ニノベオフ前夜。
三流ニノベ作家――宮城毒素氏は地元の高速バスセンターの待合室にて、午後九時半発の名古屋行き高速バスの到着を待ちあぐんでいた。
ガラス張りの窓から外を見遣ると深々と降りしきる雪が屋根のない停留所をうっすらと白く染め、どこからかどこかへと行き交う人々の吐息を同じように濁らせていた。
やがてバスが到着すると、目的地を同じにする旅行者たちが一斉に立ち上がり、歩き出した。
皆、大袈裟な旅行鞄を引っ提げているのに対して、宮城毒素氏の荷物は軽い。「どうせ翌日には同じバスの中ですよ」。誰にでもなくそう呟くと、大学に通っていた頃から使っていたチープなショルダーバッグを持ち上げ、そのままバスへと乗り込んだ。
今回利用するバスのシート配置は、三列並んだ座席がそれぞれ通路を挟んで独立しているストレスフリーなタイプで彼が事前に予約していた座席はその窓側にあった。
窓側といっても窓には透き間なくボタンで留められた遮光カーテンが引かれており外の様子はまるで窺い知ることは出来ず、隣の座席ともカーテンで仕切られるため、なんとなく居心地悪げに思って忌避していた真ん中の座席よりも却って閉鎖的であるように感じられた。
バスはすぐに動き出した。到着は翌朝六時五十分であるとアナウンスされ、午後十時を過ぎると有無を言わさず消灯となった。
前後左右すべて遮光カーテンで閉ざされた狭い空間は、車内の灯りが消えるとスマートフォンのバックライトを最低に設定しても明るすぎるくらいに、本当に真っ暗闇に包まれる。
気が付くと時計は午前十一時を示していた。
案の定、眠れなかった。
宮城毒素氏は学生時代から続く慢性的な不眠に悩まされていた。
身体が適度に疲れていて、尋常ではない眠気に襲われていて、洗ったばかりのふわっふわの羽毛布団にくるまっても、それでも眠れないのだ。不規則的な揺れと絶え間なく響く走行音、固い座席の上で安眠など出来るはずもない。
それならば何故、高速バスなどという明示的に不眠を促進する移動手段を用いたのか。
それは端的に――新幹線よりも安いからである。先々月のFF15から始まり、BF1、ウォッチドッグス2、トリコ、ダンガンロンパ――と立て続けにゲームを定価で買い漁ったことによる経済的な打撃が、この劣悪な環境下へと自分自身を引きずり込む
個人的には、酔いも酷かった。
“トリコ”のカメラワークに三半規管をいじめ抜かれたことを思い出すほどだった。一度はエチケット袋に手が伸びたが、アメニティとして用意されていた紙パックの「お~いお茶」に助けられた。
「これがなくなった時、おれは死ぬのだ」
そう思ってちびちびと飲んだ。
まるでアルコールが切れることを恐れる依存症患者のように。
再び時計を見遣ると、時刻は午前の一時になっていた。
信じられない、と思った。乗車してから既に三時間以上が経過していたのだ。その間、バスはずっと真っ暗闇。流石にほとんどの乗客は眠っているだろうが、時々スマホの灯りが天井を照らしているのも見える。ひょっとすると、同じように眠ることも気絶することも出来ず、暗がりのなかで神経を尖らせている者も多いのか。
思えばいびきの一つも聞こえてこない。耳に届くのは、アスファルトがタイヤを削る音ばかり。
しかし、いくら目覚めていても、互いに不安や不満を共有することは出来ない。上手く眠ることに成功した乗客もいるのだから、スマホをいじるのだって本当はマナー違反だ。Twitterに「高速バスなう」と書き込むことさえ憚られる。
ここが自宅ならばと妄想する。どうしても眠れない時は、ごそごそと起き出してパソコンを起動し、エロサイトにアクセスしてすることをするのだが――そういうわけにもいかねえでしょう。
そうだ。こういう時は、小説のネタを考えよう、と彼は思う。創作はいつだってどこにいたって孤独な作業だし、妄想するのに他人は邪魔だ。
うーん、だけど別にな。なんもねーなー。というかロンパやりたいなー。いや、クリアしたけど、プロローグもっかい読み直したいんだよねー。んー。まー。ねー。んー。
その間、時計をちらちら覗くが、針は一分どころか十秒すらも碌に進んでくれない。
……まるで眠くならない。……午前二時。……まるで眠くならない。……午前三時。……まるで眠くならない。
午前四時。
段々と意識が闇に溶けていく感覚があった。暗闇のなか、眠気を微塵も感じぬまま、虚空の一点を見据えている。
そもそも、おれっち一体なにしてるんだっけ。え? 名古屋オフ? そこに向かってる? でも、着かないよ。全然全然着かないよ。夜も全然明けないし、身体も全然動かせない。これってホントに名古屋行き? そもそもホントにバスに乗ってる?
もうマジでわけわかんなくなっちゃって、閉所に閉じ込められたみたいに錯覚しちゃって、なんだか猛烈に叫び声を上げたくなっちゃって、そんでもって――。
寝た。
午前七時過ぎ、雪の影響で若干の遅れがありますとかなんかそんなアナウンスを聞きながら目覚めた彼は、ついに名古屋駅へと到着した。
しかし待ち合わせの時間はぴったり正午。五時間近くも時間があった。なんだか地元の東北よりも猛烈に肌寒い名古屋駅のどっかにて、宮城毒素氏は――すっかり明るくなった空を見上げながら――ただただ呆然と立ち尽くすのであった。
その後、そんなに早く着いておいて合流したのが一番最後となった彼は人生初のオフ会の席でとても緊張していたが、なんだかんだ楽しみましたとさ。おしまいだおら。