兵士たちは演習の一環として夜通し歩かされた
一階堂 洋
思い出せば、時子が発見されたのは、物理定数のゆらぎからだった。
万有引力定数――光速度――透磁率――そしてプランク定数が、ゆっくりと、しかし見逃せない量、変化しだした。物理学者、統計学者、そして数学者はより厳密な論理を求めた。
だが、測定誤差が――測定回数の平方根の逆数に比例して――小さくなるにつれて、彼らは認めざるを得なかった――それらは変わっているのだ。間違いなく。
しかし、それは――一体、何に依存した変数であるのか?
時間としたら――時間とは何をもって定義付ければ良いのか?
光速度が――その性質から――時間と距離を結びつけているならば、今、光速度が時間によって変わるとは、いかなることか?
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「そろそろ、僕は行くよ」
僕は言う。誰かが遠くから、囁くような声で答えた。
その声は聞こえない。
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天文学(と相対論)、そして量子論は大きな打撃を受けた。なぜなら、定数の変更は、それの定時性を仮定して進められていた議論の全ての妥当性を失わせるからだ。
唯一、熱力学のみが、僅かな公理系の拡張だけを支払った。多くの物理学者がここに目をつけた。そしてそれは正しいやり方だった。カルノー・サイクル。無垢のまま残った論理的遺物。夢の機関。僕たちのくびき。
それが時間を定めていた。
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僕は自分の体が動かなくなるのを感じる。アデノシン三リン酸が合成されなくなる。ミトコンドリアの膜に突き刺さったF0F1ATPアーゼが回転をゆっくり止めて、そして僕は意識が遠くなるのを感じる。
「これは必然なんだよ」
これは僕の声だ。
たぶん。
そして僕はまだ行く場所がある。
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ただ、この事件はごく些細なものであって、市井の人間には(盛り上がった一部の哲学者たちを除いて)関係がなかった。
光速度が少し変わったからと言って、民衆の有機ELグラスも、オムニ・リングも影響を受けはしなかった。プランク定数が何さ、結局、それは『何もかもが変わり行く』ってわけだろ、ポップソングに、物理学がようやく追いつたってわけさ……。
エントロピーは根本原理となり得た。それが時間を定めているように思われた。乱雑さが――孤立系では――任意の『動作』に対して広義単調に増加し続けるならば、それの振る舞いは『時間』と見分けがつかなかった。
乱雑さはある意味で時間を定めた。そして時間をそのように――局所的な開放系ではどうとでも動くが、大局的な孤立系では単調性を取り戻すように――定めることで、学者たちは、危機から立ち直った。
時子の発見だった。
しかし、それは危うい理論だった。
もし、全ての事象が時子のもとでの理論だとしたら、そして時間の単調性とは、時子のほんの一側面しか表していないとしたら――?
数学が被害者だった。
技術が被害者だった。
理論が被害者だった。
それらは時子のゆらぎに耐えられるような概念ではなかったのだ。
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僕は薄ぼんやりと冷め切った廊下を張っていく。廊下の真ん中で目をつぶる。
僕はうつろいゆくのだから。
「僕はうつろいゆくのだ」
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相対主義者だけが喜んだ。人類はすでに誕生から数千年を迎えていて、しかし未だに宗教と政治と無知と蒙昧と高慢と世代間闘争が蔓延していた。強力な軍縮条約が次々と――主に、知識が広範に行き渡ることから恐慌を来した大国によって――締結され、兵器における開発はほとんど手詰まりになった。
それでも人間は、自分を爆弾にし、他人を爆弾にし、血を爆弾にし、爆発できるものを全て爆発させ、そしてまた誰かの『神』が喜んだ。
神というものは遍きかな。
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僕の体はだんだんと移っていく。脳の配線がずれていく。孤独な僕の体が、どこか別の場所を交換される。まずは血流中の電子のスワップが起きた。次は水分子のスワップが。その次はアミノ酸の分子一つが。造血細胞が。細胞塊が。
僕が。
そして世界がゆっくりとスライドしていった。
また別の世界に。シイラがぴちょんと横で跳ねて、塩水が僕の頬に掛かった。次の瞬間は僕は海だった。きらきらと青い空には、白くかもめが浮かんでいた。水平線の果てには誰かの船が浮かんでいて、それは……。
海は目を凝らすと消えちった。どこかの乱雑さにしわを寄せた幻想。
「僕は浮かんでいる。僕は沈んでいる。僕は人に取り囲まれている。でも全てに共通していることがある。
それは僕は避けられないものに近づいているということ。それの分だけ移り変わりやすくなるということ。
それの分だけ、移り変わる場所が少なくなるということ」
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地球はそれでもかわりなく滅び続けた。宗教と政治の抗争が混迷を増して、それを振り切るように爆風が巻き起こり、子どもばかりがばたばたと死んだ。天然痘のウィルスがロシアのノヴォシビルスクから漏れ、国境を接したアメリカとカナダでは人が死んだ。結局のところ、壁を作るのはメキシコとの間ではなかったのだ。保健局はワクチンを精製したが、ウィルスは家畜の中に紛れ込み、生物学者の予見通りに、抗原をくるくると変えながら人を殺した。飛行機がさらなる死者を巻き起こし、日本では、逆に「人口が減ってよかった」という勢力が拡大した。民族的な思潮もあり、そのような思想が都市部を席巻し、更には地方都市にまで広がるのに時間はかからなかった。
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「その場所は全てが死ぬ場所、時間が止まってしまう場所、時間は単調増加するから、そしてこの宇宙が塞がれた場所だから、それは僕たちには分かっていた。
時子はもう僕に追いついてしまった。だからもうすぐ終わるんだ。
全ての時間が。全ての熱が平坦になって――
それ以上……」
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予期されたように、ガンマ線バーストの兆候が観測された。とはいえ、『兆候』とはすなわち、『アポカリプスまでに十分な時間がある』ことを意味しなかった。むしろ逆だった。どの国も、突然、感動と愛で溢れかえった。二ヶ月に一本映画が封切られ、雨の中で女と男は抱き合った。
工場は多くの機能を失った。製造業者はわけも分からずモノを作ろうとしたが、時子の影響は彼らの使う校正器を殺し、ほんの五百メートルしか離れていない場所で作ったパーツが、全く組み合わないこともあった。多様体の理論は時子のカタストロフを予見する前に、その持つ意味を失ってしまった。
ある数学者の残した言葉――「『アルジャーノンに花束を』の主人公の気分さ。昨日の論理は、まるでギリシア語のよう」
無意味な高揚感を得るためだけの投資が横行した。中国やロシア、アメリカの小さな投資家が自動で走らせていたボットがそれに反応した。ソロス・チャートに運用指針を置いたそれらのボットは、乱高下する為替に対して機敏に反応した。結果として乱高下は次々に増幅され、そして、通貨におけるカタストロフの一歩手前で、ベテルギウスのガンマ線が到着し、地球上のほとんどの人間が一週間以内に白血病で命を落とした。
わずかばかり他人より力(これは軍事力の事だ)を持っていた人間のみが、鉛で出来た殻に閉じこもった。そしてその中のひとにぎりが、鉛と水の複層で出来たシャトルを打ち上げた。ゼムリャフランツァヨシファの小さな基地から。
中に人はいなかった。正確に言うと、まだそれらは人ではなかった。
受精卵とそれの監視システムが息づいた。
仮想現実を構築する技術、狭いシャトル内を、まるで広大な地平の広がった大地に見せる技術。子どもたちは母親の顔とあたたかみと腕と微笑みを知って育ったが、それは『汚い』人工知能(ルールベースの処理を事前分布と置いた統計的人工知能)を母親と呼ぶならの話だ。
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そしてその子供一人が僕だ。
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時子の理論の一つの帰結は、僕たちは時間を横切れる、ということだった。時間の『進み』方を縦とするならば。
等エントロピーの変化は、その定義から、時間をすすめることがなかった。多くの場合、そこにおいても時間が進んでいるように感ぜられたのは、単にそこが完全な閉鎖系ではなく、総量としての時子の振る舞いのみを観測できていたからだった(これが、エントロピーが減少する反応系に置いて、時間遡行が見られない理由だった)。
しかし、系がより広くなれば――より平坦になれば――僕たちは時間を横切れた。ありうる世界の全てがおぼろげに広がっていた。
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「結局――」
ここに来て、僕たちはようやく、二つの世界を行き来することができるようになった。もちろん、その架け橋は微小の変化によって構築されていなければならなかった。しかし、僕たちがナイーブな意味で『認識』するのは、開始された状態と、終わりの状態だけだったから、僕たちは遷移に気を配らない。そこに問題はなかった。
僕たちはゆっくりと移り変わり、カエルは空を泳ぎ、シイラは笑い、空は青く晴れ渡り、そして僕たちの脳の配線は他の誰かと軌を一にして移り変わった。僕たちの意識は再配線された。複数の世界の集合――それはエントロピーが等しいという同値関係でまとめられた世界だった。
僕は確かに死に近づいていたが、そして、それは避けられないものだったが、その一瞬一瞬で、僕たちは好きな世界を選択できた。
僕の周りには花が咲き、そしてまたたく間にかき消された。冷たい――夜明け前のような空気だけが残った。その空気も拡散した。僕は目をつぶった。
あと少しの時間。僕はどこで宇宙の終わりを見つめようか――
――それが僕がようやく、自由意志というものを認めた時だった。そして僕が気がついた時だ。僕が宇宙の兵士だったということに。
兵士たちは演習の一環として夜通し歩かされたということに。