第二十話 『蝙蝠』 (鹽竈)


 尋常ならざる再生能力。それは四肢の欠損、臓器の破壊をものともしない。
 無論、非正規英雄とて自己治癒能力においては普通の人間のそれと比べ物にならぬものだ。片腕吹っ飛ぼうが、魔力と時間さえ足りていればいずれ生える。
 だがこの女―――此原燐は、非正規英雄の治癒を超える悪魔の邪悪武装オーパーツ。その性能を加味した上で、さらに異常たる再生力を有している。
 厄介だ、と思う。
 『絶対切断』も、中国武術も、変化能力も。
 あらゆる面で、この相手は相性が悪い。

 右腕を斬り飛ばし、仰け反った燐の悪魔たる巨躯へと、空いた左拳を当てる。
 しっかりと踏み締めた両足から螺旋するエネルギーが伝い一点へ集約。極限の一打『寸勁』を叩き込む。
 かつて歴戦の英雄・間遠和宮の身体にしばらくの影響を与えるほどの威力を有したその一撃は、しかし悪魔の内側へ通らない。
 いや違う、正確には通っていた。骨は砕け肉は破裂し、燐の内側はグチャグチャのミンチにされている。
 こめかみから角の生えた悪魔の吐血を、懐に潜っていた堅悟は頭から被ってしまう。
 途端、ジュウ、と。
 熱湯をかけられたような熱と激痛が全身を襲った。
 驚き、慌てて後退しながら返り血を振り払い拭う。
 剣を握る腕を見下ろしてみれば、先の痛みが確かに熱による火傷のものであると確信させる真っ赤に爛れた表皮が映った。
 熱を持つ血液。最初はそれほどの熱を放ってはいなかったはずだ。となれば、悪魔への変化と同時に時間経過で熱量を高めていっている。ということだろうか。
 やはり厄介だ。
(接近戦に持ち込めないのは痛いな。剣技にせよ武術にせよ、近づかねぇことには…)
 どう攻めたものやらと考える堅悟は、ふと身に感じる高熱と痛み以外の感覚に眉根を寄せた。剣を肩に担ぎ、体を冷ますように手団扇で顔を扇ぎながら口を開く。
「…よお、此原だったな。そんなに俺が憎いか」
 噴出する殺意が、その奔流が視認を錯覚させるほどに鬼のような悪魔を覆い包んでいた。とてもじゃないが、初対面の相手とは思えない。
 英雄と悪魔は対立するもので、殺し合うものだ。それに今更疑問の余地も無いし、この構図に文句も無い。
 だけど、ここまでの憎悪をもって挑んでくる悪魔は見たことがない。いくらなんでも、英雄と悪魔という関係だけでは済まされない何かが差し込まれているとしか思えない程度には。
「何が気に入らない。お前、俺の何がそこまで憎いんだ」
 そこら中に散った燐の血液が、ブクブクと泡立ちながら白煙を上げて行くのを横目に、何気ない世間話をするように堅悟が問う。既に、寸勁での負傷は癒えてしまっていた。
「…石動、堅悟」
「………おう」
「あなたは、最悪の人間」
 突然の罵倒に思わず堅悟も面食らうが、一度解き放たれた悪魔の口は止まることを知らない。
「孤独を嫌うくせに…孤独に逃げた。そのくせ、何かを得ようと手を…伸ばす。最悪の人間。傲慢で傲岸で高慢で……なにより強欲な、最悪の人間」
 濁った赤い瞳は堅悟を視界から離さない。その全てを見抜いているとでも言わんばかりに、鬼のような悪魔は石動堅悟という人間の底を見る。
「孤独が嫌いなら群れればいいのに。独りが怖いなら誰かに寄り添えばいいのに。子供のわがままみたいに…全部放り投げて。だからあなたはここにいる」
 非正規英雄のコミュニティから離反し、悪魔からの勧誘を蹴り、流れ着いた先で三文記事を書き殴る日々。その生活すら、いつまで続くかわかったものではない。
「あなたみたいな人は…危険。私はそれを知っている」
 燐が紡ぐ言葉の最中、二人を熱波が襲う。ついに高まり続けた血液の熱が発火点を超え、四周を炎が囲う。
 白煙は黒煙へ代わり、堅悟は僅かに咳き込んだ。それでも相手の言葉を聞き逃さずに鼓膜に捉え続ける。
 悪魔としての恩恵か、酸欠になりそうな状況下でも平然と喋る燐の糾弾は終わらない。
「愛を語りながら拳を振るう人、可哀想と涙を流しながら侮蔑に顔を歪ませる人。…あなたはそれらと同じ。孤独を恐れながら、孤独に身を置く矛盾の人」
「ハッ」
 思わずといった具合に、笑みが漏れる。それは自嘲か、あるいは自責か。
 ともあれ燐の言うことは極めて正論で、どこまでも的を射たものだった。
 この状況には覚えがある。二度目だ。
 正論しか突きつけられない世界、本質を見抜かれた場所、…辟易するほど自分という人間性を直視させられた幻惑。
 なるほど確かに、あのいけすかない夢使いが連れて来ただけのことはある。
 此原燐は淡々と、堅悟にとって最も痛手となる傷を抉って来る。
 矛盾している。間違っている。正しくない。
 正しさの中でしか生きられない生物でありながらにして正しさを善しとしない。逸れ者であり、半端者であり、故に孤独に晒される愚者。
「何より厄介なのは、あなたが強い力を持った人だということ…。せめて、いっそ、弱者ならよかったのに」
 炎を背に悪魔がにじり寄る。大木のような両腕を掲げて、怨敵のように堅悟を睨み据えながら。
「親が子に権威を振りかざす…ように。教師が生徒に権限を乱用するように。いつか、あなたは、その強大な力をもって、きっと、矛盾のままに破壊を撒き散らす。最低最悪の、災厄となる」
 妙な正義感に突き動かされたわけではない。
 ただ、危険であると認識したから。
 この英雄は野放しにしてはおけない。
 いずれ必ず脅威になる。それが悪魔側にとってのものか、英雄側にとってのものか―――あるいはそれら以外の何かにとってか―――まではわからないけれど。
 幼い頃から人間の様々な感情の渦に呑まれ振り回されてきて、その中で備わり培われてきた燐の慧眼は確かにそう判断を下していたのだ。
 だから殺す。
「…は、はは」
 その淀みない結論に一片の迷いも無く。殺害だけを念頭に置いて澄み切った思考に不意の笑い声が割り込む。
「ははは、あははっ!」
「…?」
 空いた左手で前髪を掻き上げ笑う堅悟の奇行に、ほんの数瞬だけ悪魔の赤い瞳が丸くなる。
 気が触れたわけではなさそうだと判断したのは、その笑い顔があまりにも屈託ない爽やかなものであったから。
 ひとしきり笑ってから、堅悟は担いだ剣を降ろして切っ先を燐へ向けた。
「なるほどなぁ、あのクソガキ。そういうことか」
「…なにが?」
「俺とお前は似てるって話さ。忌々しいことに、あのクソ野郎ともだがな」
 招くように剣先を上下に振って堅悟が誘う。
 孤独を謳っておきながら、堅悟の両手は空っぽではない。一蓮托生、運命共同体の堕天者。守ると決めた、あの口喧しい小娘。
 まったくもってブレている。何もかもがズレでいる。これで何が孤独なものか。
 思えば無茶苦茶な行動指針や原理でしかない。これが彼の矛盾。
 相手はそれを知り、認め、その上で殺しに来ている。
 なんとなく、この悪魔のことがわかってきた。いや、理解されたからこそ、理解した。
 互いに不動の立ち位置を確立している同族。
「俺の不当も、お前の孤独も、四谷の狂気も。どれも理解するには難しい、度し難いとすら言えるようなもんだ。だが」
 既に堅悟の中で、相手を殺すという選択肢は消えていた。そもそもの話、今殺意を燃やして挑んでくる相手は敵ではない。
「俺なら理解できる。俺はお前を正しく認められる。だから、とりあえずこの勝負は決着ケリといこうぜ。話なんざ、そのあとでも出来る」
 まるで勝利を前提にした上での物言いに、燐の全身がかっと熱くなる。それは比喩ではなく、全身を染めていた自らの血液が発火して燃ゆる巨躯の悪魔と化した。
「近距離の攻撃方法しか持たない、あなたに…私は倒せない!」
「と思うよな?ところがどっこい見つけた上に思い出したぜ、お前みたいなタフを相手に有効な技を」