第四話 代償を背負った彼の場合は (混じるバジル)

 代償とは、まさか…!

 その幕引きで終わった前回、依然俺の目の前にはサハギンのような姿に化けたユキちゃんがじりじりと歩み寄ってくる。

 ユキちゃん、いやその悪魔はフルプライスオプション付きのプレイでも見せてくれないような妖しげな艶のある恍惚の笑顔を浮かべ、その口元のギザギザの歯の間からフシューと不快な息を吐き出している。

 俺は利き手に提げた自分のアーティファクト――、

 今は岩のように重くなってしまったその愛剣を握る力を再び強める。なんとか、こいつでこのピンチを切り抜けないと......!

 俺の正面に立った悪魔と化したユキちゃんが右腕を振り上げる。チャンスは一度だけ、これを逃したら俺の命は....!

 俺は砲丸投げの選手の要領で畳に擦った剣先を全身のバネを使って持ち上げて振り下ろされた腕目がけて叩き付けた。ガキィィン!!手応えのある響きに俺は薄目を開く。


 『へぇ、模造刀オモチャにしてはなかなかやるじゃない』

 耳元に届いたくぐもった声に俺は腰を抜かしそうになる。全身全霊を込めた最後の一撃はサハギン悪魔の長く伸びた親指と人差し指の指二本で防がれてしまった。カチャカチャと震える剣身に映る不気味な半人半魚の笑み。


 「くそっ!煮くなり、犯すなり好きにしろってんだ!」

 このままじゃ適わない。男は引き際が肝心だ。柄から手を離して俺は観念してその場に座り込んだ。大きく開いた両口から再びフシューと音が鳴り、緑色の粘着質なよだれが畳に零れ落ちた。

 今際の際で俺は翼ちゃん、あの天使が話していた台詞を思い出す。悪魔との闘いには死が存在する。初戦で簡単に大金を手に入れちまったから、調子に乗ってデリヘルなんて呼ぶからこのザマだ。

 田舎の父ちゃん、母ちゃん、学生時代に勉強しなかったせいでまともな仕事に就けなくてごめんな。辞世の句を口の中で練りまわしているともう一度、悪魔の右腕が上がった。

 もうダメだ――そう思って目を閉じた瞬間、足元の畳にザン、と鋭い刃物が突き刺さる音が響く。自分の身がまだこの世界に定着している事を足の指で確かめると目の前のサハギン女が驚いた顔で自分の右手を見つめている。

「アナタ、もしかしてあの天使に....フフ、そうか。アナタもアーティファクトの能力を持つ英雄という事なのね」

 さっきより流暢に話し始めたサハギンを見て悪魔にも言葉を操る種族も存在することを知る。悪魔はその場から数歩ヒレのついた大きな足を横に踏み出すと俺が背中を預けている壁に向かって嬉しそうにその大きな口を真横に開いた。

「なるほど、“初体験”はもう済ませているということね」

 はっ、うまい事言ったつもりかよ。俺は相手に強がって笑みを作る。背中の裏からは隣の部屋に住むニートからの無言の壁ドンが響いている(どうやって生計を立てているかは不明)。

 対面する悪魔はさっきの斬撃を受けたことから、俺が天使から神聖武具を授かった能力者でこの前のバトルで聖剣のアーティファクトを会得したことを把握したようだった。壁ドンが止むと悪魔は俺がいる方とは逆側の壁に向かって歩き出した。

「アナタを殺すのは止めにするわ」

 どういうことだ?俺が喉を引き上げるとテーブルを蹴り飛ばして進路を空けた悪魔が俺のフィギュアケースに手を置いて振り返った。その手はさっきまでの魚人の腕ではなく、人間の、本来のユキちゃんのものだったであろう白い女性の腕だった。

「話しにくいわね。これでどう?」

 俺が瞬きするとその間に醜いサハギン悪魔の顔が玄関を開けた時と同じような若い女性の顔に入れ替わった。心なしかホームページで見た写真のように輪郭や目の大きさに修正かかっているような。

 そんな冗談を言っている場合じゃないのは分っている。彼女は俺を殺さないと言っただけで未だピンチな状況なのは間違いない。右手と顔は人間、その他のパーツはサメ肌の魚鱗で覆われた不釣合いな体系でユキちゃんは嬉々として話し始めた。

「知ってる?神聖武具を持つ英雄は普通の人間の約50倍の魔力を秘めていると言われているわ。見たところ、今のアナタはまだ能力に目覚めて間もない状態で絞りカスの今のアナタの魂を喰らうのはうまくはないわ。

だから今は生かしてあげるの。やさしいでしょ?私」

 彼女の話を聞いて俺は天使の翼ちゃんが話していた能力についての説明を思い出した。『アーティファクトは一度使用すると何らかの形で“代償”が発生する』。

 さっき俺がエクスカリバーをうまくコントロール出来なかったのはその“代償”のせいだと思っていたが鱗女の話を聞くにアーティファクトを使用するにはそれなりの魔力が必要であるらしい。

 そして俺はその魔力を前回の闘いで使い果たしちまったから、今回エクスカリバーが使えなかったということだ。だとすれば後に訪れる“代償”とは......


「あれ?アナタ、もしかして今、自分の命が助かったとでも思ってる?」

 ふと見せた心の余裕を悟られてしまい、彼女から浴びせられた感情の無い視線に背筋が震え上がる。そうだ、俺は能力を一時的に使えない状況で自分より強大な能力を持つ悪魔とこの狭い部屋で対峙してるんだ。部屋に呼んだのは俺の方なんだけど。

「世間知らずの弛みきった性根と表情。ムカつくわねぇ、生殺与奪の権利は未だ私にあるのよ?」

 そう言うと彼女はフィギュアケースを掴んでいた指の力を強めた。肘から先が少しずつ胴体と同じ魚人色に変わっていく。生え変わった爪が『魔法少女まどか★マギカ』のマミさんの頭に突き刺さっていく。止めてくれ。探すの大変だったんだぞ、そのフィギュア。中古だけど。

「私もまだこのチカラに目覚めてすぐだから慣れてないのよ。そうね、3分でこのボロアパートを平らにしてあげようか?」

「な、」

 俺が言いかけたその瞬間に再びサハギン悪魔と姿を変えたユキちゃんが飛び上がって天井に長く生えた爪を突き立てた。

「シャアア!」

 次の瞬間には玄関側の壁が一息で切り裂かれた。カビだらけのウレタン緩衝材が辺りに散らばって俺がさっき掃除しておいたユニットバスが剥き出しになった。

 オイオイオイ、本当に解体するのかよ。俺は立ち上がって四方を飛び回る悪魔の残像を目で追った。がらん、頭の上から床が崩れる音がして目の前に鉄柱が剥き出しになった瓦礫が落ちてきた。

 しまった!右手を探るがすでにアーティファクトは解除した後だった。急いでエクスカリバーを出そうにも間に合わない....!

 顔の前で腕を組んで防ごうとすると「フシャァァー!」という発情期の猫の鳴き声×100のわめき声と共に目の前の瓦礫が砕け散った。

 ユキちゃん悪魔は俺に言った。『アナタの魔力が回復するまで生かしてあげる』と。はは、完全に遊ばれてやがる......!

 天井から先日引っ越してきたクソやかましい中国人家族が落ちてきて、驚いた顔でアルアル言いながら俺の部屋の窓を開けて逃げ走っていった。駐車場の向こうには大切そうに自前のギターを抱えた隣の部屋に住む大学生(毎晩ヘタクソなギターを薄壁越しに聴かされていてイラついていた)の姿も見えた。


 目の前の視界が開けて辺りはすっかり奇麗な夕焼けが包み込んでいた。

 なんということでしょう。木造二階建てのボロアパートは匠の手によってすっかり、見るも無残な廃屋となってしまったではありませんか。

 目の前に散らばる瓦礫の山。足元にはケースから飛んできたフィギュアの手足が見えた。俺は急いでケースがあった場所まで駆けてその場所を掘り返した。

 俺が超キツいけど羽振りの良いパネル運びのバイトで溜めた金で買った765プロオールスターズのフィギュア(限定版)が律子と真美を残して全て砕かれていた。もちろんその他アニメのフィギュアもほぼ全滅。

「畜生、なんてこった。こんな事、こんな事なんてあるかよ......!」

 俺は憤りで隣にあった上の部屋から落ちてきたバッタもんのiPad を拳で叩いた。俺が雑魚悪魔を倒して手に入れた金で調子に乗ってデリヘルなんて呼ぶからこんなことになっちまった。こうなるならアパート更新する時に悪魔災害保険に入っておくべきだった!

「遂にシンデレラ達の夢の祭典が公演決定!会場はサイタマグレートアリーナ....昔付き合ってたしょうもない男と興味のないV系バンドを観にいった事があるわ。へぇ、こんなキショいイベントに6万人も集まるのね」

 後ろから聞こえた女の声に俺はしゃがみ込んだ姿勢のまま振り返る。人間の身体に戻ったユキちゃんが俺の部屋にあったチラシを眺めながらぼんやりと呟いていた。

 PIPIPIPIPIPI

 彼女が抱えたバッグの中からタイマーの音が鳴り響く。マニキュアの付いた細い指を伸ばしてその音を止めるとユキちゃんはぴらぴらとチラシを眺めて微笑んだ。

「開催日時は3週間後。そうね、その頃にはアナタの魔力もビンビンに回復しているだろうし、次会うのはこの日にしましょう。逢引きの地はサイタマグレートアリーナ....血に染まるオタク共の祭典。ふふ、なんだかハロウィンみたいで面白そうじゃない」

 妖しく微笑みながら彼女はチラシから指を離した。次の瞬間、俺は耳元に当てられたフシューという息を受けて背筋が再び震え上がった。背後に立った彼女が体を起こすと俺の背中に向かって声を伸ばした。

「どうするの?英雄サン。その日まで短い人生を謳歌してもいいし、ぶっちゃけ逃げちゃっても構わないわよ。でもその場合」

 俺は喉を鳴らして瞳だけ振り返る。そこにはらんらんと輝く真っ赤に血走った悪魔の瞳があった。

「アナタのせいで6万人の命が消える事になる」

 冷たく告げられた言葉に今まで体を支えていた力が抜けていく。やられた。今の自分では到底適わない悪魔に6万人を人質に取られてしまった。

「開演は当日の午後1時。遅れちゃ嫌よ。じゃあね、私の可愛い英雄サン」

 ははっ、プロのデリヘル嬢さんから本指名ですか。俺は立ち去る悪魔に気丈に笑みを作ってみせる。すると彼女の身体に蛭のような生き物が絡みついてきて、彼女の右肩で花が咲くように身体を伸ばしてその場にへばり付いた。

 ぐにょぐにょと動くその固まりのひとつから人間の頭のような形状が形成され、そのグロテスクな様相に俺は思わず嘔吐えずいてしまった。

「ユキぃぃいいいい~~」

 人間の女性のような長い髪を生やしたその生き物は肩越しに歩いている悪魔に声を出した。どうやらそいつも彼女の仲間であるらしい。どんどん体が出来上がって黒いシャツを着た姿になったその小悪魔がユキに言葉を続けた。

「こっちはねぇ~魔力を持つ人間はいなくてねぇ~気晴らしにその辺のニンゲンをたくさんコロシたよぉ~~」

「あらやったじゃない、ねぇさん。でもあんまり目立つ行動をしちゃダメよ。まだ上からの指令は下ってないんだから」

「アタシはまとめてコロスのが得意なのよぉ~~」

 ケシャケシャと楽しげな口調で笑う変形悪魔を眺めながら俺は自分の無力さを実感しながら呟いた。

「姉、いたんだ......」

 瓦礫の山となった自分の城の中心。俺は目の前に転がったカタワになった美希のスカートの中に顔を埋めるようにしてその場で頭を抱えるしかなかった。






つづく。