだ。
 俺が間違っている事くらい、もう分かっている。
 だけど、それを認めたら、どうなる。
 山田も佐藤も犯人ではない。
 そうなれば。
「俺が田原を殺したのか?」
 そうだ、俺が、殺したのだ。きっとそうなのだろう。
 これ以上、ここに居ても、仕方がない。
 俺は、ゆっくりと椎名達に背を向け、教会の外へ足を運ぶ。

     


 駅前のマックで、道具を広げた数分後。田原は鉢巻みたいに頭に巻いたタオルをほどいた。
「出来た」
「また虹?好きだよねえ」椎名が口を尖らせる。
「雨季にはピッタリだろ」
 ここ数日しつこく続いている雨空を、田原は爽やかな顔で眺める。
「季節関係なく、描いてるじゃない」
「そういう椎名は、田原の虹の絵が好きだって言ってたじゃないか」
 俺が口を挟むと、椎名は「うるさい」と声を荒げる。
「それはそれ。大体、何で虹なの?」
 椎名の問いかけに、田原は「そうだなあ」と唸り考え込む。
「昔さ、止まない雨は無いだとか、雨の後には虹がかかるとか、そんな使い古された励ましの言葉を掛けられたんだよ。だけどさ、晴れの天気だって続かないし、今みたいに雨の天気が延々続くこともある。しかも雨の後に虹がかかる事よりも、かからない可能性の方が高いんだよな」
「ネガティブだ」田原らしくない、後ろ向きな考えである。
「それに対して、虹を信じて前を向けとか言うけど、それでもそう都合よく虹は架からない。だから、代わりに、紙に虹を描くんだよ」
「なるほど」分かったような、分からないような
「いまでこそ、俺の状態も落ち着いてるけどさ。まあ安定剤みたいなもんだよ」
 なるほど。安定剤か。
 それは、分かる。
「それより、少し馬鹿にしただろ。特に椎名」
「したよ。ロマンチストか」
 そう茶化した、椎名を田原は軽く小突く。だが言葉とは裏腹に、椎名は和やかな表情で虹の絵を眺めていた。

     


 輝かしい夢の後に待ち受ける、光の差さない深海のような現実。
 水底に居るのはいつからだろうか。
 突然ではない。少しずつ、沈んでいったんだ。
 船に穴が空いて、一つ、また一つと浮力を失って、気づいたら、深海にいた。
 誰も助けにこない深海。もし来るとすれば。

 感情が矛盾している。
 俺が田原を殺すはずがないと確信し、犯人をみつけると宣言したのに。威勢が良いのは最初だけ。
 結局、何年も行動を起こさずに過ごした。
 いざ行動を起こすと、椎名は、佐藤の味方になる。いつしか容疑者は居なくなり、また自分を疑っている。
 これから椎名はどうするつもりなのか。それだけでも聞いておけば、俺も少しは落ち着いたかもしれない。
 そんな事ばかり考えながら、数日経った。
 警察に自首まがいの相談をしてみたが、門前払いを受けてしまう。他にも、何か足しになればと帰郷してから初めて大濠を訪れ、田原の家へ向かったが、あの赤い屋根の家は無くなっていた。
 行動と言えば、その程度だった。行動を起こす度に、自分が犯人であるしている気がして、怖いのだ。
 ここ数日は無為な日々が続いていると思ったが、今となっては俺自身が歩んできた人生自体が無為なものであると気づいた。
 ひどくネガティブな考えをしていると思うが、失う物が無くなった以上、悲しさなどはない。
 変わったことと言えば、多少気持ちも落ち着いてきたという事くらいだろう。
 だが、その結果。より一層空虚感が身に染みてしまう、
 ある朝、仮住まいの出窓から外を眺めていると、スーツ姿で出勤する青年を見た。
 その姿に、東京でのかつての自分を重ねると、まだ、数か月前であるのに、随分と昔の事に感じた。
 思えば、東京で過ごした日々は本当に空虚なものであった。今となってはこちらの生活も大差がないのだが。
 部屋に積み上げた段ボールを漁り、先日実家から持ってきた田原の色鉛筆入れを取り出し、それをぼんやりと眺める。
 結局、何故これが手元にあるのかは分からないままだった。
 かつては椎名と二人で魅了された物だが、今では俺が田原の家に侵入したことを示す、記憶の腫物でしかない。
 色鉛筆入れを段ボールに戻すと、携帯電話が鳴った。液晶には浜崎さんの名前が表示されていた。

     


 出勤中のサラリーマン達を避けながら駅前の珈琲屋へ向かった。
「やっぱり、ここなんですね」
「それはそうだ。基本を変えてはいけない。やたらと新しい店に行きたがる奴が多いけどな。どこで過ごすかよりも、誰とどんな時間を過ごすかの方が大切なんだよ」
 浜崎さんは相変わらずの教えたがりである。
「あれから連絡をせずに、すみませんでした。俺のせいで、浜崎さんの計画が台無しになってしまって」
「気にするな。お前を巻き込んだのは、俺自身だからな。むしろ謝るのは俺の方だ」
 彼は表情を変えずに言った。
「一応、通報されてないみたいですから、警察とかに追われることもないようです」
「そうか」
「浜崎さんはすごいですね、俺は今みたいに落ち着くまで、何日もかかりました。今でも、少しおかしいですけど、何というか感情が麻痺しているというか」
「別に凄くはない。俺は自分を信じるだけだよ。だからこれからも和光商社への復讐は続けるつもりだ。また、別の方法で」
 彼は大きな瞳を見開き宣言してみせた。
「本当に凄いですよ。俺なんて、友人を殺した犯人が自分の様な気がして、事件を調べる勇気が無くなってしまいました。結局、死んだ友人への弔いというのは、建前にすぎなかったんです」
 浜崎さんは、「相変わらず苦悩しているみたいだな」といって腕組をする。
「前も言ったけどな。お前は少し考えすぎなんだよ。だけど、そうやって悩んだ末の答えなら、建前や偽物だって構わないだろ。それに昔の記憶とか、周りの人間が信じられなくなったなら、自分の出した答えを信じてみた方が良いんじゃないか?少なくとも、それが一番後悔せずに済むと思うけどな」
 それは、そうかもしれない。
 浜崎さんは、急に微笑んだ。
「さっきより、活きの良い顔を見せてるじゃないか」
「ありがとうございます。あと少し、頑張ってみます」
 彼の言う通り、暗闇に溶け込んでいた道筋に光が差した気がする。
「同じ日陰者のよしみだからな。まあ、よければ今後も手伝ってくれよ」
 深海に助けが来るとすれば、同じ深海の住人なのだろう。
「出来ることがあれば喜んで。潜入するのは、ちょっと遠慮したいですけどね」

       

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