Neetel Inside 文芸新都
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どうでもいい話集
エロゲーのメソッド

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※この物語はフィクションです。犯罪行為は真似しないでください
※エクスタシーとはMDMAのことです








 『あなたの人生において、最良のときはいつだったか』。今際の際に尋ねられたなら、どう答えるべきだろう。秀夫は幾度か考えたことがあった。
 齢が四十を超えてからというもの、人生は凪のようだ。苛烈と思われた社会競争は、平行線のまま惰性に突入した。経済生活は安定し、かといって輝かしい名誉は与えられない。周りを見回せば、疲弊した先人たちが示してくれる、自身の未来。送る生涯に見当をつけたことが、先の問いを考える一つの理由だった。
 決定的だったのは病床の横で聞いた遺言いげん。癌で死んだ父が言うには、秀夫という子が生まれたときこそ、最良であったと。秀夫はこの言葉に涙した。親の鑑とはこういう人を言うのだ。そして、同時に戒められる。ならば自分は、と。
 以来、秀夫は自問するごと思うのだ。人生において最良のとき。それは、新作エロゲーを買った日に違いない。


****


 アーケードのメ○ンブックスを出て、新都駅で電車に乗ってからも、秀夫は空想のただ中にいた。座席の足元には紙袋が置いてある。中にはもちろん、待望の新作エロゲーが。
 この時間、車内には乗客が多い。うち何人かはウキウキ笑顔の秀夫を訝しがる者もいた。特に、正面に座るヤクザ風の男は、只事ではない目つきで睨んでくる。だが、他人の目など気にしていた時代も今は昔。自宅に帰り、ゲームをインストールする瞬間だけを心待ちにする秀夫である。
「こころ、浅華、真来菜、美希……」
 ヒロインたちの名を唱える。
 購入前からすでに、予習は完璧だった。登場人物の名前、担当声優、あらすじ。すべてをそらんじることができる。エロゲーは発売前が勝負だ、とは同好の士の談。秀夫はこの至言を深く心に刻んでいた。
 というのも、エロゲーは値段が安くない。予約特典や凝ったパッケージでオトク感を演出するものの、フルプライスで購入すれば手痛い出費だ。さらに、エロゲー市場は玉石混交、魑魅魍魎。下手を打てば、特大地雷を引き当てることになる。
 爆死を恐れず、前情報を一切入れない猛者も、いるにはいる。『分の悪い賭けほどおもしろい』を地で行く彼らはしばしば、悲痛な叫びでもって己の存在意義を証明してみせる。後続はその屍を踏みつけ、地雷を避けるという寸法だ。勇敢な男たちに、感謝の念を忘れてはならない。
 しかし秀夫は、勇者たちとは考えが違った。つまり、エロゲーの本旨とは、発売に至るまでのお祭り感なのである。
 公式サイトがオープンしてから、徐々に露わになっていく情報。ヒロインの立ち絵で一度抜き、サンプルボイスでもう一度抜く。スリーサイズでまたも抜き、サンプルエロCGの枚数分抜き、その後も追加されるたびに抜く。体験版はもちろん周回プレイし、発売日までのカウントダウン動画も欠かさず視聴する。ここまでやっておけば、たとえ本編がクソゲーだったとしても悔いはない。穏やかな気持ちで積むことができる。
 『購入→積む』の流れは一種の麻薬だ。ひとたびハマれば、取りつかれたように繰り返す者もいる。ある穀潰しは、エロゲの塔を積みすぎたことによりゴッド(親)のいかずちを受けたとされているが、それはおそらく穀潰しなのが悪い。
 今日購入した作品、“朝焼けの空、新都の夏”(通称:朝夏)に関して、秀夫は特に詳しかった。なぜならば、情報を集める期間が存分にあったからだ。
 “朝夏”が発表されたのは三年前の春である。ゲームのテーマに合わせて、その年の夏に発売される予定だった。しかし、開発は遅延に次ぐ遅延。公式SNS上で、開発スタッフが行方不明になったなどという文言が踊ることもあった。作品宣伝用ラジオは延長を繰り返すごとに人気が上昇、現在まで続く長寿番組になった。そして、いまは冬。長い時を経て発売にこぎつけたのは、作中とは真逆の季節だった。
 極端に延びた発売について、辛い評価を下す者は少なくない。開発はとうに頓挫していたのではないか。費用回収のためだけに未完成品を売りつけるつもりではないか。疑る声も処々しょしょから上がった。情報は錯綜、混乱の最中にあって、それでも秀夫は泰然自若としていた。
 “朝夏”は名作だ。磨き抜かれた選定眼と長年の勘が告げている。黎明期より続いてきた『学園純愛モノ』というジャンルにおいて、“朝夏”の存在はマイルストーンになる。秀夫の胸は期待にはち切れんばかりだった。
 電車が目的地に着く。扉が空気を吐き出すと同時、秀夫は走った。周囲の冷たい視線など意にも介さず。体が軽く感じる。外へ出ると、浮かび上がってしまいそうな心地さえする。自宅へ向かって猛ダッシュ。体が軽い、体が――
 軽すぎる。気が付いたとき、秀夫は立ち止まった。現実に戻り、自身の体を検める。これといった不調はない。ケガなど一つもしていない。手足もきちんとついている。唯一、手にぶら下がっているべき紙袋だけが、見当たらなかった。
「あ」
 秀夫はとびきり間抜けた声を出した。直後、電車の出発を告げるベルの音。それは、遥か後方で鳴り響く。
「あああぁぁぁぁ……」
 駅前の往来。崩れ落ちた中年に同情を寄越す者はなかった。

       

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