第十話 正義の味方と誰かの味方 (鹽竈)


「…理由を、訊いてもいいか」

 振り返った間遠は、焦点の合わない表情をこちらへ向けた。上がっていた息はもう戻り、汗の引いたその顔には先の戦闘における疲弊の色はほとんど見えない。
 たかが並の悪魔一体を屠った程度で、こちらに優勢が傾くほど戦力が低下するわけではないらしい。流石は歴戦の英雄、といったところか。

「言わなくとも、アンタなら一番良く知ってることだろうよ。なあ、間遠和宮せいぎのみかた?」

 静かなる問いに、俺は大仰に肩を竦めて見せる。既に右手に握られた聖剣が、明滅する街灯の光を断続的に照り返す。
 全身を循環する魔力が脈動する。ジワリと表皮から滲み出すそれはまるで瘴気の如き青紫。それらを纏め上げ、俺は強化された肉体でゆっくりと一歩を踏み出す。

「最近は『代償』の引きが良い。…今のお前をこの目で見ることが無くて、本当に良かった」

 下げた長剣を片手で持ち上げ、光を映さない両眼が捉えた俺の気配目掛けてしっかりと固定される。それに合わせて無言でエクスカリバーを構えた俺へ、間遠は余裕の現れかこんなことを口走った。

「俺だけが能力を知っているのは不平等だな。俺のアンスウェラーは相手の動きを読み切り対応する剣。『代償』は肉体能力の一部欠落。見ての通り今は視力を失っている」
「へえ。んじゃ、その発言がアンタの遺言で、そんでもって、」

 接地していたアスファルトが粉砕し、高速で巡る景色の中で正確に相手の背後を取る。
 狙うは心臓。

「その遺言が、アンタの死因だ」

 この距離、タイミング、加えてエクスカリバーの能力瞬間解放、『絶対切断』発動。
 回避、防御共に不可能の必殺の刺突。勝利を確信する。
 だが、
「…ッ!?」
 息を呑み、目を見開く。
 弾かれた、エクスカリバーの刀身が。
 間遠は依然として無様に背中を晒している。だというのに、あらゆる物質を貫き斬り裂く神聖武具の一撃があっけなく打ち上げられた。
「『絶対切断』、なるほど確かに破格の性能だろう。だがな、石動。対処法なぞいくらでもあるのさ、その程度の力になら」
 晒した背中の、その脇下から。いつの間にやら逆手に握っていた長剣の切っ先が上向きに突き出されていた。俺のエクスカリバーを弾いたのはそれだろう。よくもまあ見もせずに曲芸じみた技を見せてくれる。
 瞬時に理解した。俺の聖剣とまともに打ち合う方法。
「切断の範囲はその刃のみ。剣の腹にまで切断性能は付与されていない」
(そういうことかよクソッ!)
 半歩下がり、弾かれた剣を両手持ちで二度三度と振るう。が、それらも半身振り返った間遠の長剣に容易くいなされてしまう。その全てが、俺の一撃を真横から叩く形で弾くのだ。刃には触れずに、柄や鍔、剣の平たい表面を打つ。あくまで刃には干渉せず、ことごとく俺の唯一無二たる確殺の斬撃を潰していく。
(野郎を殺すにはまず、その剣が邪魔か…!)
 首筋や頭部、心臓部。一太刀でも入れば致命傷足り得る部位を執拗に狙っていた動きから一転、今度はヤツの手首を落とす為に立ち回りを変える。
「シッ!」
 掬い上げるように二の腕を、大上段からのフェイントを織り交ぜ指を、袈裟切りに見せかけ肩口を。
 剣を持つ腕をどうにか切り離したい一心で振るう斬撃はやはり間遠の神聖武具には通用しない。  
 視覚に頼らずして、あの長剣は相手の動きを全て見透かしている。フェイントも絡め手も奇策も、一切が意味を成さない。
 で、あるならば。仕方ない。ノーリスクで勝てる相手ではないと、元より覚悟の上だ。
 大きく一歩を懐に潜らせる。長剣の間合いからさらに詰める。この程度で狼狽えることはなかろうが、リーチの利は失った。体の触れ合う直近からの刺突は、割り込まれた長剣によって阻まれる。
 またしても弾かれた右腕を引き戻すより早く長剣が振り落とされる。剣を捨て、刃を左手で受け止めるが勢いは殺し切れず。掌に食い込む鋭利な刃は左手ごと右の肩に深々と沈んだ。
 血飛沫が間近で舞い、頬に撒き散らされる。激痛に思考がブレるが、怪訝に眉を寄せる間遠の顔を睨み上げ、燃え上がる憎悪で強引に意識を繋ぐ。
 不思議か間遠。左手でガードしようとすんのに右手で握る剣を手放す必要はないからな。
 互いに目と鼻の先にある敵の姿。殴るにしても蹴るにしても、こう密着していては上手く威力を出力することは出来まい。
 ―――普通の方法なら。
 トン、と。引き戻した右の拳が間遠の腹に押し当てられる。引き絞るでもなく、速度を乗せるでもないただの拳骨。ここから出せる技が、俺にはあった。
 魔力を推進力に変え、全身から練り上げた衝撃が足から腰、胴を伝って腕、拳先へ集う。
寸勁すんけい
 直後に間遠の体内で小さな爆発音のようなものが拳から震動という形で感じ取られる。同時に、大量の吐血と共に盲目の双眸が大きく見開かれた。
 ほぼ零に近い距離での一打絶倒を主とした超近距離戦の武術体系。その極致。
 あぁ、あの老師にはどこまで礼を尽くしても足りないな。アンタのおかげで、俺はこの英雄やろうをブチ殺せる。
「い、するぎ…っ」
「ッおおあァ!!」
 喉の奥から溺れた声音を漏らす間遠の顎を、真下から振り上げた肘鉄が打ち砕く。踏み込みが地を穿ち、地面に幾筋もの亀裂が走った。
 さらにタックルするように裂かれた肩を胸部に押し付け、魔力放出の後押しから生み出されるエネルギーを叩き込む。
 裡門りもん頂肘ちょうちゅうからの靠撃こうげき。鮮血を散らせてくの字に折れた間遠の身体が吹き飛ぶ隙を逃さない。
 足裏から魔力放出、地を爆散させながら右半身を前面に押し出した格好から氷上を滑るように飛び出る。活歩と呼ばれる歩法技術だが、本来の震脚からの派生というプロセスを魔力頼りに端折り簡略化させている。三週間程度の修練じゃ到底届かない領域だったが、非正規英雄の質を頼りにかろうじて指先くらいは届かせられたか。
 長剣は手から離れ持ち主は駅の壁面に半ば埋もれた状態で上体を仰け反らせている。こちらも武器は手放したままだが、いちいち回収している暇が惜しい。
 活歩で迫り、腕に力を溜める。身体の軸を横向きとした状態からの打突技、冲垂ちゅうすい。外側から心臓を打ち貫かんと右の拳を固く握り、肉迫と共に放つ。
 …この時、何故か。俺はある言葉を思い出していた。

『非正規英雄の欠点はの、その優秀過ぎる武装に頼り切りになることじゃて。それを失った時、容易く英雄は殺される。若き非正規英雄達の大半はそれで死ぬ。性能や能力ばかりに支えられ、自分自身の研鑚をまるで積まぬ愚か者の末路がそれよ』

 やれやれと呆れたように、また愚痴を溢すように呟かれた老師の言葉を、あの時確かに聞いていた。だからこそ老師は俺に体術を教えてくれたし、それがあるからこそ俺はあっさりくたばるような愚者にはならぬと信じていた。
 事実、今だってこうして長剣アンスウェラーに依存していた間遠和宮は、こうして武器を手元から失くしたことで俺に殺されるんだ。
 だが。だが待て。
 相手は数々の死線を潜り抜けてきた歴戦の猛者。その経験値は俺はおろかそこらの英雄を軒並み超えた膨大なものだろう。
 そんな人間が、果たして本当に神聖武具アーティファクトの力だけでこれまでやってこれたのか。
 疑問があったし、疑惑もあった。だけれど拳の速度はほんの少しも衰えることなく間遠の胸の真ん中へ突き込まれていた。だから、これは言い訳のしようが無い。
 全力の一打が直撃する間際、間遠の左手がそれを静かに受け流したことに、俺の思考の淀みはまるで関係がなかった。
「んなっ!?」
「―――」
 完全に意表を突かれ空振りした拳は壁を貫通し、前のめりに傾いだ俺の顔面を右の五指が強烈な指圧でもって締め付ける。さらに足を払われ、一瞬の滞空の後に俺は受け身もままならず後頭部から固いアスファルトに叩き落とされた。
「が、ぁア…!!」
 視界が揺れ、脳が思考を拒絶する。グラグラと上下左右する夜空が見えて、そこから一条の流星のように大きな拳が墜ち、
「!ソロ…モンッ」
 頭の中で激しく鳴り響いた警鐘に脅されるように、左人差し指に通されたリングに呼び掛ける。
 イメージするは獣。瞬時に収縮した肉体が灰色の毛を纏う狼と化す。寸前まで人間の頭部があったその位置に間遠の拳がクレーターを生んだ。
 四足を駆り跳ねるように間遠から距離を取り着地までの合間に元の姿へと戻る。靴底を滑らせ両足で勢いを殺し切る。
「チィ…」
 短く息を吐き、舌打ちする。拳を引き抜いた間遠がゆらりと立ち上がり、口の端から垂れる血を指先で拭ってこちらを見据える。武器を手放したからか、『代償』たる視力は回復しているようだ、しっかりと忌々しい面が俺のことを視認しているのがわかる。
 予想通りだ。この男は、武装無くしても英雄としての真価を損なうことはない。正真正銘の、非正規英雄が抱えがちな欠点を越えた先に立つ本物の実力者。
素手喧嘩ステゴロか。石動、俺から武器を遠ざけたその選択は悪くないが、それでもお前の敗北は揺るがない」
「ほざけよ間遠。テメエは殺す」
 痛む後頭部を悟られぬように言葉を返し、再度攻撃を仕掛ける。アーティファクトは自分の経験上、一度消した上でもう一度呼び出せば遠くにあれどすぐさま手元に引き戻せる特性がある。そうはさせない。
 この男に武器を持たせた十全の状態は危険だ。エクスカリバー、ソロモン。二つの力を活用したところで勝てる見込みが限りなく薄いことを、俺はこの戦闘間で理解していた。