Neetel Inside ニートノベル
表紙

三姉妹の夏休み
本編

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 初恋は実らない。
 いや、少なくともこの俺、中野桐緒の場合はそうだった。初恋の相手は従妹の木下香澄。彼女は俺の知らない男と結婚してしまった。それは俺が十歳で香澄が十六の時のことだった。
 あれから、八年が経った。俺は県外の私立大学に入学し、小さなマンションの一室を借りて一人暮らしをしている。
 初めての一人暮らしは戸惑うことばかりで苦労をしたが、八月にもなると、段々慣れてきた。
「あーあ、やばいなあ」
 小説の締め切りが近い。――と言っても別に作家業なんてたいそうな仕事をしているわけではない。サークル活動で小説を書いているのだ。
 しかし、もうすぐ締め切りだというのに一行も書けていない。正直この時期にこれはやばい。
――ピンポーン
 呼び鈴が鳴った。
 なんだろう。セールスだろうか。軽く舌打ちをして立ち上がる。
「はいはい、どちらさんですか」
 俺は扉を押し開けた。
 セミの大合唱が耳に飛び込んでくる。清らかな八月の青空が、パソコンに汚染された目を洗い流した。
「あれ? 誰もいない?」
 呼び鈴を鳴らした人間を探す視線は虚空を切った。
 その時、ジャージのズボンが何者かに引っ張られた。
「こんにちは」
「始めまして」
「……」
 見下ろすとそこには三人の幼女が並んで俺を見上げていた。
 一番右の少女はショートカット。健康的に日焼けした肌にちらりと光る八重歯が可愛らしいスポーツ少女だった。身長は一番高い。
 真ん中の少女は長い髪をツインテールにまとめている。色白で赤いほっぺが可愛らしいが、腕を組み、生意気そうな目でこちらを見上げてくる。
 一番小さな少女はツインテールの少女の後ろに隠れるようにしてこちらを窺っている。ストレートのロングヘア。前髪はパッツン。
 驚くべきはこんな幼女が三人も俺の前にいることだけではない。彼女たちは――全員メイドの恰好をしていたのだ。
「……何。君たち」
 戸惑いながら尋ねる。
「今日からここに住むことになった藤崎凛々香だよっ」
「今日からここに住むことになる藤崎京香よ」
「……今日からここに住むことになる、藤崎香恋です」
 なんて図々しいガキどもだ。
「――ってか藤崎?」
 藤崎という名には聞き覚えがある。あまりいい記憶ではなかったはずだが……。なんて考えていたら思い出した。
 香澄と結婚した男の名だ。
「お前ら香澄の娘か?」
「その通りだよっ」
「思ったより物分かりが早くて助かるわ」
「……ミジンコに昇格」
 は? というかミジンコの前は何だよ! 確かに顔の造りも言動も香澄に似ている。
「意味が分からない。いいか、俺は香澄のことを思い出したくないんだ。さっさと自分のお家に帰りな」
「ひどいよーっ」
「人間の台詞じゃないわ」
「……便所虫に降格」
「ふんっ。帰れったら帰れ」
 そう言ってメイド少女達を睨みつける。最近やっと忘れられるようになってきたってのに……。香澄のやつ。どこまで俺をおちょくれば気が済むんだ。
「仕方がないなぁっ」
「あの手を使うしかないわね」
「とっても不本意」
 三人は両手を筒状に合わせて、それぞれの口元にあてた。
「な!?」
「「「助けてー!」」」
「うおっ! お前らやめろ!」
 幼女の悲鳴がマンション中に響き渡る。このままでは、誤解されたあげく警察に逮捕されて俺の社会的立場は地に堕ちる。第二波を放とうとするやつらの口を塞ぎにかかったその時。
「あんた……何してんの?」
 恐ろしく冷たい声のほうに視線を向けると、果てしなく軽蔑しきった目で東条睦月がこちらを見ていた。
 
 

       

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